さなぎ(ガウ)




「ん? さっきから何見てんの、ガウリイ?」

夕刻、ようやくたどり着いた宿の一室。

折からの悪天候で「相部屋でお願いできませんか」と言われてしまい、
今日はガウリイと同室になったのだが。
窓を開けに行ったまま、そこから動こうとしないのだ。

「ん〜、ああ」

生返事をしながらも、彼の目線はいまだ窓の桟に落とされたまま。

「何か面白いものでもあるの? それとも外に綺麗なおねーさんでもいる?」

軽くからかい口調で言ってみたものの、ガウリイの反応は今ひとつ。
そこに何があるのか見たくなって、あたしも窓に近づいてみた。

「で、何があるのよ」

「こいつ、めちゃめちゃよく動くよな〜と思ってな」

ほれ、と無骨な指先が指したのは小さな小さな、
彼の人差し指の第一関節まで位の大きさの何かのさなぎ。

・・・確かにぶんぶか元気に動きまくってるさなぎってのは珍しいかもしんない。

淡い茶色の外観のそいつは、なんというか、こう・・・
内側でジタバタと暴れまくっているようだった。

もしかして外敵でも?と思って観察してみても、アリだの他の虫などは見られない。

「もしかすると、羽化直前なのかもしれないわね。ガウリイは見たことある?蝶の羽化」

「いいや、ない。 そっか〜、こいつから蝶が生まれてくるのか」

なにやら嬉しそうにしながら、窓に頬杖をついてさなぎを眺め続けるガウリイは、まるで子供のよう。
無邪気な顔でワクワクしながら一心に小さなさなぎを見つめている。

「どうせ今晩は羽化しないわよ。蝶が羽化するのは朝、太陽が昇ってからなのよ」

子供の頃、父ちゃんが飼育箱を作ってくれて、母ちゃんが餌にってキャベツの葉っぱをくれたっけ。
箱の中で飼っていた青虫達が続々と真っ白な翅のモンシロチョウに生まれ変わる様子は、
幼心に命の不思議を感じさせてくれたものである。

「そっか。蝶になる所は見られないのか」

ガックリと肩を落とすガウリイ。
予定では明日、ここを立つ事になっているものね。

「そんなに珍しいものでもないでしょう。さ、早くご飯に行きましょ」

まだ後ろ髪を引かれるのか動きの鈍い彼の手を取って、あたしは階下の食堂に向かった。






「ほんっとうに一度も見たことないの? 蝶の孵るところ」

楽しくも激しいお食事バトルを終えて、食後の香茶を楽しみながら聞いてみた。

「ああ、一回も」

こっくりと頷くガウリイ。

「あんたって、子供の頃どんな風に過ごしてたのよ。それともあんたの故郷に蝶はいなかったの?」

あくまで素朴な疑問として口にしたのだが、あたしはすぐに後悔した。

ガウリイには故郷の話は禁句・・・とまでは行かないけれど、
積極的に振って良い話題じゃなかった。
この手の話を持ち出した途端に、普段ののほほんとした雰囲気が曇ってしまうのだ。

本人はあたしに気づかれているとは思っていないだろうけど、長い間一緒に旅をして
時間を共有していれば、そういう事も自然と判るようになってしまうものだ。

「オレは・・・」

「じゃあ、今見ればいいじゃない! どうせ明日もお天気崩れる
みたいだし、ね!あたし、連泊の手続きしてくるから」

わざと明るく聞こえるように言い切り、席を立った。






「じゃあおやすみ」

お風呂を済ませて部屋に戻り、そのままベッドに入ったあたしは布団を肩まで引っ被った。

今更ガウリイと同室だからと言って何か特別な事があるわけでもなし、
普通に着替えて装備の手入れをしてたわいもない話をして、
眠気が来たから寝る事にした。ただそれだけ。

「お休み、リナ」

向かいのベッドに腰掛けて、剣の手入れをしているガウリイはまだまだ眠る気はないようだ。

ちぇ、今夜は盗族いぢめに出かけられないわね・・。
キュッという革の擦れる音を聞きながら、あたしは眠りに落ちていった。






「・・・ん」

そっと目蓋を開くと、暗がりの中に座り込んでいる金色が見えた。
開いたままの窓からは、生暖かくて多く湿気を含んだ風が流れ込んできている。

明日は雨、決定ね・・・。

ぼんやりとした頭で思って、あたしは再び目を閉じた。

閉じる直前、一瞬だけ見えたガウリイの寂しげとも、懐かしげともつかない顔を目の端に捉えて。
いつか、聞かせてくれる事はあるんだろうかと思いながら・・・。







遅い時間に目を覚ますと、やはり外は雨だった。

「・・・おはよ、ガウリイ」

どうして雨の日はこんなに眠いのかしらね。

「お前さん、随分良く寝てたなぁ。朝飯の時間終わっちまったぞ」

にこやかに笑いながらこっちをみているガウリイの頬には、赤いトマトの欠片がついている。
ガウリイの奴、薄情にも一人だけさっさとご飯に行ったらしい。

「ご飯行くなら起こしてくれれば良かったのに!」

ぶーぶー文句を垂れ流してると
「そんなに文句ばっかり言うんなら、これはオレが食っちまうぞ」ニヤリと笑って
ガウリイは後ろ手に隠し持っていたものを出してみせる。

「あ〜っ! サンドイッチ!!」

大きなお皿に山盛りのサンドイッチ。

「さすがガウリイ、気が利いてる〜♪」

ベッドの上に座ったままでお皿を受け取りサンドイッチに齧りつく。

しゃっきりしたレタスとしっかり熟したトマト、やや塩気の多いチーズのハーモニーがまたグッド。

「ほら、そんなに急がんでもいいだろうが」

タイミングよく横から温めの香茶が差し出される。

「あんがと」

そういえば起きてから何も飲んでいなかったわね、と、一息にそれを飲み干して。
それから残りのサンドイッチを一気に平らげにかかった。



あたしの世話を焼きながら、それでもガウリイの視線は窓に向けられてて・・・って。

「あんた、それ」

視線の先、ようやくさなぎの殻から姿を現した蝶の真上には、ガウリイの
ショルダーガードが片方、まるで雨避けのように窓から突き出されていて
ずれないように紐で固定されていたのだ。

「さっきから降りが酷くなってきたからな。羽化の途中で触ったらダメだって言ってたろ」

ガウリイは何気なくそうしたんだろうけど。

そんな所も、とてもガウリイらしいと思った。

傭兵の過去を持つ大人の男が、たかが蝶一匹を心配して自分の装備を貸すなんて真似、
今まで出会ったどんな奴も考えた頃すらないだろうに。

ガウリイはそれを極自然にやっちゃうのだ。






穏やかに、雨降りの午前は過ぎて行き。

お昼頃に、とうとう蝶の翅は広がりきって色付き始めた。
が、雨足もどんどん酷くなって、外はバケツをひっくり返したような土砂降り模様。

「これじゃあせっかく蝶になっても飛べないわね」

まだ飛べはしないものの、抜け殻からガードの裏に移動した蝶を
驚かせないよう、静かにガードごと室内に移動させてやる。

「どうする?」

「ここまで付き合ったんだから、最後まで面倒見ましょ。
どうせこの雨じゃ出発できないし、ね」

「了解」

もう一泊する事を決めてからはお互い思い思いに過ごし、
時折部屋の隅に止まった蝶を観察した。

最初は白かった身体がクリーム色に、そしてどんどん鮮やかな色彩を
得ていく様は見ていて飽きる事はなく。

夕刻、ようやく雨雲が遠のいた頃、蝶は目にも美しいメタリックな青と金色、
そして翅の縁に朱色を散りばめた華麗な姿に変貌を遂げていた。

「見ろよ、あんなに綺麗な色になるもんだな!」

「こんな蝶、今まで見たことないわ」

あたし達の視線を、その儚い身に一心に受けヒラリと宙を舞う姿は、
どこか誇らしげにも見える。

「ほら、好きな所に飛んで行け!」

雨が入らないようにと締め切っていた窓を開けて、ガウリイが笑った。

そんな、子供のように無邪気なガウリイが微笑ましくて、つい、あたしも笑ってしまって。

蝶は、まるでお礼を言うかのようにヒラヒラと、あたし達の周りをゆっくり飛んでから、
ゆっくりと広い世界へと飛び去っていった。





「ねぇ、あたしがあんな風に飛んでいっても。あんたはそうやって見送ってくれるの?」

我ながらこっ恥ずかしい事を聞いてしまったのは、蝶を見送るガウリイの瞳を見たから。

置いていかれる事を最初から知っている、そんな眼差しだったから。

「なんでだよ。 お前さんを一人にするわけないだろうが」

心外そうに声を上げ、ぐしゃぐしゃ普段より乱暴にあたしの頭をかき乱す
ガウリイの大きな手に『あたしも離さないから』の気持ちを込めて、
ゆっくりと自分の手を重ねたのだった。