ささやかな報酬を受け取り、あたしはまたねぐらへと戻る。

そこだけが安全を保証された空間だから。

小さな場には、簡素な作りのベッドが一つ。

一人用のテーブルと椅子が一脚。

窓はなく、扉もない。

出入り口のない部屋からどうやって出入りをするのかといえば、
空間を渡るとしか言いようがない。

あの、不可思議な感覚を口で説明するのはかなり難しい。

この空間で一番大きな割合を占めているのは壁2面を占めている本棚。

そこには古今東西ありとあらゆるジャンルの書物が揃えられているのだが、
それらは時折勝手に入れ替えられているらしい。

あたしの基準で貴重だと思う書物には一切変化は見られないが、
一度目を通したきりでもういらないと感じたり、そもそも最初から
目を通す価値がないと判断した物は、いつの間にか姿を消していて
代わりに新たな本が『前からここにありました』と言わんばかりに
すっかりその位置に納まっているのだ。

誰がそんな芸当をやってのけているのか、
一晩寝ずに見張った事もあったのだが結果は同じ。
整然と並べられた状態で、中身だけをすり替えられた本が数冊出ただけ。

それ以来、この事についてはあまり深く考えない事にしている。

とりあえず便利である事には違いないし、なにより自分の懐を
痛める事なく望みままに稀少本が手に入るのだから。

「お腹すいたわね」
天井を眺めてボソリとつぶやき、それからテーブルの上を見る。

するとそこにはさっきまではなかった、ホカホカと湯気を立てた状態で
なかなか豪華な食事が並べられている。

白磁の皿に盛られた炙り肉に、白身魚のソテー。

透明なガラスと思しき器にはおいしそうなサラダが用意されているし、
傍らのカゴには種類の違うパンが山積みにされて
あたしが手を伸ばすのを待っていて、水差しの中には
氷が浮かんだ冷たい水が満たされている。

「いただきます」

誰に言うでもないのだが、これは躾の問題。
きちんと食前の挨拶をして、静かに一人きりの食事を楽しむ。

すっかり食べつくして空になった皿は一瞬視線を逸らした隙に消えうせ、
代わりに新たな料理が準備されている。

これも本棚と同じく姿の見えない何者かに管理されているようだが、
いちいち気にしていたらこの空間にはいられない。

あたしはごく当然な顔で出された品をお腹に納めていく。

そろそろ満腹かな、と思う頃には料理の追加は止まり、
代わりに提供されるのは冷たく甘いデザート類だ。

かんきつ類のソルベやベリーのジュレ、
たまには豪華なデコレーションケーキも供される。

それらを平らげ視線を外すと、もうそれらは影も形も一切残さずに
何も置かれていないテーブルだけがそこにある。

食欲も知識欲も満たされれば、後に残るのは睡眠欲だけ。

肌触りの良いシーツに身体を横たえて、あたしは静かに目を閉じた。

明日はどの本を読もうか、それだけを考えながら。

他の事は考えない。

何も考えたりしないし、してはいけない。

それはこの快適な場所からの追放を意味するのだから。

まだ、あたしはこの場から出られないし出たくない。

眠りの底にたどり着く直前、視界の端を掠める黄金色。

毎夜毎夜必ず見つけてしまうその色は、早く目覚めろと
あたしを急かすけれど。







まだダメ。

もう少しだけ待っていて。

・・・・・・できるようになるまでは。








「ミルガズィアさん、いつリナは出てくるんだ!」

苛立ちを押さえる事もせずオレは、
目の前で腕を組み瞑目している男に問う。

「・・・それは私にも判らん。その時期は娘が自ら決めるだろう」

重々しい返答に、オレはガックリと肩を落とし項垂れる。

「まだ・・・まだ、あいつは・・・」

「ああ、まだ癒しの時が必要なのだろう。しかし、その時は近いと思う。
・・・ただの予感だがな。いま少しだけ、娘を待っていてやるがいい。
そなたが望むのならば、娘が目覚めるその日までそなた自身も
時を止め眠りにつかせる事もできるが・・・。
人間の男、お前はそれを望まんだろうな」

真面目くさった顔のまま。

いや、僅かに眉をしかめたゴールドドラゴンの長は
オレに痛ましげな視線を向けた。

「ああ、オレはここでリナを待つって決めたんだ」

あいつがここから出てきたらすぐに迎えてやらなくては。

ああ見えてけっこうな寂しがりやだからな。

ギュッと、手の中の短剣を握りしめ。

オレはリナが目覚めるその時を待ち続ける。

「・・・もうすぐ、だろ?」

漠然とした中にも、確かにそんな気がするんだ。

もうすぐあの紅い瞳の主に会えるのだと。

また二人で旅路を歩めるのだと。







固く閉ざされたままの岩戸を見つめて。

オレはその時を。

彼女の目覚めを、待ち続ける。