「・・・でよぉ。そん時のねーちゃんが、いい乳しててなぁ」

喧騒と紫煙、そしてアルコールが支配する空間。
大きな街の片隅に必ずと言っていいほど存在している安酒場。

肌も露わな女の人が酔っ払いにしなだれかかり、酒に思考力を狂わされた男達は
ニマニマとすけべ面をさらしながら、大声を張り上げ、粗野な振る舞いを繰り返す。

それも日常からの脱却、ままならぬ人生における、一時の
ストレス解消と言われれば、別にそれはそれでかまわないと思う。

ただし、あたしに害が及ばないのであればの話だが。



「おっ、そんなとこで寂しく飲んでるのかい?
ほらほら、こっち来ておっちゃん達と一緒に飲まないか?」

肩越しにかけられた声は、『この世の春を謳歌してますっ!!』って
全力で表現したかのように、ご陽気そのもの。

普段ならそういうのも嫌いじゃない。

けど、今日のあたしは「悪いけど今夜は気分じゃないの」と
肩に無遠慮に乗っかっていた手を払いのけ、冷ややかにお断りを口にした。

もしかしたら暴れる破目になるかしら?と、警戒してみたのだが
以外にも「じゃあ、あんまり飲みすぎないうちに帰りなよ?」と
娘を心配するような、そんな響きを残して立ち去るおっちゃんA。

「・・・うん、あんがと」

ポツンと呟いて、目の前のグラスに視線を落とした。

カラン。

シャープな断面を徐々に融かしつつある透明な塊。
それは、頼りなくアルコールの海に浮かんでいる。






「んだと、こら。 やんのか!!」

「じゃかぁしいわ!! てめえのちんくしゃ顔なんざ見たくもねえ!!」

ガシャン。 
バリン、ドゴッ、ゴロロロロ・・・。

安酒場のお約束、酔っ払い同士のケンカだ。

一旦始まってしまったら、後は事が収まるまで見物するのみ。

どれどれ、どんな奴が暴れてるのかしら?
くぴっと、甘いカクテルに口をつけながら、騒音の源を探して振り返ってみる。

・・・だめだこりゃ。

両者へっぴり腰丸出しで睨みあっている。どっちも素人さんだわね。

片や、木製椅子を頭の上に持ち上げて振り下ろすぞ!!って威嚇ポーズ。
酔いが回ってるのか、腕がプルプルしてるけど。

もう片方は割れたお皿の破片を握りしめて、刺すぞ!!って構え。
緊張からか、酔いからなのか、全身ガクガク震えてるけど。

「て、てめぇ!! 謝るんなら今のうちだぞ!!」

「な、何抜かしやがる!! 
そっちこそ俺が本気ださねぇうちに詫び入れやがれ!!」

う〜ん。これは両者引くに引けないってとこかしら。
周囲にはしっかりとギャラリー集まっちゃってるもんね。

お気に入りのねーちゃんの前でみっともないまねは見せられないとか、
飲み仲間の前だから格好つけたいとか、男ってのは本当に単純だ。

お互いプライドがあるから、振り上げた拳を下ろせないでいる。
そんなものの為に怪我をしたり、最悪の結果を迎えたりしたら
それこそ人生一巻の終わりだって、いい年をしてどうして判らないんだろう。

もう一口、薄くなったカクテルを含んだ。

周りで見ている奴らも野次を飛ばすだけで止めようともしない。
所詮他人事、自分に累が及ばないなら人生におけるささやかなイベントの一つとして
せいぜい楽しんでやろうって気がミエミエ。

酒場の主人は店の備品が壊されないかだけを気にしているし。

・・・ん?

「あんたら、その辺で矛を収めないか? せっかくうまい酒を飲んでたんだろ?
な、こんな事で怪我しちゃ明日の仕事に差し支えるだろ?」

一人だけ、いた。

さっき、あたしに声を掛けてきたおっちゃんだ。

汗を拭き拭き、興奮状態の男達の間に割り込んで説得を試みてる。

「なんだ、てめぇ?」

「俺達の邪魔しようってのか、あぁ?」

新たな攻撃先と認めたのか、男達がおっちゃんと向かい合う。
むろん、得物を持ったままで。

ジリ・・・ジリと、さっきまで張り合っていた筈の二人と、
おっちゃんとの距離がゆっくりと詰められていく。

相手が丸腰なら難なく勝てると踏んだのか。

酒で昂ぶった闘争本能を静めるための捌け口を求めているのか。

「俺は、そんなつもりじゃあ・・・」

胸元に凶器を突きつけられ、壁際まで追いつめられて。

周囲に哀願の眼差しを向けるも、どこからも
助けの手が差し伸べられる事はなかった。

この場に居合わせた人々から浴びせられたものは。

好奇、嘲笑、憐れみ、そして無関心。

『傍観者』達は、我が身の安全さえ確保できれば
他人がどうなろうと知った事ではないのだろう。

「えらっそうに、しゃしゃり出てきやがって」

己の優位に酔いながら、振り上げられる鋭い凶器。

怯えきった獲物を前に、醜悪な顔がいっそう醜く歪んで、
にぃっと口の端が吊り上る。

まったく、せっかくのお酒が不味いったら。

ひゅ〜ん、ごすっ!!

「ん〜。やっぱあたしってコントロール抜群よね♪」

「てめ・・・何しやがるっ!!」

あたしの声がが聞こえたのか、でっかいたんこぶこさえた男が
ギロッとこちらを睨みつけてきたから
「なにって・・・あたしはただ、こうやってね」
口の中で小さく呪文の高速詠唱スタート。

そして。

「フリーズ・ブリットv」

ひゅ〜ん、めきょっ!!

出現した氷塊は、狙い通りに皿男のたんこぶの真上に命中。

何が起こったのかと、一瞬。静寂に包まれた酒場内に
『がごろぉぉん!!』と重い氷塊の転がる音が響き渡った。

「お勘定、ここに置くわね」

店主に一声掛けて、グラスに僅かばかり残ったお酒を
飲み干してから席を立って。

いかにも興味津々、好奇心満々な視線があたしに集中するけど
そんなの軽く無視して、真っ直ぐおっちゃんの所に向かって。

「怪我してない?」

呆然と床にへたりこんでたおっちゃんAを、腕を引っ張って立たせて、
そのまま店の外に連れ出して、っと。

開いたままの扉の向こうから、好奇と興味の視線がチクチク刺さるのを
感じつつ、こっそりおっちゃんにある事を確認。

それが期待通りの返答だったので、あたしは
こちらを窺う『傍観者』達に向きなおって。

「ボム・ディ・ウィン!!」

放った魔力が風を生み、高圧力の烈風となって
ありとあらゆるものを吹き飛ばし吹き荒れて。

中がしっちゃかめっちゃかになったのを確認してから
「じゃ、後はごゆっくり♪」
ピランとにこやかに手を振って、殊更静かに扉を閉めた。

あとは当事者同士で仲良く騒げばいいんじゃない?
他人を肴に騒ぐよりも、自分を肴にした方が長く楽しめるってもんでしょうが。



おっちゃんには明朝早々街を立つように薦めて別れ。

あたしはなんとなく宿に戻る気になれなくて、
目についたベンチに腰掛けて、酔いが醒めるのを待つ事にした。

時折吹く風が、火照った身体に心地良い。
このまま、もう少しだけここにいようかな。

そう思ってたのに、道の向こうから「おーい」と。

聞き慣れた、いや、今はあんまり顔を合わせたくない人物が
ホッとした表情を浮かべて駆け寄ってくる。

「おまえさん、またやらかしたって?」
開口一番がこれだ。

「って、なんであんたがそれ知ってるのよ?」
驚いて立ち上が・・ろうとして、よろめいちゃったのをでっかい手が支えに来て
そのまま背中に軽々背負われてしまう。

「さっき会ったおっさんが「酒場で絡まれてる所を助けてもらった」って。
手荒いやり方だったけど、こっちは胸がスッとした」んだと。
「小柄な娘っ子なのに、やる事は豪快だったなぁ」って言ってたぞ?」

人助けするならもっと穏便にだの、一人で飲みに行くんじゃないだのと
ありがたくないお小言を右から左に聞き流しつつ。

広い背中に寄りかかり、ゆらゆら揺られながら宿に戻ったあたしは、
『酒臭い』の一言でお風呂に連行されて、髪の先から爪先まで磨かれちゃって。
着替えて髪を乾かされたと思ったら、強引に寝室に押し込まれてしまった。

「う〜、頭ガンガンする〜」

今頃痛み出した頭を抱えて、布団の中でウンウン唸っていると
すぐ横で『しょうがないなぁ』って顔が、優しくあたしを見つめてて。

邪気のない彼に対して、少しばかりの疚しい気持ちを抱きながら
あたしはそのまま深い眠りに落ちた。

翌日、すっきりと目覚めたあたしは「その様子なら大丈夫だよな」と
笑顔の『元、自称保護者』にとっ捕まって、昨日のツケを
ある意味容赦なく取り立てられまくる事となり。

違う意味で疚しさを感じるハメになったのはここだけの話。