映画を見る






「ああ、もういないのね」
目覚めた瞬間に解ってしまった。

傍らの、冷たいシーツに手を置く。

残り香すらも残さず、髪一筋もくれないまま、あの人は去っていってしまったんだ。



たったの一夜、共に過ごしただけの人だったけれど、
たとえ千夜を共にしても、全然足りないに決まってる。



頬を一筋、熱いものが伝って膝の上にぽつりと落ちて。

やっと私は、泣く事を思い出した。






「なんで隣で寝ていて気付かないんだ?」

全く空気を読まない発言をしたのはガウリイだ。

朝に出会った男と女は昼には友人になり、夕方には親友に、
そして夜には恋人になっていた。

「なんてインスタントな」なんて言ってはいけない。

この映画のテーマは「愛が育つ時間」らしい。

まるで早送りのように進む展開、あっという間に心を許しあう二人。

目が合い、会話を交わし食事を共にし、握手を交わしそのまま手をつないで肩を並べ、
ベンチに座る頃には肩を抱いて寄り添いキスをして。

ベッドの上で情を交わす頃、男の目には別離への嘆きが宿っていた。



「結局さ、男はどこに行ったんだ?」

「きっと、空に還ったのよ」



ガウリイの疑問に即答したのは、確信があったからだ。

2時間のうちのほんの数カットだけに、彼の背には翼が生えていたのだから。

それは舞い落ちる落ち葉だったり、通り過ぎ際重なった看板絵の一部だったり
空に舞い上がろうとする鳥のものだったりと、一見そうとは分からないよう巧妙に
風景の中に隠された男の背に重なる一対の翼達。

いつだって、真実の欠片は傍にある。
この映画を撮った人はそう伝えたかったのだろうか。






あたしの背中にも、翼はある。

緋色の大きなそれは、いつだって空に憧れ飛び立つ日を待っている。






男は空から来て、空に還ったのか。

あたしはこの地で生まれ、飛ぶ日を今か今かと待っている雛鳥のようなものなのか。

いつだって優しい隣人の庇護に甘え、ぬるま湯のような心地よさを捨てられずにいたけれど。





映画は、朝焼けの空を見上げ静かに微笑む女の横顔を映して終わった。

決めたなら、もう、躊躇わない。

旅立つために席を立ったあたしの手を、急にガウリイが掴んで引きとどめた。

「なに?」

場内照明が灯されて、彼の青い瞳が光を受けて細められて。
それでも彼の手はあたしの手を捕まえたままびくともしない。

「終わったんだから、出ましょ」

促しても、ガウリイは席に座ったまま真顔であたしをじっと見つめたまま。

あたしも、それ以上何も言わずにガウリイを見つめた。

この、優しい人の顔を記憶に焼きつけたくて。



「なぁ」

普段の彼からは想像できないような、真摯な声で。

総てを見透かすような敏い瞳で。

ガウリイは、言った。

「飛び立つのなら、一人より二人の方が心強いだろ」と。






彼はどこまで知っているのか、何を知っているのか。
尋常ならざる魔力を宿していると気付いたのは、あたし自身最近の事だというのに。

「そこに、何もなくても?」

あたしが向かおうとしているのは、この世界とは違う場所。
不可思議な魔力が常のものとして存在するもう一つの世界。
ガウリイにはまったくそぐわない場所だ。

「何もなくなんてないさ」

どこだろうと、あたしと一緒なら何もないなんて事はないんだと。

静かに微笑む彼の背には、空色の大きな翼が生えていた。