雨に濡れる




「……いつまでそうしてるの」

あたしは、あたしの真正面で突っ立ているでくの坊に声を掛けた。
優しく「どうしたの?」なんて聞いてなんてあげない。

「……」

でも、彼は何の反応も見せずに突っ立ったままで。

「そう。なら、勝手にすれば? 
あたし先に街まで行っとくから、気が済んだらいらっしゃいね」

シトシトと降り続く、暖かい春の雨に髪を湿らせながら、
あたしは一歩横に動いて彼の脇をすり抜けようと踏み出した。

なのに。

「…どうしてあたしの邪魔をすんのよ。 あたしはあんたと違ってデリケートなの。
いくら暖かくなってきたからって、雨に濡れたまんまこんな所にいたんじゃ
確実に風邪引いちゃうわ」

サッと突き出された腕が、あたしの行く道を塞ぐ。

彼の太い腕から、濡れて張り付いた服からも透明な雫が伝い落ち、
手首の辺りで地面へ滴り落ちるけど。

「…ちょっと。いい加減にしてくれない? あたしは寒いの。
早く屋根のある所で服を着替えて、温かいお風呂とか食事にありついて
フカフカのベッドで眠りたいのよ」

だんまりをきめこむ奴の態度に苛立って、乱暴に彼の腕を叩き落とし。

それからズカズカと足取りも荒く、バカ男の横をすり抜けた。

勢いよく降ろしたブーツが泥水を跳ね上げた事も、それが奴のズボンを
汚した事だってあたしにはどうでも良かった。

2歩、前に進んだ時だった。

くん、と引っかかる感触。

……あたしの後ろ髪だ。

手をやると、細い一筋が『ピン』と張っているのが判る。

「…ガウリイ。子供みたいに押し黙ったままこんな真似されても、
あたしはあんたのことを可哀想とかかわいいとか全然思わないし、
自分の意思をはっきり表明できないような奴に付き合う義理もないんだからね」

ゆっくりと振り返って、ついでに濡れて垂れ下がってきていた前髪を払う。

ぴしゃっと、冷たい雫が飛んだ。

あたしはマントを羽織っているから、実質素肌が濡れているのは髪と顔くらいのものだ。

後は全部マントやグローブやショルダーガードやブーツなんかが
あたしの代わりに濡れている。

ガウリイはマントなんてしちゃいないから、濡れていないのはせいぜい
ショルダーガードの真下だけだろう。

他の部分はきっと満遍なく濡れ鼠決定、見てりゃ判るし気持ち悪くないのだろうか。

「…なぁ、もう少しだけ。頼むから一緒にいてくれないか」

ようやく男は、暗く沈んだ声を絞り出した。

「どうして? って、聞いたほうがいい? 聞かないほうがいい?」

何となく、彼は聞かれたがらない気がしたが、あえて聞いてみたのは心配だったから。

街道脇に据え付けられた慰霊碑を見た時から、目に見えて彼の様子がおかしくなって。
天気が崩れ、雨が降りだしても俯いたままでその場を立ち去ろうとしないなんて、
普段のガウリイからは想像もつかない状態だった。

「…すまん。ごめんな」

ボソリと呟かれた言葉は、きっとあたしに向けたものじゃない。

盗み見た彼の横顔は、普段とはまったく違う沈痛なもので。

あたしはそれ以上声を掛けられなかった。




静かに黙祷を捧げていると「待たせたな」と、ガウリイがあたしの肩を叩くから。

「待たせすぎよ? もう完全に全身ずぶ濡れなんだけど。
風邪引いたら責任取ってよね。
このお詫びは夕食全部ガウリイのおごりで勘弁してあげる」
って、笑ってみたんだけど。

言葉を掛けながら彼の手を掴んだら、まるで氷のように冷え切っていて驚いた。

彼までもがこの世のものではなくなりそうな気がして、あたしは急いで呪文を唱える。

いつまでも、こんな場所にいちゃいけないのよ。

春の雨は温かだけど、それは仮初めのものだから。

ジワリジワリと身に滲みて、いつしか体温を奪っていってしまうものなの。

「さ、もう行きましょ? まだ後ろ髪を引かれるのなら明日雨が上がってからくればいいわ」

けぶる視界の先には幾つかの建物が見える。

「いいのか?」

驚いたようにあたしを見つめたガウリイ。

「いいに決まってるでしょ?」

風の結界をコントロールしながら、簡単に答えて街へと飛び込む。

悔いる事で彼の気持ちに整理がつけばいいのだけど、あんたまで
死者の仲間入りするのはいただけないわ。

いつか言ってたでしょ?

色んな重い物を背負いながら、それでも人は前に進まなきゃならないんだって。

だから、あたしが落ち込んだときはあんたが手を引いて。
あんたが沈んでる時はあたしが引っ張ってあげるから。

勢いよく飛び込んだ宿の部屋でふと窓に視線をやると。
何かの暗示のように、薄れ行く雲間から指す一筋の光が見えた。