砂浜で追いかけっこ



ザッザッザッ……

白く乾いた砂が、一足踏み出すごとに崩れめり込み、踏み込む力を奪っていく。

波打ち際までもう少し。
あそこまで行けば、濡れた砂地があるから少しは走りやすくなる。

「・・・きゅう、じゅう。 行くぞ?」

防波堤の上から、のんびりした声が掛けられる。

「ええいっ!! 絶対に負けないからね!」

あたしは返事の代わりに『グン』と、踏み込む歩幅を広げた。

ドシャ!!と、重いものが砂の上に落ちた音が背後から聞こえ。

ついで、ザクザクザクと、砂を蹴立てて走る……
いや、まだこれは走ってないわね、あいつ。

やや早歩き程度のスピードであたしを追いかけてくるでっかい足音。

うっすらと滲み出した汗をグッと腕で拭いて、水平線に沈み行く太陽を見た。

日没まで奴から逃げ切る事ができたらあたしの勝ち。
それが背後で余裕を見せている男との、賭け。



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日没まで、あと10分ほどか……
オレは、必死で足を出す小柄な背中を眺めながら、
追いつきすぎず離れすぎない距離を保っていた。

何でこんな事になったんだか。

普通砂浜で男と女が追いかけっこってシチュエーションなら
「うふふふふv 捕まえてごらんなさ〜いvvv」
「待てよ、こいつぅ〜vvv」
って感じで、もっとこう……

いやいや、台詞はともかくとして。

今のオレ達みたいに夕暮れの静かな砂浜でカップルが必死の形相、
真剣勝負で追いかけっこってのは聞いた事がない。

ないが、今回だけはあいつに負けてやるわけにも行かない。

この機会を逃しちまったら、次のチャンスはいつになるのか判らんのだから。

ルールは簡単だ。

あいつは逃げて、捕まえられたらオレの勝ち。

フィールドはこの砂浜全て、ただし水中はなしで空中もなし。

魔法や指弾等の足止めもなしだ。

ただし、その条件だとオレの方が有利になっちまうから
ハンデとして腕と足に重りを巻きつけられている。

ちょうど、あいつと同じ位の重さだなぁ。

おっ、余計な事を考えてるうちにスピードを上げたか。

波打ち際ギリギリの、水分を含んで締まった砂地を選んで走っているのか。

……まぁ、予想通りだな。

少しずつ、オレとあいつの距離が広がっていく。

おっと、そろそろ追い込みにかからなきゃヤバイか?

少しずつ走る歩幅を広げ、速度を上げて
オレは獲物を追い詰めにかかった。



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「くっ!」
パシャ!!と、ブーツが砂混じりの海水を蹴り上げる。

夕日が沈むまであと少し。

もう半分以上太陽は姿を隠し、辺りは徐々に暗さを増している。

目前には猟師たちの物だろう、魚網やら簡素な小屋に引き揚げられた小船が見える。

あれら障害物を利用しなくては、あたしに勝ち目はない。

いくらハンデをつけたと言っても、正直あの程度の重り、本気を出した奴には
あまり意味が無いだろうし、もともと純粋な体力勝負となれば
勝てる自信はまったくない。

さらに一番痛かったのが『魔法の使用禁止』

まぁ、それを使っちゃったらお互い無傷で済まないってのも
判ってるから同意したんだけど。

だからって、簡単に捕まるのは絶対にいや!
迎える結末は同じでも、そこに至るまでの過程も結果と同じ位重要なのだから。



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目前に迫る日没を横目で確認して、オレは全速力で捕獲にかかる。
獲物はもう手の先僅かの距離に。

あいつ、障害物があればまだ有利とか思ってたようだが、そんなのは無駄だぞ?

ジグザグに走ったかと思えば、小船の陰やら小屋の裏手に回って
オレをかく乱するつもりだったんだろうが、お生憎様だったな。

伊達に長い事お前さんを見て来たわけじゃないぞ?

小屋の影を利用してフェイントをかける。
オレが右に回りこむと思った獲物は、予想通り左に逃げた。

それを確認してオレは砂に塗れ落ちていたロープを拾い上げて力いっぱい引っ張り、
そのまま大回りに左に走った。

「ぎゃあっ!!」

すると、確かな手ごたえと共に聞こえた色気の欠片もないリナの悲鳴。

オレは油断する事無く、獲物に近づいて……
「ガウリイっ!! これって反則じゃないの!?」
魚網に絡まり身動きの取れない獲物を捕まえた。



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痛いし、臭いし、苦しいし!!

引っかかった網が手足に絡まってキシキシ音を立てている。

息を吐くと鼻にプンと潮の匂い。

圧し掛かるガウリイの肩越しに見えたのは、沈む夕日の末期の一筋。

「ガウリイっ!! これって反則じゃないの!?」

悔しくって思わず叫んじゃったけど、本気で反則だなんて思っちゃいない。

ガウリイのすこぶる性能の良い眼が、砂に隠れていた
魚網の先端を見つけ出し利用しただけの事。

これが実践だったら、反則以前に命がなくなってる。

それよりも!!

「重いって、お願いだから退いてよ!」

あんた、只でさえ重いのにハンデ分の重りまでついてんのよ!? 
そんなので華奢なあたしに圧し掛かったりしたらどういう結果になるか、考えなさいよね!!

押さえ込まれて苦しくて叫んだあたしの体から、急に重みが消える。
いや、それどころか浮遊も使っていないのに地面から浮かんで……って。

「なにすんのよ〜っ!!」

簀巻きよろしく網にグルグル巻きにされたまま、あたしはガウリイの肩に担がれてしまった。

「なにって、お前さん往生際が悪いからなぁ」

彼はどこか楽しげに言いながら、空いた手で手足の重りを外している。

ドシャッ、と、4度目の音がして
「ああ。やっと身軽になれた」
などと伸びをするガウリイ。

あたしを肩に担いどいて身軽も何もあったもんじゃないわよ!

「判ったわよ、素直に負けを認めるから」

ここから出してと全身の力を抜いて、敗北を認める。

するとガウリイは、そっとあたしを抱え直してから、
もぞもぞやって網を外してくれたんだけど。

「じゃあ、約束どおり今夜は一部屋な?」

含みを持った笑みを浮かべ、悠然とあたしの唇を奪った男は
いつもののんびりくらげのガウリイじゃない。
あたしの全てを手に入れようとしている、強欲な一人の男性だった。





抱き締める腕に力を込め、あたしを拘束する彼は知らないだろう。

こんな茶番を演じてでも、あんたを欲しいと思ってしまったあたしの心を。

日頃のあたし達から、非日常である男女の関係に至るには、
何かしらきっかけが必要だったから。

そんな言い訳を自分にしながら、あたしはあたしを抱き上げ運ぶ彼の肩に顔を埋めた。

これから起こる事への期待と不安、そして彼を手に入れる喜びから
こみ上げる微笑を見られないように。