世界よりも大切なあなたに告げる




「なにがどうしたってどう転がったって何も変わりやしないんだから、
おとなしく腹括ってあたしのもんになりなさい!」

って、ねぇ。

そう言えたら。もしも言えていたなら。

あの日のあたしにもっと勇気があったなら。

未来は今とは全然違ったものになっていた?

明日にはあたしじゃない女性(ひと)の手を取るあなたに、あたしは告げよう。
めいっぱい、幸せにならなきゃドラスレだからね!って。





目を細めて笑う様が好きだった。

大人なのにくるくる表情が変わる、まるで少年みたいなところもね。

綺麗な、綺麗な金色の髪。蜂蜜みたいで見ているだけで甘くってさ。

そのくせ、本気で怒るとど迫力だし、背中を預けて戦う時はいつも安心していられたわ。

掛け合い漫才とか夫婦漫才って言われて揃って否定してみたりさ。

あたしたち、最高のコンビだったよね。

寝ぼけていても綺麗なままのアクアマリンに口付けたのは、きっと悪戯の一環だったと
今でも思ってるでしょう?あ、でもそんなこと、とっくに忘れちゃってるよね。

あんたの記憶力って、ほんっと、当てにならないんだもん。



いつまであなたの記憶に残っていられるか、実は全然自信がないのよね。
だから『新たな門出を祝して』ってのを口実に、眠るあなたの夢枕に立ってみたんだけど。

ねぇ、野生のカンはまだ健在?

あーあ、涎なんてたらしちゃって。もう、せっかくの色男も台無しじゃない。



緩んだ口元にキスをして、舌先であたたかな雫を拭い取る。

甘露。

味なんてない筈なのに、甘くて、甘くて。じわりと胸の奥があったまる。



……バカだなぁ。
こんなことしてたら、みんなに怒られちゃいそうだ。

逃げて、逃げて、一人身勝手に逃げまくって。

幾多の手を使い、名を捨て、姿を捨て、この世界をも捨てて、独りで手の届かない場所に
旅立ったことを、今でも彼らは許してくれないだろう。

それでも、知りたかった。
何を犠牲にしても、知りたかった。

だから、自分の中に眠っている力の正体を知るために諦めた。



あたしにとって、一番大切なあなた。

あなたを連れて行くわけにはいなかった。旅立つ理由すら伝えられなかった。

もしも引き止められたら、きっとあたしは旅立つ事を断念していただろうから。





笑い皺の刻まれた頬を撫でながら、歳月の流れを思い知る。

あなたは、あれからどうして暮らしていたの?
どんな人と出会いどんなものを見ていたの?

かつての恋敵はあなたを称して王子様と言ったけど、そんなに貫禄が出てちゃあ
もう王様って呼ぶしかないわよね。



時を止めたあたしと。

時を刻み続けるあなた。



黄金色のベールを被った王様に告げる。

今度こそ、間違えちゃダメだからね。


おとぎ話の終わりはちゃんと、『そして二人は幸せに暮らしましたとさ』で締めくくらなきゃ。






さて、次はどの世界に旅立とう。
名残惜しさを振り切り踵を返して、空間を渡るためのゲートを開く。

今度この世界に戻ってこられるのはいつになるやら。

混沌の海に浮かぶいろんな世界を巡って歩き、敵を屠り真理の欠片を
集めていく終わりのない旅。その果てに、いつか満足できる日が来るかもしれない。

そう信じて、あたしは行くわ。



「……ナ」

っ!?

この世界では物質化していないはずの、手を、掴んだ手。
温かくて、ちょっとかさついてて、力強くて大きな手。

「行くなら、オレもつれてけ」

ぶっきらぼうな言い方だけど、篭った思いは真剣そのものだと否が応でも判ってしまう。

どうして。
なに、言ってんのよ。
明日、あんたは。

「世界で一番大切なお前さんに告げる。大人しくオレを連れてけ、でないと明日一組の
世界一不幸なだけの夫婦が誕生しちまうぞ」


「なにを……ばか、な」

淡々と語られる言葉は静かで、真剣みを帯びていて。

「一番愛した奴と結ばれない奴と、公式に姿を見せられる姿の夫が必要な奴との
打算的契約でしかないこの結婚に、最初から幸せなんぞ生まれるわけがないんだよ。

人の姿が邪魔だと言うならいつだって捨てる。
この世界にも未練はない。
だから、オレを連れて行けよ、リナ。
わざわざこんな夜に訪ねてきた位だ、お前さんだってオレに未練たらたらなんだろう?」


畳み掛けるように重ねられる言の葉が、あたしの意地を溶かしていく。
彼があたしを捕まえられたのは、彼の言うとおりに、あたしにも
彼に対する未練があったからに違いない。




「じゃあ、行く?」

発火してるんじゃないかって位に熱い顔は、きっと溶岩よりも真っ赤に違いない。

「ああ」

応えた声は、さらっとしてるくせに覚悟の程はきっとダイヤモンドよりも硬くて純粋。




そしてこの夜。

世界から男が一人、姿を消した。

誰よりも幸せになった男は名を捨て、姿を捨て、世界を捨てて。
そして、彼にとってもっとも大切な彼女と同じものになった。