そろりそろり、足音を殺して忍び寄る。

気配を殺し衣擦れを殺してみたところで、どうせターゲットは先刻承知の上で
あたしを待ち構えているに違いないんだけど。

ま、なんというかこういうのもいわゆるひとつのお約束ってことで。

手には荒縄口にはナイフを咥えて進む。

進めや進め、目指す場所まであとわずか。




なぜか閉まりきっていない扉の隙間。
渡りに船と中を覗こうと顔を近づけた瞬間、内側に開く扉。

中の人物にあっさり捕まったあたしは、声をあげる間もなく室内に引っ張り込まれた。

「こら、な〜に物騒な格好してんだ」

「ひょ、ひょっふぉふぇ」

とりあえずニコッと笑顔を作ってみたものの、今のあたしはどこから見ても
不審者にしか見えないだろう。

剣呑な眼差しを向けるターゲット、その長い指が剥き身のナイフの柄をそっと握る。
と、口を開けろと命じられ。

薄い金属刃を挟む力を緩めると、危ないだろ、と、そのままナイフを取りあげられた。

あーあ。武器、いっこ消失。

「それで、何を企んでるんだ?」

憮然としたままあたしの背中に手を回して部屋の奥に押し込むと、
彼はさっさと鍵をかけた。

カチッ、という、硬質な音。

襲撃者とターゲットが一緒に密室に閉じこもるなんて、あなた絶対馬鹿でしょ。
まぁ大人しく連れ込まれてるあたしもあたしなんだけど。



「んで、リナはどういった用件で来たんだ? 
わざわざそんなナリで、そんなもんまで持って」

呆れ顔であたしの尋問に取り掛かるターゲットこと、相棒でもあるガウリイ君は
手の中の得物を弄びながら、ちらちらとあたしの手元に視線を向けてくる。

右手に握ったままの荒縄は体格の良い成人男性でも充分拘束しうる長さがある。

これはあたしの持ち物ではなく宿の納屋から無断拝借してきたものなんだけど。
これの使用方法に関しては……できれば黙秘を貫きたい、かな。

なんとなく思いつきで、べ〜っと子供みたいに舌先を突き出した。

「〜ったく、最近のお前さんの考えることはわからん」

まともに取り合おうとしないあたしの態度に焦れたのか、ガウリイはむうっと一声唸ると、
もうしらん、と、匙を投げたという顔で床に座り込んでしまった。

「で、どうするんだ? 今夜はそれでオレを縛って出かけるつもりだったのか?」
ならもうオレはなんも言わん、好きにしろ。
不機嫌そうに言うと、ガウリイは胡坐の上に両腕を置いて無抵抗のポーズをとった。

あー、これはかなり怒ってる。と言うより呆れすぎてとうとう見放されちゃったかも。

連日連夜の5連戦、当然全線全焼中。
もとい、ここに着てからというもの休みなしの全戦ガチバトルの全勝中で
懐具合は予想以上の温もり具合を誇っている。
現に部屋に置きっぱなしの荷物袋の中には、戦利品たるお宝さんがそりゃあもう、
わんわん唸るほど詰まってる。それはそれで意味のあることなんだけど。
けど、代わりに失ったのが自称保護者殿の関心だなんて、ちょーっとそれは悲しすぎる。

「でかけたりは、しない」

でもね、理由を話したところで協力してはくれないんでしょ?
お金が必要ならちゃんと仕事の依頼を受けて、
二人で稼げばいいじゃいかって言うに決まってるんだから。

個人的理由だろうが街や役人からの依頼だろうが、
結局盗賊をぶちのめすのは同じなのにね。
こういうところをガウリイは筋を通したがるけど、それじゃあ全然だめなのよ。
それに今回は金銭だけが目的ってわけでもないし、ね。

「せっかくお許しを貰ったんだから、あたしの好きにさせてもらうわね」

あたしはガウリイの前にしゃがみ込んで、揃えたグローブの上から
ぐるぐると両の手首に縄を巻きつけていく。
ケバ焼きとかの処理をしてない荒縄だから、そのまんま素肌の上だと
いらない擦り傷つけちゃうからね。

それにしても、無抵抗な腕一本持ち上げるだけで一苦労。
太くて固くて無駄な肉がまるでなくて、太さだけを比較しても
優にあたしの倍はあるんじゃないかしら。

ガウリイは本当にまったく抵抗せず、完全にあたしのなすがままされるがままだ。
怒ったまま目を閉じてるもんだから、眉間に小さく皺が寄っててちょっぴり恐い。

めったに近づけない距離で観察しても、やっぱりガウリイはハンサムの部類に入ると思う。
睫は長いわ鼻は高いわ、形の良い唇とのバランスもちょうど良い。
体質なのかヒゲも少なくて男にしてはお肌の木目も整っている。
これで特別お手入れなんて全然やってないってんだから、
うらやましいもんである。

おっと、近づきすぎたか。
彼の長い前髪に鼻先をくすぐられた。
観察を中止して組み合わせた手首の上に結び目をひとつ、
そこからぐるりと背中に回してもいっぺん手首に引っ掛けまた結ぶ。
抱きつくみたいに両腕を伸ばしてガウリイの体を縛めていると、
同意を得ているというのに奇妙な背徳感に背筋がぞくりと震えてしまう。

「おいおい、そんなんじゃすぐに抜けちまうぞ」

縛られ具合を確かめたのか、ぶすっとした口ぶりの忠告に、
もはや声を殺して苦笑するしかない。
なによ、そんなにあたしにがっちりしっかり拘束されたい?
あたしが本気でぎっちり縛ったりしたら、何かあった時に困るんじゃない?

ぎゅっと、もう一回ガウリイの背中に手を回して・・・広い肩の上に頭を乗せた。
そのまま目を閉じて、みっしりとした筋肉の感触を楽しむ。

あんたは今、あたしの虜。

保護者でもなく相棒でもなく旅のツレでもない、無力化されたただの虜囚。

・・・だから。

「・・・おい、リナ?」

気を抜いた途端、強烈な眠気が襲ってくる。
ぐらつく頭が落ちそうになって、慌てたガウリイが肩を動かして
支えてくれるのに甘えて体重を預ける。


きっと、これであいつは近寄れまい。
あんな女になんて、たとえ死んでもガウリイにだけは近づかせない。
ガウリイはあたしのだから、誰にもあげない、渡さない。

困惑しているのか、そわそわと身を揺すってあたしを起こそうとする奴に
詰めた息ごと囁きを吹き込む。

「まだ信じてくれるなら、お願いだからこのままでいて。
誰が来ようと何を言おうと朝が来るまで何も見ちゃダメ、聞いてもダメよ。
……ガウリイ、今はあたしの言う事だけを聞いていて」

血が出るほど強く唇を噛んで眠気をやり過ごし、増幅版の風の結界を張った。
寝るな、あたし。寝るんじゃない。
寝てしまったら結界を維持できなくなってしまう。

噛み切った唇がツキツキと痛む。
これで少しは気がまぎれる。
今眠ってしまったら元も子もなくなってしまう。

かすかだが、嫌な気配がこの宿に向かってきている。
じりじりとあの女が近づいてきているようだ。
心臓の上に仕込んだ呪符がじりじりと熱くなりだした。

「んふっ……あ、んっ……んんん……」
もぞり。と、身じろぎした瞬間だった。
体内から生まれた感覚に堪えきれず、口から妙な声が飛び出してしまったのは。

「り、リナ?」

途惑ったガウリイの声に反応してピクリと身体が跳ねるけど、
ぎゅっと抱きついてそれ以上の言葉を封じこめる。
不可抗力とはいえ、できればガウリイには聞かれたくなかったな。
目隠しと耳栓と……ついでに猿轡も用意して置けばよかった、かも。

バカな盗賊達が寄り集まって、あたしを打ち倒す為に放った刺客は
毒々しい色香を纏った美女、それともう一手。

魅了の魔法と美貌を武器とするその女の男を陥す手練手管は折紙つきだという。
彼女に依頼をした盗賊達は一人残らず滅ぼしたけど、
彼女はまだガウリイを諦めようとしていない。
仕事熱心なのは感心するけど、度が過ぎれば迷惑なだけだというのに。

それに、ジリジリと内側から熱く火照っていくこの熱。
不覚にもどこで仕込まれたのかはわからないが、
この調子だと今夜は慣れない熱に一晩中苦しめられるかもしれない。

でもね、どんな手段を使おうとも、あたしは絶対に負けやしない。
くらくらと回る視界を瞼を降ろすことで遮断する。

眠い、それから欲しい。
欲しい、ほしい。
ガウリイが、欲しくてたまらない。

ああ……もう、本能のままに行動できればどんなに楽だろうか。
眠るも欲しがるも望みのままに、そうできたらどんなにいいだろう。

隠しポケットからこそりと取り出した覚醒効果のある木の実を口に放り込み、
ガリガリ噛んで飲み下す。

この夜を越えればあの女は手を引くだろう。
請け負った依頼期間が終わるから。
義理を果たせばそれ以上の攻撃はしてこないだろう、そう、彼女は良くも悪くもプロなのだし。



「……ガウリイ、ごめんね」

覚醒の為の刺激を求めて。という言い訳を胸に、ガウリイの鎖骨に歯を立てた。
そのまま舌を這わせればあたしの中の情欲の炎がグンと勢いを増す。

これはあたしのもの。
誰かに譲る位なら、いっそ壊れてしまえと思うほどに愛しくて愛しい……
一番大事な、あたしの……なんだから。