満月の夜の話 after







晩秋の夕暮れは早い。

あたし達はその日、小さな村の小さな宿に部屋を取った。

薄暗く、獣脂の心もとない明かりだけが灯った階段を登り、
あてがわれた部屋の扉を開く。

やはり部屋は薄暗く、開け放たれた窓から洩れる柔らかな光だけが・・・。

そっと、窓に近づくと。

そこは少しだけテラスのようになっていて。

遠い視線の先には、闇の中に浮かびあがった淡黄色の満月。

高さはちょうどあたしの視線を少しだけ上に向けた位で
まだ白くなるには早く卵色というには淡すぎる、優しい輝き。



「・・・ああ、あの時もこんなだったわね」



ふと、地上にも同じ輝きがある事に気づく。

裏庭に掘られた池の水面に映る、小さな満月。

空は既に暗くなり、蝙蝠が飛び始める時間。
人々は明かりを、暖を求めて家路を急ぐ。

星々は、これからが我らの時間とばかりに瞬きを強め。

彼らの女王然として、一際大きな満月が浮かび上がる。





あれから、一年が経った。





今思えば。あの時のあたしは満月の魔力に踊らされていたように思う。
でなきゃ、あんなこっぱずかしいマネなんてしなかったはず。

ガウリイと、関係を変えた日。

その時の事を思い出して、ちょっとだけ頬が火照ってしまった。

あいつを想って泣いてしまったあたしと、今まで隠し通していた激情を
初めて見せてくれたガウリイ。

あの後、本当に一時も離してくれなくなるとは思わなかったわよ!

熱に浮かされたような一夜が明けて、その後あの街を出るまでずっと。

ガウリイはどんなにあたしを想っていたのか、どれだけの気持ちを
長い期間抑えていたのか。

そして愛する人と触れ合う事が、どんなに幸福な事かを教えてくれた。

お互いに総てを許しあった二人にはタブーなんてないんだって、
その身をもって。

本当に初心だったあたしを、ゆっくりと手を取りながらも強引に。

たったの一週間で、すっかりとあたしの意識を変えてしまったっけ。






月はただ、柔らかな光を放ちながら、ゆっくりと天頂を目指し昇りゆく。
その慈愛に満ちた白き明かりは、地上の夜を包んで照らし。



・・・ん?



「・・・うそっ!! そんなの信じない!!」

「嘘なんかじゃない!! 俺は・・・俺は、ルーンの事だけが・・・」

「じゃあタリアの事は!? 彼女、あなたが好きだって!!」

風に乗って聞こえた声。

そっちの方角では、少し離れた木の根元で背の高い男と
小柄な女が揉めていた。

「馬鹿にしないでよっ!! あんたがあたしの事妹程度にしか
思ってないって知ってるんだから!!」

バチンッ!! 弾ける様な音が響く。
 
うわちゃ〜痛そうだ。

「そんなの誤解だ!! ・・・俺は、俺はなぁ!! 
ルーンしか要らないんだ!!ルーンだけを愛してる!!」

力いっぱい頬を張られたはずの男は、そんな事気にも留めずに
しっかりと女の身体を抱き締めて叫ぶ。

「ルーンが俺の事を嫌いだって言うのなら、嫌だけど諦める。 
見るなって言うならもう見ないし、寄るなって言われたら近づかないよ。
・・・すごく辛くて、悲しいけどお前がそうしろって言うのなら。
でもな。もしも、俺の事を一人の男だって見てくれるのなら。
頼む、そんな悲しい顔をしないで俺の側で笑っててくれ・・・」

彼は彼女の体を抱き寄せたまま、ズルズルとしゃがみ跪いて、愛を請う。

プライドも、虚勢も何もかもをかなぐり捨てて。ただ、彼女の言葉を待って。

「・・・ほんとう? 本当に、アトスは私の事を好きなの? 
ちゃんと恋愛対象に見てくれているの?」

信じられない・・・という声で、女が問いかけ。

「本当だ。 ルーンの事が好きじゃなきゃ、こんなに心臓がドキドキしないし
こんなに苦しくなる事もない。
・・・急だと自分でも思うけど。 ルーン、オレと結婚、してくれないか」

「アトス・・・」

女は身を屈めて男の手を取り、男は立ち上がって再び女を抱き締めて。

二つの影が、一つに重なって・・・。







「リナ?」

「ん? なぁに、ガウリイ」

いつの間に帰ってきたのか、すぐ横にガウリイが立っていた。

「お前さん、部屋の鍵も掛けないで無用心だぞ? 
今だって、完全に俺の気配に気がついてなかっただろ」

「えへへ、ごめん。でもさ、ガウリイの気配なら警戒する必要がないからいいの」

「まったく、お前さんは」

ちょっと笑って、ガウリイはあたしの肩を抱いて。

「ほら、こんなに身体が冷えちまってるじゃないか。 早く部屋に入ろう」
そう言って促すけど。

「もうちょっとだけ、ね」

肩に乗せられた温かで大きな手に、自分の手を添えながらねだった。

「何か、あったのか?」

「うーん。去年の事、思い出しちゃったのよ」

照れくさくって、そっぽを向いて言ってみた。
ガウリイは覚えていないかもしれないけど・・って。

でも。

ガウリイはすっかり帳の降りた空を眺めて
「ああ、あの時みたいな満月だよな」って。

「覚えてたんだ」
意外さと、嬉しさ半分で呟いたあたしに。

「いくらオレでもあんな大切な日の事は忘れないぞ?」
ちょびっとだけふてくされた顔を作って、あたしを自分の方へと抱き寄せる。

「あんなに綺麗で儚い月の精霊みたいなリナの事、忘れたりするもんか。
あの時は言わなかったけど、オレ、けっこう焦って追いかけたんだぜ?
リナが消えちまう!!って思っちまってさ」

「ガウリイ・・・」

そっと、仰のかされて口付けを受けた。

「・・・リナを見失わないようにって、必死で追いかけて。
湖面に浮かんで泣いてるお前さんはすごく、すごく綺麗だったけど、
今にも月明かりに溶けて消えちまうんじゃないかって。
だから装備を外すのも忘れて、水に飛び込んでなぁ・・。
頼むから、もう二度とあんな思いはさせないでくれよ?」 

そうっと唇を離して、ガウリイが耳元で囁く。

「もう、あんな事しないわよ! それに、あんたがさせないでしょ?」

トンッと、厚い胸に凭れかかって囁く。







あの夜から一年。

あたし達は寄り添っている事が自然になって。

二人きりになった瞬間から、もう何の遠慮もいらなくて。

手を繋ぐ事も引っ付く事も抱き締めあう事も。
思ったままに振る舞い、それを許しあう。

「ガウリイの、匂いがするね」
あたしは広い背中に腕を回して、胸の鼓動を楽しむ。

「ん、リナもいい匂いがするぞ?」
ガウリイもあたしの髪に顔を寄せて。

「さて、そろそろ部屋に入ろうな」
グイッと腰を抱え込まれて、軽々と抱き上げられる。

「もうっ、自分で歩くったら!」

「ん? いいだろ、こういうのもさ」

そう言いながらまたあたしの唇を奪った男は
今だ暗いままの部屋の中へと歩いていく。

あたしを、その腕に抱いたままで。