こんな夜は、充分に気をつけてやるべきだったんだ。

苦く圧し掛かるような後悔を胸に、ガウリイは闇の中を駆けていた。
既に宿も街も遠く、きっと朝までに戻ることは出来ないだろう。
確証はないが予感はあった。
隣室から相棒が消えていた瞬間から、その予感は。
これが普段の彼女であっても心配はする。
こんな時間に一人黙って出かける理由が理由だからというのが大元にあって、
次にくるのが万が一の事態が起こった時、自分がそこにいたならば・・・という
後悔したくないというもの。
しかし今夜の彼女を追う理由は、彼女の身を案じる以上の
根源的な恐怖が多分に含まれている。
一言で言えば、あらゆる意味で危うすぎるのだ。

ぜぇはぁと肩で息をする頃に、ようやくガウリイは探し人を見つけることが出来た。
暗いくらい森の中に突如ぽかりと開いた円形の更地は、今しがた馴らし終えたばかりのように
湿った色の土肌が露出している。
その円の中心に子供がやるみたいにべったリと座り込んで、彼女は笑っていた。
くふふ、うふふ、あはは、きゃはははははは。
小さな声で笑い続ける少女の周囲には、いろんな残骸が転がっていた。
それはかつて剣であった金属の破片であったり、防具であった皮やら木片であったり、
衣服であったはずの焼け焦げた炭だったり。
それから、ずたずたのぼろぼろに壊された、かつてはひとだったろうものの欠片、だったり。

「ね、この色、とっても綺麗でしょ?」

白いはずの手を染めて彩る紅は、腕の半ばまでを覆っていた。
くつくつと笑い続ける彼女は愛用のグローブを脇に放り出して、
両手を忙しなく動かし水音を立てて無邪気に遊んでいるように見えた。
実際、彼女は楽しく遊んでいるのだろう。
ぬらぬらとしたそれに手をめり込ませ、潰れた肉塊をかき混ぜ鉄錆臭い液体を
掬い上げては手の甲に、腕に顔にと塗り伸ばしている。
綺麗は汚い、汚いは綺麗。
ね、今のあたしは綺麗?それとも汚い?
答えてよ、がうりい。
笑いながら涙を零し、泣きながらもその手は一瞬たりとも止まらずに
目の前の死者を蹂躙し続けている。
「リナはリナだ。どんなリナもオレにはただのリナだよ」
あえて質問には答えずにオレは屈みこんで真っ赤に染まった手を取った。
「そろそろ帰ろう。こんなに冷え切ってちゃ終いに風邪、ひいちまうぞ」
「ひかないわよ。死人はそれ以上どうにもなんにもならないもの」
きょとんと、一瞬動きを止めた。
だけど、すぐに腕を振り払われた。壮絶な嫌悪の表情と共に。
「リナは生きてる。ちゃんと、生きて」
「うそ!」
強い調子でガウリイの言葉を遮り、リナは嘘だ、違うと繰り返した。
手の中でぐちゃりと潰したものを捧げ持ち、遠くにそれを放り投げる様は
幼子がかんしゃくを起こした様子にとても似ていて。
「あたしは死んだの、あなたも死んだの!こうやってあたしがあなたを殺して、
あたしはあんたを追って死んだの!!こうやって!!そうよ、こうやってぇ!!」
ばらばらと涙を零しながら短剣を抜いて掴みかかってきた彼女の腹に
拳を沈めて、無理やり意識を失わせた。
彼女が狂気に取り付かれるたびに繰り返される惨劇を、
防いでやることの出来ない不甲斐なさ。
抱きとめてやる事も言葉で止めてやる事もできずに、
結局は手を下す事しか出来ない悔しさも。
何もかもが、苦しくて。

「ごめん、な」
彼女を止める術をもたない、幾度繰り返しても一向に信じてもらえないオレは、
こうやって共にいる限り彼女を傷つけてしまうのだろうか。
だけど、手放せない。
離れられるわけがない。
既に魂に刻み付けられた リナ=インバース という存在を失えば、
今度こそオレは死んでしまうだろう。

力の抜けた身体を担いで、現場を去る前に辺りの残骸を観察すれば、
よくもまぁ、と、感心したくもなった。
散乱している同じ色の長い髪、同じつくりの甲冑。服も靴も、
瞳の色も肌の色もなにもかも。
どんなに少なく見積もっても10体を越える筈の遺骸はどれもこれも
見慣れすぎた感がある特徴を留めていた。
みんな、しょっちゅう鏡や水場でお目にかかる姿形だ。
足下に転がる右手には、ご丁寧にもこの手にあるのと同じ剣ダコまで再現されている。

「おい、いいかげんにしてくれないか」
純粋な敵意を込めて虚空に向かって気を放つ。
必ず姿を見せるだろう、リナの狂気もオレの焦燥も、ヤツにとっては何よりのご馳走だ。
「いやですよ。だって、僕はとてもとても退屈なんですから」
しゅるりと宙から現れたのは、偽りの笑みを貼りつけた獣神官。
「今夜も狂い切らずにいてくれたことに感謝します。そう、リナさんにお伝えくださいね」
ああ、美味しい。ああ、楽しい。人間ってほんと、面白くていいですね。
クスクスと肩で笑って姿を消す魔。
刹那分遅かった斬撃はかわされて、近くの木々を蹴散らしただけで終わった。




とある戦いのさなか、オレはリナの放った呪文に巻き込まれて生死の境をさまよった。
連係はまったく問題なかったのだ。互いに互いの位置を把握し、
充分に間合いも取れていたはずだった。
それを崩したのは、ゼロス。
呪文が発動する瞬間、オレを効果範囲内に放り込んでくれたヤツは
「愛するものを手にかけるってどんな気分ですか?」とリナの耳に吹き込んでいった。
何が起こったのかと、愕然と示された場所を見、
ずたぼろになったオレを見つけたリナは、絶叫して。
その後の事は覚えていない。

オレが意識を取り戻した時には、もうリナは以前とは変わっちまってた。
ぱっと見こそ今まで通りだったけど、心の深いところがすっかり変質しちまってた。
いびつに歪んだ彼女の心は、時折、今夜のように彼女を暴走させる。
暴走の原因となるのは大抵オレに似た姿の敵だったり、あの戦いと似た状況だったり。
戦場で必ず狂うわけではない。平穏に暮らしていても稀にこうなっちまう。
彼女が狂わずに済むようにどんなに周囲に気を配っても、いらぬちょっかいをかけられたが最後、
全部終わるまで成す術がない。
仮初のオレを殺して壊し、最後にリナが『死ぬ』ことで終わる茶番劇。
現実で行われる悪夢を繰り返し、繰り返し。
平常と狂気の間で揺れ続ける愛しい女。
血と肉に塗れ、自責の念に取り付かれるリナは―――凄絶に、美しかった。