友人たちとの徹カラは、飲んで騒いで歌いまくってとってもとっても楽しかった。
だけど今は疲れてて、そんでもってすっごく、ねみゅい。

心地よくけだるい身体を揺らしつつ、賑やかさとは無縁の住宅街の中を
ほてほて歩けば、たまーに人とすれ違う。
新聞の配達人、ペットの散歩をしている人やジョギングに精を出してる人もいる。
こんな時間に外にいる理由はそれぞれだが、皆一様にさっぱりとした表情を
しているようにも見えるのは、たぶんあたしの気のせいじゃない。
「そりゃそっか、朝だもんね〜」
うーんと、両腕を天に向けて大きく伸びを一つ。
パキポキと背骨が鳴って、固まった体がほぐれていく。

吸い込む空気は冷たくて、肌に身体に心地よい。
出たばかりの太陽の光は穏やかで爽やかで。
これがもうちょい夏に近づいたならセミの鳴き声がさぞ五月蝿いだろう。
ふ、と。
いつもの道を通り過ぎて、一本右の細道へ足を向けてみた。
途中からアスファルトではなく砂利交じりの土の道を、鼻歌交じりで歩いていく。
今日は公休日だし一人暮らしで家に待つ人もいないから、きままな朝の散歩がてら
回り道するのも楽しいかも、なんて、いつもは左に曲がる道を右に曲がってみる。
こういう時は自分の直感に従うのがいい、大体何かが起こるんだから。


初めて通る道を進んでいくと、やがて真正面に鳥居が見えた。
石造りの鳥居と、石畳の短い参詣道とその奥に見えたのは古ぼけた神殿で。
要するに、そこは小さな神社だった。

「何を祀っている神様なのかしら」
歴史だけはありそうな佇まいに興味が湧いて境内に足を踏み入れれば、
不意に懐かしい匂いが鼻を擽る。
境内に植えられた木々の香りや歩く度に感じるむき出しの土の香り。
それらに生木や葉を燃やしているだろうお焚き上げのにおいが混じったような。
どこが出元かと辺りを見遣ると、境内の奥の方から白い煙が
風に乗って糸のように立ち上っていて。
故郷を思い出させる匂いが心地よくて胸いっぱいに吸い込んでいたら、
「おい、そこでなにしてるんだ?」と突然、神殿の中から声をかけられた。

聞いた感じは、若い男の人っぽいけど。
「え、と?」
とっさに声のした方を向くと、もう一度
「ここで何をしてるって聞いてるんだよ、お嬢ちゃん」と繰り返される。
「あたしは散歩に。って、あなたこそ誰よ。いきなり大声出されたらびっくりするわよ」
姿の見えない相手からの誰何にムッとしつつ答えると
「こんな時間に散歩って、若い娘のやることじゃないぞ? 
それともまさか、家出して行き場がないとかか?」
などと言われてしまう。
最初は何かしてしまったかと焦りもしたけど、あの様子だとどう聞いても
心配されちゃってるの丸判りで、内心は「なんだかな」だ。
そりゃあまぁ、しょっちゅう若く見られるし実際若い娘なんだけど。
だからといって成人を済ませている大人に家出少女呼ばわりはないんじゃないか。

「家出なんてしてないわよ、成人してるし一応自活もしているし。
えーと、そんなことより、もしかしてこの時間はここに立ち入っちゃいけなかった、とか?」
ちょっと高めの声で、可愛らしく聞こえるように聞いてみた。
一応下手に出てみたのは、声の主が神殿の中にいる。
つまりはこの神社の神主さんかそれに類する人物ではないかと思い至ったからだ。
「ああ、その。立ち入り禁止とかはないんだが……その、ちょっとな」
声の主はもごもごと言葉を濁すと、すぐに本殿と拝殿を隔てる仕切り戸が
すらりと開いて奥から背の高い人物が現れた。

その人は、一言で言えばハンサムだった。
かなり長身の、腿の辺りまで伸びた金髪と青い瞳の若い男。
そいつは神主が着るのとも違う風変わりな白装束に身を包み、素足に白足袋を履いて
長い髪を背中で一つに束ねている。
一房だけ肩から胸の方に流しているのも様になっているし、すっと伸びた姿勢が
早朝の神社という厳かな雰囲気に溶け込んでいて、
こう……非常に様になっている。
整った顔立ちで困った風に眉を寄せる表情には思わず手助けしてやりたくなるような
人懐っこさがあるし、そのくせあたしを見つめる視線は強くて、
どうにも目をそらすことが出来ない。

「あたし……何かしちゃいました、とか?」
相手のまとう雰囲気に圧されてジリジリと後じさりながら、なんとかそれだけ聞いて。
だったらすぐに出て行きますから、と、続けようとして、
彼がちょいちょいっと手招きしていることに気がついた。
なんだろう、この『ちょっとお茶でも飲みにおいで』的な笑みは。
「その、なんだ。とりあえずこっちにこないか? お茶でも入れるからさ」
なんなら茶菓子と一緒に朝飯も出すぞ〜なんて誘われて、
あまりにも予想通りの展開すぎて、つい、頷いてしまう。
「よっし、じゃあ案内するから」
彼は嬉しそうに板張りの神殿を降りると草履をひっかけて。
こっちだ、と手をひかれて、されるがままに続いて歩く。
先を行く広い背中を見つめながら石畳を降りて境内の土を踏みしめ進んだ先に、
ぽつんと木造の建物が建っていた。
入り口脇には古びた木の板に書かれた墨痕も鮮やかな
「社務所」の看板が掲げられている。
「おおそうだ、お嬢さんちゃん、時間とか大丈夫か?」
「んーと、どうだろ?」
連呼される お嬢ちゃん。に少々気を悪くして、ついはぐらかすようなマネをしてしまったけれど。
躊躇う素振りを見せた瞬間、青い瞳が縋るみたいに揺れているのを見てしまって。
もし、やっぱり帰る。なんて言ったら本気で泣かれるんじゃないかって。
どうしてそんなおかしな発想が出てきたのか、我ながら不思議だったけど。
「大丈夫、今日は休日だもの」
結局あたしは彼に招かれるまま、社務所にお邪魔する事になった。



社務所の中はというと、はっきり言って簡素の一言に尽きた。
狭い玄関を上がり、障子戸を潜って板間に通されて、見渡すほど広くもない室内には
ちゃぶ台が一つと茶箪笥が一竿。
脇には狭いながらも炊事場があって、水屋が板間と炊事場との境界線のように置かれている。
「狭苦しいところですまんが、ま、どうぞ」
どこから引っ張り出してきたのか、ぺたんこの座布団を渡されてとりあえず腰を下ろした。
彼は水屋の戸を開けてまるまっちい急須を取り出したり茶筒を探したりと忙しない。

「ねぇ、ほかに人はいないの?」
「ああ、もうすぐ帰ってくると思うが……なんでだ?」
ほい、あっついから気をつけてなと大振りの湯飲みを渡されて、
ふーふーと息を吹きかけつつ相手の出方を観察。
この人、隙があるように見えて隙がない。
「せんべいは好きか? 饅頭の方がよかったか?」
「どっちも好きだけど。あなたのことをなんて呼べばいいのかしら」
神主さんとか禰宜さんとか?それとも氏子さんかもしれないし、
うかつな呼び名を使うのは拙いかな。
「オレのことはガウリイって呼んでくれていいぞ、リナ」
にぱっと満開の笑顔を咲かせると、ガウリイはちゃぶ台の向かいではなくあたしの隣に腰を下ろす。
「え、あ、なんでこっち!? っていうか、どうしてあたしの名前を!?」
じりっとにじり下がって距離を置こうとすると、その分をガウリイが詰めてくる。
これ以上近づかれたら攻撃しちゃる!と、こっそり背中側で拳を固めた時だった。
「おい、いきなり迫るのは止めてやれ」
玄関から違う男の声がした。
「やれやれ、ちょっと人が買い物に出かけているのをいいことに、
勝手に持ち場を離れてくれるなと頼んでおいた筈だが?」
がさがさと買い物袋をぶら下げて登場したのは、
白に近い銀髪を肩口まで伸ばした目つきの悪い若い男。
やはり白装束だがこちらは作務衣に似た形でいかにも動きやすそうだ。
「あんた、アメリアの友人。だったか」
男は口の端を吊り上げたかと思うと、そうかそうかと
一人でなにやら納得したように頷いている。
「あの。あたし、あなたとは初対面だと思うんですけど」
記憶力には自信のあるほうだが、この二人に面識はない……はずだ。
揃って美形の範疇に入る風貌だし、一度でも関わりがあったら
あたしの記憶に残らないわけがない。
「ああ、ちょっと待ってろ」
そんなに警戒しなくてもいいぞと、銀髪の男は懐から携帯を取り出して
数度操作をしてからこちらによこした。
 数度のコール音の後、繋がった先は。
「もしもし、ゼルガディスさん?」
「アメリア!?」
聞こえた声は間違いなく明け方まで一緒に遊んでいた友人のアメリアのもので。
「え、その声もしかしてリナ!?なんでリナがゼルガディスさんの電話に出てるんですか!?」
「それを説明すると長くなるんだけど。とりあえず偶然ってあるもんなのね」
「そこ、○○神社ですか? リナ、ちょっとゼルガディスさんと代わって!」
りょーかい、と、電話を持ち主に返してお茶を飲む。
なんとなく勢いで付いてきちゃったけど、彼らがあの娘の知り合いだというなら
警戒する必要はなさそうだし、アメリアの知り合いなら
あたしのことを知っていても不思議ではないだろう。
あ、このおせんべい美味し。
「おーおー、いきなり警戒解いたなぁ」
ガウリイはしょうがないっちゃないんだけどと苦笑いを浮かべて
乱暴に自分の髪をかき混ぜると「それじゃあリナが安心してくれたところで」
そう言って笑って、ひょいっと軽い調子であたしの何も持っていない方の手を取りあげて、
自分の口元に持っていって。
ひょいっと屈みこんで視線を合わせると、「オレと付き合ってくれないか」と。
「ふぇ? い、いいけど」
言い訳をすると、この時のあたしは美味しいおせんべいに気を取られていて、
今度はどこに付き合えっていうんだろーとしか思ってなかった。
なのに、こくりと頷いた瞬間。
「ほんとか!?」
歓喜の叫びと同時に、ぶわっ!!と、ガウリイの全身から黄金色の光が迸り溢れて、
みるみる部屋中いっぱいに膨れ上がった!
「まぶしっ!?」
「おい、ガウリイ!?」
「おっしゃー!これでずっとリナの傍にいられるぞー!!」
眩しさに目を瞑っていたら、今度は力任せにぐいっと抱き上げられて、
ぐるぐるぐると振り回される。
なにがなんやらわかんないけど、とにかくガウリイに捕まってるのだけは判った。
「ガウリイ、とりあえず落ち着け!」
ゼルガディスの制止もあたしの混乱も気にせずに、
ガウリイはやったぞ、嬉しいぞ、なんてはしゃいでるし。

わけがわからないまま振り回されすぎて平衡感覚がぐらぐらの頭やおでこ、
それから顔中にあったかいものがぶつかってくる。
ぎゅっとぶつかって、離れて、またすぐに押し付けられて、これはなんだと目を開いたら。
「リナ、お前さんのこと、一生大事にするからな!」
喜色満面の男前が至近距離からあたしの顔を覗きこんでいて、
そこから有無を言わさぬキスの嵐に頭も心も翻弄されまくる羽目となり。
「やっとオレだけの巫女を見つけたんだぞ、これが喜ばずにいられるかってんだ!」
「みこ?みこって、あの、巫女!?」
「そうだ、リナはオレの巫女になってくれたんだからこれからは一緒に暮らすんだぞ!」
「ちょ、それどういうことか説明しなさいっ!」
お互いに荒ぶった心を静めるまでには、少しの時間が必要だった。


改めて見回した部屋の中はしっちゃかめっちゃか。
ちゃぶ台は部屋の隅まで転がったのか、足を上に向けて倒れていて、
ざぶとんなんか玄関先で丸まっちゃってる。
湯のみが割れてぶちまけられた中身も板張りの床に零れて大きく染みを作っている始末。
そんな中であたしはというとガウリイの膝の上に座らされていて。
ガウリイは嬉しそうに手串であたしの髪を梳いている。
ゼルガディスの姿は見えず、外からぼそぼそ聞こえる声の片方が彼のようだ。

「よし、できた」
項の上で髪を引っ張られる感触がして振り返ると、ガウリイは誇らしげに
あたしの髪に頬擦りをしてみせるではないか。
「何をしたの?」と聞いてみた。
「ああ、お前さんの髪を束ねたんだ」とガウリイ。
確かに彼も髪を束ねているけど、こんなに簡単なお揃いが嬉しいのか。
「こいつはオレのとお揃いの糸なんだ」
自分の髪を引っ張ると先端近くに巻かれた糸を指差すと、
子供にするみたいに頭を撫でられて「この糸はオレの力を込めた特別性だから
多少の災厄からは守ってやれるから安心しろよな」だなんて。
こいつの考えてる事がまるで分からないったら、ない!

「あのね、すっごく初歩的なことから聞きたいんだけど」
顔を見合わせて、にっこり笑ったあたしと。
「おう、何でも聞いてくれ」
まっすぐにあたしを見つめて、にこにこ笑ってるガウリイ。

のちに彼が人ではなくれっきとしたこの神社の守護神であると知ることも。
あのやりとりだけであたし達の間に強固な縁が結ばれたことも。
神であり尊い存在である筈のガウリイの隣にいることが、あたしにとっての当たり前になることも。
どれもこれも、現時点ではまったく思いも寄らない事でしかなく。

「リナ、リーナ。リナ、りぃなv」
あまったるくあたしを呼ぶ声の主に、視線がしっかり絡んだのを確認してから、
すうっと大きく息を吸い込んで。
「あたし、神職の資格なんて持ってないけど!?」
緩みきったハンサムの耳元を狙い済ませて、最大音量で叫んでやった。