天高くそびえる雪山の頂上を睨みつけながら剣士は唇を噛み締めた。
 どう頑張ってもあれを越えるには数日かかるだろうが、だが、オレは今すぐにでも。
 焦燥でどうにかなりそうな頭をそれでも抱えずにいられているのは、隣に立つ仲間の存在があるからだ。
 こんなところで立ち止まっている場合じゃない。
 だが、自分ひとりで突っ走ってどうする。
 彼女が手配してくれた者達を待つ、それが結局は一番の近道だと頭ではわかっているのに、今すぐにでも駆け出したいと両脚が疼く。
 「ガウリイ様、こちらに」
 ようやく戻ってきた仲間の呼び声に、きりきりと張りつめていたもののタガが外れた、そんな気がした。
 「おう!」
 駆け出したはずなのにやけに景色がゆっくりと流れる。どうした、もっと、もっと速くだ、できるだろうが!
 できなきゃあいつを失っちまう!!

 バサバサと音を立てる髪が、風にもつれて纏わりつく長髪がうっとおしくて、無意識に腕が剣を引き抜いていた。
 光剣一閃。
 散らばる髪束の行く末など気にも留めず、身軽になったと口の端を上げて、ざんばら髪の剣士は先を急いだ。
 山向こうまでの瞬間移動を可能とする特殊な魔法陣の設えられた祭壇はもう、すぐそこに。
 彼女が辿ったのと同じルートを使うなら、きっと降りかかる困難も同じものになるだろう。
 踏破距離は短縮できても敵とのエンカウント率は変わらないと開発者の一人が言っていた。
 単独での冒険には適さない物語なんだと、仲間と協力しながら攻略するのが最良だと、違う一人が誇っていたこのゲームシステムが恐るべきバグを孕んでいたことに、彼らは極最近まで気付かなかったらしい。
 最良はあってしかるべきだが、最悪は何があろうと回避しなくてはならない、あってはならないことだろうに。
 単身ゲーム世界に身を投じた彼女が持ち前のドラマタっぷりを発揮して、製作者達が想定したパワーバランスをあっさりと覆したのが引き金になったらしい。
 スタート時、設定Lv1のはずの主人公がいきなり魔力ゲージMax、Lv99の実力を発現して目の前の有象無象を一瞬にして葬り去ったというのが。
 「もともとある程度プレイヤーの属性や個性を反映させる設定ではあったんですが」
 まさか、彼女の最強クラスの魔法戦士であるという事実がそのまま反映されるなんて。
 それとも我々がゲームに施したプレイヤーの能力を制限する機能が上手く働かなかった結果なのか、もしくは強力すぎる力を制限しようというそれ自体が無謀な事だったのか。
 「どちらにせよこのままエンディングに突き進まれてしまっては、彼女の身が危険すぎます」
 ラスボスを倒すまではいいんです。問題はその後のストーリーですよ。
 敵を倒した褒美の中に最後の罠が潜んでいる。
 開発途中で意地が悪すぎるからと外された筈の罠が。
 ああ、きっと彼女の事だ。
 輝く金銀財宝が唸るように詰まっている宝箱を目の前にしようものなら、喜び勇んで手を突っ込む。
 これはゲームの中の出来事だからと、きっと油断してしまうだろう。
 「蓋裏に仕込まれた金の針に刺されると、プレイヤーは強制的な眠りに落ちます。そしてその状態から回復するには、仲間の手で眠りの呪いを解除しなくてはならない」
 そう、おとぎ話のエンディングのように。

 「ガウリイ様、行ってらっしゃいませ」
 荷物袋を預かってくれたシルフィールが頭を下げるのを横目でみやり、ガウリイは微笑みを返して、怪しげな光を放つ魔法陣に身を投じた。
 関係者だけが使える遠見鏡では、今まさに一騎当千、いや、一人で世界すら破壊せしめる彼女がラスボスの待つ暗黒の城に辿り着いたところだった。
 この地を見下ろすように聳え立つ雪山、人々の尊敬と畏敬の念を捧げられる霊峰の姿をそのまま写したゲームの中の最終目的地。
 ゲームの中ということをすっかり忘れているらしい彼女はフラグも順序も何もかもをぶっちぎり、ふっとばし、蹴散らしながらここまできている。
 まさかの装備品初期設定のままとか、なんてゲーマー泣かせな荒業を。
 ことごとく肩を竦め頭を振る関係者達の傍にあって、二人の帰還を待つ彼女だけは違う事を考えていた。
 お願いですから、この世界を壊さないで下さいね、と。