おでん



 秋も深まり、夜などは肌寒さを感じるようになった。こんな季節には温かい物が欲しくなる。
 そんなあたしの気持ちを狙い撃ちにするみたいなタイミングで、どこからかお出汁のよい香りが漂ってきた。
 くん、と鼻を鳴らして匂いを辿れば通い慣れたコンビニエンス、入り口にはためく[全品70円均一セール]と書かれた幟がこっちにおいでと招いている。
 晩ご飯前の空きっ腹を抱えたあたしに、もはやこの誘惑から逃れる手段は蟻の触覚ほどもなかったのである。


 「ど れ に し よ う か な」
 レジ前のおでんが煮える什器の前で、リナは人差し指を唇に当てて唸っていた。
 タイミング良く、具は全種類揃っているし煮え具合もちょうどいい。それに残業帰りの疲労感でくたくたの体は今すぐに食べられる食物を目の前にしてく〜と鳴いてしかたがない。
 まさに今、絶好のおでん日和!
 だがしかし、お財布の中だけは・・・。
 厳しい家計の原因は先週奮発した冬物のコートを買ったから。
 日に日にお肌寒さを増す木枯らしを防いでくれる、リナにとっての命綱ともいえる軽くて薄くてとってもあったかなコートさん。
 買ったことに後悔などないが、さし当たっては目の前のおいしそうなおでんと財布の中身との相談が先だろう。
 お財布を開いて確認すると、中にはお札が一枚と小銭が少し。どちらも最小額面というのが悲しいところ。

 うん、どう考えたって全種類制覇は難しい。
 レジ横のATMが「下ろす?」と液晶画面を光らせたが、明日に控えた給料日まで預金を崩すつもりはない。
 さて、ならばどれを選ぶか。
 他の客がいないのを幸いに、両腕を組んでじっくり品定めをしていく。
 卵と白滝、スジに大根、厚揚げさんもちきんちゃくも捨てがたければ、たこ足なんかも煮込み具合が良ければふわふわしておいしい。
 あ、うどん玉いれてもいいかもしんない。いやいや、冷凍庫の中にごはんがある。
 炭水化物は足りているから、今回はあえて練り物で攻めるか。
 うんうんと悩んでいると、後から並んだ客のものだろう腕が、リナの肩越しに什器を示して、レジ係に声をかけた。
 「全種類2つずつ入れてくれ。それから、汁は多めで頼むな」
 聴き慣れた声、理想通りの注文。
 驚きと期待を込めて振り返れば「これでどうだ?」と、リナが喜ぶのを期待して微笑む顔が優しく自分を見下ろしていた。



 「遅いから迎えにきたんだ、寒かったろ」
 大荷物になってしまったおでん入りのビニール袋を両手に下げて家路を急ぐ。
 急ぎ足で横断歩道を渡ると二人の荷物がガサガサ鳴って夜の静けさを乱す。
 おなかが空いたわ、と、相棒に声をかければオレもだ。と返ってくる。
 気持ちは同じ、それに互いの存在に心もほこりとあったかい。
 どちらともなく少しずつ寄り添っていた二人の体は、玄関をくぐり終えた瞬間、ぴたりと重なりあった。
 「もう、せめて荷物を下ろすまでまちなさ」
 制止の声をを遮り繰り返されるリップ音。
 それが止む頃には、リナの頬はぽうっと薔薇色に色づいて、そうなってしまったことを隠すように、リナは熱い頬を強引な男の胸に押しつける。

 「あーもう、かわいいなぁ」
 ただいま、そんでもって、おかえりなさい。
 そういうのが先でしょうが!と、照れ隠しだろうふくれっ面を見せる腕の中の恋人に、もう一度、おかえり、と、唇で触れる。
 彼女の手からコンビニ袋を取り上げると、一足先にリビングに向かうガウリイ。
 「一日履きっぱなしだったんだろ。そこに新聞あるからつっこんどけよ〜」
 のんびりとした声に、誰のせいで腰砕けてると思ってんのよ。
 しかし口にしたところで喜ばせるだけとわかっているのでよけいなことは口にしない。
 上がりかまちに腰をかけて、編み上げブーツのジップをおろしていく。
 ジジジジジ・・・。
 締め付けから開放された足は、深呼吸でもするように緊張を解く。
 ブーツスタンドを引っ張り寄せてかませて、言われたように丸めた新聞紙をつま先から踝あたりまでつっこんでリビングに向かった。


 「先に風呂にするか?それともオレ」
 「ばか」
 少々の照れ隠しを含んだつっこみを入れて、さっさと風呂に向かう。
 湯に浸かる時間はなくとも、せめてシャワー位は浴びたかった。
 がらりと開いたバスルームからは、華やかな花の香りがあふれて、この夜への期待をいっそう強く盛り上げてくれたのだった。









  溺れるなら



 腹は膨れているのに口寂しい。
 夜半にも近いこの時間、階下の食堂は看板だろうし手持ちのガムとか飴とかって気分でもない。
 なんだろう、このグルグルと渦巻くような満たされない感は。
 今日は飲まないつもりだったが、やっぱり一杯かっくらうか。
 リナの奴はまだ帰ってこないしアメリアとゼルも同様だろう。
 それぞれ調査だ挨拶だ顔合わせだと忙しそうにしていたからな。

 仲間という存在を得て一人でいること自体が珍しい昨今だ、たまの機会に好きなように過ごすのもいいじゃないか。
 自分の中でたわいもない問答をし、納得してから荷物袋から取って置きの一本を出し封を切り。
 ほわりと漂う芳醇な香りと舌なめずりをして、そのまま口をつけてゆっくりと一口目を含んだ。
 とろりとした液体が流れ込んだ途端にカァッと口内が焼け、濃い甘味とほのかな苦味と焼けるような感覚が細い滝となって食道を滑り落ちていく。
 ムフッと鼻に抜ける酒特有の香気が心地よくて、続けざまに二口三口と飲みこめばハーフボトルの酒はみるみる減って、代わりにオレの中は熱い何かに満たされていく。

 強い酒を嗜むようになったのは、最初は何も考えずに眠る為、次いで強さを競う為だった。
 思い返せばばかげた理由だったとは思う。
 ケツの青い餓鬼の集まり。そう、年嵩だろうが本物のガキだろうが、あの隊にいた野郎どもは揃いも揃ってバカ餓鬼だった。
 腕っ節やら酒の強さや女のあしらいの得手不得手でお山の大将を決めていたんだから。

 けど最近は。
 そう、あの日、光の剣を捨てずに済んだあの日以来、オレのどこかに新しい理由が生まれたんだろう。

 くい、と、もう一口含んで、すぐに飲み込まずに舌の上で酒を転がした。
 じわじわ染入るような強いアルコールの刺激が心地よく、馴染みの感覚に目を細めながら静かに仲間達の帰りを待つ穏やかな時間のなんと心地の良いことか。
 あまりに量を過ごせばいざという時動けねぇから、どんなに美味かろうがあくまで程ほどに。
 彼女達はいつだって唐突にも揉め事に首を突っ込んではこちらにまで限界に近い精度を平気で求めてくる。
 けど、それも信頼されていればこそとわかっているから嬉しいし、まぁ付き合ってやるかって気にもなるんだな、これが。
 数年前のオレに、今のオレが何か言える機会があったなら。
 とりあえずこう言うね。
 「精々酒に強くはなっておけ、いつか必ず役に立つ」と。

 「ただいま、って、飲んでるの?」ひょこっと顔を出した相棒は、少々疲れた顔をしていて。
 「いるか?」
 労わりも篭めながら酒瓶を振って見せて誘いをかける。
 「ん」
 よろよろと受け取りに来た手を掴んで引っ張り、たたらを踏んで倒れ掛かってきた華奢な身体を抱きこんで、旋毛の上に口付けを落とせば
 「ば、ばか、酔ってんの!?」
 弾かれたようにじたばたと暴れだすのを楽しく思い、彼女からの容赦ない粛清を甘んじて受けいれる。
 「ちょっとばかり待ちくたびれてな」
 お前さんがいなくて寂しかったんだと口にして、もう一度。
 今度は柔らかな唇を奪う。
 「ったく、これだから酔っぱらいは」
 しかめっ面の相棒が振り上げる手と足と、それらがぶつかって齎す痛みにも酔いながら瞼を降ろして酒に潰れたフリをする。
 ああ、可愛い女だ。
 それになんて力強い。
 怒って頬を紅潮させているとこなんか、まるでオレに気があるようにも見えるじゃないか。
 目を閉じて床に転がれば、ゲシっと爪先で蹴っ飛ばされて、急所を直撃した強烈な一撃に唸って蹲る。
 これは、本気で、痛い・・・ぞ。
 丸くなって悶絶していると、頭の上から毛布を被されてしまった。
 これは彼女なりの情けなのか、それとも無様な姿を見たくないだけか?
 痛みと酔いにかき回されて、意識は朦朧と闇に沈もうとしている。
 さすがに口付けはやりすぎたか。
 とはいえ反省する気はない。
 置いてけぼりにされた分、駄賃位あったっていいじゃないか。

 小さな溜息と、次いで小さな水音が鳴った。
 「ふあっ、こんなきっついの呑んでんじゃないわよ」
 ぶっはーと息を吐く音と、次いで部屋を歩く足音がして。
 「ったく、酒の勢いなんて借りてんじゃないわよ」
 キィ…と扉が開いたらしい。
 もう帰っちまうのかと残念に思っていると、扉の閉まる直前に「酔いに頼るなんて情けない、素面の時なら聞いてやらなくもないんだから」と、聞こえた。
 瞬間、オレの頭に『今夜の営業は終了いたしました、次回の開催を楽しみにお待ち下さい』の札がぶら下がり。
 ああくそ、酔うなら酒よりリナがいい。次こそ、リナと。
 夢の中にずっぷりと嵌りこみながら、明朝なんと声を掛けようかと想いをめぐらせるオレがいた。