スリープモード


 ぺとんと寝床の上に伸びた相棒が風邪をひかないようシーツをかけてやる。
 三日三晩格闘し、寝食を忘れて没頭した挙句、辛くも勝利を収めたという某古文書の解読作業に疲れ果てて眠る横顔はとても幼く見える。
 うみゅむにゅと口を動かしているのは夢の中で美味いものでも食っているのか。
 たら〜っと垂れた涎を指でぬぐって、ぽふぽふと頭を撫でると髪の手触りが脂っぽくて、これは明日にでも風呂か湖にでも放り込まなきゃならんか。と段取りを思案する。
 普段の快活とした、溌剌とした。いや、もっとも適切な一言で表すところの『リナ=インバース』らしい姿とはかけ離れた現在の彼女を、多少の真実と多量の誇張に彩られた彼女の風評しか知らぬ輩が見たとしたら。
 悪い冗談はよせ、あんなドラまたと一緒にしたらその娘が可愛そうだろ?とかなんとか言われちまいそうな位、無防備であどけない寝顔だ。

 お疲れさん、ともう一度だけ頭を撫でてから向かいのソファに移動する。
 この状態のリナを一人にするわけにはいかないのは過去に経験済みだから、横にはならず座ったまま背凭れに寄りかかり、剣を抱いて目を閉じるだけに止める。

 瞼の裏で思い浮かぶのは、山積みの資料に埋もれてガリガリとペンを走らせる姿とか、食い入るように課題に挑む真剣な横顔。
 喉が渇いたと唸れば黙って横から茶を飲ませ、糖分不足で頭が動かないとぼやかれればあーんと開いた口に飴玉を放り込む生活
 なんか、雛鳥の世話係になったみたいで楽しかったなぁ。
 こちらのことなど頓着もせず、ひたすらがむしゃらに目で文字を追いかけ、総てを読み解こうと賢い頭脳をフル回転させる姿は綺麗だったし、致し方ない理由で席を立つまでの行くか耐えるかでもあと一行だけなどとジタバタもがく様子は笑えたしそんなとこまで我慢するか!と微笑ましくもあった。まぁ、要するに惚れた欲目でどんな姿も可愛く見えるし愛しいもんだ。

 ガタガタと小刻みに揺れる木窓が彼女を起こしてしまう前に。
 足音を殺し剣を抜いて臨戦態勢をとる。

 無防備で希少な手放しの睡眠は、何者にも妨げられるべきものではない。
 不穏な気配が近づいても感知する事もできないほどの深い疲労、それも頭脳を駆使した後のリナは、難題との戦闘を終えるとこの瞬間が至福なんだと頬を染めてほわりと笑って、力尽きる。
 意識が落ちる瞬間のリナは、何もかもを手放しでオレに委ねてくるもんだから、そりゃあ自称保護者としては被保護者の幸せを守るためならなんだってやってやろうって気になるんだって。

 がたっ!とやや大きな音を立てて窓が木枠ごと動いた瞬間に、拳を固めて腕を突き出し外からの侵入者を殴り飛ばした。
 うめき声すら上げることなく地上へと堕ちていった不届き者はしたたかに腰を打ちつけたらしく、よたよたと闇夜に消えていく。

 ばかめ、今夜のオレは野営モードなんだよ。
 ソファに戻り、なんとはなしにガリガリと爪を噛む。
 向かいのベッドには幸せな眠りに沈む相棒がいて。
 騒がしい日常に暫しの休憩を齎す為に、さあ、今夜はこのまま。








ねむい リナVer

 ねむい。
 ふわふわとゆれるからだをもてあましながら、ぼんやりといすにすわっているのはかれのかえりをまちたいから。
 ねむ……。
 くあ、と、ちいさくあくびをひとつ。
 それからぐしぐしとにぎりこぶしでまぶたをこすって、でもやっぱりねむたくて。
 ねむけざましになにかないかな。
 のみものにたよろうにも、てもちのこうちゃはもうないし。
 かりてきたほんはたいくつすぎてぎゃくにねちゃいそうだし。
 くらり。
 せかいがまわる。
 ふらり。
 からだがかしぐ。
 ねむい、かってにまぶたがおりてくる。
 あたまもうでもおもたくて、せもたれにもたれると、ああ、なんてらくなんだろう。
 ひじかけがないのがざんねんで、でもあったらあったでとっくのむかしにおちちゃってる。
 ばーか、はやくかえってきてよ。
 おやすみくらいいわせなさいよ。
 ふつっと、いしきがとぎれて。いっしゅんもどって、すぐにまたとぎれて。
 いつしかあたしはねむりのうみにしずんでしまっていた。



 ゆらゆらとゆれる。
 ふぅわりと浮上する。
 ちう、と、ひたいにあったかいのがふれて。
 ちろりと味見するみたいに舐められて、ぱちりと瞼が上がった。
 「起こしちまったか」
 すまん、と詫びつつもう一度、今度はちゃんと唇にキス。
 重なる唇を迎えながら、腕を伸ばして愛しい男を抱きしめる。
 よほど急いだのだろう、着ているシャツは汗でべしゃべしゃ。
 肌だってしっとりとして、熱い。
 触れている箇所から彼の熱が、あたしの眠気を覚ましていく。
 「おかえりなさい、おつかれさま」
 うれしいって気持ちを隠さずに微笑めば、ほら、ガウリイも嬉しそうに微笑み返してくれるんだもん。
 素直になることを覚えてからは、今まで知らなかった彼の表情を見つける機会が増えた。
 「ただいま、リナ」
 すりすりと頬同士を触れ合わせて、もう一度キス。
 ああ、そりゃ揺れもするわ。
 行き先はベッドかお風呂か、それとも手近なソファの上に?
 いわゆるお姫様抱っこをされていることに気付きもしないであたしったら。
 幾ら相手がガウリイとはいえちょーっと警戒心が足りないんじゃないかな、と少しだけ反省して。
 恭しく降ろされた先であたしは、誘惑と言う名の反撃を開始した。









ねむい ガウリイVer



 ねむい。
 ねむいねむいねむいねむい。
 ことばにしたところでねむいもんはねむい。
 なにをするでもなくあいつのかえりをまつ。
 いつもさきにねてろっていうけど、ねないんじゃなくてねむりたくないんだよ。
 オレのしらないところでオレのしらないやつらと。なんてめめしいことはいいたくないが。
 ちゃんとあいつがかえってくるのをこのめでたしかめたいじゃないか。




 目を閉じてベッドの上に転がった。
 寝るか、少しだけ。
 元々今日は遅くなるとは聞いていたから、この時間に寝ておく方がいい。
 なんか……こう、肌がチリチリとするような感覚が消えない。
 リナ命名の『野生のカン』が、今夜は平穏に過ごせないと告げている。
 だからこそ、今は休息を。
 十中八九リナが連れて来るんだろう、トラブルを迎え撃つ為に。
 彼女のトラブル体質は伊達じゃない。
 自分で首を突っ込む場合もあれば否応なしに巻き込まれてる場合もある。が、どちらにせよそれら一つ一つが常人が一生に一度遭遇するかしないか規模の事件ばかりで。
 己は好きでリナといるが、この先も五体満足なまま彼女といる為には常にコンディションを整えておくことも重要だ。
 剣の手入れも日頃の鍛錬も一切手を抜く事がないのは、そうするべきだからではなく、そうでなければ生き残れないからだ。
 常に最上を目指さなければ、彼女の隣に立つ資格はない。
 ああ、眠い。
 そうか、これも罠か。
 かすかに鼻を突く異臭、獲物に眠気を催させ討つための敵の罠。
 息を止めて出所を探り、目星をつけたのは窓の隙間。
 一気に攻勢をかける。
 剣を手に窓をぶち破ってみれば、窓枠にぶら下がった香袋を見つけた。
 紐を切り飛ばし、落下中のそいつを剣の腹でぶっ叩いて遠くに飛ばす。
 なるほど、この方法なら虫除けだとか言い訳も立つし無関係な奴に頼むことも出来ただろう。敵意や殺意を持った人間の気配なら読めるが、それ以外になるとよほど気を張っているときでないと気付かない。
 というか、他人との距離を無制限に測っていては日常生活など送れない。
 護衛の仕事を受けている時とは違って、今守るのは己の身一つ。ささやかな人の気配に一々動揺していてはキリがない。
 「さて、今度はどんな話だろうな」
 もう少し待って、それでも帰ってこなかったら。
 迎えに行こうと思う、栗色の髪の相棒を。
 うら若く美しい、この世界を滅ぼす力を有する天才魔道士を。

 こうなってくると眠いだなんだといってもいられない。
 身支度を整えて、待つ。
 彼女の気配を探しながら、待つ。
 眠気は緩やかに覚めていき、身体に満ちるのはこれから起きるであろう戦闘への高揚感。
 戦う彼女は美しい。
 血と土に塗れた姿も、我が身を信じて凛と立つ後姿も、まっすぐに先を見つめる眼差しも。
 夢を見る必要はないのかもしれないな。
 彼女と生きている今こそが、一夜の夢幻のような奇跡のようなものだから。