輝きを放つ黄金の翼に抱かれた涙の形の青い宝石。
 青というには淡いかもしれない。
 でも、水色というにはやや深い色彩の石は職人の技だろう美しい彫金の枠に収まって、あたしの掌の上にある。
 真昼の太陽の光を乱反射する、鮮やかな輝き。
 金で作られたペンダントトップの中央に据えられた、この石の名はわからない。
 あたしの予想ではブルートパーズかアクアマリンか、それともサファイアなのか。
 ありきたりな石の名前しか出てこないのがちょっと悔しい。
 ただ、この色合いがあまりにも似ていたから。
 つい、売り払うのを躊躇ってしまった。




 「はいはーい、毎度おなじみ、盗賊殺しのリナ=インバースでっす! 命が惜しかったらさっさと出すもの出して投降しなさい♪」
 三日前、深夜。
 心配性な相棒の監視をかいくぐり、宿を抜け出しお出かけしました深夜のスラム。
 この町に巣食うギャングの根城を一網打尽! 
 依頼主からは報酬を、こいつらからはお宝を。
 これぞ乙女の憧れ、一石二鳥の儲け話!!

 事前情報で構成員の数や魔道士の有無を確認していたお陰で仕事は面白いようにサクサク進んだ。
 突入時にかました拡散版エルメキア・ランスで効果的に奴らの気力を奪い、初撃を逃れた奴らもあたしの名乗りを聞いた瞬間顔面蒼白、両手を上げて白旗を掲げた。
 なんでもこの町にあたしが来たという情報を得て、ちょうど逃げる準備をしていたそうで。
 道理であっちこっちに大きく膨らんだ荷物袋が転がっているわけだ。なんて、室内を見回してにんまり笑う。
 家捜しする手間が省けたのは喜ばしい。
 が。
 わやわやとひっきりなしに出入りする役人達の目さえなければ今頃あの中身はぜーんぶあたしのものだったかもしれないのに!
 「リナ、お疲れ様!」
 ビッ!と綺麗に決めた敬礼をあたしに向けたコーラル=ウィンディに「ま、あたしにかかれば、ね」と笑ってみせる。
 「あとで盗品の検分作業やりますから、立会いお願いしますね」
 報酬はその時に、と囁かれて無言で頷いてみせた。



 領主からギャング殲滅の命を受けていたコーラルと、たまたまこの町に立ち寄ったあたしが出会ったのはまったくの偶然……ってわけでもなかった。
 彼女はあたしと同じ、ゼフィーリア出身。んでもって、幼い頃には連れ立って近隣の盗賊狩りに勤しんだ仲でもある。
 故郷を離れても友人は友人、気の向いた時に手紙なんぞを送っていたりもして。
 彼女がこの町にいると知ったあたしが彼女の家を訪れた時に、ちょっと手伝わないかと誘われたわけだ。

 「あらかじめ届けが出ている品はこっちに纏めて。それ以外はリナの好きなようにしていいわよ」
 リスト片手に盗品の選別にかかるコーラルと、値の張りそうな品を掘り出すあたし。
 後から返せと言われそうな気もしないではないが、コーラルに言わせれば「リナが突入した時点で壊れちゃいました」で通る、とのこと。
 「こいつらがこの町でやったのは、殆どがショバ代せびりとかだから。持ち主不明の荷物は纏めて役所で保管して、半年たったらこっちの収入になっちゃんだもん。どうせだったらリナを雇う対価として使った方が有益でしょ?」
 さらっとえげつない取引内容を口にして、コーラルは微笑んだ。
 ふっくりとした癒し系の外見と、ほわほわっとした和み系オーラを放つ彼女の口から出るにしては物騒な発言である。
 レースに縁取られたミルクティー色のワンピースを翻し、その名と同じ珊瑚色の唇がゆったりとした調子で呪文を唱える姿は慈愛に満ちていて、柔らかな眼差しは子供をあやす母親のものにも見える。
 「ん、と。呪いの類はなし、血液反応なし、残留思念は、あり。……はい、こっちおっけー。持ち主さんに届けてあげて」
 昔からあたしとは違った方向で才能を発揮する彼女は、品物に篭められた感情やらを読み取る事ができる。そんな彼女の仕事は、こうして正しい持ち主のところにその品を届ける事。
 「この子達は行くところがないみたい」
 ゆえに、行き場のない品はいつか出会うだろう正しい持ち主に届ける為に、一箇所に留めずに人の手から手へ渡らせてやるのが正しいのだと言い切るのだ。



 そんなこんなで報酬として受け取った品々をあたしはさっそく売り飛ばしに―――いけなかった。

 「なんで一人で行くんだ」
 戻った宿屋の軒先で待ち構えていたガウリイに捕まったのだ。
 「え、えと。ちょーっと懐かしさも手伝って、童心に返って」
 「子供の頃を思い出して盗賊いぢめって、幾らなんでも苦しすぎるだろーが!」
 いや、憤慨されても事実だから。そう反射的に言い返そうとした。
 「……もういい。無事に帰ったんならさっさと風呂行って寝ろ」
 だけど、いきなりあたしに背を向けて、ガウリイが去っていく。
 憤りも露わな荒々しい歩調に合わせて、右手で握り締めた残妖剣がゆらゆら揺れる。
 「……なーに、怒ってんだろうね」
 中途半端で放り出されたあたしは、なんとなくもやっとしたものを感じながら自室へと戻って。それ以来不機嫌継続中なガウリイに、正直、かなり戸惑ってる。

 黙って行ったのは悪かったかもしれないけど、そんなのいつもの事でしょうが。
 ガウリイだって盗賊いじめはあたしの習性だから、なんて言ってるじゃない。
 それに今回はコーラルだっていたし、危険度は普段より格段に低かったし。
 いつもならひとしきりあたしを叱って、次の日に引きずらないのがガウリイだったのに。

 テーブルの向かいで、かちゃかちゃとフォークと食器の触れ合う音がする。
 そんなささやかな音が聞き取れる位に、あたし達の間に会話はなかった。
 「ごっそさん」
 居心地の悪い空気を断ち切るように、一言ぼそっと言い置いて、ガウリイが席を立った。ちらりともこちらを見もせず、さっさと部屋へと戻っていく。
 普段頼もしい筈の広い背中が今はあたしを拒絶しているように思えて、動きかけた唇は凍りついた。


 美味しくもない食事をなんとか平らげて、自室へと戻る。
 窓の外には雲ひとつない青空が広がっていて、午後からはコーラルがここに来る。
 彼女に報告書を渡して正式分の依頼料を受け取れば、この町に滞在する理由はなくなる。
 ならば出発は明日になるか。
 次の目的地はまだ決めていない。
 ガウリイと話せていないせいで、どこに行こうか何を食べようかなんて、ちっとも心が弾まないから。

 うーっ!
 唸り声と一緒にベッドに飛び込んで、ごろごろ無意味に転がってみる。
 胸のもやもやは一向に治まらない。
 時間が経つにつれてどんどん膨れ上がっていく一方だ。

 あたしらしくない。
 こんなの、ちっともあたしらしくないっ!!
 こんな風にもだもだしてる位ならとっととガウリイに謝るなり行き先決めて伝えるなりすればいい。
 ガウリイはあたしの行くところについてくるんだし、あたしが決めなきゃ一人じゃ何にも決められないんだから!

 『……もういい』
 唐突に、あの夜のガウリイの声を思い出した。
 彼らしくない、平坦で、突き放すような声、だった。

 違う。
 ガウリイは、あたしがいなくても大丈夫。
 そんなこと、誰よりもあたしが一番判ってる。
 彼さえその気になれば、士官の口も、そこらの口入れ屋で仕事を見つけることだって簡単だ。
 けっして賢くもなければ世渡り上手でもないかもしれない。
 でも、それを補って余りある実直さや人を和ませる雰囲気がある。
 どこに行っても、彼はすぐに自分の居場所を見つけるに決まっている。

 目の端で捉えた輝きを、とっさに手の中に閉じ込めた。
 あの夜の戦利品。
 金色と、淡い青。
 彼と同じ色彩の、小さくて硬い、物言わぬ物質。
 恐々と手を開けば、青を取り巻く金の翼が柔らかな輝きを放ち。
 輝きの中心で、青い石は強くて白い光を乱反射させて。

 視界が、ゆっくりとぼやけていく。
 鼻の奥がツンと痛んで、堪える為に歯を食いしばる。
 きっと光が目に沁みたんだ、眩しすぎる輝きをもう一度手の奥に閉じ込めて、独り、喉の奥で咽び笑う。

 「あんたも、こんな風に閉じ込めてしまえればいいのに」

 零れ落ちた呟きを聞いていたのは、手の中の宝石だけだった。




 壁越しに、小さくしゃっくり上げる音が聞こえる。
 堪えようとして、堪え切れなかったのだろう泣き声は、やがて押し殺そうとして失敗している啜り泣きになった。
 あいにくとオレも耳がいい。
 それに気配を読むことにかけては彼女を遥かに上回る。
 こんなうっすい板壁一つで隔てられた程度であいつがどうしているかをわからないはずがない。

 ったく、意地張っちまって。
 けど、こんなになっても自分から折れられないとこも可愛いんだよなぁ。

 声には出さず、喉の奥で転がすように忍び笑う。
 欲しがってくれるのは嬉しいんだが、いい加減判ってくれてもいいんじゃないかとも思う。
 オレはとっくにお前さんのだよ。
 だからこそ一人で危なっかしいマネをするのは止めてくれって言ってるんじゃないか。
 あいつの実力を信じないわけじゃない。
 けど、万が一、不測の事態が起こったとして、それを防げなかった事をオレは絶対に後悔する。
 だから口うるさいと嫌がられようが泣かせることになろうが、これだけは譲る事はできないんだ。





 オレと出会った時点で、リナは既に自称する天才魔道士の名に見合う実力と多彩な戦闘経験を有する一流の戦士だった。……だったんだが、同時にこいつには誰かの庇護が必要だとも強く感じた。
 自分からどんどん厄介ごとにつっこんでいくわ、常識外れのトラブルをがすがす引き寄せる体質でもあったりで、一つの事件が終わるたびに、よくもまぁ今まで無事でいられたものだと密かに彼女の強運っぷりに感謝したものだ。

 まっすぐに背筋を伸ばし、傷ついても立ち上がり、決して諦めに身を委ねず、生ある限り未来を信じて力いっぱい生きる。豪快に、強引に、思うが侭にいろんなものを吹っ飛ばして、ぶっ潰して、納得いくまで戦ったり時には上手な駆け引きも厭わない。折れず曲がらずしなやかさな、好き放題に枝葉を広げる伸び盛りの若竹みたいな奴。
 ただし、水と添え木と害虫駆除は必須、ってな。





 リナと旅を始めて最初のでかすぎるヤマを越えた頃には、すっかり彼女に惹かれていた。
 彼女と在ることが楽しかったり、一人にするのが心配でしょうがなかった。
 いつ頃だったか詳しい時期は忘れちまったが、自分がリナに憧憬ではなく恋慕の情を抱いていると気付いた時には、己の馬鹿さ加減に呆れて一人腹を抱えて笑ったものだ。
 リナに向かう友情も愛情も庇護欲も、全部ひっくるめてまとめっちまえば独占欲ってやつだろう。


 故郷を捨てて以来、何もかも投げ打ってでも護りたいと思える存在を欲していた。
 それさえあれば己の選んだ道を否定せずにいられると思い込んでいた。
 バカだよな。
 どんな過去だろうが、全部今に繋がっている。
 無駄な事など何もないし、今更どうすることも出来ない過去にうだうだ囚われ続ける必要もない。
 求め続けていたものの名は、リナ=インバース。
 そうだ、オレはとっくの昔に答えを得ていた。
 オレの剣は、彼女のために。
 ありのままに、思うが侭にがむしゃらに、今を思いっきり生きていければ、それがいい。





 ―――――転機が訪れたのは、冥王との戦いが終わり、光の剣を失った時だったな。

 仲間達と別れ、良くも悪くも拠り所だったものを失って、さてこれからどうしようかと密かに途方に暮れていた時。
 するりと、手が差し伸べられた。
 自分と比べるまでもなく女の子らしい小さな手が、やけに頼もしく、大きく見えた。

 ともすればオレが自分の手を取らないのではないかという不安を抱えながらも、リナはオレに手を差し伸べてくれて。
 いつだって未来を選ぶのは彼女だったのに、あの瞬間、選択権を握っていたのは確かにオレで。
 オレはリナの手を掴み取り、明確な意思をもって彼女を選んだ。




 あの日以降、ますますリナに向かう感情は更に強く、深くなり。
 今まで以上に彼女の剣として、盾として、一緒に生きたいと祈り、リナを護りたいと願った。祈りを捧げるのは神などではなく、あの日の彼女の手のぬくもりだったりリナの存在そのものに、だ。
 前を歩く細い身体を眺め、柔らかな髪に触れる度に喪失の日が来ることのないようにと、強く、強く。

 あいかわらずリナの歩く日常に安寧はなく、幾度も死を覚悟する事件に遭遇し。関わった者の嘆きや悲しみ、時には死すら受け止めながら、それでもオレ達は辛くも生き延び、旅を続けるうちに。
 オレの心に、新たな欲が生まれた。


 自分と同じように餓えて渇望するほど強く、リナに求められたい。


 お前にとってオレはただの相棒でしかないのか?
 一瞬でも、オレが欲しいと思ってはくれないのか?
 誰にも見られまいと隠している弱さや脆さを洩らさぬようにと堪えなくてもいい、変なところで遠慮される位なら、あんたはあたしのでしょ!一緒に背負うって言ったでしょうが!そうやって全部ぶつけられる方がよっぽどいい。
 形こそ違えど似たもの同士だったあいつらみたいに、最後の最後にしか本心を通わせられないなんてのは、哀しすぎるじゃあないか。




 そしてサイラーグでの邂逅を経て。
 オレが目覚めた時、リナはルークとの戦いで抱えた感情を受け止めきれずにいた。
 極限状態の中で戦い抜いて戦友を倒し、慌しくも事後処理を終えて、ようやっと落ち着いてあの二人に思いを馳せられるようになって、あいつの最後の願いの意味を考えて、自分の心と重ね合わせて傷ついていた。
 ぎりぎりと今にも張り裂けそうな心が歪な形で千切れてしまう前にと、オレは慰めの言葉でどうか綺麗なままにと彼女の心を切り開き。
 初めて、リナはオレの腕の中で本心を露わにした。
 やりきれないと感情を爆発させて、身も世もなく泣いて、泣いて、いつしか泣き疲れて眠ってしまうまで、何も言わずに震える背中を撫でてやりながら、オレはぼんやりと『もう気持ちを隠すことはやめよう』と思った。

 信頼や親愛だけじゃあ足りないし、自分を投げ出してでも相手を、ってのも許せない。
 愛した奴と笑ったり泣いたり怒ったりふざけたりしながら生きる幸せは、一人じゃ成し得ないことだろう?



 んで、出立の時に遠まわしな求婚の言葉を口にしたんだが……ほぅっと期待に頬を染めたリナがあんまりにも可愛くて、可愛すぎて。柄にもなく本気で照れちまって、動揺する心が平常を求めていらんことを口走っちまってせっかくの機会をうやむやにしちまった。
 そのままリナのご両親に挨拶してからでもいいか、なんて生来の暢気が囁いた結果が、今の中途半端な宙ぶらりんの関係ってわけだ。

 一つだけ、言い訳をさせてもらうとしたら。
 あの日のリナの泣き顔がオレの劣情に強烈どストライクだったのが悪い。





 窓の外は夏の日差しがぎらぎらと。
 風は熱気を孕んで生ぬるく、空の青さとは正反対の鬱陶しさだ。

 隣室の泣き声はいつの間にか止んでいて、密やかな彼女の気配だけが伝わってくる。
 泣き疲れて眠っちまったんだろう。
 このままにしとくと夕方頃には瞼が腫れちまうかもしれないな。
 そろそろ落としどころを見つけるとするか。

 まぁ、バカだと自分でも判ってる。
 同郷の、しかも同性だと分かっていてもあいつの隣を掠め取られるのは腹立たしいなんて。
 けど、ま。
 リナの方もオレがどんなに口酸っぱく咎めようが何を言おうが、危なっかしい習性を我慢する気はないらしいし?
 素直になる勇気も出ないらしいし?
 どっちの意味でももう少し反省してもらおうか。

 すぐにでも動きたがる身体を抑えて今は、こちらもつかの間の休息を。