冬の到来を告げる、強い風に晒されて。 ザワザワと葉擦れの音が、濃緑の丘を駆け抜けていく。 「あたし、ここからの眺めが大好きなんだ」 草の上に広げただけの、簡素な敷物の上に腰を下ろし。 少女は、うっとりと幸せそうに目を細めて微笑むと、自慢の髪を束ねるリボンを解いて、そのまま両手を突っ込み乱してしまう。 「燃えるような秋の眺めも綺麗だけれど、今の穏やかな色彩も素敵だわ。 激しい想いを、穏やかさで包み隠して、大切に育てているみたいなんだもの!」 常から『早く大人になりたい』と背伸びしたがる年頃だよなと、彼女に微笑みを返して「オレも好きだぞ」と告げてみた。 「ガウリイもなんだ!」と。 どうも、全然伝わらなかったらしい。 オレが好きなのは、この場所ではなく彼女なのに。 きっとまた、二人一緒にここに来よう。 だが、交わされた約束は生涯、果たされる事はなかった。 真っ昼間の街道に、炎の華が弾けて咲いた。 「このあたしに逆らうなんて、100年早いわよ!」 「おーい、ほどほどにしとけよー」 楽しげに、焦げて地べたに転がってる連中の懐を探っているのは。 言わなくても分かるだろ? リナの悪趣味は今に始まった事ではないし、要らぬちょっかいをかけてくる奴らにも同情する気もさらさらないが、巻き込まれるのは御免だと、急ぎ足で脇をすり抜けていく旅人達の視線は、ちょっとばかり痛かった。 「ガウリイ、あんたも手伝いなさいよ! こいつら役所につき出すんだから!!」 「役所に、って。お前さん、次の街までこいつら連れて歩くつもりか?」 軽く見積もっても10人越えてるぞ? 「……それも面倒ね。 じゃ、ひとっ飛びして役人連れて来るから、ガウリイは見張りしといて」 言うが早いが、リナは飛空呪文を唱えだす。 「なるべく早く帰ってきてくれよー」 さっき寄った村で軽い昼食は食ったけど、あまり待たされると後が辛い。 帰りは役人連れだから、たぶん馬車か徒歩だな。 どちらにせよ、戻るまでしばらくかかるだろう。 すっかり人通りの絶えた街道にいるのはオレと、ロープで逃げられないように縛り上げた盗賊達のみ。 さっきの通行人が、『この道は危険だ』と伝えて回ったのかと疑いたくなるほど、見事に誰も通らない。 「兄さん、後生だから逃がしちゃくれませんかね」 「このまま役人に捕まる方がお前らの為にもいいと思うぞ? これ以上リナの怒りを買ったら、命の保証はないだろうし、第一オレも怒られちまう」 蚊の鳴くような声が聞こえたが、付き合う義理もなし。 「怒られるって、あんな小娘の尻に敷かれちまってるんですかい? あんな凹凸に欠けるお子様体型の凶暴女」 そこまで言って、急に盗賊A(仮)はハッと口を閉じた。 続いて顔色が赤、青、白にと目まぐるしく変わる。 「あ・・・あの、もしかして・・・あのぺちゃ。いやいや、あのお嬢ちゃんは、その」 口をパクパクさせて、男がようやくリナのフルネームを声にした瞬間。 気絶の振りをしていたらしい奴らまで一斉に身を起こして、オレに縋りつくような視線を向けてきた。 「あー、えーと。分かったんなら、大人しくしとくんだな」 「「「ひぃぃぃ!!!!!!」」」 恐怖に怯え、鼠のように身を寄せ震える野郎の図ってのは、どうにも目に優しくないが、逃げる気は失せただろうし、見張るオレは楽だけどな。 青い空には、ぽつぽつ浮かんだ白い雲。 街道沿いには赤白黄色の花が咲き、穏やかさを取り戻した野原からは、隠れていたらしい小鳥の囀りも聞こえて来る。 『のどかだよなー』と言いたい所だが、それには隣でぐちゃぐちゃやってる奴らが邪魔だった。 「ドラまたならドラまただって、最初から言ってくれりゃあよぉ」 「あの外見はまやかしで、実は数百歳を超えるババァだって噂もあるだろ? 確か」 「盗賊殺し、魔王の食べ残し、漆黒の魔女・・・おい、あと何かあったか?」 「有名なのはそこら辺だろ? そうさな・・・俺が聞いたのは、赤い糸きりのリナと、何とかの便所の蓋?」 「待て待て、確か魔竜王の化身だとか破壊の体現者ってのもあった気がするぞ」 怪談でも語るように車座になって、恐々リナに関する噂を囀る面々を時折横目で眺めながらも、オレはただただ苦笑いするしかない。 良くも悪くもリナの行動や発言は目立つからなぁ。 こいつらに『あれでも一応手加減してるんだぞ』って教えてやったら何と言うだろう。 「……そうだな。 一回だけピンクのリナってのも聞いた気がする」 「おいおい、いい加減にしとけよ」 挙がる仇名の数が両手を越えた頃、何やらいかがわしげなものまで飛び出して、つい声を掛けたのがいけなかった。 「お供のあんたならドラまたの正体を知ってるんだろ!?」 座り込んだ野郎共の好奇の視線が一気に集中する。 リナの正体、って、言われてもなぁ。 どう答えたものかと首を捻っている間にも、盗賊達の悪ノリは止まらない。 「あのよ・・・。ちょっと言ってもいいか?」 今度はオズオズと声を挙げた魔道士崩れらしい男に、皆の視線が集中する。 「さっきからなんかに似てるよなーって思ってたんだがよ。悪名の多さとか、インパクトのある外見とか、あの破壊力といい。 そこの、ほれ」 男が顎で示した先には、群れて咲いている赤い花。 「ありゃあよ、俺の地元じゃ地獄花って呼ぶんだ。冥府の魔女にゃあ相応しくないか? 『手出しをすれば呪われる』っていうし」 話し終え、天を仰いだ男の後を継ぎ、別の男も口を開く。 「おれんとこじゃ、ありゃ墓守花って言うんだぜ? 毒持ち異臭持ちだから、獣も避けて通るってな」 「じゃあ、なんだ。 ありゃあこれからドラまた花とでも呼ぶか!!」 誰かの纏めに一同深く頷いた、まさにその時。 「そぉぉぉお? あたしは花みたいに綺麗で鮮やか、って事で良いのね?」 背後から、不機嫌さ全開の声が聞こえて。オレは「よ、お帰り」と片手を挙げつつ振り返った。 「「「ぎゃあああ!!!!!!」」」 さっきまでの盛り上がりはどこへやら。 散々好き勝手をほざいてた連中は、リナが連れてきた役人に縋り付いて、死にたくないだの保護してくれと喚く始末。 まぁ、オレはリナが戻ってきてるのは分かってたんだが、放言三昧のこいつらにわざわざ教えてやる義理もなし。 結局、リナ達より少し遅れて連行用の馬車が到着するまでの間、街道には再び紅蓮の花が咲きまくった。 口は災いの元、とはよく言ったものだ。 半刻後に到着した護送用馬車に積まれた一同は、まさにボロ雑巾状態。 抵抗される心配がなくていいですなぁ。と、ホクホク顔の役人は、リナに礼金の袋を握らせ一足先にと、馬車は次の街を目指し出立していった。 一緒に乗るか? と聞かれもしたが、それはリナが断った。 まぁ、馬車なんぞ乗り心地の良いもんじゃなし。 「イテッ!」 まだ怒っていたらしいリナにつま先を思いっきり踏まれて、オレはその場で飛びあがった。 「あんたも黙って聞いてるんじゃないわよ!」 プリプリ怒るリナを宥めつつ、オレは赤の群れから一輪花を摘んで、彼女に向けて差し出した。 「あいつらの言い草には同意できんが、確かにこいつとお前さんは似てると思うぞ」 もう一方の手で髪を梳いて耳の上に挟んでやる。 「うん、綺麗だ」 リナの大きな赤い瞳と同じ鮮やかさは、肌の白さを一層引き立て、火花のような花弁は賑やか。 「危険物とでも言いたいわけ?」 「いや? こいつもお前さんも関わり方次第。って事だ。 あいつらは毒だっていうけど、オレには薬だったし」 「薬?」 不快げに、飾った花を毟り取ろうと上げた手を止めたリナは「じゃあ、説明してよ」とオレを睨んだ。 「こいつの葉や根を摩り下ろしたのは打ち身に良く効くし、やり方さえ間違えなけりゃ食う事もできる。 縁起だの不吉だのって、そこら辺は当人の気の持ちようだろ?」 何も知らない者なら、この花を観るなり「不吉だ」などとは言わないだろうし。 ……あの丘にも。 懐かしい場所に初秋の頃だけ現れる一面の赤い絨毯。 それはまるで、火の粉を撒き散らしたように華やかだったのを覚えている。 幼心に『綺麗だ』と、心奪われた思い出の丘。 「……ガウリイの癖に、妙な事だけ詳しいんだから!」 お、どうやら誤解は解けたらしい。 「お腹、空いてるんでしょ?」 リナが懐から取り出した包みの中身を一つ、分けてくれた。 「食っていいのか?」 渡 されたのは、乳白色の丸いもの。……もしかして。 「これ、ここらの隠れ名物なのよ」 一口齧ると、もちっとした歯ごたえの後に、あっさりした甘さがきて、口いっぱいに広がった。昔食べたものと同じ味に、胸の奥からじわりじわりと懐かしさが込み上げてくる。 「変わらない、な」 最初にこれを食べたのは、あの日、あの丘の上だった。 珍しい物を貰ったと、彼女がオレに分けてくれたんだった。 どうして今の今まで忘れていられたんだろう。 秋が来るたび、どこの畦にも街道沿いにも、変わらず花は咲いていたってのに。 「なーんだ、知ってたんだ」 自分も一つ頬張って、「驚かせるつもりだったのに!」と、子供みたいにリナが笑って。 茶目っ気たっぷりの笑顔に釣られて、オレも笑った。 「リナ、次の行き先はオレが決めてもいいか?」 急げば花の時期が終わる前に着ける筈。 「たまにはいいんじゃないの?」 あっさり了承を貰えて拍子抜けしちまったってのは、言わぬが華だな。 一つ目を平らげて、ちまちま指を舐めてるこいつは、リナ=インバースって言うんだ。 髪に飾った花みたいに、派手で、鮮やかで、危なっかしい。けど、付き合ってみたらけっこう良い奴なんだぜ。 二度と会えない彼岸の少女に、心の中で『悪い』と詫びる。 あの丘に、オレはこいつを連れて行くよ。 二度と同じ後悔をしなくて済むように、心をこいつに伝える為に。 『きちんというのよ? この花は、互いを想い思う花。想思華とも呼ばれているんだ、って』 懐かしい少女の声が、記憶の底から鮮やかに甦り、次の瞬間、シャボンのように儚く弾けて消えてしまった。 『ああ、必ず。 ・・・ありがとな』 もはやどんな顔だったかも思い出せない思い出の少女に、そっと別れの言葉を告げて。 こっそり傍らを覗いてみると、彼女は早くも二つ目を平らげたらしく、幸福そうな、笑顔の華を咲かせていた。 |