たとえ深夜に近い時刻だろうと、この広大な王宮内において、寝静まるという言葉は無縁らしい。規則的に動き回る雑多な気配は日中よりも穏やかで、今は特に警戒する必要もなさそうだった。
 そんな中、時折こちらに近づきながら急に踵を返す者もいるが、それもまぁ、無理はない。ここに来てからというもの、幾度も襲撃を受けているオレ達は、便宜上、来客として扱われているだけのその実体は縁あって依頼を受けた、いわゆる雇われの身であり。
 そんな輩に関わったが為に無用のトラブルに巻き込まれるのは、誰だって避けたいだろう。
 実際、昼の魔獣騒ぎの時には数人が巻き込まれて怪我をした。

 そして、リナも。



リナはあの時、敵の攻撃をまともに喰らって瀕死の重傷を負い、治療を受けたあとも大事を取って宛がわれた部屋で休んでいる。
 怪我の為に欠員が出たと聞いて、今夜だけでも夜の警護を引き受けたいと申し出たのも、今思えば余計な世話だったのかもしれない。

 なんとはなしに天井に描かれた文様を眺めつつ、廊下の隅で突っ立っていると、正面の樫造りの扉が薄く開いた。
 こちらにと、すっかり見知った老人が招き入れてくれるのに、会釈で答えて入室する。

 だだっ広い執務室のど真ん中に陣取って羽ペンを走らせているゴツイおっさんこそが、オレ達の雇い主でありこの国の第一王位継承者、フィリオネル=エル=ディ=セイルーン殿下、通称フィルさん。
 さっき部屋に入れてくれたのはフィルさんの侍従のクロフェル公。
 つまり、今この部屋にいるのは、オレを含めて3人だけってことになる。
 もちろん隣室にあたる控えの間には、この国の王子であるフィルさん専属の護衛部隊が控えていたりもするんだが、今のところ彼らにも動きはないようだった。

 余談だが、リナ曰く「フィルさんはいい人だけど、絶対に『おうぢさま』とは呼びたくない!」だそうで。
 ちょっと前まで一緒にいたシルフィールもそうだが、世間一般のイメージによる『王子様』ってもんは、白馬に乗ったスラリとしたハンサムと、相場が決まっているらしい。
 その所為か、不用意にフィルさん=王子様という過酷な現実を知ったが為に、憧れを砕かれてぶっ倒れる者もいるらしい。

 ま、偏見はよくないが……確かにフィルさんは、理想の王子様像とはかなりかけ離れてるよなぁ。どちらかというと山賊の親分の方がしっくりくる気がする。
 何かあったんだろうかと、今にも崩れ落ちそうな書類の束を眺めつつ、失礼千万なことを考えていると、ようやく一段落がついたのか、野太い声がオレを呼んだ。

 「ガウリイ殿、まったく今日は大変だったのう。
 もうじき日付も変わることだし、そろそろ戻って身体を休めるとよかろう」
 カキコキと首を鳴らして傍らのでっかい湯飲みをわしっ!と掴むと、美味そうに喉を鳴らして、一気に全部飲み干してしまう。
 リナが今どうしているのか気になってしょうがないオレにとってはかなり嬉しい申し出だったが、依頼は依頼。
 既に充分すぎるほどの厚遇を受けておいて、これ以上依頼主の気遣いに甘えるのは、ちょっとなぁ。
 「そんなわけには参りません。
 第一、自分から言い出したことをおいそれと覆したら、後でオレがリナに怒られちまいますよ」
 オレの返答を聞いて納得してくれたのか、フィルさんは『ふぅむ』と、でっかい溜息を落とすと、口の周りに蓄えたヒゲを何度も指先で弄んではまた溜息をついた。
 「まったく、リナ殿も一度こう!と決めたら、とことんつっぱしる性質だからのう」
 「……まったくです」
 感想さえも同調しつつ、互いの顔に浮かんだのは苦笑い。
 夕方、目覚めて早々仕事に戻るんだと、さんざんダダを捏ねるリナのふくれっ面を思い出した。
 「しかし、その……ガウリイ様にお部屋に戻っていただけましたら、きっとアメリア様も安心してリナ様のお部屋からお戻りになるでしょうし。……いかがですか?」
 隣で茶の用意をしていたクロフェルさんまで、そっと水を向けてくれて。
 「……ありがとうございます」
 結局、二人の勧めに従う形で今日の警護は終了させてもらうことになった。 



 部屋を出たところで見回り中の衛兵達と鉢合わせたんで、言葉を交わして、リナの部屋へと急ぐ。
 いかに『復活』による集中治療を受けたとはいえ、まだ完全復活には届くわけもなく、じっとしているよう言い渡したところで彼女が大人しくしているわけがない。
 だから、今夜だけでも大人しくしてもらうためには、彼女の興味を惹くものが必要。
 難しい話を説明するのは苦手だが、現状の大まかな状況位把握しておかなくては、いつリナが痺れを切らして暴れだすかわかったもんじゃない。
 「たまには同年代の女性と気兼ねなく話してみたいですし」
 そう言って、今はアメリアさんがリナの傍にいてくれているが、彼女も本来多忙のはず。
 彼女自身、命を狙われる可能性があるだけに、二人を一緒にしていると案じる気持ちが膨れ上がり、どんどん歩く速度を速めていく。
 結局、最後の方は不安に背中を押されるように、全力疾走に近い速度で走ってしまった。



 「あ、ガウリイさん」
 最後の廊下を曲がると、ちょうどリナの部屋から出てきたアメリアさんと鉢合わせた。
 「ちょうどよかったわ」
 人の顔を見るなり、両手で抱えた書類の束を、隣に控えた侍女に押し付け、一足先に執務室に戻るようにと命じ、渋々といった態で去っていく侍女の姿が小さくなるまで見送ってから、にっと笑って。
「ガウリイさん、ナイスタイミングです!」
 嬉しそうに、弾むような勢いで駆け寄ってきた。
 


 「あいつ、あれからどんな様子ですか」
 リナのことだからどうせ寝てないだろうとは思っていたが、希望も込めて聞いてみた。
 すると、アメリアさんは意味ありげに揃えた指先をちょちょいと曲げて、こちちへどうぞと示してみせて。促されるまま廊下の隅に移動して、彼女が内緒話をしやすいように、ちょっとばかり膝を屈めると、まってましたとばかりに近寄ってきて、さっそくポソポソ耳打ちをしてくれる。

 「何度か寝てもらおうとしたんですけど、リナったら全然寝ないの。やっぱりガウリイさんじゃなきゃダメみたい」
 いや、そういう関係じゃないんだが……と言ってみても訳知り顔で首を振られて、逆に
「父さんの護衛中、ずっと心配だったんでしょ?」と、思いっきりストレートに突っ込まれては、正直に頷くしか選択肢はなく。
 リナには言わないでくれるように頼むと、もちろんですよと満足そうに頷かれる。
 「そりゃあ大切な仲間が、いきなりあんな大怪我をしたんですもの、当然だわ!」
 いや、何で喜んでるのか良くわからんが、真っ先に心配しなくちゃならんのはオレ達じゃなくて、フィルさんや自分の身じゃないのか。
 「あれ、ガウリイさん。どうしてそんな顔をしてるんですか?」
 くりんっ、と、小首を傾げる仕草も様になる、面差しに愛らしさを残した皇女さんはしばらくして、ああ、と小さく声を漏らした。
 「私も、それから父さんも、突然の敵襲があってもある程度迎撃できる位の腕はあるつもりですし、今夜はたぶん、敵襲はないかな、って。昼間の襲撃の際、ぜんっぜん襲われなかったクリストファおじさまが『なぜか』非常に動揺されているとかで、今はお気に入りの侍女達も傍に近寄れないご様子だとか。 ……私、こういう風に影でこそこそするのって、あんまり好きじゃないんですけどね」

 最後は悲しそうに言葉を切ると、沈んだ気持ちを切り替えるように勢い良くオレを見て「大切なことを言い忘れてました!」と手を打った。
 「彼女の防具類を一旦こちらで預からせてもらってるんです。事後承諾になってしまって申し訳ないんですが、かなり酷い状態だったんで、修復には最短でも明朝までかかるそうです。特に例の雷撃にやられたのか、ショルダーガードの損傷が激しくて、守護系の宝石護符は軒並み壊れちゃってたとか。さっきリナさんにも話してスペアを預かったんですけど、どれもこれもなかなかのもので。あーあ、私にも作ってくれないかしら、ガウリイさんからリナさんに頼んでみてくれませんか?」
 「あ、ああ…」
 「じゃあ、今日はそういうことでっ!そうだ、今夜位はリナさんと一緒にいてあげてくださいね!」

 言いたいことを全部言ってしまうとアメリアさんは満足そうににこにこ笑いながら神殿の方に向かって歩き出した。
 なんとなく見送っていると、曲がり角の柱の影からさっきの侍女が姿をみせて、颯爽と歩み去る彼女の後を追って駆けていく。



 一人になって、改めてリナの様子を覗いてみようかと、ドアノブに手をかけた時だった。
 何の前触れもなく、急激に足下が眩しくなった。
 慌てて出所を探すと、床と扉の間にできた隙間から、白銀の光が溢れだしていた。

 「リナ!?」
 すわ緊急事態かと、返事を待たずに部屋に飛び込めば、更に強烈な白光に晒されて、全てのものが一気に掻き消される!
 「なんだなんだ!?」
 目を閉じたまま剣の柄に手をかけ、臨戦態勢を整えたまさに、その時。
 「なーにやってんの」
 光の向こうから、リナの呆れ声が聞こえたのは。

 「……は、へ」
 状況は良くわからんかったが、リナがそういうのならと構えを解いた。
 なるほど、確かに異質な気配もなければリナの気配も変わりない。

 「おいおい、これなんとかならんのか?」
 「わかったから待ちなさいって。すぐに調節するから!」
 短い詠唱呪文が終わると同時に、みるみる辺りが暗くなったのを確認して、うすく目を開けてみた。
 室内を見回してみてもどこにも荒れた様子はまったくないし、散らばっているといえばせいぜい山と積まれた本と、走り書きらしい紙束があるだけ。
 「まったく、あんたらしくもない。血相変えて飛び込んできちゃって。……ま、ここにきてから心配かけっぱなしだし、しょうがないか」
 やや照れ臭そうな声の主は、壁際に立てかけた鏡の前に立っていた。のはいいんだが。
 「おいおい、なんて格好してんだ!」
 慌てて後ろを向いたものの、しっかり見てしまったリナは、なんでか素肌にシーツを巻いただけって格好で、困った事にチラリと見えた白い脚やら丸っこい素肌の肩やらが目に焼きついて離れてくれん。いやいや、こんな時に何考えてるんだオレは。
 それより、こんな無防備な状態をズーマに狙われでもしたら、戦うどころか、ろくに逃げる事も出来ないだろうが!
 「……え?い、いきなり飛び込んでくる方が悪いっ!!」
 パタパタと軽い足音が聞こえて、続いてぎしり、とスプリングの軋む音が続く。
 しばらく待ってからゆっくりと振り返れば、予想通り、リナはベッドの中に潜り込んでいた。



 「……あのなぁ。そりゃあ風呂のあとにのんびりしたくなる気持ちもわからんでもないが、せめてすぐに動けるようにはしとけよ」
 それにしても、リナらしくない。普段だってこんなまね、やらかすような奴じゃないのに。
 「バカ! ノックしない方がわるいんでしょ!」
 恨めしそうにこちらを睨みながら、肩口まで引き上げた毛布の下で、しばらくなにやらやっていたが、終いには頭まですっぽり隠しちまった。
 リナにしてみりゃああんな格好を見られてバツが悪かったんだろうが、バカはねーだろ、バカは。……あんまりいい顔色じゃなかったな。

 そういやさっきまでアメリアさんがここにいたんだから、風呂入ってる暇なんてなかったんじゃないのか? まだ身体が治りきっていないのかもしれんし、かといっていくら無理をするなと言っても素直に聞く奴じゃないのも知っているが、さて。どうやって聞き出したもんか。

 「ガウリイ、これなら文句ないでしょ!」
 いきなり毛布を跳ね上げたリナの格好といったら。

 「……で?」
 「しょーがないじゃない、着替えがこれしかなかったんだから! それに、今日はもう何もないわよ」
 あたしのカンがそう言ってるもの、と、笑って摘まんでみせたのは、膝まである真っ白い貫頭衣。

 「で、どうして護衛の真っ最中のはずのガウリイ君が、ここにいるのかしら?」
 するりとベッドを降りて近寄ってくるが、まだ歩き方がぎこちなくみえて、たしか治療所でも足の感覚がおかしいと言っていたのを思い出す。
 「……まさか、リナ。脚が痛むのか?」
 手を差し伸べるとリナはオレの手に手を重ねて、ぎゅっと眉を顰める。
 「んー、そうね。はっきりした痛さ、ってわけじゃないんだけど、まだだるさが残ってるっていうか、頭と脚とで感覚がずれてるって言ったほうが、ガウリイにでも判りやすいかもね。
 ま、そんなに心配いらないわよ、朝になれば違和感も消えてるだろうって、さっきアメリアさんにお墨付きもらったとこだし。ガウリイにも心配かけちゃったわね」
 軽い調子で言われてしまうとそれ以上は突っ込めずこの件については、「朝になったらもう一度診て貰っとけ」というに止めた。

 「ところで、さっきは何してたんだ?部屋中まっ昼間みたいにしちまって」
 なにげなく、ただ気になったことを口にしたつもりだった。
 しかしあからさまに顔色を変えたリナに、ざわざわと胸の奥が騒ぎ出す。
 「……ん、ちょっと、ね」
 言葉を濁してそっぽを向くリナの様子がどうにも引っかかって、オレはあえてそれ以上突っ込まずに、傍にあった椅子に腰を下ろして、ただ待った。
 リナが、自分から話してくれるのを。

 「言いよどむなんてお前さんらしくないぞ?」
 「ん……と、気になることがあって、さ」
 それ以上突っ込まずに待ち続けると、リナにしては珍しく、口を開くのを躊躇っているようで。もう一押し、お前さんが心配なんだと視線で訴えると、気付いた途端、慌てて俯き、みるみる顔が真っ赤になっていく。
 普段と違うリナの様子にこっちまで落ち着かなくなっちまって、かゆくもないのに頭をガリガリ掻き毟った。
そうすることで去来する正体不明の何かを誤魔化したくて。



 「あの、さ。ガウリイ。あなた、あの後のあたしのこと、ずっと見てたのよね?」
 少しの時間が流れた頃。
 ようやく決心が付いたのか、噛み付く勢いで一気に言うと、またすぐに俯いてしまった。
 「……え、あ、ああ!」
 思わず声が上擦っちまったのを気付かれなかったか。
 「あの、ガウリイ。ちょっとだけ、確かめたいことが、あるの」
 一度口に出したことで腹を括ったのか、今度こそまっすぐオレを見たリナの瞳には、今まで見たことのない不安の色が滲んでいた。



*******



 「もうちょいだけ、明かりを強くするわね」
 再び部屋を魔力光で満たしていく。
 ガウリイにも協力してもらって、ちょうど部屋の中央に立つと影が消えるように位置を調整して。
 正直、抱える不安を彼に話すことに躊躇いを覚えないわけじゃない。けど、これは長引かせていい問題じゃない。たとえ自分のポリシーを揺るがす事態を招こうとも、ここでうやむやにすることはしたくない。
 もっともあたしの事を知っていて、魔法の知識も医学的知識もない、かつ、あの場に居合わせた人間。そんなの、最初からガウリイしかいないじゃない。

 「あの後、ガウリイはあたしが治療を受けてる間、ずっと傍についていてくれたんでしょ?」
 「……ああ」
 努めて冷静な口調を心がけて話を切り出したつもりなのに、なぜかガウリイは溜息を漏らす。ここで退いたが最後、二度と何があったのかを知る機会を失ってしまう、そんな気がした。

「昼間のことなんだけど。あたしがあいつにやられた後、なにがどうなったのか、詳しく覚えてる? 情けないことに電撃を喰らった後位から全っ然、記憶がなくって」
 一度言葉を切って、視線をガウリイのそれと絡め。
 「……そんなもん聞いてどうする?」
 もう全部治ったんだろうと問い返す、ガウリイの声も表情を逐一、観察する。

 一見穏やかそうに見えるがしかし、これはいつものガウリイじゃない。
 普段の彼は、もっとこう、うまく言えないが隣に居るだけで安心できるような雰囲気の持ち主で。どこがどうだとはっきり言えはしないが、あたしの勘は『最も酷い状態を知っている』と告げていた。

 彼の性格上、本当に必要と判ってくれれば総てを答えてくれるはずなのに。
 「どうしても知りたいのよ!」
 噛み付くように叫んでみても、あんまり良い話じゃないと首を振られる始末。

 「それよりもこれ、なんとかならんのか?まるで尋問みたいじゃねーか」
 それどころかこのあたしの話をはぐらかそうだなんて、不審にも程がある。
 ……どうりで、直接治療してくれた筈の魔法医達も詳しく教えてくれなかったわけだ。

 彼らにしてみれば、今後の心理的影響を考慮してあえて伏せたってとこなんだろうけど。
 だけど、あたしは知りたかった。
 あの時、何がどうなったのか。
 そしてこの身に起こった総てのことを。 

 ズーマに襲撃を受けた時には言わなかった『依頼の放棄』を彼が口にするほどの惨状、彼の心が揺らいだ何か。頑なに口を閉ざそうとするその根源はなんなのか。
 アメリアさんにはおおまかに、火傷と両足が取れかけたとだけ聞いてはいるが。……一つ、可能性として考えられるのは、ガウリイは『自称保護者』の肩書き通り、時々かなり過保護ぎみの扱いをしてくることがある。
 『女子供には優しく』が彼の信条であり、こうして口を閉ざす理由がそれを根拠とするものなら。
……あまりにもあたしを舐めすぎだわ、ガウリイ。



 しばらくはお互い譲らなかったものの、どうあってもあたしが折れないと悟ったのか。
 「……言っとくが、オレは専門的なことはわからんぞ」
 そう前置きをして、ようやく重い口を開いた。
 「聞かなきゃ良かったって、後悔しないな?」と。
 めったにお目にかかれない真摯な瞳があたしを捉える。
 コクリと頷けば、「どこから話せば。いや、どこから聞きたい?」
 「ガウリイが覚えている限り、時系列に全部」
 きっぱりと言い渡すと、ガウリイは観念したように両手を組んで、ぽつりぽつりと話し始めた。



*******



 もっと早く光の剣を使っていれば、もっと早く、奴の動きに対応できていれば。
 あの光景を思い出す度去来するのは、苦い後悔ばかりでしかないというのに、あの惨状をつぶさに語れとリナはいう。
 それを知ることで自身に新たな痛みを伴おうとも。

 ……ああ、そうか。
 話せと言われてすぐに答えられなかったのは、オレ自身の不甲斐なさをリナに知られたくなかったからかもしれないな。
 ……ことある事に保護者を名乗っておいて、なんてザマだよな、まったく。

 虫の強襲を受けた時、最終的にはかなりの数の負傷者が出たものの、明確に狙われていたのはリナただ一人。
 フィルさんもオレも、アメリアさんさえも奴の眼中にはまったく入っていなかったはずだ。
 奴は最初から、リナだけを狙って攻撃していた。
 幾度かの攻防の後、奴の足の一本が、間合いの外にいたはずのリナの両脚を捉え、横一文字に切り裂いた。
 今にして思えば、斬られた足を瞬時に再生させる要領で足先を伸ばしたのだろうと判るが、この時点でそんなことがわかるはずもなく。支えを失った身体がグラリと傾ぎ、呆気に取られたまま、受身も取れず、もんどりうって地面に転がる。
 低く呻き声を漏らし、痛苦に歪む顔からみるみる血の気が失せて、負傷の痛みで魔法を使うことも出来ず、脚をやられては満足に逃げることもできないまま。

 「……っ、リナ!」 
 慌てて踵を返して地面を蹴るが、身体が思うように動かない。
 一秒が果てしなく長く感じるほど、一歩が千里に思えるほど、オレはこんなにのろまだったか。
 視界の先で、リナは必死に足掻いて体勢を整えようと身を捩じらせているのが見えて。
 だが、奴の触角に蒼白い雷が生まれ、激しい音とともに膨張する。
 
 だめだ。

 やめろ。

 ヤメロ!!

 「う、わああぁぁぁぁぁ!!」
 放たれた雷撃がリナを直撃した瞬間、永遠に終わらぬ悪夢を見せられているようだった。
 雷撃に打たれたリナは、ビクンと仰け反るように全身を硬直させ、攻撃が止むと同時に力を失った身体が地面に転がる。
 全身からぶすぶすと白煙を燻らせ、力を失った四肢が投げ出される。
 ショックと痛みで意識が飛んだのか、リナはまったく動かない、動けないでいる。
 数瞬後、ようやく意識を取り戻せたのか、うっすら目を開くのが見えたが、もはや逃げるどころか、声をあげることすらできないようだった。
 酷い裂傷を受けた両脚からは、刻一刻とおびただしい量の血液が流れて芝生を赤々と染めて。
 あと、少し。
 すぐに助ける、だから!
 
 意識が朦朧としているのか、かすかに唇が戦慄いて、うつろな視線が虫に向かい。

 奴はもう、リナの目前に。

 無我夢中で駆けながら、柄と刀身を繋ぐ留め金を外し、思い切り振り下ろせば、あっさりすっぽ抜けた刃は宙を切り、虫の身体にぶち当たる!
 刹那、虫の動きが止まった。
 だが再びギシギシと牙を鳴らしながら、ヤツの触覚に再び蒼い雷が生まれ。
 ちくしょう、間に合え!
 「光よぉぉぉ!!」
 荒ぶる刃が唸りを上げ、渾身の一撃はヤツの外殻を貫き奥深くまで食い込んだ。

 ぎしゃあああああ!!
 怒りに狂った咆哮をあげると、奴は一旦リナへの興味を失ったらしい。
 今にも放たれようとしていた雷撃は消え、代わりに黒々と光る複眼がこちらを向く。
 「……そうだ、こっちだ」
 ふぉん。
 手の中で光の剣が啼いた。
 オレの中で膨れ上がる『奴を倒す』という意思を喰らい怒りを喰らって、黄金色に輝く刀身が更に質量を増す。

 ぎちぎちぎちぎちぎち!!
 苛立たしげに鳴き声をあげ、土煙を上げながら向きを変えると突進を仕掛けてきた。
 ちらりと後方に視線を向けると、神官服に身を包んだ奴らが倒れたリナを取り囲んでいた。
 万が一、あの中に刺客が混じっていたら。
 冷たいものが背筋を走り、今すぐにでもリナの元に駆けつけたくなる。
 だが、その中にフィルさんの姿を見つけて、全神経を目の前の敵に向けた。
 今、オレに出来るのは。
 それは、こいつを絶対にリナのところに行かせねぇことだ!



 わざと大振りに斬りかかりながら、奴に気取られないよう徐々に、確実に戦場を移動させる。
 たとえ致命傷には至らなくとも、立て続けに傷つけられるのは虫といえども不快らしい。
 耳障りな音を立てながら伸縮自在の足を縦横に操り繰り出される攻撃を、あえて紙一重の間合いでかわしながら、どこがヤツの急所なのかと考えた。
 このまま闇雲に斬りつけるだけではいつまで経っても奴を倒すことは出来ない。
 だが、がら空きの背中も小山のような胴体も幾重にも重なった厚い装甲に覆われているし、末端部分は斬ったところで即、再生しやがるし。
 なら、これはどうだ。
 虫の横っ腹、装甲の継ぎ目に刃を突きたて割り開いた内側に、光の刃を連続で撃ち放つ。
 ぎしゃあぁぁぁぁ!!!
 流石に効いたのか、滅茶苦茶な動きで後退する黒い巨体を追って地面を蹴りつけ、更なる追撃をかける。
 遅れてやってきた警備兵達も、建物を背に、虫を取り囲む形で展開しつつ必死の抵抗を続けていた。
 確かに通常の剣や槍ではあの硬い装甲に傷一つ負わせることはできない。
 だが、数を力として押し寄せる彼らの攻撃は、奴の動きを止めるまでには至らなくとも、確実にその歩みを鈍らせている。

 ギギギ……ィ!
 何度聞いても耳障りな音だ。
 ぎょろぎょろと煩わしげに頭を振り、足を動かし周囲のものを薙ぎ倒しながら、黒々とした眼は強い光で威嚇してきやがる。
 だがな、腸が煮えくり返ってるのは、こちらも同じでな!
 「はあっ!!」
 オレの一撃が虫の顔面に傷をつけたのと、奴が再度電撃を放ったのは、ほぼ同時。
 手ごたえを感じた瞬間、襲い来る雷光に視界が白く染まる。
 だが、不思議と痛みはなく、身体も動いた。

 「ガウリイさん、追撃を!!」
 その声は、背後から飛んできた。

 「……おう!」
 応えて後退を始めた虫を追う。
 右後方からは黒髪の皇女が駆けてくる!!
 「防御は任せて!」
 先ほど防御結界を張ってくれたのだろう彼女は、この修羅場の中にあっても逃げずに、反撃のチャンスをうかがっていたらしい。
 必殺の電撃が効かないことに苛立ったのか、虫は猪のように頭を下げて突進をぶちかましてきた。
 右と左に飛んでかわして、節くれだった足の関節を足場にヤツの頭上に駆け上り、がら空きの後頭部めがけ、渾身の気迫を込めた光の剣で貫く!!
 ぎしゃぁあああああああ!!
 ガシガシ暴れる巨体の内側から赤黒い繊維状の筋肉が覗く。
 「光よ!! うおおおおおおっ!!」
 更に一太刀切りつけながら、落下する身体の重みを乗せて、でかい横っ面を切り裂いた時。空に、蒼い光柱が生まれるのが見えた。
 ヤツの背面目掛けて飛んだのと、それがきたのは同時だった。
 「ラ=ティルト!!」
 「これで、終わりだ!!」
 虫の頭部を蒼い柱が貫くと同時に、頭の付け根をこじあけ、切り離す!!
 「おお……」
 感嘆の声をあげたのは、誰だったのか。
 吹き始めた風に嬲られ、末端から形を崩し始めた虫は風に乗り、黒い塵となって散っていく。

 リナは、どうなった?
 もうどこかに運ばれたのか、それとも。



 「魔法医を、早く!!」
 「怪我人は即時治療所に搬送、急げ!! いいか、必ず複数で取り掛かれ!!」
 「手が足りん、もっと増援をよこさんか!!」
 幾多の怒声が飛び交う中、フィルさんを中心としてようやく場の収拾が始まる頃、あのクリ…なんとかって奴も酷薄な笑みを浮かべた魔道士も、とっくに姿を消していて。
 「ガウリイさん、こっちへ」
 トン、と背中を叩いたのはアメリアさん。
 彼女のところに案内する、と、腕を引かれた。

 「既に治療に入っているはずですし」
 走りながら労わりの言葉をくれる彼女の声も、オレ達を見つけて駆け寄ってくる神官達の声も、周囲から飛ぶ歓喜の声も。
 何もかもが遠く、ぼやけて聞こえて。
 オレはただ、一刻も早く、リナの無事な姿を見たかったんだ。



 「何があっても取り乱さないでください」
 念を押すように呟くと、アメリアさんの手が分厚い木製の扉を押し開くと、途端にむわっと、強い薬草の匂いと真っ白い煙が流れ出してくる。
 中の空気は垂れ込めるように重く、もうもうと焚かれた煙の向こう側では、床に描いた魔法陣を取り囲むようにして幾人もの術者が呪文を唱えていた。
 彼らの中心、細長い寝台の上に力なく横たわるのは。

 「リナ!」
 呼びかけてもまるで反応はなく、身体の下に敷かれたシーツは傷口から溢れ出た血と体液に斑に染まる。
 おかしな色に変色した肌やあらぬ方向を向く脚を包む、術者達の『復活』光。
 なのにどうしたってんだ、この重苦しい空気は。

 「お、い。 リナ!!」
 声を張り上げてもまるで反応はなく、動くどころか、息すらしていないように見えて。
 「大声出さないで下さい!」
 強い力でオレの腕を捉えたアメリアさんの、有無を言わせぬ迫力に黙って従うしかなく、引き摺られるように部屋の隅に移動するしかなかった。

 椅子を示して座れと命じられ、無言で拒否をすれば「こちらの指示に従えないなら、誰だろうが即刻、ここから退室していただきます!!」と、ビシリと外を指される。
 傍らの籠には見慣れた衣服が切り刻まれ、無造作に突っ込まれているのを見つけて息を飲む。

 「……ガウリイさんの気持ちはお察ししますが、彼女を助けたいのなら、ここで治療の成功を信じて待っていてあげてください。 あなたの存在が彼女の魂を繋ぎ留める鋲となるかもしれないし、万が一、新たな襲撃があっても対応できるでしょう? それにこの『復活』は、施術者の周囲からあらゆる命に少しずつエネルギーを分けてもらい、それを患者に注ぐ事で傷を癒すもの。 だから、ガウリイさんがこの場にいることも彼女の助けになるんです。……大丈夫、うちのスタッフは優秀ですから!」

 慰めの言葉を残して魔法陣の内に加わると、アメリアさんは厳しい顔で、動かぬリナの額に手を置いた。
 「脳と心臓、肺、その他循環器系の治療は終わってるのね? ではこれより両脚の再建と、止血の終わっている臓器の復旧、同時施術に切り替えます。 グレイ、施術人員の入れ替えスケジュールを。 皆疲れているだろうけど、お願い。この人はここで死ぬ人じゃない、だから!」
 アメリアさんが加わり、漣のように流れる詠唱の声を聞きながら、オレは目を閉じ、ただ、ひたすらにリナの目覚めを待った。
 リナの傍にいながら何も出来ず、慰めの言葉に縋りついて待つことしか、できなかったんだ。



***



 「……そう、だったんだ」
 話を全部終えるまで、リナはただの一言も口を挟まなかった。が、聞き終えた後は妙にさっぱりした顔で腕を組み、ゆっくりと話し始めた。

 「さすがはセイルーン、白魔術都市の看板は伊達じゃないってね。明日、もう一度お礼を言いに行かなきゃ。……その前に」
 ふいに、一旦言葉を切った。
 いよいよ核心に触れるつもりなのか。
 「ね、ガウリイ。あたし、どっか変じゃない?」
 まるでさらりとした口調なのに、その目は真剣そのもの。
 「へん、っ……って」
 そんなこと、まるで考えたこともなかった。
 了承を得て、頭の先から手足の先まで満遍なく、不躾な位まじまじと眺めてみたが、さっき気付いた以上のことは何一つ見つけ出せなかった。
 顔色だってまだ幾分悪いが、それももう少し休めば元通りになるはずだ。
 『何も変わってない』
 そう、言おうとした瞬間、目の前のリナに昼に見た光景が重なった。
 芝生の上に倒れて、動けなかったリナ。
 傷だらけの、壊れた人形のような姿を思い出すだけで、胸が詰まって息が止まる。
 ばかな、もうリナは治ったってのに。
 もう一度、今度はゆっくりと細心の注意をはらって視線を向ける。
 手で触れるように、細部まで無事だと確かめるように。
 何もかも全然何も変わりなんか、あるわけがない。
 ちゃんと、リナはこうして生きてるじゃないか。
 


 だが、あくまでそれは見える部分のことだけで。
 一番気がかりなのは服の下に隠れている、リナも気にしているだろう両脚の傷。そして、身体の傷以上に気がかりなのが、リナの気持ちのありようで。

 どれほど戦闘経験を重ねようが痛みを背負う覚悟があろうが、傷が治ればそれでお終い、そんな風に平然としていられるわけもなく。
 元々痛みに弱い性質というのを差し引いても、どんなに場数を踏んでいようと傷を負う事に慣れるわけはなく、かといってリナの性格上、絶対に弱音など吐かないに決まってる。

 オレは医者でもなければ、その手の知識があるわけでもない。
 それでも、オレの言葉で安心できるのなら、何度だってお前さんの背中を押すさ。

 「……そう」
 大丈夫だと繰り返すオレに、リナは文机から一冊の本を広げ、折り目のついたページで手を止めた。
 「これは負傷から復活を施すまでの経過時間と完全治癒率の関係を示しているんだけど」ここだと示されたところには、よくわからない文字と数字が並んでいて。
 食い入るように文字を追いだしたリナは、オレのことなど忘れたように話を始めてしまう。

 「傷が軽症の場合、一日以内に『復活』による治療を受けられれば、ほぼ完全に元通りになる。だけど、全身に渡る大怪我を負った場合、今回の場合、外も内も同時なんだけど。一般的には瀕死の重傷と呼ばれる状態の患者に少々の『復活』をかけても、必ずしも助けられるわけではない、それはなぜか。
 全身の傷ついた細胞が治療を要求する、つまり、『復活』の効力の奪い合いになる。
 『復活』は『治癒』のように、患者本人の体力を削るものではないんだけど、白魔術の最高峰と呼ばれるだけあって使える人間は少ないし技量の差も大きいの。
 これらを鑑みれば『復活』とて万能ではないし、場合によっては消え行く命を繋ぎ留められずに患者の命が尽きる事もある。
 そして重篤な傷を負った患者がほぼ即時、しかも複数の術者の手によって『復活』を受けた事例ってのはかなり珍しくてこの本にも載ってないの。
 そりゃあ王侯貴族でもない限りこんなに手厚い治療なんて受けられるものじゃないわ」

 一旦話し始めると止まらないのはいつものことだが、今回だけはどこか違和感を感じた。
 「それを二度も、タダで治してもらったなんて、かなりラッキーなんじゃない?」
 「……おい。リナ」
 さりげない風を装ってまで喋り続け、時折唇を歪めるような、あまりにもリナらしくない振る舞いを見ているうちに、違和感は強く強く膨らんでいく。
 「そうだ! あとでこれ、詳細なレポート作成して魔道士協会に売りつけたら、きっと高く買ってくれるわよ!」
 「馬鹿な事言うよ! あの時お前さんがやられて、どんだけオレの寿命が縮まったと思ってるんだ!!」
 「本当は自力で『復活』を使えれば一番いいんだろうけど!」
 あまりの言い草に堪えきれず、声を荒げたオレに目もくれずに、顔を真っ赤に染めながら、被せるように大声で叫ぶと、急に黙って握った拳を睨みつけた。
 悔しそうに噛み締めた唇は白く歪み、心なしか肩も震えていて。
 「……どうしたんだよ、お前さんらしくない」
 いきなりのことに途惑いながらも、少しでも気持ちを落ち着かせてやりたくて。気づいた時には、オレはリナの頭に手をやっていた。

 怒られると思ったのか、リナはビクッと肩を竦めてしまったが、オレは何も言わずいつもみたいに。いや、もっと丁寧に、ゆっくりと何度も時間をかけて髪を撫で続けた。
 リナが落ち着くまで、ずっと。



 「……ん、ごめん」
 そうして、どの位経っただろうか。
 そろりと、リナの手がオレの手に重なった。

 「ちょっとだけ、弱音吐いても……いい?」
 「ああ」
「あのさ、さっきも言ったけど。あたしの脚、まだぎこちなくって。いつもみたいに動こうとしても思い通りにならないし、それに……深く裂かれたところの肌の色が戻ってなくて」
 ちょうど傷があった部分に手を添え、スウッと息を吸い込むと、強い光を放つ紅色の瞳がひたりと、オレを見た。

 「それと、治療の後にも話したけど。今、この依頼を降りたとしても襲撃が止む確率は極めて低いし、どうしてあたしが狙われているのか未だに理由すらわからない。
 相手は魔獣を召喚できる腕の術者とトップクラスの実力で知られる暗殺者。
 こいつらを同時に相手取って、できれば無傷でいたいだなんて、そんなの幾らなんでも虫が良すぎるって、自分でも思う。もちろん、好んで痛い目になんて遭いたくないけど……それでも、あたしは。この勝負から一歩も引く気は、ない」
 スッと顔を上げ、言い切る姿は凛々しくて。
 とてもリナらしい、すっげぇいい顔をしていた。



 「……ああ、まかせとけよ」
 トン、と、拳を固めて胸を叩いた。
 「ま、安心しろって。オレは、お前さんの保護者、だからな。
 お前さんはいつもどおり、思ったとおりにやればいい」
 ニッと笑ってみせると、リナも安心したようにはにかんで、それから急におかしくなった。
 頬を真っ赤に染めたまま、何のつもりか手近な紙を弄んでぐしゃぐしゃにしちまってる。
 こんなとことか、なんかすっげー可愛いんだよな、リナは。

 「じゃあ話は決まったんだろ?だったらもうちょい横になって休んでろって。
 なんなら、朝までここにいてやるから」
 散らばった紙をかき集めて、もう一方の手をリナの背中に添えた。
 「……いてやるって、ちょっと待って。フィルさんの護衛はどうなってるのよ!」
 そういやそれ、言わなかったっけか。
 「えーと、それは問題ない、大丈夫だ。フィルさんに『とっとと戻ってやれ』って尻叩かれて、アメリアさんには『正義はそう簡単には滅びませんっ!』って握り拳で力説されてなぁ。んで、結局四の五の言う前に戻されちまったってわけだ」
 あれこれ説明しながら、ぜってー『職務放棄すんな!』って怒られるんだろうなーと、こっそり来るべき衝撃に備えていたが、結局その心配は無用だった。
 リナの奴、いきなり腹を抱えて笑いだしたんだ。
 「ま、ま、フィルさんらしいっちゃらしいわね。それにアメリアさんも。
 や、顔だけ見てると似てないって思っちゃうけど、そういうとことか、やっぱり血は争えないんだって実感しちゃうわ。 二人とも正義を愛する自称平和主義者だし? 
 伝統あるセイルーン王家を継ぐ者としての自覚もあって、喜ばしい限りだと思うわよ」



 あーだこーだと盛り上がるうち、いつしか互いに寄りかかって、たわいもない話に興じていた。朝食メニューのどれがうまいとか、赤竜王の祭壇の片隅に手作りらしいぬいぐるみが置いているとか。
 別に、今すぐ話さなきゃならんことでもなかったが、どうにもこのまま眠っちまうのがもったいなくてもう少しだけだと自分に言い訳しながら、次の話に耳を傾けてはクスクス笑って。

 「……まぁ、とかく権力って奴は人の心を惑わせるって話だよなぁ」
 「あんたにしちゃあまともなこと言ったわね。 もしかしてあたしが大怪我したショックで脳細胞が復活したとか!」
 今度こそ破顔一笑、床まで叩いてリナが笑い。 
 「そっかぁ?」
 オレも腹の底から笑って頭を掻いた。

 ほら、もうさっきみたいなのはナシだ。
 オレもリナも何も変わらない。
 変わる必要なんてないんだ、ずっと。



 「……なぁ、もういいかげん寝なくていいのか? 明日から仕事に戻るんだろ」
 ようやくうとうとしだしたリナをベッドに運んで横にさせ、肩まで毛布を引き上げてやると。
 きゅっと。
 リナの手がオレの手をに重なり、引き止めた。

 「……ねえ、どうして一緒にいてくれるの?」
 不意打ちのように質問にとっさに。
 「そりゃあ……なんでだろうなぁ」
 何とか喉から搾り出したのは、当たり障りのない答え。

 「もしかしてガウリイ、そういう趣味でもある?」
 こらこら、よりにもよってなんつーことをいいだすのややら。
 「んなわけねーだろーが。ただ……そうだな。 一言で言えば『目が離せない』ってとこか。大体、散々好きな事して事ある毎に騒動に首突っ込んどいて、今更大人しく普通の生活に戻ります。だなんて、今更お前さんはやりたいのか?」
 まぁ、オレとしちゃあそっちの方が安心っちゃ安心だが、そんなのはおまえさんらしくない、だろ?
 「まぁ、そうだけど。ね、そういやさっき、ガウリイったら穴が開く勢いであたしの脚を見てたじゃない? もしかしてそっちの趣味持ちなの?」
 毛布の上から脚を撫でてみせながら、悪戯顔のリナが笑う。
 「な、なにを、お前さん」
 う、あ。思春期のガキみたいなマネしちまった。
 せっかくいい雰囲気だったってのに、リナのヤツ、いきなり何を言い出すんだか。
 「そうね、一応そこまで目立つような傷は残ってないつもりなんだけど。あたしはガウリイほど目が良いわけじゃないし。……ね、いっぺん見とく?」

 オレをからかうのが面白いのか、リナはそろりそろりと毛布の裾をたくし上げてみせる。
 「こらこら、人をからかって遊ぶんじゃない」
 用もないのに椅子を動かし明後日の方を向いてみたが、内心穏やかでいられるわけがない。
 傷があろうがなかろうがそんなもんどうでもいい。お前さんの値打ちはもっと別の。
 いや、まぁ、もちろんオレだって男だし、興味がないって言ったら嘘になるが。
 お前さん、正直に見たいと言ったら見せてくれるのか?

 「……あ、あの、な」
 口をなんとか動かせた時には リナは既に小さな寝息を立てていた。
 『まったく、お前さんは』
 健やかな寝顔を眺めているだけで、ほっこりと心が温かくなる。
 本当に、生きていてくれて良かった。

 体を冷やさないよう、ずれた毛布を直して、くすぐったそうな前髪を払いのける。
 ついでに乱しちまった髪を手櫛で梳いていると、途中にざらっとした手触りを見つけた。
 昼に焦げた髪が残っていたのか、ポロポロと灰が零れ落ちた。
 そっか、いくら復活の呪文でも焦げた髪は戻らないのか。
 散った灰を、気付かれないようこっそりシーツの上から払い落としてもう一度、今度はじっくりと、感触を確かめるように梳いていく。
 耳の横をかすめる度に、くすぐったそうに笑うリナが可愛くて、可愛くて。
 最初に出会ったあの日、強引に保護者を買って出てよかったと、心から思った。



 仮眠を取るために剣を抱えて、ベッドに凭れて考える。
 今のところ奴らの連携が取れていないのは不幸中の幸いだが、目的を遂げるためなら、いつ共闘関係を結んでもおかしくはない。
 あの手の輩にとって過程は二の次、どんな手段を使おうが最終的に目的が達成されればそれでいい。
 まったく、せめて別々に来てくれりゃあやりようがあるものを。

 それでも。
 お前さんの行く道を見届けるためなら、オレも一緒に前を向こう。
 どんな時でも、たとえ勝ち目のない相手だとしても、こうと決めたら絶対に諦めない。

 そんなリナが、好きだから。