「 」
両膝を揃えて手は軽くその上に置き、視線はまっすぐに向かい側の彼へ。 「本気でやるつもりか?」 「ええ」 言外に『考え直せ』と匂わせる彼と、それを一言で切って捨てたあたし。 彼だって選択肢がこれしかない事を知っている筈なのに。 「あいつが。・・・旦那がこの事を知ったら血相を変えて怒るだろうよ」 室内だというのにコートのフードを目深に被ったままの『彼』。 良き協力者にして腐れ縁の仲でもあるゼルガディス=グレイワーズは、深い溜息を一つ落とすと、嫌そうに肩を竦めてみせた。 後始末を頼む以上、あいつの宥め役もあんたになるんだものね。 「最後まで迷惑かけちゃうけど、後の事は頼んだわよ。・・・あいつは何も知らなくていいし、この件に関わる必要もない。ただの一般人なんだから。それにあいつ、本物の脳みそくらげだからすぐにあたしの事なんて忘れちゃうわよ!」 努めて明るく言ったつもりが、自分で放ったはずの言葉に胸がチクリと痛んだ。 「・・・本気で、そう思っているのか?」 真正面からの痛々しいと言いたげな視線が突き刺さり、あたしは前言を撤回する。 「・・・ううん。 でも、いつか必ず。あいつは、あたしを忘れるわ」 「後始末はやってやるさ。だが・・・」 更に言い募ろうと口を開きかけた彼の目の前で、テーブルに転がしておいた携帯のアラームが鳴った。 「残念、時間だわ」 会話を断ち切り、立ち上がって右手を差し出したら。 「・・・すまん」 握手の代わりは、彼らしい詫びの言葉と共に乗せられた薄いプラスティックカード。 「これ、手に入れるために色々と骨を折ってくれんでしょ?」 ありがとうと微笑して、あたしはその場を後にした。 歩く速度は速過ぎず遅すぎず。 今更焦ったってしょうがないんだし。 カツカツと低いヒールの踵を鳴らして歩く。 人気のない街路を進み角を左に曲がると、真新しい更地が広がっていた。 この一帯は地域再開発計画のあおりをまともに受けて、立ち退きを迫られた住民達は、櫛の歯を欠くようにこの地を去り。 住民同様、肩を寄せ合うように林立していた建物達もまた、破砕され瓦礫と化してどこか遠くに運び去られていた。 あたしは延々と続く埃っぽい地面を両脇に従えて、目的地へと伸びる一本道を辿り歩く。 目指すは、この先に唯一残っているビル。 更地の海にポツンと浮かぶ、浮島のような小さな建物。 ふと目をやった足下のタイルには、小さな花々のイラストが埃に塗れて咲いていた。 久し振りに見るオレンジ色の花は、ここがかつて商店街の通路だった事を思い出させる。懐かしさに足を止め、重く錆びつく記憶の蓋を少しずらして、かつての街の様子を引っ張り出してみた。 道の両側には細々とした商店が立ち並び、頭上にはアコーディオンみたいな大きて長いアーケードが掛けられていて。 あたしの右手側にはお豆腐屋さん、左にはお菓子屋さん。 少し先が魚屋さんで、毎日決まって嗄れ声の親父さんが白いビニールエプロンと長靴姿で待ち構えてるんだ。 『ちびっこいお嬢ちゃん、今日は鯵が美味いぜ!』口の悪かった親父さん。店先でよくケンカしたよね。風の噂で、今は遠い街の療養施設で暮らしていると聞いた。 『おかえり! 今日も勉強頑張ってきたのかい?』 惣菜屋のおばちゃんに「ただいま」と応えて。その日のお勧めを計ってもらうと「育ち盛りなんだからしっかり食べな」って、おまけしてくれて。お礼を言ったら決まって『毎度あり!』って、笑顔であたしを見送ってくれたおばちゃん。 もしあたしにお母さんがいたら。きっと、あんな風なんだろうなって思ってた。 ・・・彼女は今、どうしているんだろう。 立ち退きの期限が来て、いよいよ商店街のシンボルだったアーケードを取り壊す日の朝。思い出が消えてしまうと、寂しそうに、無念そうに顔を歪めて立ち尽くしていたよね。 でも、彼らもあたしを忘れていく。 街の風景が移りゆく様に、総ては時間の彼方に埋もれて消える定め。 ゆっくりと目蓋を押し上げて、現実を見る。 視界に入るものはやっぱり、埃に埋もれたタイルの道と、荒涼とした更地しかなかった。 幸いビルの入口は施錠されておらず、簡単に中に入る事ができた。人の気配はまったくなし。 ここもじきに取り壊されると聞くし、無人なのも当たり前か。 奥手の薄暗い急勾配の階段を3階まで上がり、左右に伸びた通路のうちの右側、手前から二つ目の扉の前に立った。 ドアノブも取っ手も何もない、一見不透明なガラス製扉はどこにも施錠をしている様子など見られないのに、手を掛け力を込めてもびくともしない。自動ドアだって緊急時には手動で開くってのに、まったく。何て融通が利かないんだろう。 ま、ここはおいそれと開いちゃいけない場所なんだけど。 あたしは扉の中央に両手を押し当て、予め頭に叩き込んでおいた手順通りに、開錠の言葉を一言一句間違えぬよう唱えていった。 ただキーワードを間違えずに唱えれば良いってものではなく、流行の声紋認証式などでももちろんない。 ここは、常ならざる能力を持った者にしか開けない扉。 『・・・アンロック』 かちん。 最後の一言と同時に硬質な音が、静寂の中に驚くほど大きく響いた。 僅かにできた隙間に両手を差し込み力を込めると、扉は重たげな外見を裏切りスルスルとレールの上を滑って、脇の壁へと吸い込まれていく。 ポカリと口を開けた部屋の中は、光源がない為真っ暗闇。 『・・・ライティング』 この国の言葉ではない、俗に言う『呪文』を唱えて掌の上に光珠を生み出して。 あたしは、宙に浮かせた明りを頼りに室内に踏み込んだ。 一見、何の変哲もない部屋だった。 シャッターで厳重に閉じられた窓。 窓際に置かれた事務机の上には枯れ果てた観葉植物の鉢が一つ。机の脇には小さなアルミ製の戸棚があるだけで、当然中は空っぽだ。 部屋の中央には・・・何も、なかった。いや。一見何も無いように細工されているだけ。 あたしの目は、リノリウムの床の上にぼんやと浮かび上がる複雑な文様で構成された魔法陣を捉えていた。 『力』の無い者には視認できない染料で描かれ、幾重にも結界で封じられているこの場こそが、あたし達の存在する世界の核であり中心なのだ。 最初に聞いた時にはそんなものがまさか、こんな地方都市の雑居ビルの中にあるだなんて信じられなかった。 実際にここの事を教えてくれた本人の前で、思いっ切り腹抱えて『悪い冗談はよせ』と笑い転げちゃったし。 「・・・てめえ。人がせっかく探ってきてやったってのに、礼言うどころか死ぬほど馬鹿にしやがって!!」 凄い剣幕で怒り狂ってたあいつも、こっちにはもういないんだった。 今頃はあっち側で彼女を追っかけ回しているんだろうか。・・・今から始める試みに、成功しても失敗しても。 たぶんあたしは、どこにも行けない。 失敗するつもりはサラサラ無いし、自己犠牲が美しいとか欠片も思っちゃいないけど。 目下の最優先事項は、世界におけるあたし個人の存続ではなく、この『世界』の存続なのだから。 本来、世界中を気ままに漂いながら存在していた『要』を、類稀なる力と秘術を用いてこの場に固着させたのは、ゼルの祖父か曾祖父にあたる人物によるものだと聞く。 残念な事に当時の記録は失われているが、幸いにも『要』に関する書物や『魔法』『魔術』等の資料は多く残されていた。それらを元に、魔力を持つものを中心として、長い時を費やし研究を続けてきたグループがある。 『破壊の魔女』の二つ名を与えられて裏の世界に生きるあたしや、トレジャーハントを生業としていた二人。前述の人物に身体をキメラに改造されたそうなゼルガディスも同じ。 世界を知り、魔の法を知り、理を知る事。それが、あたし達の目的であり、長年の願いでもあった。 魔力を保持し超常の力を有する者達は、力と引き換えに他人との縁を結べぬ定めを背負っている。はっきり言えば、あたし達能力者は同類以外との間に培った思い出を長期間維持する事ができないのだ。 書物などの記憶媒体に頼れば、過去の出来事を保存する事は可能。しかし、もっとも身近である筈の脳内記憶を保ち続ける事ができない。故に、どんなに大切な思い出であっても、時が経れば他人事のように空虚な、ただの記録に成り下がる。 あたしの中の最古の記憶は、紫闇色の炎が小さな手の中で千切れて朽ちゆく様。 幼さの残るその手が自分のものだという事だけはわかっているが、同時代の古い記憶は殆どは白む彼方に溶け消えていて。誰かが傍にいたような、力を制御できるよう厳しく躾けられたような・・・。おぼろげに、そんな気がするだけ。 ここ数年の、他者に関する記憶で鮮明なものも、殆どない。 壊れかけの断片をかき集めてみても、その殆どがこの街に移って以降のものばかり。 そして最新の記憶は・・・あいつとの、昨夜の食事風景。 「さて、と」 わざと声を出して感傷を振り切り、複雑な文様を描く魔法陣の中央に移動したあたしは、冷たい床に膝をつき。中心地点を見極め、ひたりと右手を押し当てた。 あたしの干渉を受けて、うゎんうゎんと解放を求めて暴れる『要』から、空間を飛び越え届く衝撃波に弾かれそうになるけれど、こんなことで怯んでなんていられない。 もっと深く内部の状態を探る為に、あたしは更に身体を傾けて『要』の底を覗き込む。 何も映さぬはずの、閉じた目蓋の裏側に映し出されたものは。 傷口から紅蓮の炎を撒き散らし、暴れ狂う赤眼の邪神。 幾千幾万の欠片に分かたれ砕け散る白霧。 堕ちた蒼穹は分厚い氷壁の奥に封じられ身じろぎすらできず。 ただ一体、哄笑する黒。 靄のように増幅する黒い憎悪の塊だけが、膨張し増殖し続け『世界の外側』を貪り喰らっていく。 4つの異なる力の均衡が崩れ、歪んだ力が世界の崩壊を誘発しようとしている、今。これ以上、僅かでもバランスが崩れれば。 その瞬間にあたしの『世界』はいとも簡単に瓦解するだろう。 ゆっくりと身を起こして、深呼吸を数回。 チャンスは一度きり。残り時間もあとわずか。 やはり、やるしかない。 一旦魔法陣から離れ、一切の不純物を取り除く為に服を全部脱ぎ捨ててから、上着のポケットから手鏡を取り出した。 映った自分の顔に『我ながら険しい顔をしているな』と苦笑いしてから、人差し指の先を強く噛み切って、傷口から盛り上がる新鮮な血で、両手両足の甲と臍下にある丹田。それから、額と心臓の真上にも呪印を描いた。 もう一度、鏡を覗き込んで手抜かりが無いかの最終チェック。 これで、総ての準備は終わり。 まったく、あっけないったらありゃしないんだから。 傷口を吸い舐め止血して、中空に浮かせておいた魔力の明かりを消すと、室内は再び闇に包まれた。 ヴヴヴヴヴ・・・。 気がつけば、重ねた服の下から携帯の着信音が鳴っていた。 うっかり電源を切り忘れていたようだが、出る気はない。 あたしに連絡を取れるのは、ゼルかアメリアくらいなもの。 それとも・・・まさか。 万が一そうなら、最後に声だけでも!! 咄嗟に携帯に手を伸ばしそうになって、慌てて手を引っこめた。 この土壇場であいつの声を聞いてしまったら、絶対に冷静でいられるわけがない。 ・・・いや、だからこそ。 あたしの中にある、あいつとの思い出を確かめよう。 何もかも忘れて逃げ出したくなる、あたしの弱さを封じる為に。 穏やかな色合いの、印象的な青い瞳が好きだった。 日の光に透けるとキラキラ輝く、明るく長い金色の髪も。 背が高くて顔も良い、そのくせ、そんなの全然鼻に掛けたりしない、掛け値なしのいい人で。 身体を動かすのが好きで、特に剣術が得意でさ。 荒事を好むあたしとも、不思議と気が合ったよね。 それにあたしの食べっぷりを見ても驚かなかった。 それどころか、もっと食べろって。そんな事言う奴、たぶん生まれて初めて遭遇したわよ!・・・一緒にいるだけですごく楽しくてたまらなかった。 あんたとの思い出だけは、どうしてだか色褪せたりしてないんだよ? さて、こうしていても始まらない。 素っ裸でいるのもいい加減寒いし、そろそろ始めなきゃ。 第一、うだうだと女々しいあたしはあたしらしくないもの。 ゼルから貰ったカードを二つにへし折ると、中から薄い紙片が現れる。 破らないよう細心の注意を払ってそれを取り出し、4つに畳んで口中に放り込むと、紙は舌の上であっけなく溶けて全身に染み渡り、完全にあたしのものとなる。 後は魔法陣に両手を押し当てて、呪文を唱えて力の行使を。 増幅効果を持つ呪札の力を借りて限界点まで高めた魔力と、あたしの持つ生体エネルギーの総てを代価にアレを召喚する。ここまでは、何とか成功させる自信はある。 そしてアレと契約を交わす事さえできれば。 増長する黒の陣地を奪い取り、弱体化している3色に割譲する事も可能なはず。 どんなに低い確率でも、やらずにいるより100万倍マシだ。 ・・・未来永劫なんて、贅沢は言わない。 あいつが生きている間だけでいい、だから!! 詠唱を進めるにつれ湧き上がる、禁忌を侵す事への恐怖。 そして、魂を容赦なく削られていく感覚に、歯を食い縛り必死で耐え抜く。 そもそもアレの存在を知り、利用しようとする事自体が、生きとし生けるもの総てに共通する、最大の禁忌である事も識っている。 ・・・それでも。 それでもあたしは、請い願おう。 この世界を壊さぬ為に力を貸して欲しいと。 望みは唯一つ。 あたしは、この『世界』を。・・・違う、世界なんてどうでもいいんだ。 あたしは、あいつを。ガウリイを、失いたくない!! 最後の一音を唱え終えた瞬間。 歪んだ空間の底に突き落とされて、あたしは見た。 嫣然と微笑みながら、輝く大鎌を振り上げ『黒』を蹂躙する金色の王を。 『このあたしに人間風情が願い事だなんて、百万年早いんだけど? ま、いつまでもこんなとこで燻ってたくもないし、何となく生意気な黒如きに一人勝ちさせるのも気に食わないから、ちょっぴりだけ手ぇ貸してあげる』 凄絶なまでに美しい笑みを魅せて、少女の姿で顕現した金色は、黒を駆逐する対価にあたしの魂を喰い進めだした。 黒の独壇場は、突如出現した最高位の存在に蹴散らされ、蹂躙され尽くし。 力を殺がれた黒が元いた棲みかに逃げ込んだ頃には、ちっぽけな『あたし』という存在は、闇の中で僅かな残骸を残すのみ。 こうしてかろうじて思考できている事すらも、奇跡のような、夢の残り香のようなもの。 あーあ。 消える前にもう一度だけ、会いたかったな。 身寄りもない、過去の思い出も縁も持たないあたしの事を、親身になって心配してくれてさ。 『君には友達が必要』だの、『保護者になってやる』だの、えらっそうに。 勝手に人の仕事にまで首突っこんできちゃってさ・・・。 なんかい、きずついたら、きがすむの、よ。 だか、ら。・・・こん・・・は。 あた、しが。まも・・・て、や、る・・・だ・・・か・・・。 遊び疲れた王は、虚空に浮かんだ最後のあたしの欠片を見つけると、ぽいと口の中に放り込むと。 「うん、なかなか面白い魂持ってるじゃない♪」 ごくんと飲み込み、すっかり綺麗に平らげてしまった。 「・・・ぃ。・・・・・・ろ」 彼方から、響くもの。 遠く遠く、水底から湧き上がるように不明瞭な、それは。 ・・・なんだ、ろう。 『ごぽり』 濁った音だ。 まるで、ガスが泥沼の底から湧き上がったような。 ・・・ぽっかり、蓋が開いたのはどこ? 緩んだそこから次々と、重く凝ったものが押し出されては逃げていく。 『がぽんっ!』 後から後から湧き上がる、粘ついた気泡のようなものたちが。狭い道を押し広げ、出口を見つけて飛び出していく。 「・・・から。・・・んぶ・・・し・・・まえ」 あやふやな何かが、誰かが、あたしに触れている? そんな馬鹿な。 あたしは、とっくの昔に、綺麗さっぱり消滅した筈なのに。 なのに、自分以外の誰かに触れられているような。 そんな心地がしてならない。 ・・・うっ!! 「げっほげほげほっ!!」 聞き苦しい、耳障りな音。 何よこれ、本気で、すっごく苦しいんだけど!? 「・・・から。 がまんしなくていい」 声と同時に、いきなり天地がひっくり返った。 同じ場所を何度も何度も、大きな何かが触れて、あたしを。あたしの背中を、ゆっくりと、さすってる。 「・・・っ、がはっ!」 そうしてあたしは、促されるままに湧き上がるもの全部を吐き出していた。 「・・・まったく、無茶しやがって」 苦しいだけの痙攣も治まり、ようやく落ち着きを取り戻した頃に掛けられた声を。 その声の持ち主を。あたしは、知っている。 ずっと聴きたくてしょうがなかった、いつもよりちょっとだけ低く抑えた、優しい声。 「・・・ずいぶん気の利いた幻聴よね」 ここは俗にいう、天国ってやつだろうか。 じゃあ、やっぱりあたしは死んだのか。 どうせご褒美をもらえるのなら、ガウリイの幻影と一緒にお宝とか魔道書なんかもつけてくんないかな。 「・・・な〜に考えてんだ。この、大馬鹿!」 ぼけ〜っとしてると、ごつっと一発、旋毛の辺りにでっかい塊が落ちてきて。 あまりの痛さに睨んだ先には。 「・・・何で、ここにいるのよ」 記憶そのままの姿であたしを抱えている、一人の男。 「何でもヘチマもあるかよ!」 怒鳴る声すら懐かしい。 この拳骨はやっぱり、ガウリイだったのか。 今の今まで強張っていた表情が、あたしが話しかけた途端みるみる緩んで脱力して。 「・・・とにかく無事で、本当によかった」 あたしを抱えたまま、べったり床にへたり込んでしまった。 ・・・これは現実? それともリアルなだけの夢? もしもこれが現実だとしたら、ガウリイはどうやってここに来たんだろう。 あたしの携帯にGPS機能はついてないし、ここの存在を知っている奴なんて数えるほどしかいないのに。 「急に嫌な胸騒ぎがしてな。顔を見に行くつもりでリナの家に向かっていたら、道端で偶然ゼルにぶつかったんだ。んで、なんか様子が変だと思ったから、とりあえずとっ捕まえて締めあげて、あとはまぁ・・・色々と」 あたしの表情を読んだのか、あっさり疑問に答えてくれたのはいいんだけど。・・・って、ちょっと待て。 『とっ捕まえて』って、さらっと言ってくれちゃってるけど、通称『狂戦士』で通るゼルをあんたが!? 「・・・ガウリイ、あんた本当に一般人?」 「・・・リナ。お前なぁ」 はぐらかすのもいい加減にしろと、眉間にガウリイのデコピンが炸裂。過去に何度か叱られる度にかまされた衝撃が脳を揺らして、後からジワジワ痺れるような痛みがやってくる。声にならない悲鳴を殺し、痛む患部を押さえてようやく。あたしは、ここがれっきとした現実であり、自分が一応生きているらしいと納得した。 「・・・それで、あたしは成功・・・したの?」 あたしのやった事がどんな結果を齎したのか。結果をちゃんと確かめておきたかった。 「まだ外の様子は見ちゃいないんだが。うん・・・たぶん、大丈夫だ」 なんとものんびりとした返答だけど。 ガウリイの勘の良さは、無条件に信じられる。 それにあんたがこうして生きている、それが何よりの証拠だものね。 そして、もう一つ。 あたしは、ガウリイに確かめたい事があった。 「・・・あたしは」人のままなのか、それとも異形となったのか。 恐々確認しようとしたあたしの、開きかけた唇の上に指を置いて制止すると。 ガウリイはもう一度「リナは馬鹿だ」とだけ唸って、力いっぱいあたしを抱きしめてくれたんだ。 触れている箇所から強い震えが伝わってくる。言葉よりも雄弁な、彼の心の表れ。 あたしは彼に、一体どれほどの心配を掛けてしまったんだろう。 「・・・ガウリイ」 「・・・ん?」 あたしは、ね。 アレにがりぼり喰われながら、戻ってこれなくても仕方がないって諦めてた。 ・・・独りきりで消えてしまうのが怖くて怖くてたまらなかった。 あんたに忘れられてしまうのが、辛くて悲しくてしょうがなかった!! 「ガウリイ、ガウリイ、ガウリイっ・・・!!」 馬鹿みたいに両腕を伸ばして彼に縋って、壊れたレコードみたいに何度も何度も名前を呼んだ。もう消えたくない、忘れられたくないって、必死に、真剣に。 「リナ」 静かな声であたしを呼んだガウリイの、痛々しいものを見るような顔が、そのままゆっくりと降りてきて。近すぎる距離に耐え切れずに目を閉じたあたしの唇に、温かくて柔らかな感触が触れる。 「・・・オレはここにいる。大丈夫だ」 そう何度も何度も囁いては髪を撫で、キスをくれるガウリイ。 あたしを丸ごと包み込むような抱擁と、途切れなく続けられる口付けに、硬く閉ざしていたつもりの心が溶けていった。 『いつかいなくなる』人なんだから、深入りしちゃいけない。そう、ずっと自分に言い聞かせてた。けど本心は、もっとガウリイと一緒にいたいって叫んでた。 笑って、泣いて、時々呆れたり怒ったりして、また笑って。 巡る季節も流れる時間も他愛もない瞬間さえも、全部全部失いたくない、ガウリイと過ごした時間を忘れたくないって。 甘く優しい触れ合いに身を委ねて、何度も何度も唇を重ねるうちに身体の中心に小さな火が灯った。 みるみる勢いを増して身体中を巡り始めた炎に燃やし尽くされても構わなかった。 いつか、あたしという存在が消えてしまうなら。 今、この瞬間に燃え尽きたい。 願いを込めて、唇を重ね続けているうちに何がどう作用したのか。二人分の零れた汗が混じり合うと、闇の中で淡い光を放ち始めた。 光る雫が床の上に転がり落ちると、その部分だけ魔法陣を構成する線が火花のように弾けて消える。 「やっ!? ちょ、ちょっと待って!?」 綻び始めた魔法陣がチラリと見えて慌てるあたしを押し止め、ガウリイは「待たない。今しかできない事なんだ」と、更に熱っぽく唇を重ね舌を絡めて続きを促してきた。 「大丈夫だ。このまま全部消してしまってくれって」 キスの合間にあたしの肌から発光する汗を手で掬い上げると、魔法陣に擦りつけ消してみせて「それがあの人との約束だからな」って笑ったんだけど。 「・・・あの人ってまさか。 ちょっと、ガウリイ!?」 金色の王、彼の存在、あらゆるものの母にして源。 総ての存在を生み出せし存在=悪夢の王=ロード・オブ・ナイトメア。 この禁じ手にしてアンタッチャブルな存在を、よりにもよってお気軽に「あの人」呼ばわりするか!? ジタバタ取り乱すあたしをあっさり押さえつけると、妙に嬉しそうに微笑みながら「ん? 元の世界に戻してやるから後始末頼むってさ。だから、もうちょっと協力してくれ」などとほざいて、勝手にあたしの肌をまさぐり始めてしまう。 「まさか、この状況でそういう事するつもり!?」つか、それやんなきゃ後始末ってできないの!? 「・・・お前なぁ。 そんな格好で人の事散々煽っといて、今更『お預け』ってのはすっげぇ辛いんだぞ!!」 「この異常な状況下でさかってんじゃないわよ!!」・・・って。そんな格好って? ・・・そういえば。 「うっきゃあああ!!!!!」 遅まきながら一糸纏わぬ素っ裸だったのを思い出して、慌てて肌を隠そうとしたんだけど。我ながらすんごい格好で、しかも自分から散々ガウリイに抱きついていた事まで思い出してしまい、明らかに手遅れだと悟った。 いつの間にかしっかり上に乗っかられてて、既に脱出不可能状態に陥っている。 体重を分散させていたのか、密着度合いだけじゃ気付かなかったわよ! 普段は穏やかな空色の瞳の色が、獲物を見つけた獣みたいに鋭くなっちゃって。 真正面からあたしを抱いて、小さな声で何度も何度も熱っぽく「欲しい」と囁く唇が。 涙で濡れた頬に、汗で乱れた額に、きっと真っ赤になっているに違いない鼻先にも押し当てられて、あたしは泣きたいような、逃げ出したいような、ざわざわするような奇妙な感覚に囚われていた。 深く唇を重ねる度に、きゅうっと身体の奥が縮こまり、震える。 こうしているだけで身体の芯からジワジワと震えて、そこから湧き上がる恐れとは違う種類の熱に心も身体も翻弄される。 「なぁ・・ダメか?」 背中に回っていた筈の手が、おずおずとあたしの胸の膨らみに触れた時。 もう、心は決まっていた。 「・・・やさしく、してよね」 あたしは、胸の上の大きな手の上に、自分の手を重ねて囁いた。 あたしを抱きしめたまま、ガウリイの身体が動く度に、至る所にキスが降る。 鎖骨のラインや、乾いた血のこびりつく胸元にも躊躇わずに触れて、舐めて、吸い上げて。 「教えてくれ。・・・今までオレに隠してきたもの、全部」 あらゆる手管を使って情欲を煽ってくるガウリイは、いつしか空虚だったあたしの心をいっぱいに満たしていて。 受ける刺激に翻弄されて過敏になっている肌は、どこもかしこも今か今かと彼に触れられる瞬間を待ち望んでいた。 隠した期待を知ってか知らずか、ガウリイは楽しげに吐息で淡い茂みをくすぐって、太腿の内側にもキスをくれて。チリッとした痛みの後には、強く吸われた証の紅が咲く。 「・・・ぅふ、やっ・・・ああっ!!」 熱に浮かされて喘ぐうち、遂に今まで誰にも見せたことのない場所にも、ガウリイの指が到達した。掠めるようにされただけなのに、そこから電流みたいな痺れが走って、慌ててあたしは膝頭を閉じてしまった。 「こら、そんなにしたら動かせないだろ?」 濡れた狭間を抉じ開けたいのか、ガウリイの指は亀裂の合わせ目をくすぐってたり、すぐ上の突起を摘まんだりして苛めてくる。 どんどん疼きが酷くなっていく場所にだけは、どうしてだかぜんぜん触ってくれなくて。 強く、耐え難く身を焦がすもどかしさを我慢できずに、とうとうあたしは、手放せずにいた恐れも理性をも、全部纏めてかなぐり捨てた。 「・・・ほしい。・・・ね、ちょうだい?」 「任せとけ」 あたしの求めに嬉しそうに応えて、濡れた亀裂の入り口にガウリイの指が押し入ってくる。 少しの痛みと快感を伴いながら沈む指に、軽く内壁を引っかくようにされるだけで、お腹の奥がズゥンと痺れて、落ち着かないったら。 「・・・うぁ、や・・・やぅ・・・や、らぁ・・・っ!」 同時にすぐ上の突起も弄られて、気持ちいいのか苦しいのかも判らないまま、逞しい背中に腕を回して喘ぎ続け。 矢継ぎ早に送り込まれる刺激に追い上げられて、頭の中が真っ白に染まった。 緊張の後の脱力感に浸っていると、そろりと両腿を抱え上げられて。すぐに押し当てられた熱い塊と肌の感触に、その瞬間が来た事を知った。 困ったような顔であたしの準備が整うのを待つ、愛しい蹂躙者の首に腕を回し、こっくりと頷いて。与えられる痛みと快楽に溺れながら、いつしか意識を飛ばしていった。 途切れる意識と記憶の狭間で見たものは。 闇を切り裂き部屋中に満ちる、鮮烈な光。 例の一件から数ヶ月が経過していた。 重量級ダンプカーの群れが、もうもうと排煙と埃を舞い上げどこかへ走り去って行く。 相も変わらず、花柄タイルは砂に埋もれかけているけれど。一帯の建築ラッシュが終われば、再び綺麗に掃き清められて、人々の行きかう道となる。 測量の立会いに来たらしい総菜屋のおばちゃんは、前より少し太ったようだった。 手にした棒切れでガリガリ地面を削り取り、あれこれ部屋割りの算段をしているらしいすぐ脇を。あたしはゆっくりと歩いて、近づいて・・・そして、無言で通り過ぎた。 「いいのか? ちゃんと挨拶していけばいいのに」 「いいの。いつかまた、ここに戻ってくるんだし」 あたしを見なかったおばちゃん。 彼女の中に、あたしの記憶があるのか、それともないのかは判らないけど。忘れられたって、また一から始めればいい。 「・・・そっか」 椅子代わりのトランクから腰を上げ、大きく伸びをしたガウリイはすっかり旅の装い。 あたしは服こそ普段通りだけど、それは元から身軽にしていたってだけの事。 あの後、無事に『要』は自由を取り戻したらしく、目覚めた時には魔法陣は跡形もなく消えていて。 世界は何も変わらずに、やっぱりあたしは見知った人々に忘れられていった。 不思議だったのは、ガウリイだけがあたしを忘れず、あたしもゼルも彼を忘れずにいられた事だ。 ゼルはアレに関わった影響だと考えたようだが、真相は未だ判らぬまま。 「とりあえず行き先を決めよう。 表なら西へ、裏なら東へ」 「じゃあ、北と南には行かないわけ?」 手の平のコインを示して、ガウリイが笑って。 あたしも笑顔をガウリイに向ける。 理由なんていらない。一緒にいられるのなら 「そっちもそのうち行くんだろ? なにせ。 「「時間は、たっぷりとあるんだし」」 ハモった声に、微笑までもが重なって。 弾いたコインがどちらの面を向いたとしても。 しっかりと手を、縁を繋げたあたし達は、明日に向かって歩いていく。 |