白
白い布の上に、少女が横たわっていた。
その身に纏う衣装も、白い。
布の下には分厚く層になった雪。
少女の周りにも、白い布が張り巡らされ。
その顔さえも、白磁のような、白。
かつて光を放った紅い瞳は閉じられ、
艶やかだった薔薇色の唇も色を失い。
唯一、色彩が存在するのは。
銀に染まった、流れるように広がる髪だけ。
そこだけ時が止まったかのように。
いや、実際その周りだけ、時間の流れから取り残されていた・・・。
血の気を失い、力なく冷たい褥に身を横たえても。
彼女はピクリともしないのだから。
彼女は強かった。
誰より、何よりも強く。
その心も、未来を見つめる瞳も。
華奢な身体から紡がれる呪文は山をも砕き。
その意志力は、どれほど困難な状況でも諦める事を良しとしなかった。
宝石のように輝く紅の瞳。
性格を現したようにうねる、栗色の髪。
頬は美しい艶を帯びた淡いミルク色。
そして、数々の力ある言葉を紡ぎだし。
普段勢いよく話すその唇は、咲き初めの薔薇。
それが、あの時。
苛烈な闘いの最中に。
永遠に、この世界から失われてしまった・・・・・・。
襲い来る魔族との戦い。
それが彼女には日常だった。
その日、襲い来たる者達は。
普段より手強い相手。
そのうち一人は馴染みの顔。
紫暗の瞳と漆黒の髪を持つ、魔。
彼女は金髪の相棒を庇って、手傷を負い。
その命と引き換えに紫の魔と差し違えて。
己が魔力を使い果たして。
その戦いの終焉と共に。
自分自身も最後を迎えたのだ・・・・・・。
「ガウリイさん、もうここを離れないと・・・。
ガウリイさんまでどうにかなってしまいます」
アメリアの声。
「・・・ガウリイ。何時までそうしてるつもりだ」
ゼルの声。
「ガウリイ様・・・・。リナさんが心配なさいます・・・」
シルフィールの、声。
・・・・・・何故オレを責めない。
はっきり言えばいいのに。
お前の所為で、彼女が死んだと。
お前の不甲斐無さの所為で、リナが死んだんだと。
カタカタと、手の震えが止まらない。
寒さの所為なんかじゃない。
リナを護れなかった。
そして永遠に失ってしまった。
その残酷な事実が。
オレの中の何かを、壊してしまった・・・。
「ガウリイ!なーにしてるのよ♪」
明るく笑う、リナ。
「それはあたしの〜っ」
美味そうに飯を食うリナ。
「がうりい・・・・」
深夜、ベッドの上で愛し合った時の掠れた、声。
リナ、リナ、リナ、リナリナリナリナ・・・・・・。
想うのは、リナとの記憶。
二人、楽しかった頃の思い出。
今、目の前で横たわるは。
人形の様に、静かに眠る少女が一人。
笑わない。
動かない。
寒さも感じず。
痛みすら感じない。
その唇が開く事も。
その瞳が自分を映す事も、最早、ない。
・・・・護れなかった。
それどころか、自分の所為で失われた少女。
そんな彼女を、こんなに寂しい場所に。
一人にしろというのか。
何故そんな酷い事ができるんだ。
何故、彼女を残して行けるというのか。
動こうとしないオレを残して、皆は山を降り。
この場にいるのは二人きり。
眠っているかのような、リナと。
置いて行かれた、愚かなオレと。
跪き、許しを請う事で、彼女が生き返るのなら。
オレは命の火が枯れるまで、そうしよう。
この命と引きかえられるというのならば。
喜んで心臓を抉って捧げよう。
ぎゅっと握った拳から、緩々と流れる紅いモノ。
拳の先に辿り着き、ポタリポタリと新雪を汚す。
ツイ、と、紅い指を動かして。
少女の唇を紅く染める。
そこだけが、生きているものの色。
偽りの生の証。
もう一度、もう一度だけでいい。
その唇を震わせて。
オレの名を呼んでくれ・・・・・!!
泣き叫んでも、応える者もなく。
無様なオレを尻目に眠る、白い少女。
「・・・・身体の傷は塞ぐ事ができたんです。
でも、リナさんの身体には。
生きるための生体エネルギーが、全く残っていなくて!!
わた・・私は・・・リナさんを助けられなかった!!」
その場で泣き崩れるアメリア。
「俺達が、もう少し早く着いていれば・・・」
心底悔しそうに歯噛みするゼル。
「私に、もっと力があったなら・・・」
うなだれ、無力感に苛まれるシルフィール。
・・・・・・オレは、泣く資格も。
悔しがる資格もない。
いつも一番側にいて、彼女を愛し、護ると誓った筈の。
・・・誓いを護れなかった。
・・・リナを護れなかった。
それどころか、彼女が命を落とす因となった。
いつの間にか、雪がちらほらと舞い始め。
辺りは暗闇。
空は鈍色。
ここにある色彩と言ったら。
リナの銀とオレの金、そして二人の紅だけ。
・・・・・リナ、寒くないか。
オレはリナに降る雪を払いのけ。
いつかの夜の様に、そっと覆い被さる。
せめて、寂しくないように。
オレも一緒に眠るから。
お前を一人にさせられないから。
お前がいない世界なんか、オレには何の意味もないのだから。
『馬鹿、せっかくあたしが助けたのに!!』とか。
頼むから、言わないでくれよ・・・・・・。
雪は、二人に容赦なく降り積もり。
ガウリイの感覚も、体温も奪って行く。
「リナ・・・」
もう凍えて上手く動かない手で、リナの頬を撫でる。
「あい・・してる・・・」
これが最後と、リナの冷たい唇に、己が唇を重ねた・・・。
重なり合った金糸と銀糸。
わずかに零れた紅の花。
一面、白く、しろく・・・・。
冷たい風花が、総てを白く覆い隠してゆく・・・・・・。
しばしのち。
ガウリイが意識を失った後。
そこに、『 』が出現した。
『 』
細く、謡うように紡がれる力ある言葉。
それは二人の身体を包み、淡く金色に輝くと。
色彩は掻き消え、後に残されたのは、純白。
一面、始めから何もなかったかのような、白の世界。
「ん・・・」
・・・あったかい・・・。
・・・からだがふわふわする・・・・。
・・・ああ、あたし。
あたし、しんじゃったんだ・・・・。
ゼロスと刺し違えるなんて・・・・。
ずいぶん間抜けな死に方したものね・・・。
・・・・・ガウリイは無事かなぁ・・・。
あいつ、怒ってるんだろうな・・・。
でも、ガウリイだけでも生きてて欲しい・・・。
あたしはいいから・・・ガウリイだけは。
・・・かみさま。
愛しいあの人だけは、まだ連れて行かないで。
あたしがいくから、あのひとだけは。
あいつはまだ、早すぎるの。
連れて行くならどうかあたしだけに。
世界を見捨てる大罪を犯した、あたしだけに。
どうか、かみさま。
あたしからあいつを奪わないで・・・。
ほろっと目尻から零れ落ちた熱いもの。
・・・あの世にも涙ってあるのかな。
また、ホロホロと転がる熱。
今度は、パタリ、ぱたりと落ちてくる、熱い滴。
・・・暖かく、あたしの顔を流れていくのは・・・・。
・・・なみだ。
ゆっくりと眼を開くと、飛び込んできたのは、柔らかな黄金の光。
そして、霧が晴れるように金色の光が消えた後。
残るは金の髪の・・・「ガウリイ!」
苦しそうに眉を寄せ、閉じられた眼から零れる・・・涙。
なぜ?
かみさま、あたしだけじゃダメだったの?
あたし、寂しいのなんか、我慢するから。
ガウリイだけは生きて欲しいのに・・・。
そんなにだいそれたお願いですか?
ああ・・・、がうりい、ガウリイ、ガウリイ・・・・。
「リナ?!」
目の前に、蒼い瞳。
思い切り見開かれたそれは。
死んだ人間の瞳には見えなくて。
「ガウリイ・・・」名を呼んで、震える手で、頬に触れる。
「リナ!!!!!」
ぎゅぅぅっと思い切りあたしを抱きしめる、太い腕。
「リナ、リナ、リナ、リナ・・・」
うわ言のように繰り返される、ガウリイの声。
あたし・・・生きてる・・・?
「ぅうんっ」唇を荒々しく奪われて。
あたしは、初めて自分が生きている事を実感した・・・。
後から判ったのは。
あたし達はいつの間にかセイルーンの王城の中にいたという事。
普段は国賓レベルに供される部屋に、いつの間にか寝ていたのだ。
いったい何時の間に・・・?疑問に思う間もなく、ガウリイに抱きしめられてキスの雨を受ける。
身体には殆ど力が入らないけど。
「ガウリイ・・・」残りの力を振り絞って、ガウリイの背中に腕を回した。
・・・・そこで意識は途切れている。
「リナさん!!」
バタン!と音を立てて、アメリアが部屋に入ってくる。
腕いっぱいの果物を抱えて、フラフラしちゃって。
「リナさん!とにかく沢山食べて、元気になって下さい!!」
そう言うと、荷物を置いてすぐ出て行く。
・・・もう一度、眼が覚めたとき。
あたしのベッドの周りには、ガウリイ、アメリア、ゼル、シルフィール、それにフィルさんや
ここの白魔道士たちがずらりと取り囲んでいた。
なんでも、あたしがゼロスと戦った場所に祭壇を作って埋葬したはずが、そこに残った
ガウリイと一緒に、かなり離れたこのセイルーンまで移動してきたらしい。
フィルさん曰く。
「わしが公務に励んでいるとな、机の上に、小さな金の光が現れてな。
『リナ=インバースとガウリイ=ガブリエフを連れて来た』と言うんじゃ。
半信半疑でどこに?と聞いたらのう。ここの賓客用の部屋だと言うのでな。
まさかと思ったんじゃが、魔法医を引き連れてこの部屋まで来てみたんじゃ。
そしたら死んだはずのお主達が、本当に寝ていた、とこういう訳じゃ!!」
いつもの暑苦しい顔をめいっぱい動かして、その時の様子を語ってくれる。
そして、王子と呼ばれる愛すべき髭ヅラ親父は、心からの喜びを熱く語ると。
「後はゆっくりと休まれよ」と、皆を促し、あたし達を二人きりにしてくれた・・・。
あたしはかろうじて、生きていた。
何故、かなり離れたあの場所から移動できたのか。
どうしてあたしは生きてるのか。
ガウリイに聞いても、「わからん」の一点張り。
ただ、この場所で発見された時。
あたしはかなり危険な状態だったらしい。
生体エネルギーが微かに残っていたから、助かったと。
あたしを治療した白魔道士は言った。
だがしかし。
あたしはあの時、自身のもてる限りの力を注ぎ込んだはず。
あのゼロスを相手に、僅かな余力を残す余地などなかった。
・・・・・・目覚めたとき、感じた黄金の光。
・・・アレは、いつか感じたあの存在の気配・・・。
・・・あたしは禁呪を使ってはいない。
そして、あたしだけに聞こえた声。
『還り来るにはまだ早い・・・』
あれは・・・・・・。
「・・・ありがとう、母様」
総ての存在の源。
金色の王。
あなたの気まぐれでも、かまわない。
・・・ありがとう、助けてくれて。
・・・ガウリイを奪わないでくれて。
ありがとう。
「リナさん♪」
不意に後ろから掛かった声は。
「あの御方からの伝言です。
『あんた達がいなくちゃ面白くないでしょ!』だ、そうです。
ついでにボクも便利だからとこちらに戻されちゃいました♪
ボクとしては、あのまま滅びても一向に構わなかったんですが、
あの御方の意向に否とは恐れ多くてとてもとても」
あたしの後ろに出現したのは、ゼロス。
「あたし達は、退屈しのぎのおもちゃって訳?」
「光栄な事です」言いながら、遠ざかる気配。
一応僕らが戦う事は、御法度扱いになるようですよ・・・。
そう言い残し、ゼロスは行ってしまった。
・・・バタバタバタッ、ガタンッ、バン!!
「リナ!!、無事か!!!」
ものすごい勢いでガウリイが飛び込んできた。
きっとゼロスの気配を感じたんだろうな。
「今、あいつが来なかったか!?」
「来たわよ」あっさりと答えるあたし。
あの野郎、今度こそ滅ぼしてやる!!と、ものすごい剣幕のガウリイに、
「もう、あたし達とは戦えないんだって」と教えてやる。
「そんな事、信用できる物か!!」
「大丈夫、あたしが保証する」そんな事より。
「ガウリイ、来て」ベッドの上から手を伸ばして。
そのまま二人、抱きしめあって。
白い寝床に転がった。
あの時と同じ、白い布の上。
リナが横たわっている。
あの時と違うのは。
白い肌には生気が宿り、透き通るような艶を帯び。
柔かく光る、紅色の瞳。
頬は朱を刷いた、うっすら淡いミルク色。
唇は、今咲き誇らんとするような、薔薇色。
少し銀色を残しながらも、殆ど元通りの栗色の髪。
色彩に溢れるこの場所で。
世界は色を取り戻し。
オレはリナを取り戻す。
俺の世界が、息を吹き返した瞬間だった・・・。