Reinblue−gourryside





雨の降る日はさほど嫌いじゃない。

元々故郷が滅多に雨の降らない土地柄だったせいもあって、
サアサアと静かに降る雨はむしろ心地よく感じる。

もちろん野宿の時とか戦闘時には勘弁願いたいが、こうして泊まる宿もあり
急ぐ用もないのなら。

たまにはのんびりと過ごすのも悪くない。

このまま二度寝を決め込むのもいいが、その前に。

ゴソゴソと荷物を漁り、かばんの中から簡単に不要物を取り出し
欠けている物を紙に書きこむ。

時々荷物の整理をしてやらないと、今だ終わりの見えない旅路では
何かと不便が付きまとうし、隣室にいる相棒に
こんな事まで頼めないから、面倒だが自力でやる。

まぁ、元々オレは身軽なものだから、荷物整理はすぐに済んでしまい
昼飯までにも少し時間があったので、斬妖剣を構えてゆっくりとした動きで
昔習った型をさらおうか。

普段の戦闘時の何十倍も遅く、細胞一つ一つに刻み込むようにジワジワと、
片手で構えた剣を頭上から振り下ろす。

一見楽そうに見えるかもしれないが、実際は普通の動きで剣を扱うより
何倍もきつい。

ジリジリと、身体に動きを覚えさせるのと、どんな状況でもけして
揺らぐ事のない、強靭な精神と肉体を作る為のトレーニング。

こんな、狭い宿の一室で出来る事と言ったらこの位だろう。






しばらくそうやっていると、全身から汗が滲んでくる。

力むことなく、だらけることなく、均一に。

剣を扱う心得と共に、『身体にも過度な筋肉は必要ない』と
何度も口うるさく言われたっけ。

窓から静かに降り続ける雨を眺めながら、二度と帰らないであろう故郷を思った。






厳しい気候に軍事的な空気の強い土地だった。

いつもどこかしらピリピリとした雰囲気の漂う国。

水が豊かではない、見渡す限り砂ばかりの土地。

もちろん悪いばかりでもなかったが、少なくともオレにとっては良い思い出はほとんどない。

乾燥した大地にはまばらに緑も見受けられたが、それらは大抵金持ちか
貴族達の所有地であり、一般人は立ち入る事さえ出来ないような、そんな土地柄。

たまたま名家に生まれたオレに与えられたのは、一見何不自由のない生活。

それと引き換えに背負うのは、親族郎党を交えた骨肉の争いだった。

たった一振りの剣のために、叔父と父、伯母と母、
血縁者それぞれの子供を巻き込みながら醜く争う日々。
親族同士の諍いが、時として流血沙汰すら生むという現実。

幸い次男に生まれたオレは、兄貴とばあちゃんの保護の元、
比較的そういう事には関わらずに成長してこられたけど。



物心ついた時には、既に木刀を握っていた。

学校に行くより早く、人体の急所を教えられ。

大きくなるにつれ、教え込まれる己の命の守り方、敵の倒し方。
家の中であろうと外であろうと、一瞬たりとも気は抜けなかったから
必死になって戦い方を覚えていったっけ。
嫌々でも覚えなければ生き残れなかったから。

それに、ばあちゃんは事あるごとにオレを可愛がってくれたし、
兄貴はいつも頼もしく「大丈夫か?」と笑ってくれた。



しかし。



時が過ぎ、いつしかそうも言っていられてなくなっていた。

味方だった筈の兄貴は、いつしか顔すら見せなくなった。

優しかったばあちゃんは、オレを置いて逝ってしまった。

宮廷騎士団への仮入隊が決まった年には、あれほどたくさんいた筈の従兄弟達は
片手で数えるほどしかいなくなって。







いよいよ明日は騎士団への顔見せという夜、
オレはある決意を固めて親父の部屋に忍び込んだ。







思い出の品は、何一つ持ってはこなかった。

手にした物は。

ばあちゃんが残してくれた幾ばくかの金と。

一振りの『 剣 』だけ。

人々の羨望と一部の人間の憎悪の対象。

一族の誇りであり、最早過去の遺物である伝説の証明の為に、
ただただこの国の為に守り続けるが使命。

一人の継承者を生み出す為に幾人もの血を吸って。

何が『伝説の光の剣』だ!!






月明かりすらない闇の中を、オレは国境目指してただ、走った。

あと一息で隣国に出る、そう思った砂丘の上で。

オレは、オレを。

いや、この忌まわしい剣を追いかけてきた兄と対面した。



「ガウリイ、それをどうするつもりだ」

厳しい顔の兄の問い。

「・・・」

オレは、何も言えなかった。

兄もまた、この剣を手に入れるために幾度となく血反吐を吐くような、
死線を垣間見るような鍛錬を積んできていたからだ。

「ガウリイ・・・もう一度だけ聞く。
 それを、光の剣をどうするつもりだ!!」

鞭がしなるような詰問に、弾かれるように叫んでいた。

「こんなっ、こんなもんがあるから皆不幸になる!!
何が家宝の剣だ、伝説の剣だ!!
こんなもんの所為で皆が泣く事になるのなら、こんなもんっ、
いっそ無い方が良いに決まってる!!」

悲鳴のような声で叫んだオレに。

「なら、俺を倒してから行けよ」
不思議なほど穏やかに、言って長剣を投げて寄越す兄貴。

ザシュッと砂に突き立った剣を取って、オレは駆け出し。

兄貴もまた、間合いを取って走り出す。



交わした剣戟は一度きりだった。



オレの突き出した剣先は、兄貴の左肩にめり込んでいて。



兄貴の剣は・・・地面を向いたまま。

「兄貴っ!!」

苦痛に顔を歪め、肩から鮮血を滴らせながら砂の上に蹲る
兄の元に駆け寄ろうとしたオレに
「来るなっ!!」と叫んだのもまた、兄だった。

「ガウリイ・・・これで、ソレはお前のものだ。
・・・お前が、光の剣の正統な『継承者』だよ」

「いやだ!! オレはこんなもの欲しくないっ!!」

激しくかぶりを振るオレに、兄は苦痛を堪えながら
穏やかな声で言葉を続けた。

「・・・いいか、ガウリイ。
出来るだけ早く、この国を離れろ。
そして、それはお前がどうするかを決めるんだ。
それを使うも、捨てるも、お前次第だ」

「何でだよ・・・。なんで、オレを責めないんだ!!
オレは家を捨てて、家宝を持ち逃げしようとしてるんだぞっ!?
なのに、なんで!!」

どうして兄がそんな事を言うのか。
どうしてそんなに穏やかに話せるのか、オレにはわからなかった。

「いいからもう行け。
夜が明ける前に行かんと国境警備にバレる。
大体、お前が我欲の為にそれを欲しがるとは端から思っちゃいないさ」

まるで野良犬を追い払うようにぞんざいに、シッシと手を振る兄を背に、
オレは全力で砂を蹴って駆け出した。

ただの一度も振り返らずに、前だけを見据えて。

風に乗って聴こえてきた呟きが、俺が聞いた兄貴の最後の言葉だった。

「俺は、お前ほどの勇気がもてんかっただけだよ。
お前を殺す事もできず、剣を諦める事もできなかった。
ただ、時が過ぎて諍いが収まるのを待っていただけだ。
・・・うまくやれよ、ガウリイ」

乾いた笑いと共に聞いた、兄貴の声。
何かを吹っ切ったように穏やかな声だった。








国を出奔した後、オレは生きていく為に傭兵として戦いの中に
身を置くこととなり、光の剣はあくまで「柄」として握る事はあっても
「伝説の剣」として使うことはなかった。



・・・しばらくの間は。



自身の力が及ばない時、命の危険を感じた時。
『嫌だ、使いたくない!!』と思いながらも我が身を、そして知り合った奴を
助ける為に、幾度となく剣の真の姿を晒し生きながらえて。

そして、リナと出会った。

その後はもう、光の剣がなかったら絶対に生き延びられなかっただろうし
あいつを護る事も出来なかったはずだ。

そして、その頃にはあれほど嫌悪していた筈の剣を
躊躇いなく扱えるようにもなっていたんだよな。

釣竿のおっさんの言ったように、違う何かが見えたのかもしれない。







冥王戦の後、リナからアレの正体が魔族のようなものだったと聞かされた時。
オレは至極あっさりと納得できた。

アレが魔族というなら、オレの一族が長年に渡り吐き出してきた
負の感情はさぞかしうまかっただろうなと。

そして、こうも思った。
「それでもお前に感謝するよ」と。

お前のおかげでリナと出会い、リナを護る事ができたと。

魔族としては不本意な結果かもしれないが、それは今まで散々
一族の憎悪渦巻く感情を食らい続けてきた対価だと思ってくれ、と。






雨はまだ、静かに降り続いている。

故郷には決して降らない、豊かな量の静かな雨。

遠く、霞む記憶の彼方で笑う兄貴の顔。

今のオレを見たら、兄貴は何と言うだろうか。



そんな事を思いながらオレは剣を収めてベッドに横たわり、
二度と会う事の無い兄貴に、せめて夢で会えるだろうかと。

静かに、目を閉じた。