一週間。これがあたしに与えられた刻限。
それまでに呪いを解く事ができなければ、あたしの負け。

VAMPIRE


「おい。 大丈夫か?」
心配げな表情であたしの顔を覗きこんでいるのはゼルガディス。
どうやらあたしは木々の隙間から差し込んできた光に目が眩んでしまったようだ。

「何とか。でもそろそろ隠れ場所を探さなきゃ」
辺りを見回して日の光の届かない場所を求める。
「あっちだ」
短く言うと、ゼルは崖の方に走って行き、程なく岩肌に開いた洞窟を見つけて。
「とりあえず今日はここで夜を待とう。・・・俺は獲物を捕ってくる、お前は寝てろ」
洞窟の奥を示して、彼は急ぎ足で森の中に消えていった。

あたしはと言うと全身を襲う倦怠感に負けて、ヨロヨロと洞窟を奥に進み
平らな地面に寝転がる・・・と言うより倒れこんだ。

「・・・参ったわ」

目が回る。
入口から随分奥に進んできたお蔭で日の光は届かない。
それが今のあたしにとっては、とてもありがたい事だった。

「ガウリイ達、今頃どうしてるかしらね・・・」
昨日まで一緒だった、自称保護者と正義の味方なお姫様を
思い出してあたしは溜息を吐いたのだった。







ある、戦いがあった。
立ち寄った先で請け負った依頼を、あたし達はチャッチャと済ませるつもりだった。
依頼内容は「近隣の村を襲う吸血鬼の退治」 普段なら楽勝のはずだったのに、
ちょっとした油断が元でターゲットには逃げられ・・・あたしは噛み傷を負ってしまったのだ。

吸血鬼に血を吸われると、その被害者も吸血鬼化する。

しかもあたしの場合は急速だった。 
噛まれて半日後には犬歯が伸び、殆どの食事を受け付けなくなった。
もっとも困った事は仲間であるはずのアメリアとガウリイに対して、ある種の欲望を
持つようになった事だ。

欲望とは血液への飢えと渇き。

巫女という清らかな処女であるアメリアと、健康そのもので血の量も多そうなガウリイ。
この二人に近づかれようものなら、あたしは一気に理性を失って、彼らの首筋に
牙を突き立てたい衝動に駆られる。
半ば狂ったように血を求め苦しむあたしを唯一止める事ができたのは、ゼルだけだった。

何故彼にだけ吸血衝動が沸かなかったのか?
それは更に半日が経ってから判明する。

血ではないけれど無いよりはましだと、差し入れられた大量の赤ワインと新鮮な薔薇。
それらを飲み干し食べつくして一息ついた頃に、気がついたのだ。
まだ太陽は中天に座してはいたけど、窓もドアも締め切り
黒い布で遮光した部屋の中ではあたしの理性は残されたままで。
今のうちに対策を練ろうと集まった仲間たちの前で、はっきりと告げた。

「あのね、呪いを解くにはこの呪いを賭けた術者、つまりあの吸血鬼を
倒すのが一番なの!! あいつが滅びれば十中八九、
あたしの中の呪いは消える。で、ね。
このままだといつあたしはあんたたちを襲ってしまうか判らないから、
別行動を取ろうと思うのよ。
あたしとゼル、ガウリイとアメリアに分かれて森の探索と吸血鬼の殲滅。どう?」

提案したあたしに「どうしてゼルガディスさんはいいんですか!?」と
アメリアが詰め寄ってきた。

だから、その美味しそうな匂いをさせないでったら!!
今のあたしの嗅覚は普段の何百倍も敏感なんだし。
ずずずいっと身を詰めて来たアメリアを「危ないから下がって!!」と無理やり引かせて。

「あのね。じゃあちょっと長くなるけど説明するわ」と皆を見回した。




「まず、アメリア。 あんたが一番美味しそうなのよ、あたしにとっては。
言いたかないけど今のあんたから流れてくる匂いを普段の感覚で例えると、
アツアツの鉄板の上でジュウジュウ音を立ててる極厚のステーキさんに
濃厚なグレービーソースをじゅわわわわわ!!って垂らした位美味しそうな香りなのよ。 
今だって何とか本能を理性で押さえ込んでるけどこれが魔力の強まる夜になったらまずアウト。
・・・あんた、大人しくあたしのご飯になってくれる?」

アメリアは首ををブンブンと振り回して拒絶を示す。

「で、ガウリイ。あんたのはあたしにとってはご飯全般なのよ。 あんたは乙女じゃないけど
その代わりに見るからに健康そうでたっぷりの血の量が期待できちゃってダメ。
油断したらちょっと位摘まんでもいいかな〜って思っちゃう。
栄養バランスの取れた食事を取ってるからなのか、気を抜くとフラフラっていい匂いに誘われちゃうのよ。
だから、あんたもあたしの食料認定つきだから、一緒にはいられない」

「なら、どうしてゼルだけが大丈夫なんだ?」

何処まで事態を飲み込めているのか判らないけど、ガウリイが手を上げて質問してくる。

「う〜ん。ゼルには悪いんだけど。あんたの岩だらけの皮膚にあたしの歯が
通用する気にならないのよ。隙を見てかじりついた途端に歯が欠けたり
折れたりする可能性大だし。そう思ったらどうにも噛む気がしなくってさ」

あたしの返答にがっくりと皆がコケた。

「だって、例えるならよ? お腹がすいてる時に目の前には缶詰がある。
もちろん缶切りはなし。その横には美味しそうなステーキさんと
パンとスープと鶏肉サラダのセット。 さぁ、あんたたちはどれを食べる?」

「オレはステーキだな」

「私もステーキですね・・って。はっ!!それって私の事じゃありませんか!?」

「・・・俺は缶詰か・・・」

三者三様の反応を示して、それで納得してもらったけど。

「じゃあ、リナさんはいざとなったら缶切りを使ってゼルガディスさんを襲ったりしないんですか!?」
疑惑の視線を浮かべながらアメリアが言う。

「ん〜。それがただの缶詰だったら一発で開けちゃうんだけどね。
でもゼルはただであたしにやられたりしないでしょ? 
これがガウリイだったらたぶん・・・拒絶できない。そうでしょ?」
最後のはガウリイに向けて。

「ああ、たぶん、な。オレはゼルみたいに割り切れない気がする」

「まぁ、俺は呪文を使えるからいざとなったら
眠らせるなり氷漬けにするなり対策の取りようもあるしな」

「氷漬けって・・・。 それはイヤ」
げんなりとした顔を作って笑いを取ろうとして、失敗した。

だめだ。アメリアから目が離せない。
白い首筋が目に毒で。あの下には温かな血が流れていて・・・。
口に含んだらすごく甘くて美味しそうだわ・・・。


「じゃ。じゃああたしは夜まで寝るっ!! 日が落ちたら早速行動開始よ! 
そうと決まったら早く出て行って!!」
半分叫ぶようにして皆を部屋からたたき出し、布団を被って夜を待った。







「じゃあ、行くわ」
「気をつけろよ?」
「ええ」
「じゃあ、あたし達は街の近くを探索します」
「俺達は森の中を探る。くれぐれも街の人間には森に入るなと伝えてくれ」

そして二手に分かれて今に至る。






「おい、これなんかどうだ?」
洞窟に帰ってきたゼルの手の中で蠢くもの。

「・・・ぅ。 背に腹は変えられないか・・・」
あたしは捕らえられた兎を受け取り、まだ生きているそれに歯を突きたてた。
ジワリと広がる血の味。普段なら鉄臭く生臭いと感じるであろうそれは、血に飢えて乾いた
今のあたしにはすごく美味しくて。

「ゆっくりと飲め。 もう一羽捕まえてある、奴を倒すにしても体力がなくては戦えんからな」
こんな光景を見てもサラッとした口調で言ってくれるのがありがたかった。

「・・・ありがと、ゼル」ガウリイにはとてもこんな姿を見せられない。
そういう意味でもゼルに食欲をそそられなかった事を幸運だと思った。

「じゃあ、俺は辺りを散策してくる。お前さんは日が落ちるまでここで休んでいろ」

「頼むわ・・・。 ガウリイ達、どうしてるかしら」

「まぁ、旦那達ならうまくやってるだろうさ・・・たぶん、な」

「たぶんって・・・」
いまいち信用ならないんだけど(特にガウリイ)まぁ、聞き込みとかはアメリアに
期待しましょう。



ゼルが再び洞窟を後にして。あたしは目を閉じ感覚を研ぎ澄ませる。
誰にも言ってはいなかったが、実は頭の中で声がするのだ。
『こちらにこい、仲間になれ』と言う、マスターの声が。

マスター、つまりあたしの血を吸った吸血鬼。
こいつを倒せばあたしは人間に戻れる。
但し迂闊に仕掛けてもこいつの影響力に飲み込まれれば、あたしは奴と同じ只の殺戮者になる。

どうするか。

大体の居所はつかんだ。ここからさほど遠くない地下迷宮。
そこまで行って一気にドラグ・スレイブでも叩き込むか。
いや、それだと奴を取り逃がす可能性の方が高い。

確実に奴をしとめなくては。







いつの間にか眠り込んでしまったようだ。
外はすっかりと暗くなって、静かな闇が辺りを支配している。

ゼルは・・・まだ、帰ってきていない。

その方がいいのかもしれない。あたしの飢えは増すばかりで、我慢が聞かなくなったら
彼を傷つけてでも血を啜ろうとするかもしれないのだから。

「イヤだな・・・」急に、ガウリイの顔を思い出した。
ガウリイなら、あたしが泣き言を言ったら血をくれるかもしれない。

『助けて、苦しいよ・・・』って縋りついたら、あいつはたぶん拒絶しない。

なりふりかまわず抱きついて『あたしの事好きにしていいから・・・』って誘惑すれば。






「なに考えてるのよっ!!」一瞬囚われかけた思考から抜け出して。
「馬鹿な事を考えさせないで!! さあ、出てきなさいよっ!!」暗がりに向かって叫んだ。






「ふふふ・・・そのまま快楽に身を任せておけば楽になれたものを・・・」
闇の中、嫌な気配がまるで墨が流れるように一箇所に凝り、それは
密度を増して徐々に人の形を作り・・・。

「久しぶりだね、我が下僕よ」にやりと笑った顔は卑しく歪み。
その身に纏うのは前に見たのと同じ姿、闇色のマントを身に羽織り、シルクハットをキザに被った
血色の悪い顔。冷たい金色の髪と真っ赤な瞳の吸血鬼。

「・・・こっちも会いたかったわよっ!!」
心の内から湧き上がってくる服従心を押さえつける。

「ほう、まだ抗うか。 これほど心の強い娘には会った事がない」
楽しげな笑みを浮かべ、
「気に入った。そなた、我が同族となれ。我の血を啜ればお前もまた闇の眷属となるであろう」
あたしに手招きをするけれど。

行きたくてしょうがない衝動を押さえつける事に成功したのは
頭に浮かんだみんなの顔があったから。

「まだ抗うか、強情な娘よ。 ならば・・・」吸血鬼は片手を上げて己の顔を隠し。
見えているのは歪んだ口元だけ。それが、言葉を紡いだ。

「リナ」と、ガウリイの声で。

「・・・あっ」

たった一日離れていただけなのに、ジンと染み入る声。

「リナ・・・無理、するな。 もう我慢しなくてもいいんだ」
そう言いながら顔を覆っていた手を下ろすとそこにあったのは。

青い瞳、金の髪。優しげな微笑を浮かべてこちらを見ているガウリイの顔。

「さあ、リナ。こっちへおいで」優雅な手つきで手招きをする。
「が・・・うり・・い」違う!!あれはガウリイじゃない!!
「リナ・・・オレの事が信じられないか?」そんな悲しげな顔しないで!!

「・・・ちが・・う」

「リナ、オレはどんなお前でも愛せるぞ? だから、もう意地を張らなくてもいいんだ」

「・・・がう・・・り・・・い・・・」

「ほら、来いよ」そう言うと彼は長く伸びた爪で自らの喉を傷つけて。
「うまいぞ? 全部リナにやる」爪先についた血を長い舌で舐め取った。



あ・・・あ・・・あ・・・。



あたしはふらりと立ち上がり、ゆっくりと『ガウリイ』に向かって歩き出した。

「そうだ、それでいい」
満足げに笑う『ガウリイ』。
背の高い彼の肩に手を乗せて、もう片方の手で白いサテンのシャツを肌蹴る。
現れた、健康的とは程遠い白い肌に唇を寄せて・・・。

「・・・エルメキア・ランス」

「ぐわあああああっっっ!!!」
まさかこの状況で抵抗されるとは思いもしなかったのだろう。

かりそめの顔を崩しながら地面に這い蹲りのたうち回る吸血鬼。その手は皺だらけになり
シュウシュウと白煙を上げながら苦し紛れに土を掻く。

そこに横から「この野郎っ、よくもリナをっ!!」
茂みから飛び出したガウリイの斬妖剣が敵の首を一刀両断。
どうやらゼルは二人を呼びに行っていたようだ。







後は、あっけなかった。
シュウシュウとおびただしい白煙を上げながら、吸血鬼は灰になり消えていく。
同時にあたしの中からも暗い何かが抜けていくのが判った。

「おいっ!!リナ!!」
「リナさんっ!!」
「リナ!!」
みんなが慌ててあたしに向かって駆け寄るのを見ながら。
あたしは安心して意識を手放した。







「まったく、一時はどうなる事かと思ったぞ」やや怒った声で話すのはガウリイ。
ショリショリとリンゴを剥きながらあたしを見つめている。

「本当に無茶するんだから。ほら、これで傷は全部塞がりましたよ」
お腹の辺りからはアメリアの声。
今の今まで復活をかけてくれていた所為か、やや声が疲れている。

「自我を失わないようにって自分で傷をつけるなんて、小説じゃないんだから!!」
まったく、相変わらず無茶苦茶なんですから、とジト目で睨まれる。

「リナらしいと言えばリナらしいが、な。 そこまで奴と同族になるのが嫌だったとはな」
ニヒルに笑いながらゼルが締めた。

前もってお腹に仕込んでいた短剣を、誰かに抱きつかれた時に
自分に刺さるように仕込んでいたのだ。
まぁ、急に戦闘になったらそれはそれで危なかったんだけど、今の状態のあたしに
近づく者は例の吸血鬼以外にはありえないと踏んでの行為だったのだ。

それと、自我を失くして仲間に襲い掛かってしまった時の保険としても。

「まぁ、痛かったけど結果オーライって事で勘弁してよね?」
場の雰囲気を何とかしようと軽口を叩きながら、あたしは心底ホッとしていた。

もしも、仲間をこの手で襲っていたら。

あたしはあたしを許す事ができなかっただろう。例えそれが本人の同意の上であっても。
あれが吸血鬼ではなく、本物のガウリイで。あんな風に誘われてしまったら。
ううん、もしもガウリイがあたしの立場になっていたとしたら、あたしはガウリイの
求めに抗えない、一緒に闇に落ちていたかも知れないのだ。

相手がアメリアにしろゼルにしても、答えはそれほど変わらなかった筈。
既に彼らはあたしの中でかけがえのない存在だから。



「さてと♪ お腹空いちゃったし、そろそろご飯に行きましょ?
丸一日食べてないからお腹と背中がくっつきそうよ!!」
暗い思考を振切るように、あたしは元気な声を出してベッドから飛び降りて
みんなを促し階段を駆け下りながら。

口の端に残った鉄の味を舐め取った。