金の獣とお姫様



ちょっとだけ昔、とある小さな国に小さなお姫様が暮らしていました。

お姫様は、その小さな身体に似合わず大胆な事が大好きでした。
普通のお姫様がやらないような遊びや、一人で森を駆け回る事が特にお気に入りで、
いつもお付きの者達をハラハラとさせていたのです。

でも、お姫様はそんな事お構いなし。

「あたしはあたしのやりたいように生きるのよ!」と公言して憚りません。

とうとう父である王様も「あれは好きにさせてやれ」とお姫様の勝手を
お許しになってしまわれました。

それ以来、お姫様は頻繁に城から飛び出して行っては遅くに帰ってくる生活。

時には一晩二晩帰ってこない時すらありましたが、もう誰も何も言いません。







そんなある日の事。

お姫様はいつものように一人で出かけた森の奥で、泉の脇に一匹の獣が倒れているのを見つけました。

獣は腹からタラタラと血を流し、ぜえぜえと荒い息をついています。

お姫様が一歩、獣に向かい足を踏み出すと。
手負いの獣は力を振り絞り警戒の唸り声をあげました。

それでもお姫様は進む事を止めません。

ぐるる・・・と、威嚇する力さえ失った獣が頭を垂れた時。

お姫様は素早く獣に駆け寄って、地面に激突寸前の頭を支えてやりました。

そうなってなお、ギロリとお姫様を睨みつける獣の空色の瞳。

それは溢れるような恐怖と怒りと映した瞳でした。

そんな様子の獣に、お姫様は優しく微笑んで
「そんなに怖がらなくてもいいわ。あたしはあんたを取って食べたりしやしないんだから」
泥で汚れた獣の頭をゆっくりと撫でてやったのです。

「あんたは運の良い獣よ? このあたしに見つけられたんだから。
だから、大人しく助けられなさいな」

そう言うと、どこからそんな力を出せるのか。
お姫様は大きな獣の身体をあっさりと抱えあげると、泉の脇から少しだけ外れた小屋に
手早く運び入れてしまったのです。







そこはお姫様が手ずから作り上げた秘密の家。

こんな事ができる事からも彼女がただ者でない事が窺えます。

だって、普通のお姫様は一人で小屋なんて作れませんもの。

実はお城を空けた日にはお姫様は一人でここに泊まっていたのです。

この事をお姫様は王様にだけはきちんと話していましたので、
お姫様はお城に帰らなくても咎められなかったのです。

さて、お話に戻りましょうか。







「さてと、まだ息はあるし薬も・・・揃ってるわね」

小屋の中に干し藁を敷いて、その上にそっと獣を横たえると
お姫様はまず暖炉に火をおこし、水を張った鍋をかけました。

同時に戸棚からいろんな色や形の薬品と包帯を取り出して獣の近くに並べました。

それからパタパタと隣の部屋に走っていって、練り絹と毛布とタライを運んできました。

もう一度走って、戻ってきた手の中には手桶と切れ味の良さそうなナイフが一振り。

一通り準備を済ませる頃には、暖炉にかけたお鍋の中には大量のお湯が沸いています。

「じゃあ、行くわよ」

ぐったりとした獣に一声かけると、お姫様は手際よく治療を始めました。



何度も言いますが、普通のお姫様は獣の手当ての仕方なんて知りません。

このお姫様が変わっているだけなのです。



お姫様は痛々しげな傷口に怯む事なく、周囲の毛を剃りあげて。

泥と血に汚れた部分に冷ましたぬるま湯を静かに流しかけて清めます。

綺麗になった患部を練り絹で拭うと、そこに化膿止めの薬を塗りこみ包帯を巻きつけました。

その間、獣はじっとしたまま動きません。

瞼を閉じたまま、唸り声一つ上げませんでした。

一番大きな傷の手当てを終えたお姫様は、練り絹を洗ってよく絞ると
獣の全身を拭き清めてやりました。

だって、本当に汚れ放題だったのですから仕方ありません。

傷に響かないようにゆっくりと、毛並みの上に練り絹を滑らせると、
泥の下からキラキラと輝く金色の毛皮が現れました。

「まるで砂金を掘り当てた気分だわ」

お姫様は一人微笑むと、黙々と作業に専念します。

その間中ずっと、獣は微動だにしませんでした。



・・・暖炉の火がすっかり小さくなる頃。

ようやく総ての作業を終えたお姫様は「ふうっ」と大きく息を吐くと、
暖炉に新しい薪を放り込みました。

お姫様の脇には干し草の上から移された金毛の獣が、
床に敷かれた毛布の上に転がっています。



獣はあいも変わらず動きません。

ただ、生きている証拠に腹が僅かに上下しているのがわかります。

死んでしまっていたなら、こんな動きはしませんものね。



一仕事終えたお姫様は、鍋のそこに少し残っていたお湯で薬湯を作ると
フーフーと息を吹きかけて冷まし、獣の元に運びました。

それから膝の上に獣の頭を抱え上げてしまうと、カップを脇に置いて・・・
両手を使ってグイイッと、獣の大きな口をこじ開けてしまいました。

「さ、いい子だから暴れるんじゃないわよ」

お姫様は開いた口を片手で固定して逃げられないようにすると、
カップではなく、なぜか床に突き刺さっている髪留めをつかみました。

すると・・・。

太い針のような髪留めが床から抜かれた途端、獣が大きく咳き込むではありませんか。

それを見たお姫様は、髪留めを放り出すと急いでカップを手に取り、もう一方の手は
獣の口を固定したままで「さあ、これを飲めば楽になれるわ」と言って
ようやく咳が治まったばかりの獣の口に薬湯を全部流し込んでしまいました。

「#$%&!・・・・・!!!」

いきなり大量の液体を喉に流し込まれた獣は大きく暴れて、お姫様から
逃れようともがきますが、お姫様は全身を使って獣を押さえ込んでいて、
飲ませた薬湯が獣のお腹の中にすっかり納まってしまうまで
決して力を緩める事はありませんでした。

「もういいわよ」

無理やり流し込まれた液体を飲み干して。

精根尽き果ててぐったりとなった獣に、お姫様はにっこりと微笑みかけました。

すっかり涙目になってしまった獣は、潤んだ瞳でお姫様を見つめるばかり。
空色の瞳には、すっかり怯えの色が浮かんでいます。

「ああ、手荒にして悪かったけど、必要な事だったんだから根に持つんじゃないわよ?
さっき飲ませたのは滋養がつく薬湯なんだから。
あれっぱかしでも材料を集めるのはすごく大変だったんだから、零されないようにって
必死になっちゃったのも解ってよね。

苦いのは・・・良薬口に苦し、って言うから勘弁ね?」

そう言って、ワシワシと獣の頭を撫でるお姫様。



その時でした。

「あんなまずいものをいきなり飲まされて、暴れるなって方がムリだぞ」と、
若い男の声が小屋の中に響いたのは。

しかし、この小屋にはお姫様の他には獣しかいません。

その声は、どうやら獣の口から出たようでした。

「なら、金縛りにしたまま飲ませればよかったわね」

そんな事にも驚きもせずにお姫様が言い返します。



普通は獣が人の言葉を話したりなんかしたら、驚いてしまいますよね?

でも、このお姫様はちっとも驚いたりしませんでした。

だって、何度も繰り返しますが、このお姫様は
ずいぶんと風変わりなお姫様だからです。



「金縛りって・・・。さっき身体が動かなかったのもお前さんの仕業か!?」

逆に驚きの声を挙げる獣にお姫様はあっさり「そうよ」と頷いて、それを認めてしまいました。

「だって、もしも治療中に暴れられたりしたらあたしの身だって危なかったんだから。
だからあれは必要に駆られての行動だったのよ」

あっけらかんと言うお姫さまの態度に、獣の瞳が大きく見開かれます。

「・・・お前さんみたいな女の子は初めてだ」

ポロリと零れた呟きは小さな小さなものでしたが、それをお姫様は聞き逃しませんでした。

だって、お姫様の耳は、噂好きの妖精よりもよく聞こえると評判になるほど
それはそれは良く音を拾う耳でしたから。

「何よ、それが命の恩人に言う言葉なの? まずはお礼の一つでも言ったらどうなの?」

お姫様はまたにっこりと笑いました。

笑いましたが・・・その笑みの中にはどこか不穏なものが混じっています。

「だってなぁ。 オレが人の言葉を話しても全然驚かないし、
それよりもオレを怖がらない女の子なんて初めて見たよ」

心底驚いたのか、呆けたように話す獣の顔を、お姫様の両手がしっかりと挟み込んで・・・。

「いててててっ!!!」

次の瞬間、獣は悲鳴を上げていました。
お姫様が力いっぱい獣の頬を引っ張ったからです。

「だから〜まずはお礼を言ったらどうなのよっ!!」

おやおや、お姫様のこめかみにはうっすら血管が浮かんでいます。

これは本気で怒っているようですよ?

「わ、わるかった!! わかったから手を放してくれ〜っ!!」

かなり痛かったのか、涙声で獣が悲鳴を上げて。

「わかったなら、よろしい」

ようやくお姫様の手が放されると、獣はブルブルと頭を振って痛みを追い払い。

それから神妙な顔を作ってお姫様に「ありがとう」と言いました。

すると、お姫様はまたにっこりと微笑みましたが、今度の微笑みは
純粋に嬉しかったからか。

とてもとても愛らしい微笑みでした。

それを見た獣の頬が赤く染まったのは、その上を覆う毛皮に遮られて
見咎められる事はありませんでしたが、
獣はこの時からすっかりと、お姫様に心を奪われてしまったのです。













「なあ、獲物捕ってきたぞ」

器用に前足で扉を開けた獣は、玄関先にどさりと猪を転がします。

「ご苦労様、じゃあ泉の脇まで運んでおいて」

箒を手に持ったお姫様がにっこりと笑って言いました。



一人と一匹が出会って、早3ヶ月が経っていました。

獣は傷がすっかり癒えても、この小屋を離れようとはしませんでした。

お姫様も、獣に出て行けとは言いませんでした。

「ここにいたいのなら、自分の食い扶持位は自分で何とかしなさいね。
あたしは当分通いでしかここに来られないからね」

そう言っただけで、後は獣のしたいようにさせていました。

小屋の中に自分用の干草を運び込もうが、椅子に座って分厚い本を読みふける
華奢な足元に纏わりつこうが、一向に気にする様子はありません。

時折、お姫様は自分の櫛で獣の金色の毛皮を梳いてやりました。

ここで食事を採る時には獣にもお裾分けをしていたし
お城に帰る前には扉が完全に閉まってしまわないように、閂をずらして
やる事も忘れません。

どうやらお姫様も、獣のいる生活にすっかり馴染んでしまったようでした。





またしばらく時が過ぎました。

一つ季節が巡る頃。

急にお姫様は小屋に来なくなってしまいました。

獣は初めのうち、お姫様が来てくれないのは自分が何か不味い事をしたのかと
思っていましたが、日が過ぎるにつれ、別の不安がよぎります。

もしかしたら、お姫様の身に何かが起こったのでは。

そう考えた一瞬後、獣はブンブンと頭を振ります。

あのお姫様がそうそう困る事なんてありえないと。

きっと、お城での用事が忙しいだけなんだろうと。

獣は、お姫様と最後に交わした言葉を覚えていたのです。

「しばらくちょっとバタバタするから、当分ここには来れないと思うの。
もしあんたが出て行きたくなったら、あたしに構わないで好きにしてね」

いつものように獣の頭を撫でながら笑ったお姫様。

その時、獣はお姫様にこう答えたのです。

「オレは気に入ってるから、待ってるよ」と。

本当は「お前の事が好きだから、待っている」と言いたかったのに
獣はそれを伝える事ができませんでした。

だって、お姫様は名前を教えてくれないままだったのですから。



お姫様は、自分の事を殆ど話しませんでした。

獣の事は色々根掘り葉掘りと聞き出すのに、ちっとも。

お姫様は獣が苦みのある食べ物が嫌いな事も
ブラシを使ったブラッシングよりもお姫様の手櫛の方が好きな事も、
とびきり狩りが得意な事も知っています。

なのに、獣がずっと秘密にしていた人の言葉を話せる事すら知っているのに、
お姫様は獣が折を見て聞く「お前さんの名前は?」という問いにすら、
「そのうち、ね」と言うだけで、答えてはくれませんでした。

だから、獣はお姫様の名前を知りません。

どんなに恋しくても、彼女の名を呼ぶ事はできないのです。

















更に時間は過ぎてもう一つ、季節が巡る頃。

森の奥の小屋を、一人の男が訪れました。

嗅ぎ慣れない臭いを嗅ぎつけて、獣は小屋の奥から飛び出しました。

頭を低くして弱点である喉を庇い、低く唸り声をあげて男を威嚇します。

しかし、男は怖がる様子を見せません。

男の表情は目深に被ったフードの所為で読み取れませんが、獣には
男の全身からもれ出てくる気配が判るのです。

男は自分を恐れていない。

危害を加える様子も見られない。

そう感じた獣は、唸るのを止めました。

頭を上げて、ジッと男を見つめます。

突然男の手が懐に消えて、すぐまた現れました。

男の手には何かが握られています。

それが何なのか獣には判りませんでしたが、どこか懐かしい
匂いがする事に気がつきました。

その匂いは獣の心臓をドキドキと激しく震わせるのです。

突然、男が跪きました。

驚いた獣は一歩、後ろに飛び下がりましたが、男はそれ以上動こうはせずに
握ったままの手を獣に向かって差し出したのです。

男が差し出したもの。

それは細いリボンで束ねられた、一房の栗色の頭髪でした。

それを見た瞬間、獣の心臓がドクンと大きく跳ねました。

とても嫌な予感がグルグルと身体の中を駆け巡ります。

「「ごめん」と。そう伝えてくれと頼まれた」

唐突に男が口を開きました。

「「出来る限りの手は尽くしたけど、状況を変えられそうにない。
だから、もう自分の事は待たなくてもいい」と。 
森の奥の小屋に住む金毛の主に伝えてくれと、あいつに頼まれてきた」

それだけ言うと男は立ち上がり、獣に背を向けて立ち去ろうとします。

「待ってくれ!!」

獣は思わず叫んでいました。

今までずっと、お姫様に出会う前には誰にも話しかけたりしなかったのに。

秘密がばれれば気味悪がられて殺されるか、売り飛ばされると
知っていたから。

なのに、獣はこの瞬間、すっかりそんな事はどうでも良かったのです。

ただただ、お姫様の事が知りたい一心で、叫んでしまったのでした。







果たして。

獣の声に、男は足を止めました。

それからゆっくりと振り返ると、真っ直ぐに獣を見つめて言ったのです。

「もしお前がリナに会いたいと言うのなら、手伝ってやらん事もない」と。






ゼルガディスと名乗った男は、獣について色々とお姫様に聞いて知っていたようで
スラスラと人の言葉を操る獣にも動じる事はありません。

そして、お姫様の名前が「リナ」である事を、獣はこの時初めて知ったのです。

彼女が魔法と呼ばれる特殊な力を持つ、稀有な存在である事も。

「あいつは今、この国を脅かす魔物と戦っている。
そいつとの約定で、この国の人間は誰もリナに手を貸す事ができない。
リナが勝てばこの国は護られるが、負けた時には・・・」

「あいつが負けたらどうなるんだ!?」

「・・・リナは魔物の餌食にされてしまうだろう」

腕を組んだまま冷静に話すゼルガディスの言葉を聞くうちに、獣はだんだん
腹が立ってきました。

「・・・つまり、この国の奴らはリナを生贄にしたんだな」

獣の喉から絞り出された声は、低い唸りが交じるほど怒りに満ちています。

「違うっ!!」

反論の声をあげる男に、獣は容赦なく罵声を浴びせました。

「違わないだろ!! その手の魔物は生贄を差し出しさえすれば
しばらくは大人しくなる。 つまり、お前らはリナを!!」

「その交渉を言い出したのもリナだ!!」

とうとう男も被り続けていた冷静の仮面を取り払い、獣に向かって叫びました。

「魔物からの最初の要求は、若い娘100人。それをあいつは、
リナは王様にも黙って一人、魔物の元に出向いて行って
「贄は魔法が使えるあたし一人で充分でしょ」って言いくるめちまった。
しかも、ただ食べられるのは癪だからとか何とかごねて
魔物と賭けをしたらしい」

「賭け?」

「ああ。 魔物とリナ、双方相手に難題を吹っかけてクリアできなかった方が
負けになる。リナが勝てば魔物は滅されるが」

「リナが負けたら生贄、って訳だな」

「そうだ。 あれほど早まったマネをするなと忠告したのに
あのじゃじゃ馬は・・・・・・まったく!!」

キリリと苛立たしげに爪を齧る姿は、獣にはゼルガディスが心から
お姫様、つまりリナの身を案じている様に見えました。

「で、今の状況は? まさかあいつが負けそうなのか!?」

「・・・そうだ。腐っても魔物と名乗るだけの事はある。
 リナが出した難題はあっという間にクリアされてしまった。 
もっとも、その時点で食われなかっただけ運が良かったのかも知れんが」

「じゃあリナは今・・・」

「魔物からの難問を必死になって解き明かそうと足掻いている。
だが、その手がかりすら見つけられないまま、約束の期日が迫っていてな。
明後日までに答えを見つけられなければ・・・くそっ!!」

握った拳を地面に叩きつけて、悔しげに男は項垂れてしまいました。

「3年前に魔物が気まぐれに運命を捻じ曲げた男の名前。
そいつさえ判ればリナの勝ちなんだ!! 魔物の奴、ワザと長い時間をリナに与えて
あいつが悩み苦しむのをずっと眺めて楽しんでいたんだ。
挙句に「この問いに答えられたなら、勝負は僕の負けでいいですよ」と抜かしやがった!!
そうやって条件を変える事で、いっそうリナが悩む事を見越してやがるんだ」

 そこまで聞いた獣は、少し考え込んだ後。

「なら、大丈夫だ!!」と、叫びました。

突然の獣の叫びに驚いたゼルガディスは、すごい勢いで顔をあげて獣を見つめます。

「どう言う事だ!?」

「説明は後だ。一刻も早くオレをリナの所に連れて行ってくれ!!」

グルグルとゼルガディスの周りを駆ける金色の獣。

その空色の瞳はまるで、秋の空のように澄みきった色をしていたのでした。















その日。

お城の自室に閉じ篭って、お姫様はすっかり頭を抱えて込んでいました。

とうとう今日は、あの陰険な魔物と交わした賭けの期日です。
日沈までに答えがわからなければ、リナ姫は魔物の餌食にされてしまいます。

何故ならお姫様の小さな身体の内には、どんな魔物も舌なめずりして欲しがるような
とんでもない量の魔法の力が眠っているからでした。

その力ごと、穢れなき乙女でもあるお姫様を食べれば滋養強壮にもなり
更にはこれぞ美食の極みだとまで言われる始末。

「あたしもとうとう年貢の納め時かしら・・・」

抱え込んだ膝にコトンと栗色の頭を乗せて、リナ姫は小さく溜息を吐きました。



答えはある男の名前と聞いて、彼女はまず書庫からぶ厚い人名辞典を引っ張り出して、
最初のページから順に読み上げて魔物の反応を見る事にしました。

毎日毎日ゆっくりと読み上げながら、殆ど表情を変えない魔物の
僅かな変化を絶対に見逃さないようにと。

しかし、最後のページを読み上げ終えても、魔物は首を縦には振りません。

それからずっと、リナ姫は独力で答えを探し続けていたのです。



『この国の人間の誰にも、知恵や力を借りてはいけない』

これが、たった一つのルールでした。



魔法を使って空を飛び、近隣諸国から文献やら流言の類を集め回り。

怪しげな読み物にも手を伸ばしましたが、結局答えは見つからないまま
とうとう期日が来てしまったのです。




お姫様が3度目の溜息落とした、その時でした。

いきなりバタムと扉が開いて、金色の塊が飛び込んできたのは。



「リナ!!」

嬉しげな声を挙げて、金色の獣はリナの元にまっしぐら。
まるで箒のようにパタパタと尾を振りまくっています。

しかし、自分に飛びつきじゃれる獣に驚きながらも、彼女はある意味冷静でした。

「あんた、どうしてここにいんのよ? 第一なんであたしの名前知ってんの!?
 ゼルは、ゼルはどこ行ったのよ!!」

獣をここに連れてきたのが、従兄弟のゼルガディスだと見抜いていたのです。
まぁ、あの小屋と獣の事を教えたのはりナ姫自身なので、当たり前のことなんですがね。

「いいか。 ゼガルディスはちょっと色々準備してくれてるから」

「それを言うならゼルガディスでしょうが」

「お前さんはそのままど〜んと、泥舟に乗っかってだなぁ」

「それを言うなら大船でしょ?」

「とにかくオレに任せとけって!!」

「ボケまくりのあんたになんてちっとも任せらんないわよっ!!」

ぱっか〜ん。

とうとう懐から愛用のスリッパを取り出して電光石火の突込みを入れたお姫様。

「痛てて〜っ!! この痛みは紛れもなくオレのリナのだ」

「んなもんで人物確認するんじゃないっ!!」



パカンと、更に一発加わりました。



「リナぁ、酷いぞ〜」

あとの一発がかなり効いたのか、床にへたばったまま情けない声を出す獣。
その姿を見てとうとう、お姫様もお腹を抱えて笑い出してしまいました。

ケラケラと笑い転げるお姫様と、その横で器用に前足で情けなさそうに
頭を抱えている獣の図は、どこから見てもおかしな光景でした。

でも、この二人には。

本当に久しぶりの、安らぎに満ちた時間だったのです。








急にリナ姫と獣がいる部屋の窓から、真っ黒な煙が飛び込んできました。

それはグルグルと部屋の中央で旋風を巻くと、あっという間に漆黒の人の形を取り。

「・・・ゼロス」

その人影を認めたリナ姫は笑うのを止めて、真っ黒な人物を睨みつけたのです。

「リナ姫様、ご機嫌麗しゅう・・・」

白々しくも最上級の礼をして見せた男。
この男こそが、リナ姫の賭けの相手である魔物だったのです。

しかし。

「全然麗しくないっての!!」

げしっ!!

「い、いいのか!?」

獣が驚いたのも無理ありません。

優雅な動作で顔を上げようとした魔物の後頭部には、たった今リナ姫が振り下ろした
ピンヒールの踵が、ざっくりと突き刺さっているのですから。

「いえいえ、いつもの事ですから大丈夫ですよ」

魔物は糸のような目を更に細めてクツクツと笑っただけ。

笑った顔のまま後頭部に手をやると、魔物は自分の頭に刺さっていた
ピンヒールをサッと引き抜いてしまいました。

「おおっ、血が出ないぞ?」

びっくりしている獣の方には目もくれずに、魔物は笑い顔のままお姫様に問いかけます。

賭けが始められて以来、毎日欠かさず述べた口上を繰り返します。



「リナ姫様、本日もお元気そうで何よりです。
僕が出した問題の答えを一言一句違えることなくお答え頂きさえすれば、
僕は今すぐにでもこの国から出て行きましょう。
期日までに答えられなかった場合には・・・僕のものになっていただきますよ?」

言うだけ言うと、魔物はどっかりとリナ姫のベッドに腰掛けて、ニコニコと
彼女の様子を観察して楽しんでいるようでした。

リナ姫はしばらく間、じっと目を瞑って腕を組んだまま身動き一つしないまま。

魔物もまた、ただ笑ってそこにいるばかり。



しばらく、部屋の中を沈黙だけが満たしました。

その静寂を破ったのは。




「ぐるるるるる〜っ」

大きな音を立てた獣のお腹の音でした。

「この大事な時に何やってんのよ、あんたはっ!!」

集中を乱されたリナ姫は、ズカズカと獣の元に歩み寄ると
「ちったぁ場の雰囲気を読みなさい!!」
そう叫ぶと、お仕置きとばかりに獣の頬を思いっきり引っ張ったのです。

魔物はというと、どこから出したのやら、高級そうな茶器で
優雅なティータイムの真っ最中。
外の景色を眺めたりして、既に勝利者の余裕すら漂わせているではありませんか。








その時、魔物の注意は完全に外に向いておりました。
それを感じた獣は、自分の頬を引っ張り続けているお姫様に
小さな小さな声で話しかけたのです。







獣の話を聞いたお姫様は、ポロリと手を放してしまいました。

それから急いで獣の瞳を見つめて、本当かと目で問いかけます。

すると、更に一言。
獣はお姫様にしか聞こえない程の小声で
「いいから俺を信じてくれ」と告げたのでした。

















日は傾いて、沈む夕日の半分が既に地平線に飲み込まれてしまいました。

魔物は目に見えてウキウキと浮かれています。

「あの太陽が完全に沈んでしまえば、僕の勝ちですよ。
日が落ちた瞬間が、あなたの命の尽きる時。
さぁ、そろそろ末期の祈りを捧げてはいかがですか?」

にやりと笑った魔物の目がうっすらと開いて、そこから覗いたのは
邪悪な光を放つ紫色の瞳でした。

それを見た獣は、そっとお姫様に合図を送ります。

お姫様はすうっと深呼吸をひとつ。

それからゆっくりと、魔物に向かって話しかけました。

「どうせもうすぐ食べられちゃうんだったら、賭けの答えを教えて欲しいわ。
答えを知らないまま食べられたら、あたし納得がいかないのよ」

「ふふふ、そうやって答えを聞きだそうとしても無駄ですよ?
僕は間抜けな魔物じゃありませんから引っかかりませんよ」

楽しげに笑う魔物。

「なら、せめてヒント位は教えてくれてもいいんじゃない?
時間はもうないし、あれほど手を尽くしてもたどり着けなかった答えだもの。
それを聞いた所であんたに不利益はないでしょう?」

プウッと頬を膨らませたお姫様を見て、どう思ったのか知りませんが
「じゃあ、ひとつだけ」と、魔物が言ったのです。



「人物名はフルネームで、それに一人とは限らなかったんですよ」と。



「そんなの詐欺よ!!」叫んだお姫様に向かって魔物はケラケラと笑います。

「僕はそれを言わなかっただけで、嘘はついていませんよ?
詐欺だなんて心外ですね。 さ、そろそろ時間です」



魔物の最後の言葉に、ハッと外を見ると。
太陽はもう、お姫様の指3本分しか見えません。

「ふふふふふ、ずいぶん長い間楽しませて下さってありがとうございます。 では」

魔物はその後に続くはずだった『いただきます』を言う事が出来ませんでした。

「そいつの名前はガウリイ=ガブリエフとゼロス=メタリオムだ!!」

横から叫ばれた男の声に、術を破られてしまったからでした。

叫んだのは、そう。あの後ずっと床に蹲っていた金毛の獣でした。

「な、なぜ答えを知っているんですか!?」

悲鳴のような声で叫んだ魔物に向かって獣は立ち上がり、
空色の瞳で真っ直ぐ魔物を睨みつけました。

もちろん、大切なお姫様を背中に庇う事も忘れずに。

「それはな、オレがお前に術をかけられた本人だからだよ!!」








金色の獣は。

一声吼えると、まっしぐらに魔物に向かって突進し、魔物の喉笛にガブリと噛み付きました。

「ば、ばかな・・・あの男は黒と灰の醜い獣に変えてやったはずなのに・・・」

断末魔の声をあげて、魔物はぐずぐずと崩れて行きました。

同時に、完全に沈みきった太陽の光が途絶え、部屋は暗くなりました。

リナ姫は、慌てて明かりの呪文を唱えます。

すると・・・。

魔物と獣がいた筈の場所に、長剣を口に咥えた男が一人転がっていたのです。









「んで、結局どういう話なのよ?」
椅子に座りリンゴを剥きながら、リナ姫が尋ねました。

「ああ、オレは3年前にゼロスの奴に遊ばれちまったのさ。
その時に獣の姿に変えられて、あの姿であちこち彷徨ってた」

剥かれたリンゴを手渡されて、美味そうに齧りついたのは金髪の男。
そう、彼こそが金毛の獣の本当の姿だったのです。

「じゃあ、どうして答えがあんたと魔物本人の両方だったの?」

リナ姫は答えを知ってからずっと、引っかかっていたのです。

ガウリイの運命を、姿を変える事で捻じ曲げたのはゼロス。
それは判るのですが、ではなぜ奴の名前もガウリイは含めたのだろうと。

それを聞くと、意外な答えが返ってきました。

「そりゃあなぁ・・・。 雇い主の息子を面白半分に獣に変えた罰で
奴も呪いをかけられちまったからさ。
それを中途半端な状態で解呪しようとするからああなる」

あむっと、最後の一口を頬張って、ガウリイはにっこり笑いました。
「だから答えは俺達二人、だったのさ」と。

「あんたが獣に変えられた時は灰と黒色だったってのは?」

「ああ、そりゃあ驚いた拍子に暖炉の中に転がり込んじまってな。
長い毛が灰と炭で汚れちまったからそう見えたんだろ?」

「じゃ、じゃああんたが加えていた剣はどこから出てきたのよ!」

「あれはオレの牙になってたんだ。だから人に戻れば牙も必要ないから
剣に戻った・・・って事じゃないか?」

とんでもない事をサラリと言うと、ガウリイはスリスリとリナ姫の身体に擦り寄って・・・。

「こらっ! もうっ止めてったら!!」

リナ姫の顔が、まるでリンゴの様に真っ赤に染まってしまっています。

おやおや、耳の縁までまっかっかですよ?











この後、お姫様が男の想像以上のじゃじゃ馬で、盗賊いぢめの趣味に
夜な夜なつき合わさせるようになったとか。

お城で男と王様の壮絶なバトルが繰り広げられたとか。

実は滅んでいなかった魔物が、姫の従兄弟の婚約者の元に送られて
日々「人生って素晴らしい♪ 生きているって素晴らしい♪」と
正の賛歌を聴かされ続けて『もう勘弁してくださいよ〜」と
涙を流して反省するようになった事などは、また別の機会にお話いたしますね。



では、昔話らしく。
最後はこう締めくくりましょうか。




そして、二人は一生幸せに暮らしましたとさ。



おしまい