SNOW







雪の降る夜。

 外ではサヤサヤと小さな音を立てながら、雪の欠片が宿の外壁を撫でてゆく。

 あたしは一人、今宵あてがわれた部屋の暖炉の明かりを眺めていた。

 揺らめく暖かなオレンジ色の炎を見つめていると、何も考えなくても
 良いんじゃないかとすら思えてくる、ある意味贅沢な時間が流れていく。

 年を越すまであと少し。

 さほど日常と代わりの無いはずの、でも、世間一般に区切りとされる
 年の境目まで、ほんの一時。

 暦という者を意識する人という生き物だけに存在するもの。

 時という概念の中で生きている「人」の中にだけ存在する、もの。







 寒い暗い夜はきらいだ。

 昔の苦い経験を思い出してしまうから。

 今更何を思ったところでやり直せるわけでもないのにと、女々しい
 自分が嫌になる。

 暖炉の中で燃える薪の煙が、不意にゆらりとこちらに流れて目に沁みた。

 何よ、今まであたしはひたすら前だけを見て走ってきた筈なのに。

 なのにどうして今更後悔ばかりを思い出すの?

 「なんだって、今更」

 呟いた言葉がシンとした部屋に響いて。

 その、思ったよりも大きな音に驚いて口をつぐんだ。

 暖炉の炎がユラユラと、生き物のように動き、色を変えていく。

 それをボンヤリと眺めながら、あたしの意識は思考の海に沈んでいった。







 あの日。

 人間同士の取るに足らない諍いに巻き込まれて。

 大切な人を失いそうになっていた彼の前で。

 あたし達はあまりにも無力だった。

 何もできずにただ部屋の前で立ち尽くし、彼と彼女の邪魔にならないように
 する事だけが、唯一できた事だった。

 息を引き取る間際、綺麗な銀髪の女性が残した言葉は、
 髪の色も、生き方すら変えて総てを捧げた男には届かなかったのだろうか。

 それとも、本当は届いていただろうにそれを認めたくなかったのか。

 己だけがこの世界に残される、苦しい現実から逃れたかったか。

 今でもあの時の彼の叫び声がそのまま再生される。

 「何であんたは復活が使えないんだ!!」

 喉の底から搾り出された、血を吐くような絶叫が。

 それは自分に向けられた言葉ではなかったけれど、
それはそのままあたしにも突き刺さった。

 天才魔道士を自称しながら、あたしは自分の仲間を守る術すら持っていなかった。

 それまでは何とかなってはいたが、それは自分の力ではなく他人の力。

 あたし自身も幾度となく仲間に救われていながら、
その重要性を深く考えていなかった。

 その結果が仲間を2人も失い、更には友と剣を交える結果を引き起こしたのだ。
 






 ・・・あれから時は流れ流れて。

 もう年が変わろうとしている。

 外は雪。

 雪は総ての音を吸収したのか、部屋の中も外もシンと静まり返って。

 たまにサラリと窓を撫ぜていく音が聞こえるばかり。







 どうしてこんなに弱い心になってしまったんだろう。

 今までずっと、強い心で生きてきたはずだったのに・・・。

 今夜はどうしても萎んだ心を奮い立たせられそうにない。

 ・・・真っ直ぐに、前だけを見つめて生きてきたはずだった。

 後悔なんて絶対にしないと思っていたはずなのに、今あたしは何をしているの?

 パチパチと木の爆ぜる音。

 他の音といえば外の雪の降る音と自分の呼吸する音だけで、まるで世界には
自分一人しか存在しないような気になってくる。

 ううん、あたしは今まで本当の意味で一人になったことなんて無い。

 旅に出る前も出た後も、いつもあたしの傍には誰かがいたんだから。

 もし、この先。

 本当の意味で一人になる時が来るとしたら。

 それはきっと。

 きっと、あたしが死ぬ時だろう。

 それがどんな形で訪れるにしろ、あたしはその時罰を受ける事になる。

 穢れたあたし。

 どんなに取り繕ってもあたしの両手は真っ赤な血に塗れて隠しようもなくて。

 外を覆い隠す雪のように真っ白にできるわけもない。






 ならば。

 その時はせめて。

 穢れたあたしを冷たい雪で覆い隠して欲しい。

 寒いのは大嫌いだけれど、あたしの穢れを隠しおおせるものを他に思いつけないから。

 新雪の清らかな白さに覆われたなら、少しは穢れを清められると思えるから。







 積もれ。

 雪よ止まないで。

 今だけは。

 己の愚かさに思い至ったあたしを流れる時間から切り離して。

 そしてあたしという存在を深く、深く埋めて消してしまって。

 罪を背負ったあたしの穢れをほんの一時だけでも包んで隠して・・・。







 コンコン。

 遠慮がちにノックされたドアがゆっくりと開いて。

 「リナ?」

 そこに立っていたのはあたしにとって何より大切な相棒。

 「どうしたんだ? 明かりもつけないで・・・」

 やや戸惑いながら、のそりと部屋に足を踏み入れてくる。

 「来ないでっ!!」

 こんなあたしを見られたくないっ!!
 キツイ口調で制止しようとしたけれど、それはまったくの逆効果だった。

 「・・・リナ、一体何があった?」

 彼に気づかれてしまっただろうか。

 制止の声に足を止めるどころか、異常事態と思ったらしく、ズカズカとあたしの傍まで
 歩み寄り、向かい合う形でしゃがみ込み無遠慮に顔を覗きこもうとする。

 「見ないで・・・」

 外界からの総てを遮断しようと小さく丸まって額を膝に擦り付けていたのに。

 『ぱふん』と。

 大きくて暖かい手があたしの頭を優しく撫でて、強張った心をゆっくりと溶かしてしまう。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 何も言わずに、同じリズムで髪を撫でる暖かな手は。

 数え切れないほど時間共にあり、共に戦い、守護し、宥め、癒してくれた手で。

 ・・・もしこの手を失う事があったとしたら。

 その可能性を想像しただけで、心の芯が凍りつくように冷たくなる。

 今は温かなままであたしの頭の上にある手。

 何があっただのなんだのと聞きたいだろうに、あえて聞かずにいてくれる優しい手。

 その熱が少しずつマイナス思考をゆるゆると溶かしてくれて・・・。

 そしてすっかりと弱気が溶けて消えてしまうまで、彼の手は
あたしの頭上にあったのだった。







 「リナ・・・そろそろ年が明けるぞ? いっしょに下に降りないか?」

 遠慮がちに掛けられた声。

 無言でコクッと頷いたら「さ、行こうぜ」と、グイッと両手を引き上げられた。

 勢いに釣られて見上げた先には、見事な黄金に縁取られた優しい微笑み。

 いつもは絶対に何にも考えてないと思わせるくせに、時折複雑そうな表情を滲ませて。

 今はそれを隠そうとせずにあたしを見つめるんだね。

 「なぁ、もうすぐ下でニューイヤーパーティーがあるんだとさ。
ご馳走も出るみたいだからいっしょに行かないか? 
ワインも飲み放題だって言うし人がたくさんいれば暖かいぞ?」

 「なんですって!? そういう話ならもっと早く教えなさい!!」

 暗い部屋の隅に残った弱い自分を吹き飛ばすようにわざと明るく声を上げた。

 「だから今、来たじゃないか」

 「遅いわよっ。さ、とっとと下に行ってご馳走食べて楽しむわよ〜」

 「ああ、俺だって負けないからな〜っ」

 心配してくれたんだろうに、黙ってあたしが浮上するまで待っててくれた人。

 さり気無く引っ張り上げられた気持ちはいつしか本物に変わって。



 もうすっかり彼のペースに嵌っちゃってるじゃない?



 忘れられる訳じゃないけど、今はまだ懺悔の時ではないから。

 最後に罪の清算を求められるその時まで、あたしはあたしらしく人生を駆け抜けよう。

 その時々に、あんたが傍にいてくれたならそれだけで幸せってものだわ。

 あたしはふっと笑って、マントを羽織って部屋を出た。

 「リナ〜待ってくれよ〜」

 慌てた後を追いかけてくる彼に微笑んで、勢いをつけて階段を駆け下りていく。

 いつの間に集まったのか、宿泊客達の集ったパ−ティー会場へと。

 





 ・・・雪よ。

 まだ止まなくてもいいわ。

 悲しみは一向に衰えないけれど、今だけはそれを包み隠してちょうだい。

 そしてあたしの心の癒えない傷を深く埋めてしまって。

 そしてどうかつかの間の祝福を授けてください・・・。