視界を真白く染め上げる稲光。

続けて耳を劈く轟音が、辺り一帯に響き渡る。

・・・近くに、落ちたか。

小石を叩きつけるように激しく、大粒の雨は容赦なく暗い空から降り注ぎ。

・・・ぅぅうっ、ごうっ!! まるで全てのものを薙ぎ倒さんと、
凄まじい突風が吹き荒れるこの悪天候。

「・・・ナっ、大丈夫か!?」

数歩先を走るガウリイが、大声であたしを呼ぶけれど。

「大丈夫じゃないわよ!! あまり離れないで!!」

轟く雷鳴と、全ての音をかき消すようなどしゃ降りの雨中では
聞き取る事も困難だった。

「リナ! あっちに明かりが見えるぞ!!」

悪すぎる視界の先から手が伸びてきて、ギュッとあたしの手を取った。

すっかり冷たくなってしまっている大きな手に力任せに引き寄せられ、
ショルダーガードの上から、護るように肩を抱かれ。

「もうちょっとだ、頑張れ!!」

身を寄せ合い背を丸めて前傾姿勢を取りながら、ドロドロぬかるむ獣道をひた走る。

「あれね!!」

顔に打ちつけてくる雨粒を手で払い、目を凝らした。

視線の先、まだ少し離れてはいるが規模の大きな建物があった。

この暴風雨にも負けず、その輝きであたし達を導いてくれたのは
軒先に吊られたカンテラの明かり。

「ああ、とにかく行こう!」

ぎゅうっと、一際強く手を繋ぎ。

あたしたちは、勢いよくその扉を開いた。








「大変な目にあったねぇ。 とにかく顔をお拭きよ」

ほら、と、柔らかそうなタオルが差し出される。

「ありがとうございます。すみません、いきなり飛び込んできちゃって」

礼を述べて、受け取ったタオルで髪と顔を拭いてはみたものの、
それも気休め程度にしかならない。

着衣のまま川でも泳いできたみたいに、全身くまなくびしょびしょで。
防具の下はもちろん、ブーツの中までガボガボ音が鳴る程
雨水が入り込んでいて、気持ち悪い事この上ない。

今立っている場所にも既に、滴り落ちた雨粒で水溜りができていた。

「いやぁ、参った。 急に嵐になるんだからなぁ」
ガシガシ乱暴な手つきで頭を拭きながら、ガウリイがぼやく。

「この辺りはたまに、こんな風におかしな嵐がやってくるのさ。
で、あんたたち。今夜はこのまま泊まるかい?」

「泊まるって、泊めて貰えるんですか?」

うっしゃ、ついてる!!

「もちろんだとも。そうは見えないだろうけど、うちの本業は宿屋だからね」

汚れたタオルを片付けながら、女将さんが笑った。






案内された部屋は、一風変わった作りになっていた。

ドアを開けると、狭い室内にはテーブルと椅子が置かれていて
更にその奥手にドアが2枚。

「ここはシェアタイプの部屋でね」

ガチャガチャと鍵穴に鍵を突っ込み、左側のドアを開く女将さん。

「見てのとおり、この部屋にはベッドしか置いていないんだよ。
隣の部屋も設備は同じで違う所と言ったら
ベッドの位置がこの部屋と逆って事ぐらいだね」

ほら、これが鍵だよ。

チャリン。あたしの手に鍵が2つ落とされた。

「すぐに湯を用意するから、少しだけ待ってておくれね」

パタパタと軽い足音を立てて、女将さんは去り。

あたし達もとりあえず着替える為に、それぞれ寝室に篭ったのだ。




「なぁ、なんか変じゃないか?」

ガウリイがそれを言い出したのは、二人とも湯浴みを済ませ
ようやく一息ついた頃だった。

「確かに、こんな場所に宿があるなんてね」

今日あたし達が歩いていたのは、街道をやや外れた森の中。

どうしてそんな所を歩いていたかという理由は・・・察しの良い方はお判りだろう。
人気のない街道を進んでいたあたし達の前に運良く盗賊達が現れたのだ。

もちろんその場でほとんど全員をへち倒し、一人逃げた頭らしい男を追って
あたし達は森の奥へと踏み込んだのだが。

その後はお約束通りの展開というかなんというか、
・・・要するに、そんな面白くも何ともない理由で道に迷ってしまった挙句、
街道にたどり着く前に空模様が怪しくなり、ヤバイと思ったらポツリと一滴。

・・・あとは前述の通りである。







「それもそうなんだが、この宿にはオレたち以外の客の気配がないんだ。
それと、ここに着いてからヤケに眠くてなぁ・・・くぁ」

言ってるそばからガウリイの奴、何度もあくびを噛み殺してるし。

「それって、魔族とかなんかのしわざって事?」

「いや、そういうイヤな気配はまったくない」

ぼりょぼりょ頭を掻きながら、ガウリイがへラッと笑った。

「じゃあ、単に昼間の疲れが出たって事じゃないの?」

そう言っているあたしも、実はけっこう眠いのだ。
まだ夕食も食べていないというのに、まぶたが重くてしょうがない。

あ、だめだ。

「ごめん、ガウリイ。あたしも限界来ちゃってるからもう寝るわ。
左の部屋使うから、女将さんに夕食はいらないって言っといて」

猛烈な眠気の所為でヨタヨタ歩きながらあたしは自分の寝室に引っこんだ。







爽やかな風が吹いて、ふわりとあたしの髪を乱していく。

木漏れ日はキラキラと輝き、脇を流れる小川には小魚の群れが泳いでいる。

サクサクと、下生えの柔らかい若草を踏みしめて。

「・・・って、ここどこよ」

あたしはこんな所で一体何をしているんだろう。
どこかで見たような景色だけど、それがどこだったのか思い出せない。

ふと、自分の姿を澄んだ水に映してみる。

「ありゃ?」

ショルダーガードが、違う。

これは、かなり前に魔族との戦闘かなんかで砕かれた筈。
左右のデザインが違っているのですぐに判った。判ったけど、どうしてだろうか。

どこか他に変わった所がないかときょろきょろ辺りを見回すけれど、
特にイヤな気配や危険な雰囲気は感じない。

「そういえば、ガウリイはどこだろ」

いつもあたしと一緒の筈なのに。
なのに今は、近くからあいつの気配を感じ取れない。

「まさか、はぐれちゃったんじゃないでしょうね・・・」

ボソッと呟いたあたしの耳に「おーい。こんな所にいたのか!!」
遠くの方から探していた奴の声が届いた。

「まったく、どこに行ってたのよ! また迷子になったかと思っちゃったじゃない!」

嬉しそうに駆け寄ってくるガウリイに、あたしはスリッパで天誅を入れようとした。

普段ならば、ガウリイは避けようともせずあっさり叩かれている筈だった。

なのに、「こら、いきなりそれはないだろうが」
不満そうな声と共に、握ってたスリッパを取り上げられる。

「ちょっ・・・!」
いきなりなにすんのよ!!

「リナ。お前さん、もちっとムードってもんを考えろよな?」

甘さを含んだ優しい声をあたしの耳に吹き込みながら、
事もあろうにガウリイの奴。

あ、あたしを真正面から抱き締めてくれちゃった!

「やっ、あ、あんたいきなりなにすんのよっ!!」

ボフンと押し付けられた胸板には、なぜかいつもの甲冑がなくて。
って、今はそんな事を言ってる場合じゃないって! 
どうしてガウリイの手があたしの手を握ってて
しかもそれを自分の口元に持っていこうとしているのよ!!

「リナ」
囁くような低い声で名を呼ばれ、つい力を入れてしまったあたしの指に
押し付けるように触れている、ほんのり温かな感触。

こ、これって・・・。

そっと目線を上げれば、幸せそうに目を細めながらあたしの指先に
キスをしているガウリイの顔が見えて。

どひゃっ!! 一気に心臓が跳ね上がるっ!!

「が、ガウリイ!?」

なんで?

どうしていきなりこんな事を!?







「うひゃっ!!」

・・・自分の寝言で目が覚めた。

飛び起きてしまったベッドの上で、あたしは自分の胸に手を当てる。

バクバクバクバク・・・激しく脈打つ心臓は、全力疾走した後のように速い。

なんちゅう夢を見るんだ、あたしは。

座ったまま周りを見回してみたけど、薄暗い寝室内にはこのベッド以外何もない。

あるものと言えば、獣脂を灯すランプだけである。

・・・喉、渇いちゃったわね。

何か飲みたくなってしまって、あたしは狭い部屋へと続く扉を開き。

「・・・ガウリイ」

目の前のテーブルに突っ伏したまま、寝こけているガウリイを見つけた。

とりあえず、置かれていた水差しから水を飲んで一息ついて。
なんとなく後ろめたいような気分になりながら、寝ているガウリイの様子をそっと窺う。

・・・なんか、うなされてない?

どこか不安げに、眉間に皺を寄せながらガウリイは眠っていた。
・・・起こした方が、いいのかな。
そう思って伸ばした手を、いきなり大きな手が捕まえに来た。

「・・・なんだ。夢かぁ・・・」

寝ぼけ眼を擦りながら、ボンヤリと呟くガウリイ。

「なんだ、じゃないわよ。 寝るんならちゃんとベッドで寝なさいよね」

まだ夢うつつなのか、依然ボンヤリとしたままのガウリイの手を引いて立たせ
あたしのとは逆の扉を開けてやる。

「ほら。もう一回寝直したら? あたしももう一回寝るつもりだし」

ドンと広い背中を押してやり、無事ベッドにたどり着いたのを見届けてから
すぐにあたしも自分の寝室に戻った。

ここに着いてからというもの、どうにも眠くて仕方がない。
まさか、雨に打たれた所為で風邪を引きかけてるとかでなければいいのだが。

こういう時は、とにかくきちんと寝るに限る。
体調管理は旅人の基本中の基本なのだから。

外はまだ雨が降り続いているのかバシバシと雨の打ちつける音が、
板越しにでもはっきりと聞こえてくる。

あたしはまだ温もりの残るお布団に潜り込んで、ギュッと目を閉じた。

『今度こそ夢見が良くなりますように』

夕食を取っていないというのに、不思議と空腹は感じないまま
あたしは、スウッと一瞬で眠りの世界に落ちていった。







「・・・・・・」

さすがに今回は判った。

これはたぶん、あたしの夢だ。

しかし、そうと判っていてもこの状態はちょっと。いや、かなり
恥ずかしいというかもんのすごく照れくさいというか。

どうにも目のやり場に困って、慌てて俯いてしまう。

だって今あたしがいるのは、狭くて温かいガウリイの腕の中なのだから。

正確には座っているガウリイの太腿に腰掛けて、そのままギュッと抱き締められている格好で。

そんな顔であたしを見つめないでよガウリイっ!!

「リナぁ・・・」

聞いた事もないような甘ったるい声であたしの名を呼び、愛しそうに髪を弄ぶ彼。

いつもと違いすぎるガウリイの態度に、どうにも居心地が悪くなって
何とか立ち上がろうと試みたが、それは成功しなかった。

それどころか!

なんで? どうしてあたしはガウリイの背中に手を回したりしてるのよ!!

思い通りにならない自分の行動に頭の中は混乱しているというのに
あたしの胸は勝手に高鳴り、そのままうっとりとガウリイを見上げ。

互いの視線が絡み合い・・・そして。

ゆっくりと、両の目蓋が下りてくる。

あたしの意思とは無関係に。

ガウリイの温かな吐息が、あたしの頬にかかり・・・。







「ぎゃあっ!!」

自分でも色気がないと思う声が、寝起きの喉から飛び出した。

「何であんな夢を見ちゃうのよ〜っ!!」

被っていた布団を思いっきり払いのけ、思わず頭を抱え込んでしまう。

またしてもバクバクと心臓が激しく脈を打ち、首筋をツゥと脂汗が一筋流れ落ちる感触。

ま、ましゃかあたしってば欲求不満だとか!?

『コンコン』

突然のノック音に、ビクッと身体が跳ね上がった。

「大丈夫か?」
扉の向こうからは、心配そうなガウリイの声。

ガウリイからの問いかけに「だいじょ〜ぶよ。ちょっと夢見が悪かっただけだから」と
笑って答えてはみたものの。

しばらくの間、まともにガウリイの顔を見られそうにない。

「それならいいんだが・・・」
声だけで、ガウリイが安堵しているのが分かるなんて。
あたし達、本当に・・・。

「え、と。 ガウリイっ!!」

部屋に戻ろうとしているガウリイを、つい、引き止めてしまった。

「ねえ、どの位寝ていたのか分かる?」

この部屋にも明かり取りの窓はあるものの、今は開けてみる気にはならない。
窓を開かなくとも壁越しに聞こえる音だけで、外は土砂降りの大雨と知れるからだ。

「ん〜? そうだなぁ。 一時間位の気もするし、夜明け前のような気にもなるなぁ」

歯切れの悪い返答に、まぁこの天気じゃあどの道出発できないだろうと答えてから。
あたしはまた、ベッドに戻り横になった。







「・・・いい加減にして欲しいわね」

あたしの目の前で、ガウリイが石像よろしく硬直している。

そりゃあ、いくらあたしの夢の産物であるガウリイであろうとも、
ほんの数秒前まで抱き合ってた相手にファイアーボールをかまされたならば、
絶対こういうリアクションを取るだろう。

「リナ? いきなりどうしたんだ!?」

慌ててあたしに手を伸ばしてくるガウリイに、あたしはバッと両手を突き出し
「ストップ!これ以上近づかないで!!」と叫んでいた。

だって、今のガウリイの格好ったら!!

「そんな上半身むき出しの格好で、ほいほい人の夢に出てこないでよっ!!」

そう、今度のガウリイはかろうじてズボンは履いているものの、上半身は素っ裸。

しかも、あろう事か太い首筋や鎖骨の辺りに点々と赤い跡が散らばっていて。

そんなもん見せられたあたしまで妙にドギマギしちゃって、
とにかく目のやりどころに困ってしまうのだ。

どうやらそれらの赤い吸い跡はあたしがガウリイにつけたものらしい。

らしいと言うのは、目を開いた時には既にあたしはガウリイの首筋に腕を回し
鎖骨のくぼみに舌を這わせていたからだ。

「こんなのうら若き乙女の見る夢じゃないわよ! 
なんで今日に限ってこんな夢ばっかり見るのよ!!」

ひっ掴んだ枕に火照る顔を押しつけ、絶叫したあたしと。

「おい、これはオレの夢じゃないのか?」

あたしの叫びを聞いて、焦った声をあげるガウリイ。

「だって、あたしは自分の意思で動いているもの。
だからこれはあたしの夢よ!」

「待ってくれ。オレもオレの意思でリナを抱いてたんだぜ?」

「だ、抱いてって!?」

人の許可も得ないで事もあろうにあたしを抱いたですって!?
何考えてるのよこのクラゲはっ!!

「これはオレの夢だろ? さっきだってリナは素直にオレに抱かれてくれてたし
キスしたら嬉しそうに応えてくれた。
大体オレが上着着てないのはリナ、お前さんが脱がせたからだぞ!?」

かなり動揺しながらあたしの肩を掴んでる、その表情に嘘は見えない。

どういう事? 夢が重なってる? 

まさか、あたし達の夢が繋がっている?

ガウリイに「ちょっと黙ってて」と真顔でビシッと言い渡して。

まずは現状確認しなくちゃ、何がどうなってるのか分からないわよ!!
これがあたしの夢ならば、創造したイメージを具現化できるかもしれない・・・。

「おおっ!」

突然、ガウリイが驚きの声をあげた。
あたしの手には、さっきまでなかったスリッパが握られていたからだ。

ふむ、少なくともあたしの夢である事は証明されたと思って良さそうだ。
この花柄スリッパは一度もガウリイに見せた事がない。

「ガウリイ、ここがあんたの夢の中だって言うのなら、あたしが今やったみたいに
あたしの知らない物を出して見せてよ。そしたら・・・」

最後までしゃべる必要はなかった。

「ほら」

ガウリイがあたしに差し出したのは。
今まで見た事のない、一輪の花。

白く柔らかそうな花びらの縁がまるでレースのように細い糸状になっている。
「これ、きっとリナは見たことないと思う。 ガラスウリの花なんだ」

フッと笑いながらあたしの髪にそれを挿して。

「そっか、ずっとオレの夢だと思ってたけど、リナも同じ気持ちでいてくれたんだな」

ガウリイはあたしを引き寄せ腕の中に抱きこんで・・・って、ちょっと待て。
いや、待ってってば!

「ガウリイっ! こんなのおかしいわよ!! 夢が混線するなんてありえないわよっ」

更には押し倒されそうにまでなって、必死に腕を突っ張りガウリイから逃れようと足掻くあたしに
「夢なんだろ? これは、夢なんだ。なら、せめて夢の中だけでもオレのものになってくれよ!!」
最後は悲鳴のような声を上げながら、抵抗をものともせずに押さえ込みにかかる。

「やだっ、夢って、ゆめだからってこんないきなり・・・!!」

起きなきゃ! 眠りから覚めれば!!

「んっ・・・!!」

力まかせの強引な口付けに、ガツンと歯がぶつかった。

けど、暴走状態のガウリイは止めようともせずに
何度も何度も角度を変えてあたしの唇を奪い続ける。

そのうち、フッと気が緩んだ隙を突いて、あたしの口中に忍び込んできたのは。

「・・・ぅふっ・・・ん・・・やぁっ・・・」

差し込まれた舌が、あたしの舌を絡めとり吸い上げて。
カシリと甘く噛まれれば、ビクッと身体が震えてしまう。

「・・・リナ・・・リナ」

キスの合間中、ガウリイは切なげな声であたしの名前を呼んでいた・・・。







「・・・・・・」

目を開くと、薄暗い部屋の中で一人きりだった。

横に目をやると、寝る前に見たのと変わらない獣脂ランプの明かりが見える。

どうしてか、無性に泣きたくなった。

あれが本当に共有された夢の出来事なのか、それとも自分の夢の産物なのか
今のあたしには断定できない。

・・・あたしの願望なのかもしれないじゃない。

ガウリイに迫られたいと、心のどこかで願っていたのかもしれない。

だって、あたしは。

あたしは、ずっと前からガウリイの事を・・・。

ひんやりとした床に足を降ろし。そのままあたしは寝室を出て、隣の部屋の戸をノックする。

が、反応がない。

ガウリイの気配は確かにあるのに、数度ノックをしても起きる気配が見られない。

「ガウリイ? ガウリイっ!」

嫌な予感が背筋を走る。
こういうのは外れた事がないのだあたしはっ!!

「開けるわよ!」

一応断りを入れて扉に手をかけて・・・鍵は、掛かっていなかった。

踏み込んだ部屋のベッドには、丸まった姿勢で眠っているガウリイの姿。

「ガウリイ起きなさいっ!!・・って!?」

すっぽりと頭まで被っていた布団の下から現れたのは。

「どうして・・・」

青白い顔で、彼は眠り続けていた。

眠る前までの血色の良さは失せ、病人のように細く苦しげな息を吐き。

そして、閉じられたままの目からは。

ツーッと一筋、絶え間なく流れているのは。紛れもなくガウリイの涙だった。

「ガウリイっ、ガウリイ!! 起きなさいったら!!」

ユサユサ身体を揺さぶっても、思いっきり殴ってみてもガウリイは目覚めようとしない。
まるで繭に包まれているような体勢で、悲しみに染まったまま眠り続けているだけだ。



時間だけが空しく流れて。

打てる手は総て試した。なのに、ガウリイは目覚めない。

「ばか・・・。あたしが嫌だったのは、あんたにそういう風に思われる事じゃなくて」

ポツリと、想いが口から零れ落ちる。

あやふやな夢の中で、なし崩しになるのが嫌だったのよ。

「・・・リナ・・・リナ・・・いく・・・な」

まだ夢の続きを見ているのか。

そこではあたしが彼の元を去ろうとしているのか。

指先が白くなるほどの力で布団を掴み、哀しげに呻くガウリイ。

あたしはそっと、拳の上からガウリイの手を包み込んで、そのまま覆いかぶさるように
眠ったままのガウリイを抱き締めた。

「どこにも・・・行くわけないじゃない。
あんたこそ一人で夢になんか閉じ篭って。あたしを一人にしておくつもり?
あたしの事が好きで、あんな風に抱きたいって思うんなら。
夢の中なんかじゃなくて、本気であたしを口説けばいいじゃない!!」

彼の耳元で、本音を叫んだ瞬間。

グラリと世界がかしいだ。

猛烈に襲い来る眠気に抗う間もなく、あたしは再び夢に堕ちていった。






そこは、まったく色のない世界だった。
地面もなく、空もない。光も射さず、あるのはただ闇ばかり。

「ガウリイっ!! どこにいるの!? 
ここにいるのは分かってるんだから、諦めて大人しく出てらっしゃい!!
今出てきたらドラスレだけは勘弁してあげるからっ!!」

大丈夫、ガウリイの気配はここにある。

「ガウリイっ!! あたしが欲しいんだったら、ちゃんとあたしを口説いてよ!!
あたし・・・あたしだって、ずっと前からあんたの事好きなんだからっ!!」

恥ずかしいとか、照れくさいとかは二の次で。
とにかくあんたと、ガウリイと話したいのよっ!!

その時、闇の世界に一条、まばゆい光が射し込んだ。

「だいたい、卑怯だわ!! 夢の中なら本音が出せるって、一人でコソコソ
むっつりすけべなマネしてるんじゃないわよ!!
いつだってあたしはあんたのすぐ隣に居たってのに、そんなにあたしは信用ないの!?
そりゃいきなりあんな真似されたら暴れちゃうかもしんないけどさ。 でも、本気で
ガウリイがあたしの事を望んでくれるんだったら、いきなり問答無用で断ったりなんかしないわよ!!」

ほら、さっさと出てらっしゃいよ!! どこに居るのかわからないまま
言いたい事を大声で叫び続けていると。

「・・・ほんとう、か?」

あたしの後ろから、小さな小さな声がした。
何よ。でっかい図体してるくせに、叱られた子供みたいにして。

「このあたしにここまで言わせておいて、あんたそれでも平気なの!?
早く現実に戻ってきて、そんでちゃんと生身の身体であたしの事抱きしめてよっ!!」

ぐわあっ!!っと、急速に身体を引き揚げられる感覚に襲われた。
同時に闇が取り払われ、金色の光があっという間に世界を満たしていく。

もう、これで・・・だぃ・・・。






「・・・リナ」

目の前に、ガウリイがいた。

なんだか息苦しくて熱いと思ったら、ガウリイの腕に捕らえられ
思いっきりその身体に密着している所為で。

「ここは、夢の中じゃないわよね?」

ちゃんと確認取らなきゃ! ああ、でもきっと。

「夢の中なんかじゃないさ。 夢じゃなくて現実の中でリナを・・・抱いてるよ」

ギュッとあたしを抱えたまま、かすれた声で答えをくれる。

「もう、我慢しなくてもいいんだよな?」

あたしの顔を探り当て、そっと仰のかせたガウリイは
幸せだなと呟いて、あの夢みたいにキスをしようと迫ってきて。

「今はそんな事してる場合じゃないでしょうが、このくらげっ!!」

その腑抜けた顔に、横から一発本気パンチ。

「って〜っ!! いきなりなにすんだよリナっ!!」

いきなりの攻撃に鳩が豆鉄砲食らったような顔してるけど、
夢の中みたいにファイアーボールじゃなかっただけありがたいと思いなさい!

「だから、状況を考えて行動しなさいっていつも言ってるでしょ!
こんなくそ怪しい宿で無防備な事してる場合じゃないでしょうが!!」

「おまえなぁ・・・。 そりゃそうだが、せめてキス位・・・」

あたしは冷静に状況を判断しただけなんだけど、どうやら
思いっきり肩透かしを食らわせてしまったらしい。

みるみるガウリイの顔が曇り、終いにはガックリと項垂れてしまった。
まるで飼い主に叱られたわんこみたいで、情けないったらありゃしない。

・・・しないけど、そんな所も可愛いと思ってしまう辺り、あたしも
とうとうボケボケくらげの毒が回ったか。

「とにかくここを出ましょ! また眠気が襲ってきたら次は危ないかもしれないし、
あの女将の正体ももしかしたら人間じゃないんじゃ・・・」

とにかく外に出ようと起き上がった、その時。

「ええ、そうですとも」

突如聞こえた声と共に、予告なく開かれた扉。

ごうっっっ!!

突然室内に吹き荒れる強暴な風に翻弄されそうになるけれど。

「このっ!あたしを舐めんな、エルメキア・ランスっ!!」

荒れ狂う風の音に紛れて唱えた呪文を、声のするほうに解き放つ。

が、「ほほほ。そんなに怯えなくても危害を加えたりしませんよ」

扉の向こう側でスッと背筋を伸ばし立っている女将は、
どうやら笑っているようだった。

「さぁ、お代をいただきましょうかね」

一人勝手に話を進めながら、女将は無遠慮にもあたしの荷物に
手を突っ込んで、なにやらゴソゴソやっているではないか!

「ちょっと! なに勝手に人の戦利品漁ってんのよ!!」
しかし、あたしの抗議は完全に無視され。

程なく「これがないと困るのです。宿代として頂戴致しますね」と
女将はその手に何かを握ったまま、満足げに荷物を離した。

「濡れていた服は全部纏めて乾かしてフロントに置いてあります。
では、ご利用ありがとうございました」

ごおおっっっ!!
一際強い風が吹きつけたかと思ったら。

もう、彼女の姿はどこにもなかったのである。







「なんだったんだろうね〜」

爽やかな空気を吸い込みながら、あたし達は再び森の中を歩いていた。

あの後慌ててフロントに走ると、確かにあたし達の装備一式が並べて置かれていた。
汚れも匂いもないそれらは、きちんと手入れをされていたらしい。

「狸だか狐に化かされた気分だなぁ」

両手を頭の上で組んだまま、ボケっとした口調でガウリイが零す。

勝手に探られたあたしの荷物からは、あの日盗賊達から没収した戦利品の一つ、
大き目のクリスタル球がなくなっていた。

他のもっと金目のものには、一切手をつけられていなかったから
今回はまぁ、さほど被害というほどの事もない。

それよりも・・・。

気づかれないようこっそり、横目でガウリイの様子を窺ってみる。
こうやっていつものように歩いていると、宿での出来事がまるで嘘のようだ。

もしかして、あれも彼女の仕組んだ悪戯だった!?

でも、そんな事をした所で何の得があるわけでもなし・・・。

ごつっ。

額に、固い感触。

「考え事しながら歩くと危ないぞ?」

「分かってるんなら避けてよね!」

ええと、考えに気を取られていたあたしがぶつかったのは
よりにもよってガウリイのでっかい背中。

「さっさとどこかの街まで行って、朝ご飯食べましょ。
いつまでもこうしちゃいられないでしょ!」

真正面から向かい合ってるとさ、なんか、気まずくってしょうがないわよ。

「ちょっ、ちょっとあたし偵察してくるっ!!」

ううっ、場が持たないっ!! ガウリイとどう接していいか判らない。
ちょっとどこかで頭を冷やさなきゃダメだ!

「レイ・ウィ・・・!!」

飛翔の呪文を完成させようとした、その時だった。
急にあたしの手を掴んで、ガウリイがあたしを力いっぱい抱き寄せたのは。

「ガウリイっ!?」

「・・・一人で、行くなよ。なぁ・・・」

ぎゅうっと、大きな体躯に抱き込まれては、最早あたしに逃げ場はなく。
しょうがないから、されるがままに任せておいた。

だって。

だって、ガウリイは怖がっていたから。
今までなら絶対あたしに見せなかっただろう、余裕のなさを晒していたから。

「ばぁか。あたしはちゃんと、覚えてるから」

「あんたじゃあるまいに」なんて、優しく聞こえるといいなと思いながら
あたしは彼の手を取って、指を絡めて。

「街に着いたら。 あの続きをさせてくれるか?」

至近距離で囁かれる、低くて甘いガウリイの声にあたしは
こっくりと頷く事で返事とした。

だって、声に出すのはやっぱり恥ずかしかったから。







その後、近隣の街であの不思議な宿について聞いて回ったところ
『あの森では時折不思議な事が起こる』という噂は、かなり以前からあったらしい。

激しい嵐の後にだけ現れる、古びた宿の噂話とは。

その宿に泊まった者は、次の朝には必ず変化が訪れるという。

ある者は全幅の信頼を置いていた友人と袂を分かち。

ある者は人間不信に陥ったという。

ごく稀に、幸福な変化を体験した者もいるというが、
詳細は伝わっていないらしい。

ただ、その宿には危険や害意はまったくないらしく、
嵐が収まり宿泊客がいなくなれば、次の嵐の時まで消えてしまうらしい。

だとすると、あの時見た彼女は宿の精だとでもいうのだろうか。







「もういいじゃないか。終わりよければ総てよし。だろ?」

穏やかな笑顔を浮かべながらあたしの手を取るガウリイに、
あたしも笑顔で「そうね」と頷いたのだった。