「ガウリイにしちゃあ上出来じゃない♪」

ひんやりと冷たい水に足を浸しながら、あたしはガウリイを仰ぎ見た。

「気に入ってくれたか?」

「当然よ! 今度はアメリア達も誘ってきましょ♪」

「そうだな。 ま、今日の所は二人で思いっきり遊ぼうぜ!」

きゅっと手を握られ、そのまま引っ張られて
あたしは涼しげな水面へと誘われる。

空は青く晴れ渡り、所々に白い雲が浮かんで地上に優しい影を作り。

今年完成したばかりだそうな施設は、
覚悟してたよりも混雑はなかったし。

要所要所に植えられた椰子の木が
心地良い木陰を作り、白いビニールチェアが整然と並べられている。

その一角、売店から少しだけ離れたグリーンのテント下のポジションを、
持ち込みのタオルを置いてしっかりキープ。

「早くしなきゃ、スライダーが混雑しちゃうわ!」
笑いながら二人、急ぎ足で階段を上がる。

今日、あたし達はプールに遊びに来ていたのである。






「ぅひあっ!?」

のんびり水に浸かりながら、ぼ〜っと空を眺めてたのに
突然腰に回された腕に、驚いて変な声を上げてしまった。

「すまん、ちょっと押されちまっただけだ」

「パッ」と、慌てて距離を取ったガウリイに、ちょっとムッとなる。

そんな思いっきり否定しなくても・・・って、あたしは何考えてるのよ。

「すみませ〜ん」

そうこうしている間にも、あたし達の横を子供連れのお母さんやら
仲の良さそうなカップル、浮き輪に群がった小学生のグループなんかが
あたし達を追い越し、気持ち良さそうに流されていく。

「ほらそこ。ちょうど流れがきつくなってるから」

ガウリイが指差した先には水中に設えられた噴出孔。

なんだ・・・本当にわざとじゃなかったのね。

「・・・ナ? リナ? ちょっと疲れたか?」

ボーっとしてしまったあたしに、心配そうなガウリイの声が届く。

「何でもないわ。 一旦上がって何か飲まない?」 

『ちょっとあんたの腕に見惚れただけ』
なんて言える訳ないじゃない!

咄嗟に指差した先には、ちょうど飲み物の自販機が並んでいて。

「じゃあ上がって待ってろよ。 小銭取ってくる」

言うが早いが、ガウリイの手があたしの脇に伸ばされて
そのまま一気に引き揚げられる。

「自分でできるったら!」

「いーだろ、別に。リナは軽いんだし」

ガウリイは何でもないように言うけど、どこから見ても
いちゃついてるバカップル状態じゃない?

次いでガウリイもプールサイドに両手をつくと、
一気に身体を持ち上げ水から上がる。

盛り上がった背筋やら、広い背中に濡れて張り付く長い金髪に
ついつい目をやっちゃう。だって、その・・・こういう場所だと
体格の差とかがモロに見えて、ガウリイがれっきとした
男の人なんだなって、意識しちゃってしょうがないんだもん。

普段の服だとそれほど筋肉ついてるな〜とか
意識したりしないんだけど。

ガウリイってば、脱いだらけっこう・・・いや、かなり逞しかった。

別にボディービルダーみたいに、ぴくぴく動く胸筋とか
コポッと外れそうな上腕二等筋。とまでは行かないけど
(それはあたしが嫌だし)
見ていて素直に綺麗だなって思える体つきなのよ。

例えるならレスラーのようなゴツさじゃなくて・・・
そう、野生の獣のように無駄のないスタイル。
まるでプロボクサーのような、鞭の様にしなやかな体つき。

それに・・・こんなとこまで見ちゃうって自分でもどうかと思うけど
ガウリイってば、あんまり濃くないのよね・・・体毛。

さっき見かけた『顔も濃いけど脛毛も濃いぜ!!』って
感じの兄ちゃんみたいなのは好みじゃないし、
第一そーいうの、ガウリイには似合わないのよね。

「温かいのと冷たいの、どっちがいい?」

「お、お帰り!」

いきなり声を掛けられて飛び上がったあたしに、
「ほら」と紙コップが二つ差し出される。

「何飲むか聞いてなかったから適当に買ってきた。
温かいのがレモネードで、冷たいのがレモンソーダ」

「何で両方レモン味なの?」

疑問に思いながらも、ちょうど身体が冷えちゃってたから
ありがたくレモネードを受け取った。

「いや、ちょっと焼きすぎたんじゃないかなと思ってな。
ほらここ、赤くなってきてるぞ?」

 『チョイ』

突付かれたのは肩の丸いライン。うっ、そういえば日焼け止め
塗り直すの忘れてたっけ。

「どーする? そろそろあがるか? 随分混雑してきたみたいだし
ここらで飯食いに行ってもいいんじゃねーか?」

入口の方に目を向ければ、これから入場しようと並んでいる人の
長い列が駅の方まで伸びているのが見えて。

「そうね、そろそろ次行こっか」

「なら、先に着替えて車回してくるから。
お前さんはゆっくり着替えてこいよ」

話は決まったなと笑って、ガウリイはあたしの頭を
一撫ですると、荷物を纏め更衣室へと向かって歩き出した。

広い背中を追って更衣室へと向かいながら、この時は
あたしも『お昼は何を食べようかしら・・・』なんて
のんきに考えていたんだけれど。






「ここのお店、当たりだったわね♪」

「気に入ったか? あの店、回ってるくせにネタが新鮮だったろ」

プールを後に一路、狭い裏道を抜けた先の
穴場だというお寿司屋さんでいつものように食事を済ませて
満足したお腹を抱えて車に戻り。

このまま帰るか、それともどこかに寄るかどうかを
のんびり話しているうちに、どーもあたしは眠ってしまったらしい。

だって、エアコンの効いた車内に泳ぎ疲れた所に
適度な振動が加われば・・・ねぇ。

カーステレオから流れる心地良い音楽と、
ぽつりぽつりと優しい調子で話すガウリイの声に
安心しちゃったのもかもしれない。

しれないけど、さ。

目が覚めた時、あたしはいきなり飛び起きる羽目になった。

ゆっくりと目を開けると・・・見慣れない天井が
視界いっぱいに飛び込んできたんだから。






淡い青と白い色がまだらに描かれた天井。
これで青空のつもりなんだろうか。

背中に当たっているのは固い車のシートじゃなくて、柔らかな布の塊。
身体の横に手を滑らせると、シュッとツルツルした感触がして。
その先にあったでっかい何かに手の甲が当たる。
・・・これ、なんか生温かいし。

「起きたか?」

手の方向から、予想通りの人物の声が響いて。

「・・・ここ、どこよ」

あたしは不機嫌さ丸出しで唸ってやった。

ここはあたしの部屋じゃないし、ガウリイの部屋でもない。
もちろん車の中でもないし、他の知ってるどの場所でもない。

「ん〜、いわゆるラブホ。だな」

サラッと言ったクラゲ男に一発、
乙女の鉄拳制裁パンチを喰らわせてやる。

が。

あっさりと片手で受け止められてしまってはくやしさ倍増。

「理由も聞かずに怒らんでくれって」

ガウリイのちょっと困った声に、取り合えずもう片方で振りかぶっていた
スリッパを降ろす。・・・手放しはしないけど。

「じゃあ、聞こうじゃないの。どうして家に向かっていた筈が
こんな所に入っちゃってるのか。あたしの納得できる理由じゃなきゃ
今すぐタクシー呼んで一人で帰らせてもらうわよ?」

こめかみがピクピクしているのを感じつつ詰問するあたしに
「リナとの約束は破ってねーぞ? お許しが出るまで手を出さない、
無理矢理押し倒したりしないって、な。
ここに入ったのは、事故渋滞で帰りが遅くなりそうだったのと
寝苦しそうなリナをゆっくり休ませたかった、それだけだ」

にっこり邪気のない笑みを浮かべるガウリイ。

ほんとは信じてるってば。
あんたが約束反故にしたりするような奴じゃないって。

「渋滞って・・・どこらへんで?」

「TVつけてみろよ。ラジオで状況聞いてたら、
処理が終わるまでかなりかかりそうだったからな。
それで、ちょうど目に付いたここに避難したって訳だ」

ほい、とリモコンを渡されて素直にピ。と電源を入れると。

「・・・あっ、あんっ!! ・・・
やっ!!・・・」

部屋中に響き渡る艶めかしい喘ぎ声。

ピッ!!

慌てて電源を切る。

「ああ、ニュース見るならチャンネル合わせねーと」

ガウリイは硬直したままのあたしの手から悠々とリモコンを奪い取ると、
再び電源を入れて、画面にさっきの映像が映る前に
チャンネルをニュースに合わせてくれたけど。
広い肩が小刻みに震えてるわ、顔を隠すように俯いてるわで
思いっきり噴き出すのを堪えてるのが丸判りで憎たらしいったら。

「笑いたけりゃ堂々と笑えばいいじゃない!!」

今度こそ、容赦なく頭にスリッパをお見舞いしてやる。

「い・・・いや、リナの反応があまりに可愛くってな・・・ぶっ、ダメだ〜!!」

とうとう腹を抱えてゲラゲラ笑い出した奴にもう一発、枕アタック!

「いや、いきなりお地蔵さんみたいに固まっちまうから、な。
ぷっくくく・・・いや、お前さんらしくていいと思うぞ?」

ようやく笑いの発作が治まってきたのか、目じりを手で
ゴシゴシ擦って滲んだ涙を拭ってるし。

「どうせそっち方面は苦手ですよ〜だ!!」

むくれた顔で舌を出してやると「いや、悪かった」と
今度は神妙に頭を下げてきたので
それ以上の突っ込みは止めにして。

「んで、結局渋滞の原因って何なの? まだ通行止めって続いてる?」

「もうすぐやるんじゃないか? そろそろローカルニュースの時間だし」

番組の合間の飲料水のCMを眺めてるあたし達。

こんな場所で、肩を並べてTV画面を見るなんて、
もっとずっと先の話だと思ってた。

「これじゃないか?」

再び番組が始まってすぐ、ガウリイが反応したのは。

『・・・道○号線で起きたマイクロバスとトラック2台の絡む
スリップ事故は、未だ収拾の目処が立っておりません。
追突されたトラックに積まれていた子豚が複数頭脱走。
その後ろを走っていたトラックからは養鶏場から出荷のために
運搬されていた鶏数百羽が逃げ回り、道路を越え
近隣地域にまで散らばっている模様。
幸い負傷者は出ておりませんが、散乱した積荷の回収は
かなり困難とみられていて通行止めが解除されるまで
かなり時間がかかりそうです』

淡々と原稿を読み上げるアナウンサーとは対照的に、
あたしはもう、我慢の限界にきていた。

「ぶっ、豚と鶏が大脱走って、食われてたまるか!!って
決死の逃避行ってやつじゃないでしょうね!?」

こんなの、コントとかお笑いの中でしかありえないと思ってた。 

あたしはお腹の奥からこみ上げてくる笑いを
盛大に吐き出しながら、わざとらしく
バシバシ布団を叩いて転がってみた。

本気で可笑しかったの半分と、さっきの
気まずさを打ち消したかったのが半分。

ガウリイがどうこうじゃなくて、
この場所の持つ雰囲気に飲まれないように。

たかが密室されど密室。

二人で転がっているのは、そういう行為のための場所。

顔を上げればガラス張りの浴室が見えてしまうし、
ベッドサイドのテーブル上の小さな籠には
その・・・小さな包みが準備されているしで。

ん?

「ガウリイ、あれは?」

指差したのは、籠の隣の大きな紙包み。
そこからほんのり甘い匂いが漂ってくる。

「食うか?」

でっかい手から渡されたのは、淡いピンクに染まった果実。
うっすらとした産毛に包まれ、丸みを帯びた。

「ちょうど食べ頃だってよ」

甘く熟れた、桃の実。

受け取った実は見た目よりもずっしり重く、うっかり爪を
めり込ませてしまった箇所から、一際強く香りがたって。

つぅっ・・・。

染み出した透明な果汁が指先を伝い落ちて、
しっとりとあたしの手の平を濡らす。

「腹減ってるんなら、そのまま齧っちまえよ」

言いながらガウリイも一つ、瑞々しい果実を取り出しすと
ほとんど実を傷つけないまま、するする薄皮を剥いて
豪快にかぶりついた。

「綺麗に剥くわね〜」

同じように薄皮を引っ張ると、下から美味しそうな果肉が現れた。

真っ白な果肉は汁を滴らせながら、いっそう強い香りを放って
「早く食べて」とあたしを誘う。

ここじゃお行儀悪いかな?と気になりながらも、
甘い香りに誘われるままに唇を近づけて、じわり。

柔らかな果肉に歯をつき立てると
豊かに滲み出した果汁が、乾いた喉を潤して。

ああ・・・しあわせ。

「美味いな」

あたしが一口目の至福を堪能している隙に、
ガウリイは一つ目を平らげてしまっていて。

新しいのを掴むために伸ばした筈の
ガウリイの手が、急に止まった。

「どしたの?」

ガウリイを眺めながら、あたしは果肉をもう一齧り。

しっかり熟れているからすごく甘くて、それにジューシー♪ 
これでもうちょっと冷えてりゃ完璧なんだけど。
あと何個あるのか知らないけど、小腹を満たすにはちょうど良い。

一滴たりとも零さないように、滴る雫を舌で追いかけて。

手の中で実を回し齧って、口いっぱいに広がる
この時期だけの味わいを心ゆくまで堪能する。

急に。

スッと、ガウリイの手が伸びてきた。

硬い指先があたしの口の端を優しく拭ったと思ったら、
そのまま彼の口元へ。

「甘い」

果汁を拭った指を舐めて一言。
呟きを漏らしたガウリイの視線が。

ほんの少しだけ。

少しだけ細められた眼が、あたしを真っ直ぐ捉えていた。

「・・・ガウリイ?」

柔らかな色味の青い瞳に、熱っぽさを感じるのは何故だろう。
見慣れた筈の微笑みに、何か違うと思ったのはどうして?

「ちゅっ」っと。

軽い音を立てて、彼の指が唇から外れて。
一瞬覗いた歯と舌が、妙にあたしの心をざわつかせる。

「・・・なぁ。もう、食べないのか?」

少しだけトーンの落ちた声に。

トキンとあたしの心臓が跳ね上がった。

「食べる、わよ。・・・ガウリイ、は?」

急に距離を縮められて、驚いて声が小さくかすれてしまう。

「オレは・・・もっと食べたいもんがあるんだけどな」

心臓を射抜くような、鋭い視線があたしを捕らえてる。

「桃なんかより甘くて、柔かくて。良い匂いのする・・・」

ばふっ!!

あたしは咄嗟に枕を引っつかんで、ガウリイの顔面に押しつけて
「あたしはまだ完熟してないんだって!
だからもうちょっと待っててって言ってるじゃない!!」
こっ恥ずかしいしいセリフを叫んでいた。

「ちゃんと判ってるんじゃないか」

急に、ガウリイの雰囲気が変わる。
怪しげなものから、いつもののほほんとしたものへ。

「・・・どういうこと?」

赤い顔のまま、目の前の男を問い詰めてやる。

「お前さんの食べ頃はもうちょっと先。だろ?
ちゃんと手順を踏んで、それから」

「もしかして、バレてた?」

彼の言葉を遮って、あたしは頭を抱えてしまう。

来週の、ガウリイの誕生日。

それまでにあれこれ準備したり根回ししたり、色々と。

心の準備はできていても、何事にもタイミングってものがあるし
何より思い出深いものにしたいな、なんて
乙女チックな野望もあったりなんかしたのに。

もうっ、こいつのカンの良さを甘く見すぎてたわ・・・。
どうにも恥ずかしくて、顔に枕を押しつけ唸ってやる。

「先倒し、ってのはなしか?」

そー言うの、あっさり聞いてこないでったら!

「ちゃんと食べ頃になったら、目の前で落ちるから。
だからそれまで」

もうちょい、待ってて。

両腕を突き出して×マークを作ったあたしの頭を、
ぐりぐりと撫でくり回しながら
「オレはいつでも準備万端だからな」って、
大人の余裕か、穏やかな声でガウリイが言って。

結局この日は泳ぎ疲れも手伝ったのか、二人揃って
無邪気な子供のように眠りこんでしまって。






空には月と星。

時刻は午前。

点滅しまくる携帯電話の着信履歴を前にして。

「どうしよう・・・」と、二人途方にくれるまで。

あと、数時間。