金闇の中






 冷たい床は、容赦なくあたしの体から体温を奪って行く。

 少し湿った、石畳の床。

 天井はあたしが立ち上がれないほど低く、出口は冷たい氷で塞がれたまま。

 吐く息は白く辺りを曇らせ。

 縛められたあたしは成す術がない。



 ポツン。



 ポツン。



 時折天井から滲み落ちる水滴。

 封じられたあたしの体の上に落ちては飛び散る。

 もうどの位ここに居るのだろうか。

 もはや、時間の感覚すら無く。

 今が昼なのか、夜なのかすら見当も付かない。

 いや、今、外界がどうなっているのかすら分からないまま。

 もう、知る必要も無いのだと。

 そう、断罪されて。

 あたしはここに封じられた。





 暗くて、ジメジメとした、さびしい場所があたしに与えられた唯一の空間。

 もう何を望む事も許されないのだと。

 武器も、防具も奪われて。

 肌に纏うは、薄絹一枚。

 それすら、濡れて肌にまとわり付いて不快な事極まりない。

 手首に足にと絡められた縛めの鎖はギチギチとあたしの肌に食い込んで、
少しでも動くたびに新たな傷を作る。

 それを治療する事もできずに。

 ここで、じっと時が終わるのを待っている。




 あたしの・・・・・が終わるのを、待っている。





 人並みはずれた魔力を身に宿したあたしを、あれは放って置いてはくれなかった。

 世界はあたしを恐れ、忌み嫌い、疎んで、ここに封印したのだ。




 それは、残酷な封印。

 


 それは、記録者としての封印。




 あたしはここに閉じ込められて、誰とも、何とも接触を許されない。

 あたしに課せられたのは、ただ、見続ける事。

 濡れた床に。

 濡れた壁に。

 濡れた天井に。

 ツルツルとした全面に映し出されるのは外の世界。

 それは、あたしのいた世界ではなく。

 現実とも、幻とも着かない記憶の奔流。

 時代も、場所も、人物も。

 ありとあらゆる物語が。

 人の、獣の、神の、魔の。

 生きとし生けるもの。

 生や、死とは切り離されたもの。

 そのどちらでもないもの。

 その全ての記憶も、感情も。

 纏めてごった煮になって、無理やりあたしの中に注がれる。

 そうして、あたしはこの世の全てを知りながら、この世とは何も関われない。

 そして何も伝えることもできないものになったのだ。




 これは、罰なのか。
 


 彼のものをこの身に宿した代償なのか。



 
 人の身には、過ぎた望みを願った、代償なのか。




 あれに、何かを願う事自体が罪だったのか。



 冷たい金色の光が時折あたしを照らす。



 まるで、『まだ眠らせるわけには行かない』とでも、言いたげに。


 






 いつしか、身体は、壁に溶けこみ。

 髪は天井と交じり合い、足は床と同化する。

 それでもあたしは、眠る事すら許されず。

 注ぎこまれる知識と記憶と感情に。

 いつしか心も凍り付く。


 もう、どんなに残酷な光景を見せられても。

 どんなに幸福な出来事を見ても。

 濁流のように頭蓋の中に流れこむそれらに身を曝しても。

 もはや、何も感じない。

 感じる、と言う事がどういうものだったのかすら、
 忘れてしまった。


 

























 ・・・・・・ナ。








 ・・・・・・・ナ。







 ・・・・・・ィナ。








 ・・・・・・リナ!!




























 
だぁれ。



























 
呼んでいるのは、だれ。




























 
ココには、そんなものはない。




























 
ここには、なにも、ないの。 




























 ・・・リナ!! リナ!!



























 
なに。

 それは、なに。


 その音を発するのは、何?


 





 少しずつ、近く、力強くなっていく、その音は。


 何故かは判らないけど、あたしを落ち着かなくさせた。


 あたし?


 あたしって、なに?


 それは、なに?









 リナ!!


 目を覚ませ!!


 お前のいる場所は、俺の側だ!!






 
心地のいい音。


 



 意地っ張りで、我が侭で、素直じゃなくて、照れ屋だけど・・・





 自分より弱い奴にはトコトン甘くて・・・・




 それでも、それでも俺は・・・・・・・!!











 『 リナ!! 』










 ピクン、と震えた。


 
あたしが、震えた。


 あたし?


 あたしは、そう、リナ。


 あたしは、リナ=インバース!!


 ・・・・・・願ったのよ。


 世界なんかよりも、大切なものを救いたいと。


 あたしよりも、大切なもの、を護りたいと。








 これが、その対価。


 世界よりも大切なあいつを忘れて。


 ただ一人、全ての世界の記録を、この身に刻むものになると。


 それなのに。


 どうして、こんな所にまで追いかけてきちゃうのよっ!!


 『 リナ!! 』



 あいつのあたしを呼ぶ声が。


 冷たく狭い、この場所響き渡った瞬間!!



 ばきぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん・・・・・・・・。


 澄んだ音を立てて。


 冷たい牢獄は砕け散った。









 両腕に。

 暖かい感触を感じて。

 あたしはそっと、瞳を開ける。







 視えたのは。


 柔らかな、金色。


 驚きと喜びを浮かべた、一人の男の姿。






 「 リナ!! 」





 
 ゆっくりと触れ合った。

 それは、産まれたばかりのみどり児が。

 母のぬくもりを、無心に求めるように。


 あたし達は。

 お互いを求めて、抱き合った。

 

 微笑を贈られて、あたしも彼に微笑を返す。

 そして、どちらからともなく。

 触れ合わせた、くちびる。










 
 これは、祝福。












 全てのものの母からの、祝福。




 全てを投げ打ってたった一つのものを救おうとした娘に。


 それを知って、己の全てを投げ打ってまで、娘を救おうとした男に。



 何があっても。


 何も、存在しない場所であっても。



 互いを想い、呼び寄せた二人への、祝福なのだ。








 それから二人は母の腕に抱かれて。


 元いた世界に送り出される。


 ささやかな祝福と、重い運命を背負って。