宿のお風呂で、思う存分身体を伸ばしてリラックスする。
この瞬間が、あたしはたまらなく好きなのである。

広々した浴槽を独り占め出来るのならなおよし。
ちゃぷりと乳白色の湯を掬い上げると、ホワイトローズが
ふわりと香ってなかなかに心地良い。

「ふうっ、今夜は冷えそうだからしっかり温まっておかなくちゃ」

う〜んと大きく伸びをして、浴槽の壁にもたれかかってしばし脱力。

お湯は熱くもなく温くもなく、適温そのもの。

対岸の壁には獅子をかたどったレリーフ。

大きく開いた口からは、シャボシャボと間断なく熱いお湯が
絶え間なく吐き出されている。

単調な音に眠気を誘われてしまったのか、あたしはつい、
うたた寝をしてしまったようだ。

気がついた時、既に異変は起こっていた。

さっきまで乳白色だったお湯の色が一面ピンク、
それも鮮やかなどピンク色に変化していたのだ。

辺りに漂う香りも、さっきよりもっと濃厚で甘ったるいものに変わっている。

「なによこれ!!」慌てて浴槽から出ようと立ち上がりかけて、
くらりとした揺れと同時に目の前に霞がかかった。

・・・やば、のぼせちゃったかも。

全身が鉛のように重くて、ついにあたしは
お湯の中にへたり込んでしまった。

このままここにいたたら状況はますます悪くなる一方、
しかしあたしの他に人影はなし。

まずい。
このままだとのぼせまくった挙句得体の知れないお湯の中で
溺れてしまいそうだ。

「だれ・・・か」

助けを求めて口を開いたのとほぼ同時に、一気に視界がブラックアウト。

強烈な眩暈と全身の血液が音を立てて下がるような不快な感覚に、
あたしは思いっきりお湯の中に沈んでしまった・・・。



・・・気がつくと、くすんだ色の天井が見えた。

「大丈夫か?」

心配げな声の主はもちろん。

「・・・ガウリイ、あたし」

「いいから喋るな、とにかくこれを飲め、な?」

背中に回された彼の腕が力強く身体を支え起こし、
もう一方の手が大振りな茶碗を近づけてくる。

「・・・なに?」

とりあえず唇にあてがわれた茶碗に口をつける。

ひんやりとして甘く、少し塩味の混じる液体は、ほんのり
柑橘系の香りがして。

「これ、ジュース?」

「いいから。 全部飲んじまえよ」

促され、未だはっきりとしない頭のまま茶碗の中身を飲み干す。

すると。身体の奥底からトキン、トキン、と、何かがこみ上げて来る。

「ガウリイ・・・あんた、一体なにを飲ませた、の・・・?」

トキン。

トキン、ドキン。

ドキドキドキ・・・。

どくどくと五月蝿い位高鳴っているのはあたしの心臓で、
そこから身体中に熱が広がって。

「効いてきたみたいだな」
嬉しげに呟いて、あたしの頬に手を伸ばすガウリイは、
どこか艶めかしい微笑のままあたしを見つめている。

・・・なんだか、もっと見ていてほしい。

もっと近づいて。もっと、吐息がかかるほど近くに。

ね、ガウリイ。

ガウリイ、あたし・・・。

「ガウリイ、もっと・・・」

舌っ足らずな声で、あたしはガウリイの服に縋りついて。

「もっと、なんだ?」

彼は嬉しげにあたしの眼を見つめ、問いかけてくる。

「もっと。もっと・・・ちょうだい」
「・・・リナは何が欲しいんだ? はっきり、言ってみろよ」

あたしの顎に手をかけ上向かせながら、至近距離で囁かれる
彼の声音は低く甘くて身体の芯がゾクゾク震えて。

その声に誘われて、あたしの心の奥底から何かが
込み上げそうになるけれど。

ちゃんと言わなきゃ伝わらないもんね。

「・・・欲しいの」

「何を、だ?」

眼を細め、あたしの声を聞き逃すまいと顔を近づけてくる男に向かって。

言った。

「おかわりっ!!」

「うおっ!?」

ドタガッタン!!

次の瞬間、無様にも床にひっくり返った不埒者。

そりゃあびっくりもするでしょうよ。
今出る最大ボリュームで叫んでやったんだから。

まったく、何を思ってあんなもんを飲ませたんだか知らないけど
どうせその気になるのなら、もうちょっとムードとか、
とにかく色々考えてほしい。

体調不良のままあんたの相手なんて、絶対できっこないんだからね!!



「・・・ちょっとまってろ。今もらってきてやるから」

全力の肩透かしを喰らったガウリイは、それでもあたしの為に
新しい飲み物を取りに行き。

その隙にあたしは急いで身支度を整える。

いやー。ここが自分の部屋で良かったわ♪
グローブマントにショートソード、手早くショルダーガードも身につけて。

窓の桟に足をかけて全速力で呪文詠唱、時間との勝負!!

階下から慌てた気配が猛スピードで戻ってくるが、
こちらの方が一手、先んじたわよ♪

「リナっ!!」

「レイ・ウイング!!」

扉が開くのと発動はほぼ同時。

間一髪、あたしは夜空に舞い逃れ。

「リナ、おまっ、どこ行くつもりなんだ〜っ!!」

ギリギリまで窓から身を乗り出し、やいのやいのと叫ぶ相棒には
「んふふ〜♪ お蔭様で目が覚めちゃったから、
心置きなく行ってくるわね。
あたしの夜のお楽しみ♪ と・う・ぞ・く・い・ぢ・め・にv」
にっこり笑顔で宣言して。

心ゆくまで一晩中、夜の森で不幸な獲物相手に
紅蓮の華を咲かせまくったのである。



翌日ガウリイを問い詰めたところ、あのジュースに
興奮作用があるとは知らなかったらしい。

お風呂の一件も宿の手違いで入浴剤を入れすぎただけとの事。

それならそうと早く言えとか、紛らわしいマネするんじゃないとか
文句は色々とあるけれど。

冷静に考えたら、彼がそんな姑息な手段を採る必要は
これっぽっちもないわけで。

ホッとした反面、ちょ〜っっっぴりだけがっかりしてしまったのは
ここだけの秘密。