「初雪が降る頃には、どこかに落ち着いていたいわ」

そう、リナが言ったのはいつだったか。



元々、冬は旅人には辛い季節だ。

身を切る冷たさの風と、歩みを鈍らせる雪。

そして動く気力をも奪うような鈍色の空。

静まり返った秋の終わりの街道の上、紅葉よりも花々よりも、
挑むように鋭く輝く彼女の瞳が一番美しかった。



リナと旅するようになって何年経っただろう。

少し前までは色々と大変だったのが、彼女の故郷を訪ねた後くらいから
少しずつ周囲が静かになっていった。


その頃から、各地を訪れる目的も変わっていったように思う。

彼女の背中を守リ戦う旅から共に手を取り生きてゆく旅へ。

今にして思えば恥ずかしい限りだが、
強引に彼女の保護者役を買って出た事もあったような。

出会った時既にリナは一人で生きていける程に強く、したたかで。
同時に可愛らしくていじっぱりな、とにかく目の離せない女の子で。

漠然と生きる意味を探していたオレの前に現れた燃える宝石のような
少女はやがて、時を経て深い色彩の紅い宝玉を瞳に宿す女性となった。

悪い趣味は中々治まらないけれど、以前よりはずいぶん落ち着いてきたようにも思う。

「あんまりやりすぎると、そろそろ絶滅危惧種になっちゃうでしょ?」

次の獲物は海賊にしようかしら、と言われた時にはただ苦笑するしかなかったが
彼女がオレの隣で笑っていてくれれば、それでいい。

世界の理なんぞクソ喰らえだし、第一奴らもそれを承知でやっているような家業だしな。

「ああ、お前さんの思うようにやれよ」

背中を押せば、嬉しそうに見上げてくる対の宝玉が夕日のように煌いて、
真冬の寒さをも忘れてしまいそうになった。



「・・・・・・ねぇ、聞いてる?」

目と鼻の先で、不機嫌そうな女性がオレを睨んでいる。

「えーと、なんだったっけ?」

パシンッ! 

軽い衝撃と共に目の奥に火花が散った。

「だから、明日の予定はどうなってるのって聞いてるの!」

形の良い唇が威勢の良い言葉をポンポンと紡ぎだし、額に揃った
二つのほくろは髪の影から今日も変わらず見え隠れ。

綺麗な朝焼け色の瞳が輝いて、オレの姿を映し出す。

「・・・・・・休みだと思うぞ、たぶん」

どうにか思い出した。

明日何も予定がないのなら屋根の雪下ろししてくれって頼まれてたんだ。

「ったく、道路の雪かきは炎系の呪文で溶かせばお終いだけど、屋根はそれやると
痛むから、面倒だろうけどお願いって、あたしちゃんと言ったわよね!?」

ぺちぺちと手の中のスリッパをもてあそびつつ、じと目でオレを見ている女性は、
今、新しい命を胎内に宿してくれている。

「ああ、聞いてた。 第一、大事な女房に危ないマネなんぞさせられるか」

あえて口にした 女房 の一言に、瞬時に彼女の頬が赤く染まる。

まったく、いつまで経ってもこういうところは可愛いままで、
それがまた一層愛しさを募らせるのだと気づいて欲しい。

「リナ、愛してるぞ」

空いている手を取り真白い甲に口付ければ、「みゃっ!」という奇妙な悲鳴が飛んできて。

一拍遅れで床から聞こえた軽い物音は、あー、スリッパが落ちたな、こりゃ。

握った手の先には最愛の女性がいて、初夏になれば家族が増える。
これはなんていう名の幸せなんだ?

「まったく、お前さんは」

そろそろ慣れてくれてもいいんじゃないか?
そっと囁いて手を引くと、しなやかな身体が寄り添いにきてくれるから、
そのまま両腕の中に納めて抱きしめると。

「・・・・・・だって」

拗ねた振りして甘えてくるのが彼女の定石。

もっと素直にくればいいのにと髪を撫でると「もうちょい待って」と唇を尖らせるんだ。

「誰も見てないから。 な?」

冷たい耳たぶに唇を寄せてわざと低く囁けば、きゅうっと背中に突き立つ爪先。
その感触も痛みすらも心地よい。

「・・・・・・あんたが、見てるじゃない」

ぽそっと囁かれた一言に、こんなにも過敏に反応しちまうんだぜ?

ぞくりと震えた体の芯に灯った焔の揺らめきが、彼女を抱く手に力を込めた。



こんな日には、こんな夜にはひっそりと。

冬に眠りを貪る獣のように、狭くて暗い隠れ家の中に篭ってしまえば
もっとずっと幸せになれる。

「ちょっと、今はダメだってば!」

気配に敏感な彼女がさっそく暴れだすが、軽くいなして抱き上げて。

「分かってる、ただ一緒に・・・な?」

先から暖めてある寝室に向かった。



この家に越してきたのは初雪が降る頃。

今は冬の真っ最中で、まだ幾度も雪下ろしが必要だろう。

そして春が来たなら、新しい命を迎える支度に掛からなくちゃな。



以前のオレは、一面の銀世界が嫌いだった。
荒涼とした景色が故郷の記憶を呼び起こしたから。

今のオレは、さほど雪が嫌いじゃない。
一片の雪さえ、あの日の光景を思い出させてくれるから。



「・・・・・・あ、また降ってきた」

窓を指差すリナの手を、そっと包んで布団の中に引き込んで。

明日は忙しくなりそうだなと、眠たげな紅と微笑を交わした。