「へ? なんて言ったの?」

いきなりでなんだけど、今、あたしはガウリイに手を取られて引きずられていた。

「ちょっと足を延ばさないか、って」

いつもと違う強引な連れの態度に驚きつつとりあえず足を動かしてみてるんだけど、
ほんとにいったい何がどうしたのやら。

別にガウリイについていくのが不安なわけでも不満なわけでもなく
特に用もないんだけど、用件も目的地も明かされずにあてどなく
ひっぱられ続けるのがちょっぴりヤだったりする。

だけど、時々あたしの方を振り返りながら先を急ぐ彼の、ウキウキした顔を
見ちゃったらもう、仕方がないから付き合ってやろう。と、
子供を見守る母親のような心境になってしまう。

てくてくてく。

たわいもない話をしながら、タイミングを見計らって行き先を尋ねてみても、
ガウリイはいたずらっ子のように笑みを浮かべて
「それは秘密だ」と、昔の知り合いのマネをするだけ。

そうこうするうちに少しずつ日が傾いて、涼しい風が流れ出す。

今歩いているのは山に続く細い道、この先には村もなければ人家すらない。
昨夜、次の目的地を決めるべく読み込んでいた地図がそう示していた。

まさか、ガウリイの方から盗賊いぢめのお誘い!?

……そんなわけないと知っていながら期待してしまうって、これはそろそろ
我慢しないで行っとけっていう天の啓示かもしれない。
明日さっそく出かけるか、先手を打たれて妨害されたらどうかわそうかと
悩んでいると、唐突にガウリイの足が止まった。

「ついたぞ!」

ポン、と、肩を叩かれて視線を上げた先には。

一面の、空を覆いつくさんばかりに咲いた、淡いピンクの花、花、花。



藍色の闇の中、木々の間でほんのりと光っているのは、誰かが放った
ライティングかなにかだろうか。

空の闇を背景に地上の光に照らし出された花達は、風が吹くたび儚くその花弁を散らせ、
雪のように舞いながら地上へと降り積もっていく。

いきなり現れた幻想的な光景に心を奪われたあたしは時間も忘れて
見惚れていると…突然、唇に何かが触れた。

「お疲れさん」

かけられた声に意識を現実に引き戻されて、目をしばたいてそれを見ると
真っ赤で丸くて、ちょっぴり冷たい。

「リナはこれ、好きだったろ?」

あたしにそれを突きつけながら、もう一方の手で同じものを支えて笑うと、
オレも好きなんだと一口齧って頬を綻ばせた。

白い歯を突きたてられてパリリと割れる真紅の球。

内から覗いた果実の白が奇妙に眩しくて、どうしてだか
今は見えない天上の月を連想させた。

「確かに好きだけど。ガウリイ、あんたよく見つけたわね」

押し当てられたリンゴ飴を受け取って舐めると、
懐かしい甘さと香りが舌の上で踊る。

「昼間にちょっと、な。 そん時にここのことを教えてもらって
下見に来た時に売ってたんだ。
昔からここらはちょっとした名所でさ、リナに見せたら驚くかなって」

ガウリイはちょっぴり照れ臭そうに話しながらあたしの様子を伺ってるけど、
どう答えればいいのか言葉が出ない。

道中偶然見つけた場所だとか、名所旧跡だと知って出かけたことは
あってもこんな不意打ちは初めてだ。

こんなにもあっけなく、子供の頃からの憧れが、形だけ、叶ってしまった。

「…リナ? 怒ってる…のか?」

怒る理由なんてなにもない。

これはガウリイの純粋な厚意だって判ってる。

小さく首を振ってそうじゃないと示してみても彼は納得しなかったらしく、
そっと身を屈めてあたしの顔を覗きこんできた。

至近距離で見るガウリイは、やっぱりそのまんまガウリイで、
すっかり馴染みきった優しい笑顔がスッと心に溶け込んでいく。



どうしてこいつはあたしの望みを叶えてくれるんだろう。

こんな、まるで逢引のように連れ出したりなんかして。

どう責任とってくれるのよ。
ガウリイったら、思いつきでこんなことまでしちゃうなんて。



さらさらと散る花弁は、まるで心に流れる涙の身代わりのようだった。

「怒る…わけ、ないじゃ、ない。 あんまり綺麗で、びっくりして。
とっさに、ことばが、でてこなかった、だけ」

震える唇が紡いだ言の葉は、切れ切れでたどたどしくて、
動揺してるって知られてしまうに決まってるけど。

お願い、これ以上追及してこないで。

春の夜、二人きりでこの花を見る。

それがあたしの故郷の求婚作法だなんて彼が知る由もないんだから。



「じゃあなんで、そんなに固まってるんだよ!」

硬い声と、差し伸べられた大きな手。

心配そうにあたしを見つめる青い瞳。

世界で一人だけの、あたしの相棒。

この雰囲気に呑まれたとか、恋する自分に酔ってるとか、
憧れに浸ってるとかそういうんじゃない。

ずっと、ずっと、この気持ちは胸の奥に棲んでいた。

隣にあんたがいるだけで、こんなにも苦しくてこんなにも愛しいのに、
一方通行の想いを伝える勇気が出ない。

最初は甘くて、知るほどに酸っぱくなったり苦くなったり。

まるであんたがくれたリンゴ飴みたいじゃない。



「…オレは、謝らないからな!」

突然声を張り上げたと思ったら。

ガウリイが、あたしにぶつかってきた。

どしん。背中が幹に当たって、勢いで仰のいたあたしの唇に柔らかなものが重なる。

何が起こったのか理解できなくて呆然としていると、ざらりとしたものが
頬を滑る感触の後、唇を塞いだものは。

何度も啄ばむように触れては離れてを繰り返してる。

好きだ、そう聞こえた気がした。

幻聴でもかまわないから、もっともっと聞きたかった。

いつのまに目を閉じていたのか、金色と青色しかない世界が嬉しかった。

目の裏に広がる世界が全部、ガウリイになったようで。

ぎゅっと、抱きしめられてるような錯覚。

締め付けられる圧迫感と、かかる重みと体温がリアルすぎて。



やっとあたしは、現実と向き合う決意を固めた。



「いい加減にしろ! お前さんの考えることなんか全部わかってんだ!!」

噛み付くように叫んだガウリイは、本当にあたしを追い詰めて抱きしめていた。

「どうしてオレを信じない! 人の気持ちを勝手に決めつけて黙殺しといて、
なんで一人で泣くんだよ!!」



大の男が。

あのガウリイが、あたしの肩に顔を埋めて泣くだなんて。

「今まで旅してきたのも、これからだってオレがリナといたいからいる。
その事に誰にも文句なんか言わせねぇ。それがリナ、お前さんにでもだ!
ここに連れて来る意味だって解ってやったし、今更お前さんに拒否権なんぞ
これっぽっちもないからな。覚悟しとけ。
オレがどんなに真剣にリナを欲しているか、欠片も疑えなくなるまで教えてやる!!」



嘘だ。

こんなのありえない。

嬉しい。

あたしもガウリイと一緒がいい。



頭の中で鳴り響く否定の言葉と歓喜の感情が入り混じり
せめぎあってあたしの心を混乱させる。

「世界がどうだとか責任があーだとか、そんなもんどうでもいい!!
何も知らない、何もしなかった奴らの言う事なんか聞かなくていい!!
オレの声だけ聞いてればいいんだ、リナ、だから!!」

口下手な癖に、そんなに必死になっちゃって。
ほんと……バカ、なんだ……から。

「……わかった。こわかったのよ、自分だけ幸せになることが。
どんなに強がったって、貪欲に生きようとしたって、忘れる事なんてできないから!!」

思いっきり叫んだあたしをもう一度、強く強く抱きしめて、
「無理に忘れろなんて言わんさ、だから一緒に生きるんだろ?」と。
耳元で囁かれた声は頼もしくて、心強くて、迷ってばかりだったあたしの心を
見事、一刀両断にしてくれた。





罪のリンゴは二人で齧って飲み込んでしまえばいい。

知恵の象徴である赤い果実は、罪という名の真紅を纏ったまま地面に転がり落ちたから。

その先にあるのはなにか知る術はないけど、もう、一人じゃない。

笑んだ先には優しい笑顔があって、手を伸ばせば指を絡めて慈しみ合える人がいる。



風に飛ばされ散り続ける夜桜の下で、あたし達は誓いの口付けを交わした。