「ゼルガディス。ゼルガディス。ゼルガディス・・・」

遠くから呼ばわる声に溜息を吐いて、俺は書き物の手を止めて声の主の下へと向かった。

薄暗い石造りの回廊は相も変わらず陰気な空気が漂っていて好きになれない。

抑揚に乏しい声は相変わらず俺の名を連呼している。怒鳴るでもなく、途切れるでもなく。

壁に掛けられた魔力光が向かいの壁に俺の影を映しだす。

身長の差と、あいつがいつも携えている杓杖以外の差異を見つけられない程良く似た影が、
移動するのにあわせて頼りなげに揺らめいてついてくる。

・・・まったく、息が詰まりそうだ。

過剰なまでの束縛も、得体の知れない輩が集うこの研究所の空気にも。

呼吸をすることに支障はないはずだったが、
精神的な息苦しさを強く感じて、胸の辺りを強く掴んだ。

まるで心臓を握りつぶすような仕草ですね。とは、あいつの言だったな。



ゆっくりと歩いて数分。

堅牢な作りの石扉の前に立ち、決められた所作と呪文との組み合わせによる
簡単な儀式を執り行って中に入る。

まったく、これもいけ好かない。

本人は宝玉に手を宛がうだけで入室できるというのに、あいつの側近や
腹心の部下であろうとも、この手続きを踏まないと中に入ることは許されない。

それでいてあいつは実に気軽にそして頻繁に、こうやって部下を自室に呼びつけるのだ。

今、俺に対してそうしているように、この研究所全体に広げた伝声管を使って。


一歩、室内に踏み込んだからといって、即、この部屋の主に会えるわけでもなく。
噎せる程焚かれた香の煙が立ちこめ、白い帳を下ろしたような部屋は広く、
雑多な物品で溢れている。

・・・3日前に片付けたばかりだというのに。
かろうじて人一人が通れる程のスペースしか空いていないのはどういうことだ。

「おい、いいかげんにしろ」

声を掛けてみたが返事はなく、あい変わらず淡々と、奴は呪文でも唱えるように
俺の名を連呼し続けている。

「くそっ、嫌がらせか」

魔風でも唱えて煙を散らしてやりたいが、あいにくここは地中深い場所にあり、
当然新鮮な空気が手に入る窓などあるはずもなく。
精々が天井に設置された換気用の管が数本、地上に向かって延びているだけ。
実行しても効果が望めないばかりか、散らかった部屋がより一層酷く散らかるだけだ。

そして、あいつは後からしてやったりと微笑んで命じるのだ。
「あなたが散らかしたのですから、きちんと片付けておいて下さいね」とかなんとか。

「どこにいる。いいかげんに返事をしないなら俺は戻らせてもらう」

控えめな声で呼びかけながら、俺は書物の山と
無造作に並んだどでかい壷の間をすり抜け、更に奥へ。

「ここですよ、ゼルガディス」

今度こそいた。今のは間違いなくあいつの肉声だ。

突如ぶち当たった真っ黒な覆い布をたくし上げて中に滑り込むと、
一転、中は清浄な空気が満ちていて、一気に呼吸が楽になる。

「どこにいる。さっさと」

答えろ、と続ける前に真っ赤な影が滑る様に近づいてきた。

「ほんとうにあなたはせっかちですね。誰に似たのかは知りませんが、
もう少し可愛げがあれば良いものを」

静かにたたずんでいる長身の男こそが、この部屋の、研究所の主。

赤法師レゾ。

「……そんなものはこの姿にされた時に失くした」

「ああ、あなたを呼んだ理由についてですが」

俺の放った嫌味をあっさり黙殺すると、レゾはニコニコと機嫌良さそうに俺の前に立ち、
空いている手を伸ばしてきた。

一歩、後ろずさると首を傾げられるがそのまま黙って距離を保ったが、
そんなものは即、なかったことにされる。

「どれどれ」

ぐうっと顔を近づけてくると、顔の横辺りでぴたりと止めてクンクンと鼻を鳴らす。
・・・これのどこが五大賢者の一人だと?

「なかなか良いですね」

犬のように人のことを嗅ぎまくって、ようやく顔を離したと思えば満足げに頷いてやがる。

「・・・何がだ」

「いえね、その移り香は如何ですか?初めは幾重にも重なる香りが苦く重く、
そして徐々に薄まり表情を変えていく香りをこうして深く吸い込むと・・・
頭の芯からスッキリしませんか?」

「知るか」

「ツレないですね、ゼルガディス。仕事中に呼びつけた事を怒っているのですか?」

「……どうせ止めろと言っても止めんくせに。
いいか、人を呼びつけるときはせめてあの扉の解呪くらいしておけ。
いちいち手順が面倒でかなわん」

「その件については謹んでお断りしましょう。
面倒なことが嫌いなあなたが煩雑な手続きを乗り越えて、
私の元に来てくれるからいいんじゃないですか」

「・・・バカか」

「バカでも何でも罵りたいならお好きなように。
私はね、唯一の肉親からの愛に餓えているのですよ」




どれだけ突き放そうとも微塵も揺らがぬ強固な意志が、
プレッシャーの塊となってレゾから放たれる。

唇に浮かべた微笑みの形を崩さぬままジリジリと切り替わっていく重苦しい空気に、
目の前の人物の目が、見えぬはずの両眼がまっすぐこちらを捉えているような
錯覚に襲われる。

「……あんたが俺の肉親だというなら。
まず、どういう関係なのかを遡って詳しく話してもらおうか。
肝心なことを知らされないままというのは気分が悪い」

「その辺はもう少し未来にでもお話しましょう。
なに、年長者の言うことは素直に聞いておくものですよ」

『これで話は終わり』とばかりに、シャン。と杓杖を一打ちすると、
レゾはこちらに。と俺を手招き奥の間へと導いていく。

「若輩者への配慮はないのか、あんたは」

「あいにく私はかわいい子には旅をさせる派でしてね。
なに、愛なら溢れるほど持っていますよ、ゼルガディス?」

「残念だな。俺はあいにく愛なんてかったるいものは持ち合わせちゃいない」

「何を言うのです。愛とはもっとも純粋で、それゆえに美しく尊いものです」

世界で最も大切なものですから、見失ってはいけませんよ。
神妙な顔でそう言うと、出来の悪い生徒を嗜めるように笑ったレゾに、
「なら愛で世界が救えるとでも言うのか」と問うてみたら。

「愛で地球は救えなくても私は救えます」と、きっぱりと言い切りやがった。





「年を経るといつしか皆、子供のように無邪気な心を取り戻すものなのですよ」

今でも時々、ヤツの声を思い出すことがある。

どこまでも身勝手で、強欲で、残酷な奴だったが、それでも俺は。

「・・・愛とは呼べなかったかもしれないが。
俺は・・・あの時。間違いなくあんたを慕っていたさ」

とうに受け取る者のない呟きは風に乗り、あっという間に消えていった。








お目汚し失礼いたしました。
つか、これただのレゾ+ゼルですきっと。



ツイッターでひいたお題が
『苦しくて息が詰まる・移り香は如何ですか・愛で地球は救えなくても僕は救えます』

で、脳裏に浮かんだのがレゾゼルだったという。