『Gorgeous Kiss』




コンコンッ

ベランダの窓ガラスを叩く音に、リナは読んでいた本から目を上げた。
リナの部屋は高層マンションの最上階。
泥棒や心霊現象でなければ、そんなところから現れるのは一人しかいない。

「ガウリイ?」

夜になり閉めていたカーテンを開けながら声を掛けると、窓ガラスの向こうから「おぅ」と答えが返った。
カーテンが開き、室内からの明かりに照らされ、ベランダに金髪長身の男の姿が浮かび上がる。

「どしたの?こんな時間に…」

深夜というほどではないが、少なくとも人を訪問する時間ではない。
しかもここは玄関ではなくベランダである。

「これ、渡しておこうと思ってさ」

ベランダに面した掃き出し窓を開けたリナに、ガウリイが小さな何かを差し出した。

「何?化粧品?」
「今度新しく売り出す唇用の美容液だってさ」
「へぇ…」

早速蓋を開け、くんくんと匂いを嗅ぐリナ。

「バラの香りね。結構いい匂いじゃない。さすが大手メーカーだけあって、いい香料使ってるわね」
「違いなんてあるのか?」
「あるわよ。バラの香りってありふれてるけど、安い香料じゃ変にくどくなるのよねぇ」
「そんなもんか?」
「そんなもんよ。あ、ってことは、あんたの次の仕事、これ?」
「ああ。さっきまで打ち合わせしてたんだ。で、お前さんがエアコンで唇荒れるって言ってたの思い出して、もらって来たんだ」
「そうなのよねぇ。涼しいのはいいんだけど乾燥しちゃって…。サンキュ、ガウリイ」

ニッコリと微笑んだリナが、ふと思い出したように訊いた。

「あっ…ねぇ、さっきまで打ち合わせってことは、あんた夕飯は?」
「一応出たけど腹減って来たから、これから何か買って来ようかと…」
「それならうちで食べてく?夕飯に作ったシチューが残ってるけど」
「おっ、やった!それじゃ遠慮なく…」

ガウリイは履いていたサンダルを脱いで、気安い様子でリナの部屋に上がり込んだ。
リナとガウリイはお隣同士。
大学生になり一人暮らしを始めるリナに変な虫が付くことを心配した父親が、セキュリティの非常に高いこのマンションを選んだ。
外部からの不審者には有効なセキュリティも、さすがに入居者までは排除出来ない。
しかもガウリイはモデル出身の俳優という仕事柄、この部屋を借りていることは極秘扱いになっていた。
引っ越し後の挨拶で隣が芸能人と知り驚いたリナだったが、ガウリイが気さくな性格だったせいもあってか、今ではベランダ越しに行き来するほどの間柄になっている。
まあ、ただのお隣さんというだけでもなかったりするのだが…。



数日後、リナはガウリイの部屋にいた。
仕事が早く終わって帰って来たガウリイに夕飯を作って一緒に食べ、今ガウリイは台所で洗い物をしている。
食後のお茶を飲みながら何気なくTVを見ていたリナが、台所のガウリイに声を掛けた。

「そういえばさぁ、この間の美容液、あれ、結構効果あるみたい」
「そうか?」
「うん。口紅の乗りもいいし、何より寝起きでも全然カサつかないのよ。ありがとね」
「どーいたしまして。何だったらまたもらって来てやるぞ?」
「あはっ。そういえばあれっていつ発売なの?」
「来月の頭じゃなかったかな?」
「じゃあ、そろそろポスターとか出来てるの?」
「ああ。今日もらった。その辺に転がってると思うが…」

洗い物を終えたガウリイが戻って来る。
部屋の隅に無造作に転がっていた筒状の物を拾うと、リナに渡して来た。

「随分な扱いねぇ…」
「オレは自分のポスターを部屋に貼る趣味はないぞ?」
「だったらもらって来なきゃいいのに」
「いや、リナが欲しいかと思ってさ。何ならサインも入れてやるぞ?」
「そうねぇ…。壁に穴でも空いたら塞ぐのに使わせてもらおうかしら?」
「どっちの方が酷い扱いなんだか…」

ガウリイが呆れたように言うが、ポスターを開くリナの横顔は薄っすらと赤い。
実は知り合って以降のガウリイの仕事でのポスターや雑誌記事を、リナはこっそりスクラップしていた。
ガウリイもそれを薄々知っており、リナの言葉が照れ隠しなのはお見通しなのである。

「相変わらず、無駄に色気があるわよねぇ…」

ポスターを開いたリナが感心したように言う。
紙面いっぱいにガウリイの横顔。
切なげな表情で件の美容液に唇を寄せ、視線だけを流し目のようにカメラに向けている。
女性用化粧品のCMにガウリイが起用されるのは、女性に人気があるというだけでなく、この性別を越えた美しさのためでもあった。
決して女性的とか中性的という訳ではないのだが、女装すればかなりの美女に仕上がるのは間違いない。
思わず見蕩れそうになったリナは、そんな自分を誤魔化すようにポスターの隅に目を向けた。

「あれ?」

ポスターの隅に美容液の商品ラインナップが小さく載っている。

「ねぇ、ガウリイ。あれって3種類もあったの?」
「ああ。お前さんに渡した奴はオレが選んだ」
「どうせなら3種類とももらって来てくれれば良かったのに…」
「オレの希望も込めてみた」
「香りが好みだったとか?」

思い付いたことを口にしつつ、何を宣伝したいのかわからないほど小さな文字で書かれた商品説明にリナは目を通した。


【Fresh Lip】
 初めての恋の時の優しくときめく唇で、彼の扉をそっとノック。
 初恋をイメージした、甘酸っぱい柑橘系の香り。

【Sweet Lip】
 ちょっぴり小悪魔な唇で、甘く誘って彼をその気に。
 甘く蕩けるハーブの香り。

【Gorgeous Lip】
 自分を変えてみたい貴女に。その唇で官能的に迫って大胆に彼にアプローチ。
 本物の花びらから抽出した贅沢なバラの香り。


「…っ!」

書かれていたコピーを読み、リナは真っ赤になって絶句する。
リナがもらったのは3種類のうちの【Gorgeous Lip】。
ガウリイが言ったのは「希望を込めた」であって「好みで決めた」ではない。
火を噴くのではないかというほど赤くなったリナを、ガウリイが背後から抱き締めた。

「オレの扉はとっくに全開だし、いつだってその気だからな。ここはやっぱり、リナに『官能的に』『大胆に』なってもらおうかと」

囁かれた耳元に吐息が掛かり、リナがビクッと首を竦める。
ガウリイの手がリナの顎を捕らえ、クイッと上向かせた。

「ああ、ホントだ。効果はバッチリだな。美味そうだ」

妖艶な笑みを浮かべた蒼い瞳を、恨めしげな赤い瞳が甘く睨み返す。

「あたしは変わったりしないわよ?」
「変わる必要はないさ」
「……『官能的』なんて、どーすりゃいいってのよ…」
「フッ…そんなの、オレが全部教えてやるよ。実践でな」

有言実行とばかりに、ガウリイの唇がリナの唇に重なった。
新商品の美容液はCM効果もあってか品切れ店が続出するほど売れたが、リナがそれを切らせることはなかったという。
















bluegaleさんの書かれるガウリイはとてもスマートかつ、
大人の余裕を垣間見せながら、しっかりリナさんを手に入れられるのですよ。
うちのガウリイにも見習わせたいものです!!

我が侭を聞き届けて下さって、ありがとうございました♪