* 閉じたままの窓 *








   ハンサムなガウリイ=ガブリエフの心を手に入れるのは誰だろう?
   ハンサムなガウリイ=ガブリエフは、いったい誰のためにあの窓を開けるのだろう?









「よっく聞け、ガウリイ! このぼんくらのドラ息子め!」


ある日のこと、厳格な父親にして有名な資産家 ── つまり名うてのけちんぼ ── であるガブリエフ氏は、自分の前にぼーっとつっ立っている2番目の息子に向かって怒鳴った。


「年内だ! いいか、今度という今度は、年内に身を固めるんだ!
 独身男にかかる税金がどれほど高いものか、お前も知らぬはずはあるまい!!」

「はい、父さん」


ガウリイはしおらしく頭を垂れ、靴のつま先の汚れを絨毯に擦りつけながらうわの空で答えた。
父親のこの種の小言は16歳の誕生日以来10年間、毎年のように聞かされ続けてすっかり慣れっこになっていたから、聞き流すのはお手の物だった。

しかし有名な資産家にして厳格な父親 ── つまりかなりの頑固者 ── であるガブリエフ氏の方だって、そういつまでも息子の好きにさせておくつもりはなかった。


「そんな口先だけの生返事などとっくに聞き飽きたわ!
 いいか、もしお前が年内に結婚相手を見つけられなかったら、そのときはお前がいま住んでいる別邸 ── あれは私の母がお前に遺した、お前の唯一の財産なわけだが ── あれを今まで私がお前の代わりに支払ってやっていた税金の形(カタ)として差し押さえるからな! わかったかっ!!」



最後通牒をつきつけられ、さすがののらくら者もついに年貢の納め時を悟った。

もともと結婚願望がなかった訳ではないし、亡き母親ゆずりの美貌のお陰で感謝祭のダンスの相手に困ったこともない。
ただ、連日自分の家に押しかけきて、窓の下で名前を呼んだり、横断幕を掲げたり、花束やキッスを投げつけたりする女性たちの中からただ一人だけ選ぶというのが、あまりにも厄介かつ煩わしいことのように思えたので、ついつい後回しにしてきたのだ。


「だけど、うちに女性をご招待するとなると、ひとつ大きな問題があるんだよなぁ……」


そこでガウリイは家に帰るとすぐに電話帳を引っ張り出して、その中のとある番号に電話をかけた。





    プルルルル プルルルル  ……ぴっ!





「はい! こちらは『住まいのことならなんでもおまかせ♪』インバース工務店です!」







    *******







「ガウリイさまーっ!!」
「愛してるわーっ!!」
「お顔を見せてーっ!!」


ガウリイの家の前では、その固く閉じられた窓の下で、今日も大勢のレディたちが群れをなしていた。
レディたちはみな美しく着飾って高価な香水の匂いを辺りにぷんぷん撒き散らし、
黄色い声でガウリイの名を叫んだり、彼に捧げる自作のラブソングを歌ったり、派手なパフォーマンスを披露してみせたり、とにかく周囲より少しでも目立とうと必死だった。

けれど、頭上の窓は無情にも閉じられたまま。
虚しい求愛をつづけるレディたちは涙を流し溜息を吐く一方で、


「そんなつれないところもス・テ・キ……」


と、身悶えるのだった。


するとそこへ。





    プップーー♪





一台のおんぼろワゴン車がごとごととやって来て、中から栗色の髪の小柄な少女が降りてきた。

少女は立派なレディたちが大勢集まり互いに妍を競い合っている様子なのを見て、不思議に思った。


「皆さん、これは一体なんの集まりですか? お祭り? 結婚式? それともお葬式?」

「その全部があの窓の向こうにあるんですよ」


レディのひとりが親切に答えた。
少女はあまりにも子どもっぽく見え、とても自分たちのライバルにはなりそうもないと思ったからだ。


「ハンサムなガウリイ=ガブリエフには花嫁が必要だというのに、彼は誰もためにもあの窓を開いてくれないし、誰にも微笑みかけてはくれないの」


そう言ってそのレディは悲しそうにレースのハンカチで涙を拭った。
少女はまだ恋をしたことがなかったから、いくらハンサムでも女性を泣かせっぱなしで放っておくようなひどい男に、なぜ大勢の女性たちがこうも入れ込んでいるのかしら、と首をかしげた。


「ふ〜ん。 ま、あたしには関係のない話だし、どうでもいいけどね。
 あたしはあたしの仕事をするだけだわ」


そこで少女はレディたちの間をさっさとすり抜けて入り口に近づき、元気良くドアをノックした。


「ごめんくださーい! インバース工務店ですがー!」


すると。


「ああ、内装屋さんか。 すまないが裏へまわってもらえるかな? 勝手口の鍵は開いてるから」

「わかりましたー!」


中からの返事に応えて、少女は車を家の裏手へと動かした。





まさかガウリイが返事をするとは思っていなかったレディたちは、呆気に取られて少女を見送った。

しかし感心なことに、いくら裏口が開いていると分かっていても、少女の後に続いてガウリイの家へ入ろうとする者はひとりとしていなかった。



レディが勝手口から人様の家を訪問するなど、決してあってはならないことだったからだ。







    *******







少女が勝手口の扉をノックすると、足音が近づいてきて、扉が開き、少女が今まで見たこともないくらいきれいな男性が姿を現した。


「はじめまして。 リナ=インバースです」
「ガウリイ=ガブリエフだ。 来てくれて助かったよ」


そう言って握手を交わし、にっこりと笑いかけるガウリイの顔は、たしかに多くの女性たちに騒がれるだけの値打ちがあった。

ところが。


「で、お嬢ちゃんは今日はパパのお手伝いかい?」

「……は?」

「あ、そーか。 パパがお仕事サボらないように、傍で監督するんだな。
 しっかりしてるなぁ、お嬢ちゃんは。 えらいえらい♪」(なでなで)

「………」(なでられなでられ)

「えーっと、それでお嬢ちゃんのパパはどこかな?」


次の瞬間、リナの渾身のアッパー・カットがガウリイの顎に決まり、
大きく弧を描いて吹っ飛んだ彼の体は台所の壁にぶち当たって、水道管を破壊した。


「あいにくパパもママも一緒じゃないわ。
 インバース工務店の社長はあたしなの。 ついでに言えば従業員もあたし一人」

「え……、じゃあ今日うちで作業をするのは……」

「当然、この あ・た・し・よ。 文句ある?」

「そんな……、お前さん、どー見たって12、3歳……」





    めぎょっ!!





「これでも18歳なのっ!!
 うら若い可憐な乙女が作業員じゃご不満だって言うんならこれで失礼させてもらうわ。
 よその店を当たってちょうだい!」

「……ま、待ってくれっ!!」


ハンサムな顔に靴跡をつけたまま、リナの足にしがみつくガウリイ。


「放せ、無礼者っ!!」

「謝る! さっきの失言は謝罪して取り消すからっ! 見捨てないでくれーっ!!」

「大げさな人ね、業者に断られたくらいで」

「だってオレ、本当に切羽詰ってるんだ!!
 今年中に嫁さんを見つけて結婚しないと、この家を親父に取り上げられちまうんだよっ!!」

「だったら、さっさと結婚すればいーじゃない。
 表にうじゃうじゃいるきれいなお嬢さんの誰かと」

「できると思うか? この状態で?」

「う゛……」


リナは台所を見回し、絶句した。


こびりついた煤と油でもとの色も分からない壁。
椅子もテーブルも調味料棚の上にも埃が積もり、その上にはたっぷりとクモの巣が張られ、そこへまた更に埃が積もり。
床は壊れた水道管から吹き出す水でどろどろと濁った水溜りになりつつある。

長らく炊事に使われていなかったせいか生ごみだけは見当たらなかったが、
その生活感の無さがかえって不気味であった。


「独身男の一人住まいって聞いたから、ある程度覚悟はしてたんだけど……。
 一体どうやったらここまで汚くできるものなの!?」

「いや〜、外がやかましいもんで、召使もメイドもなかなか居ついてくれなくてさ。
 2ヶ月前に掃除婦のばーちゃんが引退してからってゆーもの、ここには使用人が一人もいないんだ」

「たった2ヶ月でこの有様!? あんた、少しくらい自分でなんとかしようとは思わなかったわけ!?」

「オレ、掃除も洗濯も料理もやったことないし」

「この役立たず!」

「すまん」


自分より大きな男にしょんぼり頭を下げられると、リナもそれ以上怒る気になれなかった。


「……まぁいいわ。 一度引き受けた仕事を断るのも後味が悪いしね。
 それじゃ、どこから始めましょうか?」

「まずはこの台所だな。 床磨きと壁の塗り替えを頼む」

「了解」

「それと……、水道管の修理も」


ふたりは協力してキッチンにあるテーブルや椅子や食器棚を全部裏庭に運び出した。


「リナが作業してる間、オレは何をすればいいんだ?」

「別になにもしなくていいわよ。 あなたは一応お客さまなんだから、適当に好きなことしてて」


言い置いて、リナが台所に入ろうとした、その時。





    バリーーン!! ガッチャーーン!!





「な、何事っ!?」

「いや……、ヒマだから埃でも払ってよーかなーと……」

「大ばか者ーっ!! ハタキで皿をかち割るんじゃなーーいっっ!!!」





    すっぱーーーーん!!!





「くっ……! 初対面でこのあたしにスリッパを出させるとは、なかなかやるわね、ガウリイ!」

「全然褒められてる気がしないんだが……」

「ハタキってのはね、この羽根のところで、ぱっぱと払うのよ、ぱっぱと! 手首を使って!
 頼むからもうこれ以上、余計な仕事を増やさないでちょうだいっ!!」


どうにかガウリイがハタキの使い方を覚えたのを確認して、やっとリナは作業に取りかかった。


壊れた水道管を新しいものと取り替え。
水浸しの床をきれいに拭いてぴかぴかに磨き。
汚れてひびの入った壁を漆喰で白く塗りなおし。


「終わったわ」

「うわ、すっげーっ!!」


見違えるほど明るく清潔になった台所を見て、ガウリイは目を丸くした。


「本当に仕事の手際がいいんだな、リナは。 あんな短い時間でよくこれだけできたもんだ!」

「ふふん♪ 父ちゃんと姉ちゃんにみっちり仕込まれたからね。 このくらい朝飯前よ!」


リナの誇らしげな笑顔が、ガウリイには眩しく思えた。


「それで、次はなにをしてあげましょうか?」


ガウリイはすぐに返事ができなかった。
リナの汗で濡れた艶やかな前髪につい見とれてしまっていたからだ。


「ガウリイ……?」

「え? あ、ああ……。 次は客間の壁を塗り替えてくれないか。
 色はタンポポみたいな黄色がいいな」

「わかった」


リナは手早く部屋の中を片付け、刷毛とローラーを使ってペンキを塗り始めた。

だがしばらくすると、ガウリイも自分の部屋の天井や壁を海のようなブルーに塗り替え始めた。


「ちょっと! 人の商売道具勝手に使って、なにやってんの!?」

「だって見てるだけじゃヒマだし。 いいだろ別に。 塗ってるのはオレの部屋なんだしさ」

「もうっ! ペンキを無駄遣いしないでよねっ!」


まるで大人の真似をしたがる子どもみたい、と、リナは呆れた。

ところが意外なことに、ガウリイの作業は素早く、彼の部屋は客間よりも先に塗り終わったのだった。


「どうだい、リナ。 オレ、結構ペンキ塗り上手いだろ♪」


ガウリイが得意そうに反り返ると、リナはちょっとむくれて言った。


「ずるいわよ。
 あんたは背が高いから、脚立使わなくたってローラーの柄を伸ばすだけで天井に手が届くんだもの!」


つんと尖らせたピンクの唇を見て、ガウリイは、あそこにキスしたらどんな感じだろう、と思った。


その後、リナが悔し紛れに黄色い壁一面に白いペンキでタンポポの綿毛を描くと、
負けじとばかり、ガウリイも自分の部屋の壁いっぱいにクラゲやヒトデを描いた。

おかげで2つの部屋の壁は、前よりずっとずっと明るく楽しげなものに仕上がった。


「さて、次はなにをすればいいかしら?」


リナが手を洗いながら、訊いた。
ガウリイはその白い小さな手を見ながら、言った。


「オレの上掛けを繕ってもらえるか?
 お気に入りなんだが、あちこちに穴やほころびがあって、寒いんだ」

「お安いご用よ」


リナは針に糸を通し、膝の上にキルトを広げた。


「そんなにまじまじ見てられると、やりにくいんだけど?」


ガウリイは椅子に後ろ向きに腰掛け、器用に動くリナの指先をうっとりと見つめていた。


「こればっかりは、オレには手伝えんしなぁ」

「もう……。 あんたの視線でまた穴が開きそうよ」


けれども、緊張してリナが一層仕事に集中したため、キルトはたちまち新品同様になった。


「さあ、これでもう隙間風に悩まされることもないわ。
 次はなにをしてあげましょうか?」


繕いを終えたリナはガウリイに向かって微笑んだ。


「……じゃあ、最後に残った仕事なんだが」


ガウリイは軽く咳払いをして、しぶしぶ答えた。


「オレの部屋の窓を開くようにしてくれないか?」

「ええっ!? あの窓、壊れてたのっ!?」


てっきりガウリイは外の女性たちの誰にも関心がなくて、それで窓を開けないのかと思っていたのだが。


「いや、ずーっと昔、台風が来る前に釘を12本も打ち込んで固定しちまったもんだから、以来びくともしないんだ」

「…………」


リナは窓の下の健気なレディたちに心底同情した。


「……いいわ。 気の毒なあの女の人たちのためにも、さっさと済ませましょ」


そう言うと、リナは釘抜きを使って太い釘を12本、あっという間に引っこ抜いてしまった。


「さあ、ガウリイ、準備はいい?
 れいでぃーす、あーんど、がーるず! お待たせしました! いざ、ご開帳……」

「待ってくれ、リナっ!!」


ガウリイは慌ててリナの窓枠にかけた手を止めた。


「その前に、もうひとつだけ、オレの頼みをきいてくれ!!」

「?? なんなの?」



「オレと結婚してくれっ!!」







    *******







ようやく、窓は開かれた。


だがその瞬間を待ちに待っていたレディたちの喜びは長く続かなかった。


そこには、栗色の髪の少女を固く抱きしめ、彼女の唇に夢中で口付けているガウリイの姿があったからだ。


少女は苦しそうにもがき、ガウリイの胸を拳で何度も殴りつけていたが、やがてその手が力を失ってだらりと垂れ下がると、ガウリイは彼女を抱いたままゆっくりと床に沈み込んだので、二人の姿は外からはすっかり見えなくなった。


そして、窓の下のレディたちが固唾を呑んで見守る中 ── まだ誰ひとりとしてその場を動いてはいなかった ── しばらくすると、突然部屋の中からたくましい腕がぬっと伸びてきて、太い木の窓枠をつかみ、再び、しっかりと閉じてしまったのである。












「こんなひどい話ってあるかしら! まったく、あんまりじゃないっ!?」

「私たちの立場はどうなるの? あんな浮気男のために毎日お騒ぎして!」

「挙げ句、後から来た小娘に取られるなんてねぇ。 ・・・・・・でも、いつかそんなことになるんじゃないかって気はしていたわ」












可哀想なレディたちは皆ぷりぷりしながら去って行き、後には踏みつけられた花束やレースのハンカチ、へし折られたプラカードなどが散らばっていた。



窓の下はそんな様子だったが、一方、その時固く閉じられた窓の内側ではなにが起こっていたのか、正確なところは誰にも分からない。












「ねぇ、聞いた? 『せめてベッドの上で…』ですってよ!」

「「「んまぁ! 信じらんなーいっ!!」」」












信じる信じないはともかく。

ガブリエフ氏は息子が初めて根性を見せたことに大いに気を良くして、この一件をわざわざ亡き妻の墓まで報告しに行ったばかりか、息子の家の改装費も快く支払ってやったらしい、と、世間ではもっぱらの噂である。




無論、ガウリイが家を取り上げられたという話はどこからも聞こえてこない。











    ・・・・おしまい☆




                    元ネタ話:「アレッサンドラの窓」 ロベルト・ピウミーニ・著
                            (『キスの運び屋』所収  PHP研究所・刊)









P・I様にいただいたこのお話を拝読したのは夜も更けた頃。
どんどんリナに魅了されるガウリイの様子に何度身悶えしたことか!!

何でも出来ちゃうリナちゃんと、一見不器用、実は策士なガウリイの
ドタバタラブコメディ、たっぷりにんまりさせていただきました♪

改めて、P・I様。素敵なお話をありがとうございました!!