カチャリ。

小さく硬質な音を立てて、重いスチール製の扉が開いた。

キィ・・・と、小さく鳴きながら外に向かって開く扉の内側は、
今まであたしが一度も立ち入った事のない、彼のプライベート空間。

「ほら、遠慮しないで入れよ」

そう言ってあたしを促すのは、この部屋の主。
あたしが握りしめている、この部屋の鍵をくれた張本人。

「・・・お邪魔します」

妙に落ち着かない空気を感じながら、あたしは一歩部屋へと踏み込んだ。

ワンルームマンションの入口は狭く、日中閉め切られていた所為で
少し淀んだ空気から、かすかにガウリイの匂いが香る。

ああ、ここって本当にガウリイの部屋なんだ・・・。

「んなとこで突っ立ってないで、ほら」

笑ってあたしを促しながら、狭い玄関で身を屈め靴を脱いでいるガウリイ。

コツン、ちょっと身体が触れた瞬間に胸がドキン。

「ちゃんと部屋の掃除してるんでしょうね?」

いつもの調子で軽く聞こえるよう話しかけながらも、背後から聞こえた
『カチン』って音にギクリ。

「それは大丈夫だぞ? リナにここの鍵を渡すって決めてからは
毎日掃除機かけてるし、台所に洗い物溜めなくなったし、
風呂場もトイレもいつ見られても良い様に綺麗にしてる」

サラッと言われた言葉の中に、ドギマギするようなキーワードを見つけて。
またしてもドッキンと、心臓が跳ね上がった。

「そ、そう。ガウリイにしては上出来じゃない!」

覚悟を決めて、室内に一歩を踏み出すと。

3歩も歩けばキッチン兼廊下は終わって、8畳程の室内に置かれた座卓やら
壁際に据えられているソファーベッドが見えた。

窓から外の景色を眺めると、夕暮れの空に星が光り始めているのを見つけた。
やや下方に目をやると、街路灯がボンヤリと光を放ち始めた所。

「ほら、とりあえず好きな所に座れよ」

確かに突っ立ったままっていてもしょうがないわと、とりあえず座卓の傍に腰を下ろす。

「ん? ソファー使えばいいのに」

キッチンでお茶の支度をしてくれながら、ガウリイが変な顔してるけど。

いくら今はソファーとして置かれていたってベッドはベッド、
いきなりそんな場所に座れないわよっ!
だって、あんた普段そこで寝てるんでしょうが!

「ここでいいわよ。 それよりお茶請け持ってきたから一緒に食べましょ」

お土産にと買ってきた、レディ・ドーナツの箱をでんと置く。

「フレンチクルーラー、あるかぁ?」

いそいそとやってくるガウリイの手には、可愛らしいお盆とマグカップが二つ。
片方からはホカホカと湯気が上がり、もう片方は側面に細かな水滴が張り付いている。

「あるわよ。 お店で端から端まで全種類2つずつちょうだいって注文したんだから」

どっちがあたしのだろ。
この、妙な息苦しさを解消したい。

「リナ、どっち飲む?」

ほい、と、差し出された2つのマグカップ。

片方にはブラックコーヒー。
もう片方には、スライスレモンが氷水と一緒に浮かんでいる。

「・・・お水、もらうわ」

ガシッとカップを掴んで、一息に中身を飲み干した。

せっかく作ってくれたレモン水なのに、味も香りも感じる余裕なんてまるでなくって。






ガウリイとはもう長い付き合いだけど。この部屋に入ったのは本当に、
誓って『初めて』だったりする。

ガウリイの住居に入った事は、過去何度もあったけど。

というのも、3ヶ月前まで彼は大学に隣接している学生寮にいたんだから。

貧乏学生ばかりが身を寄せ合う狭くて古い、前時代的な寮内は
『プライバシーって何? 孤独ってどこで手に入るんだ?』って位オープンな場所で。
寮生でないあたしや、一応お嬢様なアメリアまでもが気軽に「邪魔するわよ〜」って風に
知人や先輩の部屋にしょっちゅう出入りしまくっていた。

ゼルやルークの部屋にだって、『男の部屋』だなんて意識、まったく感じる事なく
アメリア達と「レポートするから場所貸して〜」って時間も気にせず乱入してたのに。

それなのに、急にガウリイは寮を出てしまった。

『どうして?』って聞いても、結局理由を教えてもらえなかったっけ。

ガウリイがこの部屋に越してからというもの、本当に、誰一人
彼のプライベート空間に立ち入った人はいなかった。

それはあたしでさえも例外でなく。

一度、ガウリイが引越しを終えてすぐの頃に「部屋の片付け、手伝ってあげよっか?」
なんて、言ってみた事があったんだけど。

結果は、やんわりと断られたっけ。

「ほら、男にだって色々見られたくないもんもあるから・・・。
気持ちだけ貰っとくな」って。

当時は「おおっ、ガウリイが見られたくない物ってなんだろ。
DVD? それとも本? いや〜、ふだんボケボケな振りしてるガウリイも
いっちょ前に普通の男なのね〜♪」なんて笑っちゃうような、
微かに不愉快なような、複雑な気分を味わったものである。

それが今。

鍵のかかったガウリイの部屋に2人きり。

普段道端で話し込んでたのを、ただ場所を移しただけだってのに
どうしてあたしは緊張しているんだろう。

どうして、こんなにもガウリイを意識しちゃってるんだろう。

あの日から確かに2人の肩書きは変わったけれど、それ以外は何も
変わらないままで日々を過ごしてきていたのに。

「リ〜ナ?」

「どわっ!! ガウリイっ!?」

いつの間にこんな至近距離まで来ていたのよあんたわっ!?

声は、吐息が温かなままあたしの頬に届くほど近くから発せられていた。

トン、と、触れ合ってしまってるあたしの肩とガウリイの腕。

触れている部分から、ジンワリと熱が伝わってくる。

『ガウリイの方が、ちょっとだけ体温高いんだ・・・』

意識した途端、自分の体温が急上昇するのがわかった。

意識すんじゃないって、幾ら自分に言い聞かせたって無理ったら無理!!

こんな風に、密室で恋人になったガウリイと二人っきりって状況で
あれこれ考えずにリラックスなんてできるわけないじゃないっ。

さっき、お風呂とか見られても大丈夫なようにしたって言ってたとか。

ガウリイったら靴脱いでる時に、しっかりチェーンまで掛けてたとか、
ソファーベッドに並んで置いてる枕が2つあったりとか。

あまつさえ「実はあたし今日はアメリアの家に泊まるって
母ちゃんに断ってきた」だなんて、ガウリイには言ってないけど
あたし自身がそれを知ってるんだから、
今更自分の感情を誤魔化したりできないんだってば。

「この状況下で平常心で居られる訳ないじゃないっ!!」

ガタン!!と勢い良く立ち上がり叫んでしまったあたしを、
ガウリイは真正面から見つめ。

ただ、微笑んでた。

今まで一回も見た事ないような、すごくすごく優しい目で。

穏やかにあたしを見つめて、微笑っていた。

「どうした? お前さん涙目になってるぞ?」

手を引かれて、ポスンと腰を下ろしたのはガウリイの胡坐の上で。

いっそう頭に血が上ってしまい、声すら出せず硬直してしまったあたしの頭を
ガウリイの大きな手がゆっくりと撫でて、髪を梳いて。

「なぁ、リナはどうして柄にもなく緊張してるんだ?」って、
いつもと変わらない声で、仕草であたしに話しかけてくる。

「・・・っ」

急に、すごく恥ずかしくなった。

あたしばっかりが、こんなにガウリイを『男の人』って意識しちゃってるなんて。
まるで『今日、何かが起こるのを期待してます』って、態度で示しちゃってる気がして。

ガウリイは普段と変わらず泰然と構えてて、友人だった頃と同じ様に
うろたえてるあたしを年上らしく落ち着かせようとしてるってのに。

・・・なんて、あたしは不慣れなんだろうか。

恋って言う名前の、やっかいな感情に。





「・・・あたし」

『用を思い出したから帰るわ』って、言うつもりだった。

『今度、アメリアたちも連れてきてもいい?』って、笑って部屋を出るつもりだったのに。

それは、結局実行できなかった。

「リナ。 恐がらなくていいし、そんなに焦らなくても良いから」

あたしの頭上で囁いた、男の懐に捕まったせいで。

「ここは、リナの為だけに用意したんだ。って言っても、別に
人に見られちゃマズイ事をしたいからってんじゃないぞ?」

そこは誤解しないでくれよ?って、またあたしの頭を一撫で。

「・・・じゃあ、どういうつもりなのよ」

緊張が一気に臨界点を突破しちゃったのか、急に身体の力が抜けてしまってる。
まるで空気の抜けた風船のようにグダグダになっちゃってるし。

「ん〜。 もっとリナと一緒に過ごしたかったからな」

笑って、ガウリイがあたしを抱き締めてきた。

抱き締めた腕に込められているのは、きっと柔らかな親愛の気持ち。

そう、思った。

欲に塗れた熱っぽさは含まれない、単なる抱擁。

まるで、握手を交わしているような触れ合い方。

「一緒にいるだけなら、わざわざ寮を出なくても良かったんじゃないの?」

一人でドギマギしまくってたのが恥ずかしくて、ちょっと冷たく聞いてみたら。

「いや、出てよかったさ」

後ろから伸びた手が、あたしの左手を攫って、握りしめる。

「あの交差点も、寮の部屋でも。本当のリナを見られなかったから」

・・・?

 急に何を言い出すのよこのクラゲは。

「オレ、こないだの手紙に書いてただろ?『ずっとリナの事が好きだった』って。
けど、リナにオレがされたいみたいに『好きだ』とか『愛してる』って言っちまったら、
絶対どこだろうが、誰の前だろうが恥ずかしがって暴れるだろ?
だから、周りに被害が出ないようにだなぁ・・・
って、リナぁ。それはマジで痛いぞ〜!」

「やかましいわね! ちょっとお盆でどついた位で、大の男がガタガタ
文句言うんじゃないわよ!」

まぁ、勢いでどついたら当たったのが角だったのはちょっぴり悪かったかな〜って思うけど。

「いや、さっきのは冗談だ、冗談! 被害が出ないようにって所は嘘だ!!」
慌てて訂正を口にしたガウリイ。

続きを聞くために仕方なく、あたしは曲がったお盆を床に置いて続きを促した。

「あのな・・・」

チョイと、人差し指を曲げて、内緒話のゼスチャー。

「なによ?」

顔をちゃんと上げて、ガウリイの目を見つめた。
やっぱり恥ずかしいけれど、目をそらしたら負けだと思ったから。
勝負から、真実から逃げるような真似、そんなのあたしの流儀じゃないもの。

「そんなに恐い顔しなくてもいいだろ? ここはだなぁ・・・」

コホン、咳払いを一つして改まってガウリイがあたしを見て、言った。

「ここなら他人の目もないし、オレたちの会話は誰に聴かれることもない。
邪魔も入らないし、制限もない。それが一番重要だったんだ。
リナはいつもどこか「自分らしく」あろうとしていて、そのせいでオレの前でも
本当にはリラックスしてなかったと思うんだ」

「・・・してたわよ?」

「い〜や、してなかった。こないだだって交差点で話してる時に
眠い目こすってあくび噛み殺してた」

「それって、普通じゃないの?」
そんな事誰だってする事じゃない。

「でも、自分の家じゃあそんな事しないだろ?」

「あったりまえじゃない! なんで自分の家で体裁取り繕わなきゃなんないのよ」

「ほら、やっぱりリラックスしてなかったじゃないか」

ニッコリと笑うガウリイ。

「リナと長い時間を過ごすのなら、本当の意味で素のまま過ごせる方が嬉しい。
だけど、お前さんの家にはまだまだ入れてもらえそうにないしなぁ。
親父さん、かなり手強いしお前の姉ちゃん厳しいし、オレの事全部お見通しだろうし』
そうなったら、リナがリラックスできるような・・・そうだな、ホームを
自力で準備するしかないかなぁ・・・って」

「ホーム?」

「鍵、渡しただろ? この部屋はオレのだけど、リナの居場所にもして欲しいんだ。
気が向いたらいつでも来てくれればいいし、寝ててもいいし、くつろいでくれればいい。
姉ちゃんとケンカしたとか、そんな時に『ここにこよう』って
リナが思ってくれたら、それでいいと思ってる。

「そんなに入り浸っちゃってもいいの? あんたがいない時に来てもいいの?」

「ああ、いつでも歓迎だ」

嬉しそうに大きく何度も頷いてみせるけど。

それって、あたしにあんたのプライベートを全部さらけ出すって事なのよ?

『バイトから帰って来たらリナがこの部屋でくつろいでる。なんてのは
理想だよな〜。 疲れも一気に吹っ飛んじまうぞ」

・・・もう、これ以上何を言っても無駄かもしんない。

「じゃあ、あたしが今日ここに泊まるって言っても拒否しないのね?」

「ああ、喜んで」

「そんで、あんただけキッチンで寝て。って言ってもOKなのね?」

「ん〜、手を出すなって事なら、自制する気はあるから心配しなくていいぞ」

「て、手を出すって!やっぱり下心あるんじゃないっ!!」

反射的にペシッと、おでこに一発チョップかましたあたしに、
「そりゃあなかったら困るだろ?」って爽やかに笑って見せた男は。

「リナのお許しが出たら存分に手を出させてもらうから、今は心配しなくていいぞ?」

なんてあっさり言ってのけたのだった。







それ以来、用があっても無くっても。

つい、ふらりとここに来てしまうあたしだったりする。

これって、ガウリイの作戦勝ちだったりするのかしら。

ね、あんたはどう思う?