リナと魔道文字と秘密の日記 2





 カチャッという、金属質な音を立てて表紙が半分に割れた。
 中から出てきたのは、一回り小さな、蒼い色の薄いノート。

 表書きは・・・なし。

 パラリと中身を見た俺は・・・心底興味本位で読んだ事を後悔した。








 「ただいま〜っ」
 パタパタと軽い足音を立てながら、リナが帰ってきた。

 「・・・おう」

 俺は片手を挙げて、何とか返事をしたのだが。

 「なーによ、元気ないわねぇ。
 もうじき夕飯の時間なんだからそんな辛気臭い声出さないの!!」
 リナが腰に手を当ててこっちを見ているけど。

 「すまん、食べる気がせん」そう言って、のそりとリナの部屋を後にする。

 「ちょ、ちょっとガウリイ! どうしたの!? どこか具合でも悪い?」
 戸惑ったようなリナの声も、今の俺には辛いだけだ。
 「すまん、今日はもう寝る」何とか自分の部屋に戻って、ゴロリと硬いベッド
 に転がった。

 ・・・リナが俺をあんな風に思っていたとはなぁ。



 あの小さなノートには、日頃の俺に対する不満が書き付けられていた。



 俺はリナに結構好かれてると思っていたんだがなぁ。
 まぁ、確かに甲斐性はないけど、俺のできる事全部で傍に居たんだが・・・。
 そんなに俺が目障りなのなら、このまま旅を続けるのも考え直した方がいいかもなぁ。

 俺は、リナにとって便利なアイテムだから、不満があっても側に置いてるのか?

 ・・・やっぱり、人の日記なんか読むもんじゃない。
 鬱々と思いをめぐらすうちに、俺の意識は眠りの世界に落ちていった・・・。








 『ガウリイ、あたしこの人と行くわ。今までありがとう、じゃあね♪』
 リナが行ってしまう。

 リナの横には黒髪の男。
 二人は嬉しそうに腕を組み、楽しげに話しながら俺の前から遠ざかっていく。
 リナは、一度も振り返らない。

 段々とその姿が小さくなって・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。








 「リナ! 行くな!! 行かないでくれ〜っ!!!!!!」
 自分の絶叫で目が覚めた俺に、「あたしはどこにも行かないわよ」と。
 とても近い場所で静かに聞こえたリナの声。

 ハッ、と声のした方を見遣れば。
 ベッドの横に、チョコンとしゃがんで俺を見ているリナがいた。








 「・・・で、いったいどんな夢見たってゆうのよ」
 暗かった部屋に明かりを灯し、眠気覚ましに淹れたコーヒーを飲みながら、
 半ばあきれた顔で俺を見ているリナ。

 何も言えずにいる俺に「まったく、ガウリイってば人が集中してレポート仕上げ
 てる時にでっかい寝言叫ばないでよね。
 リナリナうるっさいわ、他のお客さんにも迷惑でしょうが」
 かなり怒った口調で言われてしまう。 

 やっぱり俺はリナにとって迷惑なんだ・・・。
 ガクッとうなだれた俺の頭に、ポフッ、と何かが乗っかった。

 「一体どうしたの? あたしに何かできる事ある?」
 さっきとは全然違う心配そうな声と共に、優しく頭を撫でる感触。

 これは、いつも俺が、リナに・・・。

 「こんなに汗かいて、よっぽど悪い夢を見たの?」
 そう言って、汗で顔に張り付いた髪を手で梳いてくれる。


 「リナ・・・」
 俺の口から出た声は、自分でもびっくりするほど頼りないものだった。
 「リナ・・・俺が嫌いなら、無理して旅する事ないんだぞ・・・」
 言った側から、リナとの別れを覚悟して胸が苦しくなってくる。

 「・・・何で、そう思うの?」訝しげなリナの声。

 「ごめん、俺・・・リナの日記読んじまった。青い背表紙の中に隠してあった奴。
 ごめん、ごめんな・・・俺、迷惑になってるのに全然気が付かなかった・・・」
 ぎゅっと両手で布団を握り締め、許しを請う。


 これで、リナとの旅も終わりだ・・・・・・。
 そう思った時だった。



 ふわん、と何かが俺の頭を包み込んだ。



 「ば〜か、人の日記を勝手に読むから罰が当たったんだからね」
 とても近いところから、リナの声。

 リナが、俺の頭を抱きしめていた。

 「あんた、ゼロスに会ったでしょう?
 あんたはあいつに良い様におちょくられたのよ。
 大体、ガウリイが魔道文字を読める訳ないし、そんなことを可能にできるのは
 あいつ位なものでしょ?」
 リナは、一度身体を離してから俺の顔を両手で挟んで、自分の方を向かせて
 もう一度「ば〜か」そう言って笑った。








 「あんた、あの日記の日付見た?」
 まるで子どもに問いかけるように、俺に優しく問うリナの声。

 「・・・あれは、先月の日付だろ?」俺はまだ、正面からリナの顔を見られない。
 そんな俺をリナはどう思ってるんだろうか?

 「馬鹿クラゲ。 あんた、早とちりし過ぎよ」
 そう言って笑いながら、リナが説明してくれた事は。

 「そうよ、ただし三年前。 ガウリイと出会って3日と経ってない時のね。
 あの時あんたはまだ、あたしの事をただの子供だと思ってて、
 ずいぶん失礼な事もいっぱい言ってくれてたものね。
 いつもの格好のあたしを見て、魚屋かなんかと違えるなんて、そりゃ愚痴の一つ
 も出るわよ。
 あれはね、その時書いてた物よ」と。


 ・・・そっか。


 と思ったのもつかの間だった。
 なら、今現在リナは俺の事をどう思ってるんだろう。
 あれから長いこと旅を続けてきて。
 俺はリナに全幅の信頼を置いてるつもりだが、リナは俺の事を・・・どう?



 フッと、怖い考えが浮かびそうになった瞬間だった。 


 「あんたはあれ、最後まで読んだわけじゃないんでしょう?
 ・・・今のあたしの気持ち・・・知りたくはない?」と。
 リナが小さな声で囁いたのは。

 それを知ったらどうなる? 
 それを聞いたら、俺達の関係はどうなる?
 知りたくない訳じゃないが、知ってしまったら、その時は・・・?

 先を知るのが怖くて答えられない俺を置いて、リナが部屋を出ようと立ち上がる。

 俺はどうして良いものか判らずに黙っていたら、「ガウリイ、これからもあたしと
 旅を続けたいなら来て」そう言ってフッと微笑んで、「ほらっ」と俺に手を差し
 伸べてくれた。

 いいのか? 俺はまだお前の傍にいても良いのか?

 恐る恐るリナの小さな手を取る。
 ぎゅっと握った手は、暖かく、そして力強く俺を引っ張ってくれた。








 「これでしょ?」
 リナの部屋で、目の前に差し出された物。
 「ああ」あの時読んだ、隠されていた小さなノート。

 「これの最後の方、読んでみて」少し赤い顔でリナが言う。
 俺は恐々と裏表紙の方から捲ってゆき・・・・・昨日の日付の所を開いた。






 『●月□日

 今日も厄介なレポートの所為で、ガウリイをほったらかしたまま。
 早くこんな物終わらせて二人で遊びに行きたいのに、まだ時間が掛かりそう(涙)。
 大体ガウリイを一人にしておくと、何処からともなく色んなおね―ちゃんが奴を
 狙って湧いて出るんだから、たちが悪い。
 それに彼女達に面と向かって『あれはあたしの!!』って、胸を張って言えないのも
 かなり辛いかも。
 ・・・単なるの旅の相棒には、そういう事言う権利はないもんね。
 ガウリイは、あたしの事をどう思っているのかな?
 出会った頃に比べればあたしも成長したつもりなんだけど、胸はあんまり成長して
 くれてない・・・。
 最近は、前みたいにやたらと『保護者』を連発する事もなくなって、時々思わせぶりな
 言葉も言ってきたりで少しは脈ありかな、と希望を持っちゃう事もあるけど。
 でも、あいつの態度に翻弄されるのはいっつもあたしだけで、奴の本心はぜんっぜん
 見せてもらえないし・・・。
 あたしにもっと可愛げがあったら、ガウリイも少しは気にしてくれるかな・・・』




 そこに書いてあったのは、年頃の女の子が片想いの辛さを書き綴った物。

 それを書いたのはリナで、そこに書かれている男の名前は、俺。

 「リナ」

 リナの方を振り向くと、かわいい顔を真っ赤にして恥ずかしそうにこちらを見ていた。

 「そ、それを読んでもまだあんたが迷惑とか、邪魔だとか思ってると思う?」

 よっぽど照れくさいのか、少し声が上擦っている。

 「リナぁ」名前を呼んでギュッと抱きしめると、暴れる事なく腕の中に納まって
 くれる。

 「リナ・・リナ・・・」何度も何度も名を呼びながら、その髪に口付ける。

 「がうりぃ・・・」返ってくるのはどこか頼りないリナの声。

 「リナ」綺麗な栗色の髪に顔を埋めて、リナの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 「がうり・・・これでもあたしと旅したくない?」細い、声。

 普段とは全然違う、可愛らしい女の子の声。

 「好きだ。リナと離れたくない」言って、リナの顔をあげさせて。 ほんのりと
 赤い唇にそっと口付けた。

 ただ押し付けただけのキスだったけど、俺の気持ちは伝わった筈。

 そっと離れてリナの瞳を見つめると、頬が上気して、滅茶苦茶色っぽい表情が
 浮かんでた。

 「うん・・・。 あたしもね・・・あんたと離れたく、ないの・・・。
 もう、離さないで・・・ずっと傍にいて・・・お願い」

 そう言って俺を見上げるリナの顔は、恋を知り、愛されたいと願う大人の女性の
 顔だった。

 「誰が邪魔しようが、もう離さない。
 ずっと傍にいたい、こんなお前さん、誰にも見せたくない・・・。
 俺だけのものにしちまいたい・・・」

 ぎゅぅぅぅっと抱きしめたまま、何度も何度もキスを贈る。

 そんな俺に、リナは逃げる事なくぎこちなくも応えてくれた。

 「ぅぅん・・・がうり・・・・がう・・・りぃ・・・・」

 ハアッ、という荒い吐息に混じってリナが俺の名を呼んで。

 小さな手が俺の腕にすがりつき、時折『くんっ』と爪を立てて。

 そのうちに力が抜けちまったのか、カクン、とリナの膝が崩れて俺に凭れ
 かかって来た。
 かかる重みに幸せを感じつつ、そっと抱き上げてベッドに運んで、細心の
 注意を払って柔らかな褥に寝かせ、上から体重を掛けないように気を付けながら
 重なった。

 「リナ・・・、俺はリナを愛してる。 リナは、俺の事・・・」

 頼む、はっきりとした答えが聞きたい。

 この幸福を信じるために、お前の口からはっきり気持ちを聞かせて欲しいんだ。



 そう、思ったのが通じたのかどうか。


 「す、好きよ。 ・・・嫌いなら、わざわざこんな恥ずかしい真似、しないわ」

 苺みたいに真っ赤な顔と、潤んだ瞳が如実に如実に気持ちを表していて。

 それだけでも嬉しいのに、リナは誤魔化すことなく答えをくれた。




 嬉しい、嬉しいぞっ!!

 彼女に触れている部分が炎の様に熱く感じる。

 俺の心臓はバクバク鳴りっぱなしで、今にも破裂しそうになっちまう。

 そして、身体の内に沸き起こる男の情欲と衝動が、つい俺の口を動かした。

 「お前さんを、リナを、抱きたい。 リナの全部が見たい・・・」

 言ってしまった瞬間、ビクッ!!と、全身でリナが震えた。

 さすがに性急過ぎたかとも思ったが、今の状態で保護者には戻れそうもない。

 嫌なら呪文で吹き飛ばしてくれていいから、呆れないでくれよ・・・。

 数瞬の間、俺達は無言で見つめ合っていた・・・が。

 沈黙を破ったのは・・・リナだった。

 「ガウリイだったら、いい、よ・・・」

 リナは、いつもの勝気な様子がうそのようにきゅうっと小さく震えていた。

 長い睫毛がフルフルと震え、その瞳は潤み切って、紅の輝きは今までになく深い色。

 頬は桃色に上気して、薄く開いたその唇は可憐な花びらのように俺を誘う。

 うわぁっ・・・。

 こんな色っぽい表情されたら、俺、イチコロだ・・・。

 「ガウリイ・・・・・・。あたしを愛してくれるのなら、迷わないで。
 あたし・・・あたし・・・初めてだから、その・・・やさしくして、ね?」

 そう言って。 



 ・・・リナの細い腕が、ゆっくりと俺の背中に回された。




 それから先は言わぬが花って奴だが、この日以降リナの日記には盗族いぢめの記録
 と共に、俺についての記述が大幅に増えた事だけは明言しておく。
 





 追記

 あれから俺も日記をつけることにした。

 書くのは殆どリナの事ばかり。

 リナの何処が弱いとか、どうすればうまく誘えるか・・・等。

 元々日記なんて面倒だという認識か無かった俺だが、こういう日記ならちっとも
 苦にならない。

 あれからしばらく後にゼロスに会ったので一応「サンキューな」と言ったら、
 「ガウリイさんっ、お願いですからこっち来ないで下さいっ!!」と涙目で頼まれた。

 なんでも、俺から正の気が垂れ流し状態で近づくのも辛いらしい。

 「なぁ、俺の日記なら読んでも良いぞ?」とからかってやったら「そんなの読んだら
 しばらく復活できなくなっちゃいますっ!!」と言い残して消えちまった。
 
 ま、これでしばらくはリナとの時間を邪魔されないですむだろうな♪