マグノリアと共に





マグノリアには『さよなら』という名を持つものがある。

それは背の高い木に咲く、乳白色のふっくらとした大輪の花。

一番外側の花びらの根元だけが赤紫の色を付け、そこから先に行くに従って
淡くほのかなピンクに替わり最後は白く変化する。

光に際立つ美しい外見とは不釣合いに聞こえるその名は、
まるで初恋の悲しみを纏うかのようだ。
 






目の前には大量の紙と分厚い魔道書で築いた山。

荒れた字で走り書きされたメモ用紙は、くしゃくしゃに丸められたり

そのまま放り出されたりして、部屋のあちらこちらに散乱したまま放置され。

机の隅に置かれたインク壷には、汚れのこびりついたスペアの羽ペンが傾いて
刺さっている。

そんな状況の中、それらを片付けようとも思わないままあたしは、
ゴシゴシと睡魔に襲われ閉じそうになる瞼を擦り擦り。

カリリと音を立ててまた一文字、紙の上に書き加えた。
 


眠かろうが、辛かろうが止める訳には行かないのだ。

時が来るまでに、これを総て仕上げなくては。

あたしには、その責任がある。






とある町の祭りの夜に、あたしは。

ガウリイと別れた。

いや。

正確にはあたしが一方的にあいつの下を去ったのだが。

ちなみに、今居るのは昔の知り合いの別宅である。

・・・正確には放置されていた山小屋、と言うべきか。





 
知り合いというのは、昔一人旅をしていた頃に護衛を頼まれた
依頼人の孫娘の事で。

彼女の名はイリーズ。

出会った当時まだ12、3歳の一見ほんのお子様だったのだが、
今思い返しても『人は見かけによらない』と言う言葉が
これほど当てはまった子も珍しい気がする。

幼い外見にそぐわずその中身は、このあたしが何度も
出し抜かれそうになるほどしたたかでしっかり者。

「はむかう奴にはぢごくを見せろ」「礼は半分、恨みは倍返し」等々、
亡き母親から人生の英才教育を受けて育った彼女は、
当時のあたしをとことん手こずらせ、ついでにいた
悪の魔道士ルックをこよなく愛する妙な女魔道士、
金魚のウンチこと白蛇のナーガすら手玉に取った強者なのだ。

・・・おっと、話が横に逸れたか。

で、何故に今現在あたしが彼女の別宅に居候しているのかと言うと。

ガウリイに会いたくない一心で、ほぼ不眠不休で高速飛行呪文を駆使し
昼夜問わずに飛び続けること3日。

流石に無理が祟ってガス欠を起こしてしまったあたしが、道端で
ジュース飲んで休憩をしている所に、偶々彼女が通りかかったのだ。

当時イリーズは、最寄の魔道士協会からの帰り道だったそうで。

予期しない久方ぶりの再会に手に手を取り合って懐かしんだのかと言えば。

・・・全然そうじゃなかった。






彼女の発した第一声は
「あっ!! こんな所でリナねーちゃん発見!!
今度は一体何したの!? うちの魔道士協会にも手配書が回って来てるよ?
今、大人し〜くあたいに付いて来てくれたら、昔のよしみで
手荒なまねはしないであげるから」・・・だったのだ。

数年ぶりに会った知り合いに対して何のためらいもなく宣告できるのが
イリーズのイリーズたる所以だろうけど。

「て、手配書ですって!! 何で!? 
あたし何にも手配書回されるような事なんてしてないわよ!!」

ビックリして思わず飲みかけのカラン・ジュースを吹き零しそうになったのにも
彼女はまったく気にも留めずに、
「でも、来てたのは紛れもない事実だし。
それに手配書はうちだけじゃなくて、この大陸全部の魔道士協会に
届いてるはずだよ。
・・・ねーちゃん。ここまでされるって、一体何したらこんな風になるのさ?」と、
じと〜っとあたしに疑わしげな視線を向けて来た。

「そんな人生の裏街道歩かなきゃならないような事なんて、
何もしてないわよっ!!」

やましい所は一切無いっ!!
と、彼女の目を真っ直ぐに見つめ返して叫んだあたしに、
「心当たりがないのなら、とにかくあたいと協会に行って真実を確かめないとね。
・・・うまくいけば懸賞金がもらえるかもしれないし♪」と。

イリーズはまるで罠に掛かった獲物を見るような目つきであたしに微笑んで。

「ちょっと待て、何よその懸賞・・・」

「いいから!! 早く行こう!! 気の変わらないうちに」
グイイッとへたり込んでいたあたしの腕を取ってズンズン前に歩き出したのだった。

「ちょ、ちょっと。 イリーズっ!!」
なんかもう、無駄に抵抗する気力も起きなかったあたしはそのまま、
最寄の協会のある町メルカドへと連行されてしまったのである。








という訳で、強引に連れて来られたあたしにとっては数年ぶりに訪れる街、
メルカドの魔道士協会評議長からは挨拶もそこそこに
「読みたまえ」と一枚の紙を手渡された。

それは。

正式な魔道士協会加盟国、地域全会一致の封蝋が捺印された
レベル「トップシークレット」扱いの書類で。

内容はこの大陸中に『全魔道士協会連名による召喚状』が、
あたしに対し発行されているという内容だった。

召喚理由は『ここ数年の、魔族が関わっていたと思しき数々の大事件、及び
昨今大問題になった下級デーモン大量発生事件、その他事件の大小を問わず
リナ=インバースが関わった事件に関する報告書の提出要請で、
拒否権は無効。しかもこちらの返答如何ではしかるべき場所に
「強制召還する事も辞さない」』らしい。

しかし、ぶっちゃけて言ってしまえば。

『ここ何年か巷を騒がす大騒ぎになってる事件に悉くあんたが多分に関わっていて、
色々重要な事案がかなりあったにも拘らず、詳しい報告書一つも寄越さないとは
まったくもってけしからん。

さっさと協会に事の次第を全部隠さず報告しないと、無理矢理呼び出してこっちが
納得するまでネチネチ尋問しちゃうよ? 
あっ、嫌なんて聞かないから』という所か。

日頃は各地でそれぞれ独自色を出しながら運営している各魔道士協会が
わざわざ連名で通告書を出している。

こんな通告書自体、少なくともあたしが知る限りでは一度も無かったのだが。

「・・・そろそろつっこまれる頃だと思ってたわ」
フッ、とあたしは溜息を一つ落とした。






確かにあたしはここ数年の事件の当事者と言っても差し支えない。

世界の命運を賭けた事件に3度(自分が望む、望まないに関わらず)
関係していた事でもあるし。

でも、あたしの関わった総ての事件に関してお茶を濁してきた訳でもなく、
各地で事件後に当該機関で簡単な経緯を口頭で伝えたり、
事件の舞台が王室関係などの場合はそこの所属機関に
取調べ位はキチンと受けた。

(あまり詳しく説明するのも面倒なので、事後処理はその場に居合わせた
人達に任せる事も多かったけれど)

更に言うなら、クリムゾンでは最寄の魔道士協会に詳細な報告書を
提出したにも拘らず、担当者にまったく信じてもらえなかったりもしたが、
それはあたしの所為じゃない。

まぁ、余りにも起こった事態が現実離れしていて、一般人には
到底理解し難かったのだろうが
(特にあたしみたいな可憐な乙女が関わった、とあっては尚更)だからと言って
この言い草はないんじゃないだろうか。

もちろん詳細な報告書を提出しなかった理由は一つではなく、
純粋にどこかに腰を落ち着けて知らぬ間に溜まりに溜まった報告書を
作成する機会がなかったのもある。

今まで望む望まざるに関わらずあらゆるトラブルに縁がありすぎたあたしには、
一つ所に落ち着く余裕も無ければ、機会もなかったのだから。

で、「まぁ、いっか」と、そのままズルズルしてる間に、ほとんどの詳細な
報告書提出を先送りにしていたりで。

・・・心の片隅には『ヤバイかな〜』という自覚はあったんだけど、まさかこんな
大事になろうとは。






書類に目を通している間無言で通していた評議長は、あたしが顔を上げたのを
見計らって、とある取引を持ちかけてきた。

「ところで、物は相談なのだがね。
君に一つ仕事を頼みたいのだが、受けてもらえないだろうか?
なに、君にとっては簡単な仕事だから心配は要らないし、その仕事を
している間は特別に他協会への君の所在報告を停止してあげよう。
こちらの仕事の合間に君は協会への報告書の作成に当たれるだろうし、
うちとしては多大な寄付をしてくれているコッフェル老への顔も立つ。
・・・どうかね?」

「もし、あたしがその仕事を受けないと言ったら?」

「なに、その時は諦めて別の人間を雇うだけだよ。
そして君の事を各協会に報告して
懸賞金をいただく。・・・私は一向に困りはしない。」

こいつ、何を企んでる?

「どうも君は今の状況を心良く思っていないようだし、しばらく色々と考える
時間も必要だろう?だから私が微力ながら協力しようと言ってるんだよ。
君は私からの仕事を受ける。代わりに私は君を匿ってあげよう。
私なら君がこの町に滞在している事を内密にする事も容易いし
ここは見ての通りあまり大きな町でもないから、万一バレた時の口止め工作も
比較的簡単だ。
しかし逆に考えるなら、今『リナ=インバースの身柄を確保した』と
伝令を走らせたなら、すぐに各地の協会から聞き取り調査の為と称して
大量に調査員が派遣されて来るだろうね?
君が逃げたとしても何処までも追跡してくるようなしつこさを発揮するだろうから、
君の周囲はてきめんに騒がしくなるのは間違いない。」
評議長はあたしを真正面から見つめて微笑み。

「それは・・・」

口篭った返答しか返せなかった事が、あたしがこの依頼を受けるか受けないかの
答え代わりとなった。
 
 
 



「さて、次は仕事の詳細を話しておこう」

もう受ける事が決まっている所為かあっさりと
話を進めてくる評議長に「イリーズに関係があるんですね?」と切り返した。

さっきコッフェルさんに顔が立つとか言っていた事と、魔道士見習いでもない
イリーズが協会に出入りしている事からもほぼ間違いないだろう。

あたしの言葉を受けて、評議長は「ホウ」と感心したように声を上げた。

「話が早くて助かるよ。単刀直入に言うと彼女の魔道の師匠になってもらいたい」

「彼女、魔道士志望なんですか?」

しかし、イリーズには魔法なんか必要とは思えないのだが。

疑問に思い聞いてみると「いや、彼女には護身の術を持って貰わないと」と
評議長はやや困ったような顔を浮かべた。

「実は以前、君とイリーズ君が関わった事件で逮捕された
『元』当協会所属魔道士アッサムが
近々刑期を終えて釈放される事になっていてね。 
それに伴い、彼女に万が一身の危険があってはならないと言う事になった。
対策として当協会内の一致意見でイリーズ君には護身の為に初級の魔道知識を
伝授しよう、という事になったのだが。
しかし、我が協会の講師陣で彼女の個人授業を担当できるほど時間のある人材が
いないのだよ。
そこに彼女と面識のある君が来た。実力は折り紙つきだし時間もある。
まさにうってつけの人材と言えるだろう?だからこそ、君に頼みたいんだよ」
 



あのー。

『あの娘なら魔法が使えなくても何とかしちゃいそうな気も
しないではないんですけど』

そう思ったけどそれは言わないでおいた。

あたしにとっても決して悪い話じゃなかったからだ。

「判りました。 ここで各事件の報告書作成をしつつイリーズの家庭教師役を
お引き受けさせていただきます。
但し、いくつか追加条件を言っても宜しいでしょうか?」

「内容如何によるが、できるだけ希望に添うよう努力しよう。
・・・その代わり、うちには他の協会に提出する物より、少し詳しい資料も
出してもらいたいのだがね?」

・・・少しでも詳しい情報を握って、他より優位に立つ気なのだろう。
「では、こちらからもお願いがあるのですが」
  
頷いた評議長にあたしが出した条件は、
イリーズの教師役は週3日行い、滞在中のあたしの食費は全てそちら持ちで。
宿泊所は街中ではなく、なるべく人目につかない場所が良い事を挙げ。

「しかし、君は大層な健啖家だと聞いている。
その君の食費をこちらで全額持つというのは・・・」

「残念ながら今現在、私の蓄えは無いに等しくここで滞在しようにも
最低限この条件を飲んでいただかなくてはとても・・・」

「しかし、我が協会も財政難の折だね」

「コッフェルさんからの寄付があるのにですか?」

「うっ」

「その上着、かなり質が良さそうですよね?両手にしていらっしゃる指輪も。
 別に協会から費用を捻出しなくても評議長のポケットマネーでもよろしいんですよ?」

「いや、それは・・・」







その後穏便な話し合いの結果。

食事に関しては、報告書作成中は収入がまったくなくなるのでイリーズの
講師料代わりに現物支給で受け取る事でけりがつき。

その他滞在中は、ここの協会の資料は全て読み放題借り放題(稀少本含む)。
他協会の貴重な蔵書も、できる限り評議長名で取り寄せてくれるとの事。

それに、無償の宿泊所提供も取り付けた。

代わりに評議長側からの条件として、彼に無断で街を出ない事。

仕事に関する週一度の報告義務と、合間に進める魔道士協会へ報告書作成の
進捗状況報告及び、提出前の閲覧を約束させられた。



そして、双方共の絶対条件。

完璧にあたしこと『リナ=インバース』に関する情報封鎖を行う事。



「これで取引は成立した。 
君には他にも何か事情があるようだが、それは聞かないでおこう。
しかし膨大な量の報告書を執筆するにあたって、まったく
協会に出入りしないわけにも行くまい?」

彼はしばらく拳を口元にやりながらウンウンと唸って考え込んでから、
何か思いついたようにポンと膝を打った。

「おお、そうだ。仮の名前で他協会所属の客員魔道士として
うちに施設使用許可登録しておこう。
それならここに君が出入りしても問題ないだろう?」

あたしは無言で頭を下げて評議長に感謝の意を示すと、彼は
「では名前は、なんとするかね?」
と問うたのだった。







正直、今あたしの居場所が世間一般に知れるのは嬉しくない。

もちろん山のような調査員の半信半疑丸出しの質問攻めも嫌だけど、
それよりなにより。

・・・ガウリイに会いたくないのだ。

あいつには、とても顔を合わせられない。

せめて、何年か経ってあの時はお互い若かったねと笑い合える様になるまでは。

ううん、何年経ってもあたしはあいつには顔を会わせられないかも知れない。

あいつの信頼を一方的に手酷く裏切ったようなものだから・・・。

万が一でも、あたしの居所を知ったあいつが追いかけてくるとも限らないなら。

あたしは、可能な限り自分の消息を隠してしまいかった。

だからこそ、あたしにとってこの申し出はかなり美味しいもので、
断る理由なんて何もなかったのだ。