マグノリアと共に 2






「リリーナ先生、食料持って来たよ!!」

 ゴンゴン拳で扉を叩く音と元気な声が玄関先に響き渡った。

 動くのが面倒なので「判ったから自分で開けてよ」と叫んだあたしに対して
「駄目だよ、扉は先生が開ける事になってるじゃないか!!
 前に勝手に開けたらいきなりトラップが作動してえらい事になったの忘れたの!?」
 遠慮のない抗議の声を上げながら、
「重い〜っ、は〜や〜く〜っ!!」って、喧しいったらありゃしない。

 『はぅっ』とため息を一つ吐いてから、あたしは渋々椅子から立ち上がって
玄関に向かった。

 内側から施しておいた簡単な封印を解呪して扉を開けたとたんに
 「重いんだから早く開けてよ〜っ!!
 ここまで持ってくるの、大変なんだからね!?」と、飛び込んできたのは
 両手いっぱいに荷物を抱えて汗だくになってるイリーズ。

  「ほんっとに、重いんだからね!?」

 荷物を床に降ろしながら彼女はブウブウふくれっ面で文句を言ってくるし。

 まあ、文句を言いたくなる位大変な道だっていうのは認める。

 ちなみにここはメルカドの町から外れた、ある廃鉱山の中腹辺り。

 そして、あたしがイリーズと再会してから早一ヶ月が経っていた。

 




 「はい、ご苦労様。で、この間の宿題はちゃんとできたの?」

 床の荷物を小分けにして食料庫に運び込みながら、さっそく授業を開始する。

 彼女がここに居られる時間があまり長くはないからだ。

 「うん、フレア・アローの呪文構築とその応用だったね。
 ・・・これで、答え合ってる?」
 羊皮紙に書かれて提出された答えは、ほぼパーフェクト。

 「オッケー、イリーズ。 やっぱりあんた、飲み込みいいわ」

 以前から思っていた事だけど、この娘は本当に頭が良い。

 「そりゃ、覚えておいて損はないからね。 それに、自分の身を守るのは
 自分しかないんだし、何でも知ってて損はないからさ」と嬉しそうに笑うので
 この分だと思ったよりも早く卒業させられるかな?とあたしも笑みを返す。



 実際イリーズは優秀な生徒だった。

 元々ある程度魔法の基礎理論を習得していたとはいえ、これに関しては
 あたしが教えた事を聞き返した事がない。

 殆どは教本を開きながら説明したただ一度で内容を覚えてしまって、
 たまに「先生、ここ、こうしたらどうかな?」
 と、予習時に疑問に思った事を質問してくる程度。

 あとは実技なんだけど・・・。



 「じゃ、外に出てフレア・アローやってみて。あそこの岩が崩れるまでね」
 あたしが示したのは、岩壁付近の樽ほどの大きさの岩。

 「オッケー、今日こそは粉微塵にしてやるんだ!」と、意気込んで出て行くのは
 良いんだけど・・・。
 

 「フレア・アロー!!」

 ぽしゅ。

 「フレア・アローッ!!」

 ぷしゅん。

 「〜っ!! フレア・アローッ!!!!!」

 ぱひゅんっ・・・。

 




 窓から見えるイリーズの練習風景を横目で眺めつつあたしは溜息を一つ。

 いやはや、何と言えばいいのやら。

 一応意気込みは認めるんだけど、熱い情熱が空回りしてるというか。

 何とか炎の矢は発現するのだが、勢いがない所為で全然目標に当たらない。
 炎を具現化する意志力がまだ足りないのだろう。

 キャパシティ、魔法理論共に申し分ないのに失敗を繰り返すという事は
 自身が現実に炎を呼び出し生み出す事に、心のどこかで戸惑いを感じているから。

 魔力を思い通りにコントロールし思いのままに操るには、
強力な意志の力も必要となる。

 例えるなら自分の手を動かすように自然に、過剰に意識することなく
当然のようにそれをこなせるようにならなくては。

 魔法を習得するに当たって誰しもぶつかる壁とはいえ、こればかりは
 彼女自身が克服しないとどうしようもない。

 そういや昔、シルフィールの出したニンジン型フレア・アローにも
ビックリしたものだが、これはこれで、見てて力が抜けるわ・・・。
  





 「イリーズ!! そろそろお昼にしましょ!!」

 彼女が実技練習中にあたしはキッチンで簡単な食事を作って、
練習を終えたイリーズと食べる。

 午後はあたしは報告書作成に掛かり、自習を終えたイリーズは夕方には
家に戻って予習と復習。

 彼女の他にここを訪れる人間はいない。

 世間からあたしの所在を隠すのには、正にもってこいの環境なのだ。






 「リリーナねーちゃ、・・・先生。 ちゃんと食べてる?」

 食後の香茶を啜りながら次回までの宿題を出題してたら、
イリーズが不意に聞いてきた。

 「まぁ、それなりに、ね」
あたしはあいまいに言葉を濁す。

 実は旅してた時と比べたら格段に食事量は落ちていた。

 しかし、それを彼女に言う必要はないだろう。
 旅していた頃に比べたら運動量も魔力消費も桁違いに落ちているから、
 ある意味当然の結果だし。

 「・・・先生、あんまり根詰めちゃ駄目だよ?
 なんかさ・・・またちょっと痩せたみたいだし・・・」

 心配そうに聞いてくれるイリーズには悪いけど、全然痩せたなんて
自覚はないんだけどな。

 「大丈夫よ。 そりゃ以前よりは食事量落ちてるとは思うけど、殆ど一日
ここに篭ってデスクワークじゃ、そんなに食べなくても平気なんだってば」

 ほんとにお腹空かないしさ。

 「・・・なら、いいけどさぁ。先生元から肉ないんだから、
これ以上痩せたら全然無い胸が本当にまな板になっちゃうんだからね!!」



 ほほ〜ぅ、いつからそういう口を叩ける様になったのかな〜?



 「い、いひゃい!!」

 「仮にも魔道の師匠に向かって、そういう口聞いてもいいのかしら〜っ?」

 手を伸ばして、柔かいほっぺたをむにゅっと引っ張ってやる。

 「ひょ、ひょれって、ねーひゃんのこふぉひみひゅにしゅるかふぁりの
 ひょうふぇんひゃないふぁ〜っ!!」
 (それって、ねぇちゃんのこと秘密にする代わりの条件じゃないか〜っ!!)

 「それはそれ、これはこれよ!! 曲がりなりにも見習い魔道士として勉強中な
 あんたにとって、あたしは超! 大先輩に当たるのよ!!
 しかも直接指導も受けてるんだし、もうちょっと敬意ってものを払いなさいよね」

 わざと偉そうぶった口調で注意してから『にょん』と頬から手を離して、
 空いた手ですかさずペチッ、と、広いおでこを叩いてやった。

 「いてててて・・・わかった。 ごめんなさい、リリーナ師匠」
 真面目な顔で頭を下げたイリーズと。

 「解れば、よろしい♪」
 偉そうに椅子にふんぞり返ったあたし。

 ・・・・・・。

 しばしの沈黙の後。



 「ぷ」

 「ぷぷ」

 「「ぷぷぷぷぷ♪」」

 「やだ〜っ、やっぱりガラじゃないよ〜っ!!」

 「ふ、不本意ながら、あたしもそう思うわっ、お、おなかがっ、苦しいっ」
  笑いを浮かべた顔を見合わせて、二人同時に噴出した。


 今のあたしには、イリーズと過ごす時間が一番の息抜きかもしれないなぁ。

 
 
 「じゃ、今度は3日後に」

 「少しは実技も練習してきなさいよ〜」
 玄関扉の前で彼女を見送り、パタン、と扉を閉めた。

 そのまま呪文を唱え、魔法で封印を施す。

 こんな辺鄙な場所にわざわざ来る物好きはいないはずなのに、つい、
 毎回かけてしまう厳重な鍵。
 
 ・・・・・・こんな事しなくても、他の誰も尋ねてこないのにね・・・。
 
 自分の行動に苦笑しながらも、報告書の続きを書く為再び書斎代わりの部屋に
 篭ったのだった・・・。
  
 



 
 カリカリカリカリ・・・・・・。
 しばらくは頭の中で纏めた文章をひたすら書き写す事に没頭していたが。

 ハラリ。

 顔の前に垂れ下がった髪の毛が、ふいに集中を乱した。

 それは明るい栗色ではなく、濡れているかのような艶を帯びた、漆黒。

 ふと、それを手で玩びながらあたしはあの日を思い出していた。






 「では、名を、なんとするかね?」

 評議長に問われあたしの口から飛び出し答えた名前は。

 「リリーナ・・・。リリーナ=ランダース」

 「では、名前はそうしよう。 あとは、その外見だが・・・。
 正直、そのままだと周囲にバレるのは時間の問題だね。 君はかなりの有名人だし
 旅から旅を続けていたと言う事はそれだけ多くの人間に目撃されていると言う事だ。
 多少、外見も変化させた方がここに出入りする事も容易くなるだろう」

 そう言って彼はまた、しばらく考え込んだ後。

 「そうだ、これを使いたまえ」と、机の引き出しから小さな皮袋を取り出した。
 袋を受け取り口を開いてみると、中には緑色の粉末が入っていて。

 「これは?」

 「それは髪染めの染料だよ。君の栗色の髪に使えば多分黒く染まるはずだ。
 それから髪型と服装を変えれば、まず君とは気付かれまい。
 リナ=インバースの特徴と言えば、栗色の髪と小柄な体、そして胸が・・・
 い、いや、何でもないっ!!」

 あたしのこめかみに走ったものを見てか、あわてて口を閉ざした評議長に
 「では、これは使わせていただきます」あたしは袋を懐にしまい込んだ。

 総ての話が済んでしまうと評議長は控えの間にいたイリーズを部屋に招きいれて
 あたし達に指示を出した。

 「では、イリーズ。まずはリリーナ君を誰にも見られないように君の家まで連れて行き
 そこで身なりを整えてからからもう一度来てくれたまえ。
 リリーナ君、君の事はその時にスタッフに私から紹介しよう」と。
 





 飛翔の術を使って彼女の屋敷に向かいながら、イリーズにはあたしから
簡単な事情説明をして、コッフェルさんの屋敷に着いたその足で洗面所に直行した。 

 袋の緑色の粉をお湯に溶いて緩い泥状に練ったものを、斑にならないように
 注意しながら髪に塗りつけすり込む。

 しばらく時間を置いてからじっくりと清水で洗い流してやると、
あたしの髪はすっかり艶やかな黒髪に染まっていたのだ。

 借りたタオルで髪を乾かしていると、イリーズがあたし用の服を持ってきてくれた。

 しっかりした素材の、ワンピースタイプの巫女風の衣装。

 着慣れた旅装を解き白を基調としたそれを身に着け、ついでに髪形も変えた。

 普段額につけていたバンダナを外して、前髪を多く垂らして顔を隠す。

 後ろ髪は緩く三つ編みにして、バンダナでリボンのように結んだ。



 「リナ、ううん、リリーナさん。とっても良く似合ってる」
 イリーズが変装したあたしを見ながら驚いたように呟いた。

 と、横から「リリーナさん、ワシと結婚せんかね?」といきなり
コッフェルさんが顔を出した。

 「じいちゃん、相変わらずしょうもない冗談言うのはやめてよね」

 呆れたようにイリーズが言うが、コッフェルさんはにこやかに
 「いやいや、ワシは本気じゃよ。
 リリーナさんになら、あの鉱山全部をやってもいい」とのたまった。

 鉱山全部って・・・、それって結構すごいんじゃない!?

 一瞬期待したあたしに「ねーちゃん、それって廃坑だから」とイリーズの冷たい声が。

 「それじゃあ、貰っても意味無いわね・・・」ガクッと肩を落としたあたしに
 「だが、あそこならめったに人など来ないし、多少地形を変えてもかまわんよ。
 イリーズの魔法の修行場にも持って来いじゃないかね? 
 ・・・それと、あんたが世間から身を隠すのも」

 普段冗談しか言わないようなお茶目な老人の、長い眉毛に隠れた瞳が
 真摯な色を浮かべながら、真っ直ぐにあたしを見つめていた。






 結局結婚云々(笑)はともかく、この場所を提供してもらう事で話はまとまって
 元々あった休憩所代わりの山小屋に手を加えて、あたしの住居とした。

 普通の人なら街から数時間歩かないとこの場所には辿り着けないし、
 それ以前に地図でもない限り広大な敷地の中から見つけ出すのも不可能に近い。

 更にこの鉱山跡地にはこの小屋以外本当に何もないから、好き好んで訪れる人もない。

 ここにあたしがいる事だって、知っているのは先の3人だけなのだ。

 依頼を受けて以来、週に一度程度あたしが街に降りる以外は、
 ここまでわざわざ通ってくるイリーズ以外の人間に会う事もないし。

 協会に用がある時でも、なるべく他人の興味をひきつけないように気を付けながら
 手早く要件を済ませて帰るようにしているし。

 当分、あたしがここにいる事を他の人間には知られてない筈だ。






 うっかり物思いに沈んでいる間に、いつの間にか外は暗くなっていて。

 外からは、こんな場所にも生き物がいる証拠に虫の鳴き声が聞こえてくる。

 最近、こうしてボーっとする事が増えた。

 やっぱり『刺激のない生活をしているからだろうか』と思う。

 あの日から全然盗賊いぢめにも行っていないしなぁ・・・。

 やりたいのは山々だが、そんな事をすればこうして隠れている
意味が無くなってしまう。

 世間一般に『盗賊いぢめ=ロバーズキラー、リナ=インバース』の図式が
出来ているから。

 だから、あたしはひたすら大人しく耐えている。
 





 椅子に座ったままコキコキと首を鳴らして「う〜ん」と大きく反り返って背筋を伸ばす。

 その拍子に目の端に入ったのは、淡い白色の物体。

 クローゼットの扉に掛けた一着のドレス。



 袖部分をすっぽりと覆うように、大きな花びらを模した飾り布が取り付けられ
 スカート部分も大きな白い花びらが重なり合ったようなデザイン。

 生地はかなり上質な厚手のものを使ってあり、布量も贅沢にとっている。

 色はほぼ全体をオフホワイトに統一されていて、デザインの華やかさに
反比例して落ち着いた感じに仕上がっている。

 唯一の例外は、袖を覆う飾り布の肩部分が少しだけ
赤紫に染め上げられている所だろう。



 このドレスのモチーフは、マグノリア。



 もともとはあの日、あの夜のために誂えたものだったっけ。

 結局あの日あたしがこれに袖を通す事はなかったのだが、
一人村を立つ時にどうしても置いて行く気になれず、
荷物になるのを承知で持っていた物で。

 今は全ての報告書を書き上げた暁に着られないかと、
少しずつ自ら手を加えている物だ。



 実はどれだけ丁寧に報告書を書き上げ提出しようが
、いずれあたしは協会からの拘束を受け、審問会が開かれるであろう事は
容易に察しがつく。

 一連の事件の顛末を幾ら詳細に報告した所で、それをそのまま
協会のお偉方達が一読しただけで納得してくれるとは
到底思えないからだ。

 いや、詳細な報告を受けてこそ、むしろ疑って掛かると思って間違いない。

 彼らとて、今までの顛末を知ってそれを追求せずにいられるほど
老いてはいないだろう。

 自らの目で見、聞いてなお信じられないような事実の連続に、山ほどの疑問と
 猜疑の目をあたしにぶつけてくるだろう。

 そうしたら、結局どこかに召還されて審問会に掛けられるのは間違いない。

 どうやら、既に魔道士協会だけの問題じゃなくなっているようだし。



 ・・・その時が来ても。



 慌てずに対処できるように今から準備をしているのと。

 一応公式の場では称号持ちの魔道士に限り、デイグリーローブの着用が
義務づけられているが、
 実家の片隅に埋もれさせてあるのを引っ張り出してまで着るつもりはない。

 あんなこっぱずかしいものを着せられる位なら
『時間がなくてローブを用意できなかった』
 とでも言い訳して、このドレスで審問会場に出廷してやる、と。

 魔道銀の糸で細かな刺繍を施して、その日に備えてせっせと手を加えているのだ。



 ・・・もう、あそこで見た花々は。

 とっくに散ってしまっただろうか・・・。
  
 

 ふと、冬と春の境目に出会った一人の精霊を思い出す。



 ・・・ごめん、ミュゼ。

 あんたの期待通りにはなれなかったね・・・。
 


 底抜けに明るく、そして自分の意志を貫き通した彼の精霊に心の中で詫びる。
 
 あんなに気に掛けてくれていたのに・・・ごめんね。
 





 疲れがじんわりと体の内から湧いて出て、あたしは書斎を後にした。

 今日はお風呂、いいや・・・。

 寝室のベッドにゴソゴソと潜り込んで、目を閉じる。

 今夜こそ、深く眠れますようにと願いながら・・・。