マグノリアと共に 3









 結局あたしが目覚めたのは早朝。

 それもまだ夜も明けていない時間帯で。

 ・・・やっぱり、よく眠れなかった。

 ここに来てからというもの、眠ってもすぐに目覚めたり身体は睡眠を
欲しているにも拘らずよく眠れない事が多くなっていた。

 旅していた頃は例え野宿をしていても効率的に睡眠を取れていたのに、
それが思うようにできないでいるのは何が原因なのか。

 環境の変化に弱いあたしじゃないはずなのに、やはり審問会絡みの件で
ナーバスになっているのか。

 目には見えない疲れがトロリとまるでワインの澱のように溜まっている気がして
 寝返りを打つ身体すら重たかったけど。



 そのままいくら横になっていたとしても、睡魔が訪れてくれない事を
 知っているあたしは、諦めてベッドの上からグズグズと起き上がり、
 くしゃくしゃの布団もそのままにして書斎に向かった。



 扉を開けると部屋の左側、クローゼットの前に掛けられた例のドレスが目に入る。

 あたしはその横に置いてあったお針箱から、刺繍針と魔道銀を編みこんで
作られた糸を用意してドレスを降ろし、スカート部分を手に取った。

 チク、チク、チク・・・。

 丁寧に、丁寧に。

 一針、また一針と心を込めて縫い込んでいくのは、素人目には単なる縁取りの
飾り刺繍に見えるだろうが実は魔道士が物質に呪を組み込む時に
使用する魔道文字だ。

 スカートの裾に、袖口に、飾り布の部分や腰の周りにも。

 できるだけ細密に、ぐるりと刺繍を施してある。

 一見装飾のように見せながら、実は旅装のマントやバンダナと同じく
 魔力を込めて魔法防御の効果を高めているのだ。

 今刺している部分は普段つけていたバンダナに施していたのと同じ手法だが、
 ドレス全体に施しているものは、各所に刺した刺繍が干渉しあい
 防御の相乗効果をもたらすようにしてあるし
全身を覆う衣装全体に及ぶものだから、この他にも大掛かりな呪法が組める。

 今までの装備も好きだったけど、あれはあくまでも旅装。

 実際に審問会が開かれた場合、あれは身に着けては行けない可能性が高いから
 代わりにこれを細工して、出来る限り防御効果を上げるつもりだ。

 刺繍が完成すれば、今度は取って置きの細工を施したお手製のタリスマンを
胸元に縫いこむつもりだ。

 既にあたしの頭の中には完成図が出来上がっていて、あとはそれを
実現させるだけ。

 外に出られず、ストレス発散も思うようにできない現状ではこの作業だけが
 唯一あたしの自由にできる事だから。

 眠れない時は、こうしていると気持ちが安らぐのだ・・・。










 ・・・いつの間に眠りこんでしまったのか。

 次に目が覚めたのは、もうお昼間近で。

 寝ぼけた目を擦りながら、キッチンでコーヒーを入れて飲んでから
 書斎の報告書をやっつけに掛かった。



 一文字、一行書き加えるたび、いろんな事を思い出す。



 始まりは、とある盗賊のお宝を手に入れた時から。



 最初は敵だった、ゼルガディス。

 赤法師レゾ。

 魔王との遭遇。

 アトラスの事件。

 シルフィールとの出会い。

 コピーレゾとサイラーグの崩壊。

 セイルーンでの思いがけない再会とアメリアとの出会い。

 獣神官ゼロス。

 魔獣ザナッファー。

 暗殺者ズーマ。

 魔竜王ガーヴ。

 黄金竜の長老、ミルガズィア。

 異界黙示録。

 冥王フィブリゾ。



 ・・・金色の魔王の光臨。



 失われた光の剣。

 覇王将軍シェーラ。



 ・・・ルークとミリーナ。



 べセルドとソラリアの事件。

 ブラストソード。

 クリムゾン。
 アリア、ディラール、ベル。

 再び訪れたガイリアシティ。

 エルフのメフィ。

 覇王グラウシェラー。

 セレンティアでの悲劇的な事件。

 そして・・・。



 そして因縁の地で、二度訪れた魔王との邂逅・・・。









 ぽた。

 ぽたり。

 あたしの目から、知らず温かな水が零れて落ちた。

 羽根ペンを握る手には、必要以上に力が加わり細いペン軸はミリミリと
耳障りな音を立てるけれど。

 でも、書かなくてはならない。

 あたしが語らなくて、一体誰が真実を語るのか。
 
 体験した出来事の全てを伝えきれる訳ではないが、できる事なら
 忘れて欲しくない人たちがいる。

 忘れて欲しくない、出来事があったから。

 もう自らの口では語れない人たちに代わって、あたしがそれらを伝える義務がある。

 だからこうして起こった出来事を時系列に整理しながら、一つずつ
『報告書』という形に纏めていくのだ。
 


 不意に脳裏に浮かんだのは。



 鮮やかな、風にたなびく金色の長髪。



 ギリッ!!



 思わず食いしばった歯が、嫌な音を立てた。
 


 最初から。

 事の一番最初から、あの男は。

 ガウリイは、あたしのすぐ傍にいたんだったね。

 ・・・思っちゃいけない。

 会いたいって、願ってはいけない。

 ・・・捨てたのは、あたしだから。

 あいつがくれた信頼を裏切って、踏みにじるようにして逃げたのは
 『あたし自身』なんだから。








 湧き上がる感情を無理やり押さえつけて。

 まず当時のあたしがどう行動し、どう感じていたのか事件のあらましと共に綴り、
更にその後判明した他の事件との因果関係等を注釈として添える。

 この作業を繰り返す度に『良く生き延びていられたなぁ』と思いながら。

 そして何度も何度もあいつの事を思い出しながら、また一枚。
びっしりと字で埋まった紙を重ねていくのだ。

 重なり、分厚さを増したそれは、今まであたしの歩いてきた歴史の一部で。

 あたしとガウリイが出会ってから歩んできた歴史、そのもので。




 当時の苦い経験を。

 辛く悲しい事柄を。

 あたしが望む、望まないなど関係なく関わらざるを得なかった事件の数々を。

 なるたけ感情的にならないように綴ろうとすればするほど、書き付けるのは
 辛くも死線を紙一重で潜り抜けてきた苛烈な戦いの記録で。

 心許せる仲間たちとのドタバタなんて、とてもじゃないけど割り込む余地もなくて。

 こうして今まで自分が歩いてきた道を振り返ってみると、いかに波乱万丈な人生
だったって事がわかるわね。

 普通の人々はもちろん、旅の魔道士であっても滅多にお目にかかれない
純魔族なんて奴にも既に驚かなくなっている自体、まっとうな
人生を歩んでますなんて言えないし。

 思わず口元に浮かんだのは自嘲か、諦めか。




 そうだ。魔族に関する詳細な論文も、別口で作成しなくちゃいけないわね。

 未だ人は、魔族に関して多くを知らなさすぎる。

 この論文だけでも、きっと魔族に関する認識が変わるはずだわ・・・。




 あたしは、一旦何かに取り掛かると寝食を忘れて没頭してしまう癖がある。

 今回も、そのパターンで。









 気がつけば、昼に封を切ったばかりの筈のインクがもう空になっていて。

 太陽が高く上がってはいたが、それは東からの陽射し。

 ほぼ丸一日、あたしは書き続けていた事になるのか・・・。

 伸びをしようと腕を上げようとしたが、まるで全身の筋肉が固まって
しまったかのように強張っていた。

 毎日それほどまでに書き続けても報告書は、まだまだ全体からすれば
微々たる量しか書けていない。

 「あたしは、いつまでここにいる事になるのかな」

 ふと、何年もここに住み続けてすっかり隠遁生活を送る自分の姿を想像してしまった。

 髪は伸び、もっと大人びて。

 心は穏やかになっているだろうか。

 もう、その頃にはあいつの事を吹っ切れているだろうか・・・。

 いや、考えても仕方のないことだ。

 とにかく一度、身体を綺麗にしてから休もう・・・。

 軽く湯で汗を流して、あたしは泥のような眠りについたのだった。











 「リナ、この祭りが終わったら・・・」

 「何?」

 「・・・話が、あるんだ」

 いつになく真面目なあいつの表情を思い出す。

 「・・・今じゃだめなの?」

 「ああ。 ちょっと落ち着いて聞いて貰いたいから。

 だから、準備が整ったら茶化さないで真面目に聞いてくれよ?」

 「・・・なんか知んないけど、とりあえず楽しみにしておくわ」

 「ああ、約束だ・・・」
 









 
 また、あの時の夢か。
 
 思い出すのが辛いのに、眠るたびに夢に見るのはあの日の事ばかり。