マグノリアと共に 5









パタン。

 小屋の中に入った後、いつものように扉に封印を施す。

 そのまま玄関先にバサッと外套を脱ぎ捨てて、
あたしは真っ直ぐ書斎に向かった。

 ガタッ。

 乱暴に椅子に腰掛ける。

 ・・・行くんじゃなかったかなぁ。

 ちょっとした気分転換になるかも、と思ったから出かけたのに。

 どれだけ人に囲まれても、共通の研究対象について議論を交わしても。

 心のどこかに開いた穴が冷たい風を伴って、すうすうと自己主張する。

 忘れるなと、満たされる事など、もはやないとでも言うかのように。

 ガウリイといた時には、まったく感じなかった寂しさが胸の内から湧き出してくる。



 ・・・ダメ、あたしはそう思う資格なんてない。

 あたしがあいつから逃げたんだもん、それで寂しいなんて言えやしない。

ベールのように顔に掛かっていた黒髪を、バサッと後ろに流してやり、
ここ最近は編んだ髪を纏めるために使っていたバンダナを、
以前のように額に巻きつけ。

 クローゼットの戸の裏に付けられている姿見に己を映し出してみた。




 「何よ・・・。何て辛気臭い顔してんのよ・・・」

 そこに映っていたのは。

まるで『今にも泣き出しそうな』女の顔。




 ごとりと硬い音を立てて、クローゼットの奥にしまい込んだショルダーガードを
久しぶりに取り出した。

 それは丁寧にしまっておいたにも関わらず、うっすらと埃で白く汚れていて。

 ・・・これを付けて旅してた頃のあたしは、こんな女々しい奴じゃなかったわね。

 再びそれをしまい込みながら、自嘲の笑いが浮かんでしまったのが
我ながら情けなくて。

 戸を閉めて、顔を上げた先にあるのは例のドレス。







 ねえ、ガウリイ。



 もしも、あたしがあの日逃げないでいれば。



 あんたを裏切らないでいれば。



 ・・・今頃どうしていたのかなぁ。



 こんな所にいじいじ篭ってないで、アメリアの所にでも転がり込んでさぁ。

 毎日騒がしくしながら文句ブチブチ言って報告書ガシガシ書いて、
時々あんたの目を盗んであの娘と二人して盗賊いぢめにも行っちゃったりして。

 そんであんたに見つかって怒られたり、「しかたないなぁ」って
昔みたいに頭くしゃくしゃって撫ぜられたり・・・。



 馬鹿、だよね。



 全部自分で決めた事なのにさぁ。



 後悔してるんだよ? このあたしとあろう者が。



 でもさ、今更どんな顔してあんたに会いにいける?

 どの面下げて、あんたに会いになんか・・・。
 



 ふと思い出して、机の一番上の引き出しを開けた。

 紙やペンに混じって転がっているラベルのない小さな缶。

 それを取り出して、そっと蓋を開けたら
 瞬間、ふわりと漂ったのは甘い花の香り。

 ・・・これ、ガウリイがくれたんだよね。

 缶の中身は、あたしが別れを決めた日に彼から送られた膏薬状の香水、だった。
  








 「リナ、この祭りが終わったら話がある」

 あの時あんたは『話』としか言わなかったけど。

 本当はその内容が何なのか、あたしは知っていた。

 たまたま別行動をしている時に、偶然立ち聞きしちゃったんだ。
  



 あの日、あたしが立ち寄っていた衣装店の斜め向かいの店の中、
妙に浮かれた顔をしていたのが見えて。

つい、出来心でこっそりと中を覗いてしまった時の事だ。

 「・・・あんちゃん、どうせなら花の一つも付けてやりなよ!!
 今日はマグノリア祭だからすぐに手に入るのは木蓮だが、
男一世一代の告白ってやつなら
 相手に贈る花はやっぱり薔薇だと俺は思うね。
 いくら長年連れ添ったパートナー宛だって言っても、
こういう時にゃあ花の一つは必要だろ?
 手ぶらで告っちゃ、悪い冗談だと思われるかもしれんしなぁ。
 それに歌でもあるだろ? 『情熱の赤い薔薇〜♪』って言うくらいだ」

 ニヤリと笑いながら言う親父に「ああ、わかった、ありがとな」って、
照れ臭げな笑顔で返してた。

 「その位しないと、あいつは絶対信じてくれないだろうから」って。



 そう言ってガウリイが立ち去ったのを見届けてから、あたしも急いで宿に戻って。
 


 その後すぐだったね。



 「すまん、リナ。ちょっと野暮用が出来ちまったから、悪いけど
夕食は一人で食べてくれ。
 帰って来たら部屋に寄るから、必ず大人しく待っててくれよ」

って、帰ってくるなり真剣な顔で言ってきたのは。

 「・・・何があるのか知んないけど。 
 ちゃんと待ってるから、しっかり探していらっしゃい」

 あたしはそう言って、笑ってガウリイを送り出した。

 そうしながらも、すっかり心は決まっていたのに。



 あんたが帰ってくる前にあたしはここから、あんたの傍からいなくなるって。



 あんたからの求婚は、受けられないって。



 出かける前に「ほいっ、先にこれやるよっ!」と投げ渡されたのがこれだったね。







 ・・・これだけは、持っててもいいよね。

 あんたとの最後の思い出の品だし、使えばいつかなくなる物だから。

 ・・・この位は、許してよね。

 ゆっくりと体温に暖められて、さっきよりも強く香り始めた甘い香りが
別れ際のあいつの笑顔を思い出させて・・・悲しかった。
  









 ・・・まただ。

 どうも最近涙腺が脆くて困る。

 いつの間にか零れていた涙を、手の甲でグイッと拭って。

 気を取り直して机に向かってまた、報告書を書き綴る。

 これはまだまだ完成には程遠い代物だし、それに説得力を持たせなくては
他人からはとてもじゃないけど信じてもらえそうにない。

 第一あたしの体験した真実をいかに詳しく書いた所で、報告書を読んだ人が
納得してくれなければ意味がないんだし。

 その為にはあたしの報告に関して裏付けとなる資料も
見つけなくてはならないし、当時の目撃者がいる場合は
彼らの証言も紙に起こして報告書に添付しなくては。

 それも、一般市民だけではなく出来れば発言に重みのある人物のものを。



 ・・・フィルさんにお願いできないかなぁ。



 パッと見ドワーフか盗賊の親分にしか見えないが、実は大国
セイルーンの第一王位継承者にして、元旅の仲間で正義の超合金娘
アメリアの愛する父親、フィリオネル殿下。

 一国の王子たる彼の証言なら、あたしの発言にかなりの信憑性を
持たせてくれるだろうし何といっても彼の国は、白魔術都市と呼ばれるだけあって
各方面への影響力も強いはず。

 フィルさんなら、きっとあたしの助けになってくれるだろう。

 ただ、どうやって協力してもらうのか、その手段が問題なのだが。

 できる事ならあたし自らセイルーンに出向いて事情を話して助けてもらうのだが
 そんな事をしたら、きっとガウリイに見つかってしまう。



 ・・・・・・。



 そんな事言って、以外とガウリイはあたしの事なんて探してなかったりしてね。

 だいたい、普段あたしが黙って盗賊いぢめに行ってもあっさりと居所を
探し当ててみせるのに。

それが今回に限ってもう一ヶ月以上経過しているのに、
それでも全然姿を見せないって事は。



 って、こと・・・は。



 そっか、もうとっくに見捨てられてたんだ・・・。



 今更そんなことに気がついてどうするのよ・・・。



 あたしは。



 あたしから、ガウリイを捨てておいて。



 でもきっと追いかけてきてくれるって、心のどこかで期待してたの?


 
 ガウリイだから、きっと追いかけてきてくれるって信じてたの?







 でも、現実は。








 現実は・・・そんなに都合よく行きっこなくて・・・ねぇ。








 ねぇ。







 ガウリイ。







 ガウリイは、もう。







 もう、あたしを。


 
 ・・・あたしを、見限ったの?



 だから、今まであたしの前に現れないの?









 やっと、自分が甘い考えを持っていたかに気がついて
それを心の底から認識した瞬間。

 何かが、自分を構成するとても大切な何かが、足元からガラガラと音を立てて
 脆く崩れていくような感覚に襲われた。

 不安定に揺れ続ける身体を何とか支えようとしてペタン、と机に両手を付いても、
 グラグラと勝手に揺れる身体は全然止められなくて。

 ついにバランスを崩して椅子から転げ落ちて、そのまま床に這い蹲ったけど。

 それでも頭の中が揺れ続けていて、身体を起こす事も出来ないままに。



 あたしは目の前が暗くなって行く感覚を最後に、そのまま意識を手放した。



 意識を失う寸前、頭の中をよぎったのは。

 あの日見た、宿を後にするガウリイの・・・走り去っていく後ろ姿だった。