マグノリアと共に 6








  こん、こんこんっ。



 ・・・ぅん?



 ごん、ごん、ごんっ。



 ・・・何の音?
 


 ごんっ!! ごんっ!!
 


 うるっさいなぁ・・・。



 
どどどどどどんっ!!!







 「なにっ!? 何なのよいったい!!」

 どうやら外から響いているらしい騒音に、優しい眠りの淵から強制的に
意識を浮上させられて。

 ようやくそれが異常事態だと気がついたあたしは、何とか起き上がって
音の発生源を確認するために玄関に向かった。
 
 結局あの後そのまま床に伸びて寝てしまっていたようで、
体の節々はキシキシ痛み。

 着ている服は皺くちゃで、髪は寝乱れてボサボサ。



 こんなの誰かに見られたら嫌だなぁ・・・。



 せめてもと乱れた髪を手櫛で整えながら、万一の時には先手を打てるように
攻撃呪文を唱えて・・・って。

 「・・・ねーちゃんっ、居るんだろっ!? いるって言ってよぅ!!」

 この声は、イリーズ!?

 「ねーちゃん、あたいが悪かったからっ!!
 だから、先生辞めるなんて言わないでおくれよぅ・・・」

 グズグズとした涙声で叫びながら、どうやら拳で扉を叩いているらしい。



 「イリーズ? どうしたの・・・」



 あたしが声を掛けたとたんに、あれほどうるさかった音はピタリと止んで。

 「・・・ねーちゃ・・・」

 代わりに、頼りなさげなイリーズの声が返って来た。

 「今日は授業日じゃないわよ?」

 とにかく扉を解呪して、そのまま彼女を中に招き入れると。

 がばっ!!

 いきなりイリーズがものすごい勢いであたしに抱きついてきた。

 「ねーちゃんっ!! ねーちゃん、ごめんよ〜っ・・・」

 「ちょ、ちょっと・・・」

 イリーズのあまりに取り乱しように驚いてとにかく落ち着かせようとしても
 彼女は必死にあたしの身体しがみついて、まったく離してくれそうに無くて。

 あーあ、盛大に鼻水までたらしちゃってまぁ。

 あんた、そんなに子どもっぽかったっけか?

 「お願いだからっ、いなくなら・・・ないっ、でよっ!リナっ・・・ねーちゃっ・・・」



 ・・・イリーズ。



 「もういいから。昨日の事なら気にしてないし」
 勤めて明るく聞こえるように、パタパタ手を振りながら何でもないと
宥めようとしてみたが、
 「いやっ!!先生がずっと居るって言ってくれるまで離さないっ!!」って、
 いっそう力を込めてしがみついて来る始末。

 「分かったから。あたしは報告書が出来るまではどこにも行かない。 だから・・・」
 いい加減泣き止みなさいよ、と言おうとしたんだけど。

 目に入ったのは。

 今の今まであたしの胸で泣きじゃくっていた筈の、
 今は満面の笑みを浮かべているイリーズの顔。

 「へっへっへ〜っ♪ 聞いたからね、約束だからね?
 女に二言はないよねぇ〜っ?」って・・・あんた!?

 「だ、騙したわね〜っ!!」

 「へっへ〜んだ、こんな古典的な手段に騙されるなんて、ねーちゃんもまだまだ」
 してやったり、という顔とその手に握られていたのは・・・目薬の瓶。

 「〜っ、イーリーズゥゥゥゥゥゥ!!!」

 待ちなさいっ!! と、腕を振り上げて家中ドタバタと追いかけっこを演じながらも、
 あたしは『ああ、この娘なりに昨日の事を気にしてたんだな』と思った。

 なぜなら泣きマネという割りに、本当に瞼は腫れていたし鼻の頭も赤かったから。

 それを気づかせまいと振舞う彼女の芝居に乗ってあげるのも
師匠としての務めかもしれない。

 彼女にそれだけの心配をかけてしまった張本人としても。
 







 「ねえ、本当の所さぁ。『リリーナ先生』はいつまでここに居るつもりなの?」

 ひとしきりドタバタ騒ぎをやった後。

 一時休戦お茶でも飲んで、といつものようにテーブルに向かい合って座る。

 そこでイリーズの口から出たのがこの質問。

 「いつまでって・・・」

 本当に、いつまであたしはここに居るんだろう。

 いつまで、ここに逃げ込んでいられるんだろう・・・。

 この先、あたしはどうなるんだろうか・・・。



 「・・・ぇちゃん、ねーちゃんっ!」



 つい、物思いに沈んでしまったあたしが掛けられた声に顔を上げれば
 目の前にあったのは、心配そうなイリーズの顔。

 この場はこの娘を安心させたげなきゃ。

 「あぁ・・そうね、たぶん報告書が完成するまで・・・」

 「嘘だね」

 あたしの言葉を遮って、イリーズが強い調子で言い切った。

 「嘘って」

 反論しようとした言葉を封じたのは、あたしの嘘など見破るような強い瞳の光。

 「はっきり言ってうちの協会はそれほど大きいって訳でも、
古くからの歴史があるわけでもない。
そんな所に『デモン・スレイヤー』の二つ名を持つ魔道士が必要とするような
 資料が沢山あるはずないじゃん。
 それにあの天才魔道士『リナ=インバース』なら、こんな辺鄙な場所にいなくても
 他の大きい協会にいくらでも協力を求められると思うし。
 ねーちゃんの出身はゼフィーリアだし、確かセイルーンにも伝手があるよね?」

 どう?と、真正面から見つめられて。

 あたしはウッとたじろいでしまい。

 「だ、だって、今あたしの居場所がばれたらうっとおしい事になりそうだし・・・」

 何とか誤魔化そうとするも、イリーズは言い訳する間も与えてはくれなかった。

 「それだってそう。あたいの知ってるねーちゃんは、そうなったらなったでうまく
 周りを利用して自分の有利に動かせるはずだろ?
 なのにそれをしないって事は。
 ・・・他に、いったい何をやらかしてきたの?」

 「な、何って・・・」

 イリーズはしばらくあたしをジッと見つめていたが、今度はいきなりあたしの腕を取った。

 「・・・今思えばさぁ。最初にねーちゃんと会った時から様子が変だったんだ。
 見るからに疲れてくたくたになってるのに、それでもどこかに行こうとする。
 昔は自信に満ち溢れていた瞳が、なんかさ、迷子の子供みたいな
瞳になっちゃってて。
 いくら一日中デスクワーク中心だからって言っても、たった一ヶ月でこんなに
 痩せちゃったら誰が見たっておかしいと思うって!!」

 キュッ、とあたしの腕を握り締めたまま、彼女は話を続けた。

 「こんなにペンダコだらけの、インク塗れの手になっちゃってさ・・・。
 こんなの、全然ねーちゃんらしくない。
 あれだけ派手な事好きなのに、趣味の盗賊いぢめにも全然行かなくて。
 人ごみを避けて、コソコソ人目につかないようにしてるねーちゃんは、
ねーちゃんはっ!!
 あたいの知ってたリナねーちゃんじゃないやぃ・・・」

 最後の方はまるで呟くように、途方にくれたように俯いてしまったイリーズ。

 そんな彼女を前にして、あたしは何も言えなかった。

 慰めの言葉も、ごまかしの言葉も何も。

 あたしの中に、彼女に掛けるべき言葉を見つけることが出来なかったから。



 しばし、重い沈黙が二人の周りを包んでいたけれど。



 突然。

 それを撥ね退けるかのようにイリーズはギュッと顔を上げ、口を開いた。

 「ねえ、あたいが聞いたのは『デモン・スレイヤー』の称号を
持つ者は二人いるって。
 一人は世界最強の天才女性魔道士、リナ=インバース。
そしてもう一人は・・・」

 「やめてっ!!」

そんな話なんて聞きたくないのに!!

 しかし、あたしの制止の声にも彼女は怯まず語る事を止めず。

 「かの伝説の光の剣士の末裔にして超一流の剣技の持ち主。
 名前は・・そう。ガウリイ、ガウリイ=ガブリエフ」

 イリーズの口からあいつの名前が出た瞬間。

 今まで胸の奥に閉じ込めていたものが、一気に表に溢れ出した。

 「その・・・その名を、口にしないで・・・」



 ガウリイ、ガウリイ、ガウリイ・・・。

 あいつを呼ぶ事が出来たら、どんなにいいだろう。

 あいつが傍にいてくれるだけで、どれほど心が休まるだろう。

 あいつがあたしの名を呼んでくれたら、どれだけ嬉しいだろう・・・。

 それを望む資格を、あたしは自分で捨ててしまった。

 せっかくあいつがあたしとの関係を変えようとしてくれたのに。

 あたしだって、それをどこかで待っていた筈なのに。

 いざその時が来た時。

 その先の事が、頭の中でぐるぐる回って素直になれなかったあたし。



 『・・・駄目よ。自分の気持ちには素直にならなくちゃ。
 あなた達は、同じ人間同士だし何の問題も無いじゃない?
 リナちゃんは、私みたいになっちゃ駄目』

 優しく諭すような声を思い出す。

 『人の一生は短いもの。
 その中であなた達は出会ったのでしょう?
 そしてお互いを大切に思っている・・・。
 何を躊躇う事があるの?
 好きなら思い切って彼の胸に飛び込まなきゃ!!
 ・・・いなくなってから後悔しても、遅いんだからね?』



 本当だね。

 今更後悔したって、もう遅いよね・・・。



 前に出会った緋寒桜の精の声が、不意に頭の中で再生されて。

 それに答えられなかった自分が情けなくて。

 いつしか大きな声を上げて、あたしは。
 イリーズの目の前で、外面も無くボロボロ泣いてしまっていた。







 「・・・ねーちゃん、大丈夫?」

 泣き疲れて気持ちが納まってきた頃合いを見計らって
 そっとイリーズが香茶を入れてくれた。

 あたしは黙ってそれを受け取り、震える手で中身を零さないように
ゆっくりと飲み下した。

 枯れた喉に優しいようにと温く調節された香茶からも、イリーズの
優しい気遣いが伝わって来て。

 「あ・・・りっ、がっ・・・とぅ・・・」

 思いっきり泣いた所為で鼻声のままで、話す言葉も覚束ないけど。

 それでも彼女は茶化さないでいてくれた。

 それどころか「・・・ねーちゃん。大丈夫、大丈夫だからね」
 そう言いながら、あたしの背中を優しく擦ってくれて。

 「ねーちゃん、その人と何があったの? あたいで良かったら話、聞くよ?」って。



 ・・・何だか、今日はあんたの方がお姉さんみたいだね。



 そう思いながらも、もう一人で抱えるには重た過ぎる事情をあたしは
イリーズに洗いざらい、すっかり話してしまっていた。
 
 
 





 「結局、ねーちゃんはびびって敵前逃亡したって訳だ」

 グサッ!

 「せっかく巷を騒がす凶暴魔道士の、しかもまな板胸のねーちゃんでも
 いいって人が現れたってのに」

 グサグサッ!!

 「しかも、長年一緒に旅してきた大事なパートナーだったのにね。
 いきなり置いてけぼりにされたその人、すっごく傷ついただろうねぇ〜」

 あう〜っ!!

 「しかもたった一人の男にビクついて、髪の色は変えるわ偽名は使うわ。
 巷の噂じゃその名を聞いただけで、ドラゴンさえ裸足で逃げるって
噂のねーちゃんがねぇ〜。赤の魔王を2度も倒してのけた天才魔道士様も
たった一人の惚れた男が怖くて姑息な手段使って逃げ回って、
挙句にコソコソこんな場所で隠居生活?」

 ズバドシュッ!!

 い、痛い。

 そうも羅列されると、痛すぎる・・・。



 あまりの言われように思わずテーブルに突っ伏してヒクヒクしてしまいながらも
 的確すぎるつっこみに反論の余地すらなく。

 「・・・イ、イリーズ。も、もう少し穏やかな言い方してくんないかな・・・」

 せめてもと手加減を願い出たあたしの言葉にも
 「だって、事実じゃん」と、至極冷静に感想を述べる彼女はまったく容赦なし。



 ・・・ああ、言うんじゃなかったかも。



 「今、話すんじゃなかったって思ったでしょ?」

 ドキッ!! 

 「まったく、戦いとか駆け引きにおいては百戦錬磨のリナねーちゃんが、
 色恋事にこれほど弱いとは思わなかったよ」

 イリーズはいかにもな『やれやれ』と肩をすくめたポーズをして見せた後
 「でも、そんな所が可愛いけどさ」って。

 「あ、あんた何言ってんのよっ!!」

 顔が熱くなってる自覚はあったが、イリーズに茶化されてますます温度が上がり
 それを見た彼女に更にからかわれ。

 「あーあ、あたいにちょっとからかわれた位でそんなに真っ赤になってちゃ
世話ないよ。 そんな事で、ガウリイさんに会いに行けるの?」
さらりと言われたイリーズの言葉。

彼女は何気なく言ったのかもしれないけれど。

あたしは『ガウリイに会いに行く』想像した瞬間、
血が冷えるのを感じた。

 「あ、会いにって・・・。どの面下げて会えるってのよ」

 ・・・そんな事、今更できる訳ないじゃない。そう思ったのに。

 「でもさ、どのみち会う事になるんじゃない?」

 あっさりと放たれたイリーズの一言が、あたしの頭に爆弾を落とした。

 「何でよっ!!」

 あいつはもうあたしを探してないっ!!

 たとえあたしがどこかに召還されたとしても、彼にはもう関係の無い事なのにっ!!

 「だって、ねーちゃんの読みからすると、いくら詳細な報告書を提出した所で
 結局審問会は避けられないって事はだよ? そのガウリイさんだって、
 思いっきり事件の当事者で関係者なんだから、絶対呼び出し食らうって」



 そんなの、だめだ。

 こんな事にあいつを巻き込まないようにって別れたのに。



 「あ、あいつ、頭の中は蕩けたヨーグルトみたいに記憶力皆無だから、
そんな事しても・・・」
 あたしは必死になってあいつの不必要さを説こうとするけど。

 「そんな事はお偉いさん達には関係ないんじゃない?
 あの人達って、結局自分が納得したいだけなんだから。
 的確な証言が出来るか出来ないかが重要なんじゃなくて、
まず当事者を召還する事が爺さんたちにとっては
自己満足するのにもってこいなんじゃないの?」

 それは、どこまでも自分にとって都合の良い予想だと。

 現実はそんなに甘くはないとイリーズに言い切られ。

 はっきりと言い切られた事で、イリーズの判断は間違っていない事も理解できた。



 今まで自分が理解したくなくて目をそむけていたという事にも。 



 「いざジジイ共との決戦の時に、別れた男と衝撃の再会を果たして精神面
グズグズになったまま審問官からの質疑応答に渡り合う自信、ある?」

 「そういう事態は・・・できれば避けたいけど・・・」

 これはあたしの問題だ。

 だからこそ、これ以上あたしに関わるゴタゴタにあいつを巻き込みたくなかったのに。

 どう足掻いても無理な話だったって言うの?



 「何ならさ。あたい、ガウリイさんを探すの協力するよ?」って、あんたねっ!!

 「だめっ、ダメっ! 今更会わす顔ないってばっ!!」

 なんちゅう恐ろしい事を言うんだろうか、この娘はっ!!

 必死でイリーズの腕を掴みそれだけはやめてくれと説得を重ねるあたしに
 「・・・・・・ねーちゃんがそう言うのなら、今は行動しないけど。
 もしこれ以上ストレス溜めて痩せたりしたら、問答無用でその人探し出して
 ここまで引っ張って来るからねっ!!
 ま、今日は初々しいリナねーちゃんを見られたから勘弁してあげよっかな♪」って
 なんとも楽しそうに人の頭をグリグリと撫ぜてくれたけど、
ここで報復に出るわけにも行かず
 いっそ攻撃呪文で記憶をなくしてやりたい欲求を何とか耐え抜いたあたしに
 『んじゃ、これで貸し一つ♪』って言って。

 じゃ、また明日と帰ろうとしたイリーズだったが、
 唐突に『くん』とあたしの手首に鼻を近づけた。

 「いい匂い。これって、もしかしてガウリイさんからのプレゼント?」



 ・・・あんた、目敏いわね。



 「ま、そういう事になるのかな」

今頃コレくれた事を後悔してなけりゃね。

 つい苦笑いしてしまったあたしに
「ねえ、ちょっとこれ少し頂戴? すっごくいい匂い。
 きっとさぁ、この辺じゃ手に入らないよね。さっき話を聞いてあげた礼って事で」
 ちょーだい、と可愛らしく手を差し出したイリーズ。

 ま、少しだけならと中身を少し採って、ちょうど空いていた缶の中に
移し替えて手渡した。

 「じゃ、コレで借り一つチャラって事で一つよろしく」

 「先生ありがと〜、また明日〜っ♪」

 ぶんぶん手を振り回しながら帰っていくイリーズを見送りながら、
 そのうちここも引き払う事になりそうだなと、あたしはこっそりと
ため息を吐いたのだった。
 








 さてと。明日はまた授業があるから、今の内に仕事を進めておかなきゃね。

 その足で書斎に向かおうとしてふと、イリーズの「それ以上痩せたら・・・」の
言葉を思い出した。

 「少しは何か食べておかなきゃ」
あの娘なら本気でガウリイ探して来かねないからと
 そのまま食堂に向かい、ありあわせの食材で簡単な食事を作って
お腹に収める。

 「あれ・・・このお肉。こんなに美味しかったっけ?」

 ただ焼いただけの保存肉がこんなに美味しいなんて今まで思わなかったのに、
一体どうしたんだろう?

 一噛み毎に口に広がる肉汁が久しぶりに空腹感を呼び起こし。

 とりあえず手近にあった果物やパンをお腹が満足するまで食べ続けた。

 「ご馳走様、イリーズ」

 ようやく満腹感を覚えてちゃんと手を合わせて。

 汚れた食器を片付けながらふと、ここに住むようになってから満腹と思ったのは
 初めてじゃないのか?と思ったのだった。