マグノリアと共に7








 それから暫くは、極穏やかな日々が続き。

 あたしは少し生活態度を少し改めて、とにかく日に三度
意識的に食事を取るように心がけていた。

 口に入れるのは、旅をしていた頃に比べれば数段簡素な食事だったが、
それでもまだここに来た頃よりは随分ましになった方で。

 起きて、布団を日に当て、食事を採り、報告書を執筆し。

 イリーズの授業がある時は、それを横目で見ながら彼女の為に
少し手の込んだ食事を作った。

 彼女が帰った後や、そもそも来ない日は簡単に家の中を掃除して、
 部屋の空気を入れ替える。

 たまには空を眺めながら家の周囲を散策したりもしながら。



 ・・・それでも。
玄関扉には毎回きちんと封印を施さずにいられなかった。



 こんな場所に用もなく来る人間なんていないはずと判っていても、
この癖だけはどうしても止める気にならなかった。

 そして一人きりの夕食を取った後は
簡単に身体を清めて再び執筆作業に入り、深夜遅くに就寝する生活。



 ・・・それでも、急に全てが上手く回り出したわけではなく。
 


 ムクリ。

 「眠れない・・・」

 執筆作業で疲れた身体を休めたくてベッドに入って目を閉じ
眠ろうとしても、なかなか寝付けないのは以前と変わりがなく。

何とか眠りが訪れた夜も、熟睡と呼ぶには程遠く。

 夜明けに近い時間に起きてしまう事もたびたびあって、そんな時は
 書斎のドレスに刺繍を刺しながら朝が来るのを待った。

 盗賊いぢめが一番のストレス解消法と判っちゃいるけど、
人目を引いてしまうような派手な事ができない今。

 これだけが、唯一の気分転換だったから・・・。





 
 「リリーナ先生。実は今日、大切なお話があるんです」

 あれから一週間経った頃、イリーズが珍しく硬い表情であたしの前に座った。

 「いよいよ、アッサムが釈放される日が決まったんだ。・・・あと一週間。
 一週間後には、あいつが娑婆に出てくるんだ・・・」

珍しく、深刻な声で話す彼女。

 「まあ、昔のあたいならいざ知らず、今やリリーナ先生の直弟子なあたいが
あいつなんかに負ける訳ないんだけどねっ!!」

 強い口調で言葉を切ったイリーズだったが、やはり敵への恐怖感は
拭い切れるものではない。

 気丈に強気を装っているのが、声の調子からもよく判った。

 「でね、一応、万が一を考えたらさぁ。 
リリーナ先生が家に泊まってくれたら、すっごく心強いんだけどな〜」

べ、別にあいつが怖いとかそういうんじゃないんだよ!って
最後の方はもごもご口の中で言いながら、その癖落ち着きなく
手をモジモジさせちゃってさ。

 素直じゃないのはあんたもいっしょじゃないの、イリーズ?

 「ん、分かったわ。 じゃ、来週からしばらくあんたの家に厄介になる。
 で、もしアッサムがまたちょっかい掛けて来る様なら、あんたが
自分の魔法であいつをやっつけるの。 
あたしは、あくまでもあんたのサポートだからね?」

どうすればイリーズが今後一番安心して暮らせるようになるのか。

それを考えた時に出た答えは一つだったし、
それに伴うリスクも彼女の為になら最早問題外だったから。

とにかく、イリーズの期待に答えてあげたいって思った。

「ほ、本当にっ!?」

 「家に泊まる」って言った時にイリーズの顔ったら!!

 そんなに手放しで喜んでくれるんだったら
『もうしばらくだけ一緒にいてあげようかな?』
 って思っちゃうじゃないのよ。

手放しで喜んでいるイリーズの瞳を見つめ、真剣な顔であたしは
言葉を続けた。

 「あいつはあんたが自分の手でへちのめさなきゃダメなのよ?
あたしが撃退しちゃったら、あいつ『次はあたしがいなくなった後に』
って、性懲りもなく妙な考え起こすかもしれないから。
だからこそ、この機会にあんたの実力があいつより
上だって事を、骨の髄まで滲み込ませて覚えさせるのよ!!」



 喜ばせついでに、つい、強い調子で激励してみたんだけど。



 「うんっ、ねーちゃんが付いててくれるんなら絶対大丈夫!!
 アッサムの奴にはあたいに楯突いた事を後悔する位ボコボコにして、
二度と顔を出そうなんて考えられないよう、にしっかり思い知らせてやるんだ♪

 前はあたいの腕が未熟だったから、あの程度しかやり返せなかったけど、
 今回は少しは楽しませてもらうんだからね♪ 

それに、魔法修行の成果を見せる実験台にもちょうどいいしー 
 襲われたらやり返すのはハッブル叔父さんの了解も取ってあるしー
犯罪者でしかも再犯だしぃ?
 多少怪我させても全然まったく問題ないでしょ?」って。



 ・・・可愛い顔して、この娘の言う事は相も変わらずエグイなぁ。



 この分じゃ、殆どあたしの出番はないかもね。



 本当なら。

何もない事が一番なんだけど。



 そんなあたしのささやかな願いは、やっぱりというか叶わなかった。







 ・・・そして、運命の一週間後は、あっという間にやって来て。








 あたしは、数日振りに町に降りて来ていた。

 目的は・・・イリーズの護衛と卒業試験を兼ねていたりもする。

聞いた話によると、アッサムは昨日の夜に釈放されたらしく。しかも
出所時に『すぐに痛い目に合わせてやる』と吐き捨てていたらしい。

・・・奴がイリーズへの復讐心に燃えているのであれば
襲撃はおそらく、今日。

まさかこちらに自分の出所情報が流されているとは思いもよらない
アッサムが考えそうな計画だろうし、あたしとしても
いつ襲撃があるのか判らないのも困るので、あえて
奴の鼻先に餌をぶら下げるような真似をしているのだ。

「先生、見てみて〜」

「ん?美味しそうね」

イリーズにはこの計画もきちんと話をしていたが、裏の意味までは
教えてはいなかった。



それは。



あたしは一刻も早くアッサムの件に片をつけて、評議長からの依頼を
終わらせてしまいたかったのだ。

 既にメルカド協会で閲覧できる資料では、最早役に立たなくなりつつあり
 あたしは何処か他の町に移動する事を考えて始めていた。

 ・・・やっぱり、一番いいのはセイルーンよね。

 魔道士協会の書庫も王宮図書館も、そこらの図書館とは比べようもない程
蔵書量があるし、貴重な書物も数多く保管されているし
一般には保管場所からの『禁持ち出し』扱いの稀少本も、あの国でなら
コネを使えば比較的楽に閲覧許可が下りるだろうし。

 それに。何よりあの国には、報告書の証人になれる人材が
ゴロゴロ揃ってる事だし。

 いざとなったらアメリア脅して王宮のどこかに匿って貰おうかな?

 流石に魔道士協会派遣の調査員でも、無断で一国の王宮に忍び込む
わけには行かないだろうし。

 んふふ、かなり良い時間稼ぎが出来そうだわ♪






 「リリーナ先生♪」

 イリーズが、横を歩くあたしの腕の自らの腕を絡めつつ、
甘えた声であたしを呼んだ。

 街を発つのは、この娘を護って今後の安全を確保してからでなきゃ。






 今日計画を実行するにあたっては、数日前から
「最近うちの孫に家庭教師を付けましてなぁ。今度紹介しますで」
 と、コッフェルさんにさり気な〜く、ご近所に話して貰っていて。

 今のあたしは単なる『お勉強の先生』としてイリーズの横に立っている。

 ちなみに今あたしが着ているのは、山にいた間にかなりの時間を費やし
手を加え続けていた、件のドレスである。

 ただの家庭講師が着るにはやや派手かもしれないが、一応『普通の教師』
という触れ込みである以上、以前旅をしていた頃に使っていた
見るからに物々しいショルダーガードを身に着ける訳に行かない事と、
あたしの加工でどこまで普通のドレスを
魔道強化できたかのテストを兼ねていたりも、する。

 一応肩の上からゆったりとしたショールを巻いて、見た目の派手さを
押さえてはいるけど・・・。

 ま、一応上流家庭出身のお嬢さん先生に見えない事もないから、いっか。



 あたし達は二人肩を並べてそぞろ歩きながら、いかにも
『ぶらぶらお買い物を楽しんでま〜す』という雰囲気をかもし出しつつ
 腹の中では、獲物がかかるのを待っていた。

 もし何か不穏な気配を感じたら、さり気なく人の少ない裏道に誘導してそこで
 イリーズが実力でもってアッサムを捻り潰す。

今回あたしは直接手出しをするつもりはないし、その必要も無さそうだけど
どさくさに紛れて一発位は攻撃呪文をぶっ放してやろうかしら?

 きっと、積もりに積もったあたしのストレス解消にも良いに違いないし♪
んふふふふ、アッサム。覚悟してなさいよ〜!

やや自分の世界に入り込んでしまったあたしに横から
 「ねえ、リリーナ先生。今日はあの香水をつけないんですか?」って。
イリーズが、袖をクンッと引きながら聞いてきた。

 おひ。この状況で何を気にしてるんだか、この娘は。

 あたしは彼女の耳元に顔を寄せ、小声で
「そんな事したら、いざって言う時敵に匂いで居所バレちゃうじゃない」って
 教えてやったのだが、
「そんな綺麗な服でお洒落してるのに、香水の一つも付けてない方が
 よっぽど不自然じゃん」と逆に言い返された。

 更に「それに相手はたかがアッサム。そんなに意識しなくても
二人なら一発KOできるって」って、やたらと自信満々なイリーズ。

 この間とは、随分態度が違うみたいだけど・・・はて?

 と。

『ぴとっ、ぬりりっ』

 「イ、イリーズっ、何のつもりよっ!?」

 一体どこから出したのか、この間あげた香水を素早くあたしの項に塗りつけて
 「ウンウン、これで綺麗な家庭教師の先生の出来上がり」
とか何とか、嬉しげに一人で満足してるし。

 「もうっ、いくら相手が雑魚だからって油断してちゃ足元救われるわよ」
 あたしは懐からハンカチを取り出し、急いで首を拭こうとした、
まさにその時だった。

 「・・・イリーズ」

 「・・・先生」

 ほぼ同時に感じ取った、背中側からの、一瞬だけの刺すような鋭い殺気。

 それは、こちらを窺うようにジワジワと間隔を狭めながら気配を殺しつつ
一定の距離を取って後をついてくるのが判った。

 「・・・掛かったわね」

 じゃあ、手筈通りに行きましょうかと、目と目で合図を交わし。

 ウインドーショッピングを楽しんでる振りをしつつ、少しづつ人気のない
 裏道に向かって歩きだす。

 スッ、と角を曲がる時に気づかれないようチラリと後ろを見やったら。

 前よりも若干老けた、でも見覚えのある男の顔が視界の端に入る。

 「イリーズ、準備はいい?」

 「いつでもオッケ!」

 イリーズのニヤリと笑った顔は、先日うちで見せたような怯えなど
まったく感じさせない不敵なもので。



 ・・・この娘、相変わらず本番に強いタイプね。







 さぁ。
あの角を曲がればいよいよ決戦の時!!