マグノリアと共に ガウリイサイド 7





太陽が空高く昇りきろうとする時刻、
オレは簡単な食事を済ませて出立の支度を整えていた。

目覚めた後は気分こそ爽やかだったが
身体の方はというと、正直最悪に近かった。
とにかく全身が泥のようにだるくて重い。
更に言うなら頭痛はするわ真昼の光に目も眩むわで、不眠不休の上に
まともに飯も食ってなかったツケが一気に出てきたらしい。

「昨日のあれこれで気が緩んじまったんだろうなぁ」
それでも懐の羊皮紙に手を置けば、自然と口元が緩む。

一瞬遅れてやってきた頭痛に顔をしかめながら辺りを見回すと
栗毛の『彼女』はまだ食事中らしく、のんびりと飼葉を食んでいた。

「うまいのか?」

声を掛けるとのそりと近寄ってきて、ぶるんっ!と大きく鼻を鳴らす。

「そっか、そりゃあいいな。・・・なぁ、お前さん。
本気でオレに付き合ってくれるつもりなのか?」

声をかけて鬣を撫でると『彼女』は首を縦に振って膝を折り、
前足の辺りに転がっていた鞍を鼻先で示してみせる。

「参った、お前さんは頭がいいなぁ」
もうこうなったら手放しで褒めちぎりたくなるってもんだ。
太い首に抱きついて、すべすべとした毛並みを存分に撫でていると
『いいかげんにしろ』というようにブルブル頭を振って払いのけられた。

「はっはっは、お前さんも照れ屋なのか」

腹の底から笑うと、リナと同じ色の瞳がぎょろりとオレを睨みつける。
なんて和やかな時間だろうか。

だが。

「……そうだな、外が一段落したら頼む」

パン、と、軽く背中を叩くと『彼女』は大人しく小屋の奥に移動した。
耳をピンと立てて首を振り、忙しなく蹄で土を蹴る仕草を繰り返して、
チラチラと物言いたげな視線をこちらに送ってくる。
『彼女』も既に外の異変に気付いているらしい。

ぐるりとこの小屋を取り囲むように、物騒な気配と殺気が近づいてくる。

「あいつらみたいのなのを相手にする時は
『二度と抵抗する気が起きなくなる位徹底的にやれ』なんだとさ」

戦仕度を整え笑ってみせて、我ながら妙に好戦的になっていると
自覚しながら小屋の外に出て行くと、そこには案の定
いかつい面構えの野郎どもが待ち構えていた。

そこらに昨日の奴らの姿が見えないということは
彼らが回収したのか、もしくは自らの手で始末したのか。
まぁ、どちらであっても不思議はない。

それにしても、こんなことをしている場合じゃないんだが。
わざとらしく溜息をつくと、途端に包囲の輪がどよめき後じさりする。
だが、手にした得物を下げようとはしない。

見える位置にいる奴らと、ここからは見えぬ物陰に潜んでいる奴ら。
頭の中でそいつらの気配を数えながら正面の敵と相対する。

昨日の奴らが生きているならこちらの力量は知られているはず、
その上で多勢に無勢だと舐めてかかっているのか、
もしくは何がしかの奥の手があるのか。

勝算がなければそもそも逆襲などかけてこないだろうし、
何も考えずに勢いのまま仇討ちに来たのなら本物のバカだ。

奴らが仕掛けてくる様子は、まだない。
……なら、こちらから水を向けてみるか。

「雁首揃えて何の用だ? ったく、むさくるしいのに囲まれてちゃあ
爽やかな山の空気も澱んじまうじゃねぇか」

無造作に剣を担いで声を張り上げてやると、
あからさまに歯をむく者、怒りに顔を赤くするもの
長剣をちらつかせて威嚇するものと反応は様々だ。

そんな中でただ一人、微動だにせずこちらの出方を伺っている
禿頭の男と目があった。

……なるほど、あいつが司令塔か。

とりあえず『頭』の目星をつけたはいいが……さて、どうする。
バカ正直に全員を相手をするのは時間の無駄だし鬱陶しくもある。

だが『彼女』を連れて安全に山を下りるには
障害は完全に潰しておくに越した事はない。

「おいおい、ずいぶんな言い草だなぁ。
あんただって俺達と似たような格好じゃねーかよ、兄さん。
あんたにやられた奴らから随分腕がたつとは聞いちゃあいるが・・・どうだい。
ここは一つ、あんたにぶち殺された俺らの仲間の供養だと思って
景気良くおっ死んでくれねぇか?」

禿男はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、
粘つく声で勝手な要望を言い放つと、右手を挙げた。

「ぅあ、きゃうっ!!」

「あんた、魔道士の女を捜してるんだって?
なら、ちょうどここにも一人いてなぁ。
どうだい、コレがあんたのお探しのものかい?」

男の背後から引き出されたのは、真っ青な顔色をした少女だった。
年の頃はリナと同じ位か、少し下か。
その少女は胸まで伸びた黒い髪を二つに束ねて、
酷くくたびれた、ぶかぶかのローブのようなものを着せられている。
青灰色の瞳は常に落ち着きなく揺れていて、
視線が縋りつくようにこちらを見、両手を縛める手綱に目をやっては
どうせ逃げられないのだと項垂れる。

「ま、そんなこたぁ俺には関係ねぇがな。 
ただ、あんたが俺らにぶち殺されてくれないってんなら、
代わりにこの女をかわいがって憂さ晴らしをしようと思ってなぁ!」 

「ひいっ!!」

禿男はニヤニヤと蛇のように笑いながら、懐から出したナイフを
滑らせるようにして、恐怖に引きつる少女の首筋に浅い線をつけた。

「おいおい、暴れるんじゃねーぜ? あんまり動くと手が滑っちまって
さっくり胴と頭が生き別れになっちまうぞ、ん?」

脅し文句と突きつけられる凶器。
禿は恐怖のあまり動けない少女を嬲るように顔を寄せて、
わざとこちらに見せつけるように舌を突き出して
少女の傷口をべろりと舐めてみせた。

「うまいよなぁ、若い娘っ子の血の味ってのはよぉ」

獲物を嬲る楽しみに酔っているのか、人質がいることで
自らの優位を確信しているのか、やたらと舌の滑りがいい。

「なぁ、兄さん。 あんたがバラした中にゃあな、
俺の大事な大事な、だいっじな兄貴が混ざってたんだぜ?
なぁに、今更謝れって言ってるんじゃねぇ。
一度おっ死んだもんは生き返りゃあしねぇ。
そんなこった、子供だって知ってるってもんだ」

そこで男は言葉を切ると、ぎろりと射る様な視線でオレを見た。

「だからな、俺は、あんたがここで苦しんで、のた打ち回って、
そこいら中に真っ赤な血反吐と臓物全部を撒き散らしながら
死んでいくのを、とっくりと眺めて溜飲を下げる事にしてやらぁ」

そんなもん、勝手に決めてんじゃねーよとかなんとか
言いたいことはあったが、とりあえず口を挟まずにいると
禿男はニヤニヤ笑いを止めないまま、少女の髪を荒々しく掴んで引き据えた。
無理やりこちらを向かせて、震える少女の耳に何事かを吹き込む。

聞き終えた瞬間、いっそう強く震えて唇を噛んだ少女は
男とこちらに幾度か縋るような視線を彷徨わせてたが
焦れた男に足を蹴られて地面に倒され背中を踏みつけられて
幾度目かの悲鳴を上げた辺りで身の振り方を決めたらしい。

「わ、わかりました・・・」

少女はよろよろと立ち上がると、こちらを向いて両手を突き出し
ゆっくりと呪文の詠唱を始めたのだ。

少女の後ろでは禿頭が楽しげにナイフを弄びつつ成り行きを眺めていて、
周囲に潜む輩もじわりじわりとこちらとの距離を詰めてきた。
各々、見やすい場所からこの見世物を楽しむつもりらしい。



この呪文は聞いた事がある。

リナが良く使っていたヤツだとオレが思い出すのと、
少女の呪文が完成したのとは、どちらの方が早かったのか。

「……っ、ごめんなさいっ!」

叫びとともに出現した炎の矢はまっすぐに飛来し、
オレから少し離れた地面に突き刺さって立ち消えた。

途端に周囲から怒声と罵声が湧き上がる。

「てめぇ、避けるんじゃねぇ!!」

「いや、さっき「避けるな」とか言わなかったじゃないか」

軽口を叩いてやれば、期待の外れた禿頭の男の顔は屈辱に歪み
頭のてっぺんから首筋までみるみる紅潮していく。

「へぇ、次の見世物はユデダコかぁ」

芝居がかった仕草で肩をすくめて見せると、
禿は気の弱い人間なら軽く射殺せそうな目でこちらを睨むと、
次いで少女にもう一度呪文を唱えるように命じた。

「てめえら、次は避けさせるんじゃねーぞ!!」
禿は手下達にも魔法と同時に仕掛けろと檄を飛ばすが、
口から泡を噴かんばかりの威勢の良さも大げさな身振り手振りも、
オレからすればひたすら退屈な演し物でしかない。

しかもこれだけ好き勝手に吼えておきながら、
禿自身は一歩も動こうとしない。

「なんだ、あんたはあくまで高みの見物なのか」

根性ねーのな、と呟いたのが気に障ったらしい。
禿は苦りきった面持ちで再び魔道士の少女の隣に立った。

「おら、はやくしねぇか!」

ドスの利いた声で威嚇を繰り返し、ナイフをちらつかせ、
悲鳴をあげることも出来ない少女は再びのろのろと呪文を唱えだす。

そして。

「ふぁ、ファイアーボール!!」

完成した呪文が渦巻く紅蓮の炎球となり、唸りをあげて迫り来る!!

これはさすがに斬るしかないかと剣を構えた時。

いきなり視界がぐにゃりと歪んだ。

こんな時に!と、歯を食いしばり、意識を立て直そうと頭を振る。
それを好機と見たのか、続けざまに襲い来る火炎球と複数の矢。



まずい、そう思った瞬間だった。
何かが、オレと奴らの間に割り入ってきたのは。



耳を劈くような爆発音と、重いものが大地に倒れるような音。
どちらが先だったのか。

「……おまえ、なんで来たんだ!」

そこには、小屋の奥にいたはずの『彼女」が横倒しに倒れていた。

オレの叫びが聞こえたのか『彼女』は苦しげに一度だけ鼻を鳴らすと、
力を失った頭を地面に投げ出した。

火炎球が直撃したのか無残に焼け焦げた脇腹からは
大量の血液が噴き出して、大きく開いた傷口からは
内側から押し出された中身が覗いている。

しかし瀕死の状態にありながら『彼女』はもがく事を止めず、
口から血泡を吐き散らしながら、なおも立ち上がろうと足掻き続け。

やがて呼吸が弱まり、紅の瞳から光が消える瞬間まで
紅の瞳はずっとオレを、まっすぐにオレだけを映していた。



「なんでぇ、先にそいつがおっ死んだか」

誰かの声が遠くに聞こえた。

「なんで・・・お前さん、が・・・」

『彼女』の命が消えていくのを見ていながら、
駆け寄ることも出来ずにいながら、
奇妙にも頭の中は酷く静かで。

「……つきあってくれって、言っただろ」

ようやく動いた足で彼女の前に膝をついた。
赤黒い傷口に左手を押し当てると、そこはまだ温かく。

「義理堅いとこまで似なくていいんだぞ……」

たった今まで彼女が生きていたという証の鮮烈な色彩は
グローブに染み、手首を伝って大地に零れて
やがて大きな血溜まりを作った。

「……なんでぇ、たかが馬一頭おっ死んだだけじゃねーか。
さんざん俺らの仲間をぶち殺しといてよぉ」

敵に囲まれているこの状況で背中を晒して、まだ誰かに縋るのか。
散々守られておいて、その癖誰一人守ることも出来ないくせに。

呆然とする自分自身を醒めた目で観察するもう一人のオレがいる。



これはリナじゃない。

あいつはこんな風に、そう簡単に死んだりはしない。

……だが。

絶対、なんてものはない。

そんなものはどこにもない。



……こいつらが生きている理由も、ない。

ひたひたと総身から湧き上がる灼熱は『憤怒』という名前らしい。

「……ごめん、な」

この激情に身を委ねることは、
なによりも恐れる未来からの逃げだと判っている。

けど、せめて今だけは。

この耐え難いものを、全部忘れてしまいたかった。








飢えた鬼神のごとく剣を振るうガウリイの手によって、
この場にいた者は二人を除いて仲良くもの言わぬ肉塊となった。

燦々と降り注ぐ陽光が照らす大地は茶と赤で斑に染まり、
いたるところに散らばるはごつごつとした『元』人間の断片。

「ひひ、ひいっ、ひぃい、あ、あひゃっ!!」

かろうじて生き残った禿頭の男は、体中の穴という穴から
体液を垂れ流しながら逃げ場を求めて必死に地面を這い蹲り、
同じく恐怖のあまり腰を抜かしてへたり込む魔道士の少女を
見つけると、必死の形相で這い寄った。






剣を手に、ゆっくりと彼らに近づいていく剣士。

少女の首に剣を食い込ませて来るな寄るなと喚く男。

命乞いなのか、震えながら何事かを呟き続ける少女。






無言で彼らの前に立ったガウリイは、ゆっくりと身を屈め、
眼前に出現したフレア・アローを切り飛ばした。

同時に少女は呻いて地に倒れ、男は片腕を失い絶叫を上げる。

「どうした、もう茶番は終りか?」

激痛にのた打ち回る男を横目に、ガウリイは倒れた少女の手の甲を
逃げられないよう剣で貫くと低く喉で哂う。

「っ、ぎゃあああ!! あんた、あんた助けてぇ!!」

襲う痛みに身をばたつかせて絶叫する少女の顔から
紙のようなものがハラリと剥がれ落ちる。

その下から現れたのは、醜く歪んだ老女の顔。

「強力な魔法ってのは、精神を集中しなきゃつかえねぇんだろ? 
なら、ろくに場数も踏んでないようなひよっ子魔道士が生きるか死ぬかの
瀬戸際で的確に的を狙い撃つ、なんてのはどう考えたって無理がある」

……あいつでもあるまいに。

だから、と、一度言葉を切って、ガウリイは女の顔を覗き込んだ。

「最初からあんたとこいつはグルと考える方が自然だ。だろ?」









静寂が訪れた戦場で、ガウリイは名を呼ぶこともなく
失った『彼女』の頭をゆっくりと撫でると、鬣を一筋切り取った。

それを羊皮紙に括りつけて懐にしまい、静かに黙祷を捧げると、
あとは一度も後ろを振り返らずに麓を目指して歩き始めた。

二度と同じ轍を踏まぬよう、一刻も早くリナの元にたどり着く。

ただそれだけを、己に命じて。