人の手が及ばぬほどうっそうと茂った森の中。

風に乗って流れ来る、何かの焦げる匂い。

切れ切れに聴こえる荒い息遣いと、怒号と悲鳴。

大きく固い物が砕け崩れる音と爆音、そして閃光が樹木の隙間から一瞬天に走る。







むっとした真夏の夜の空気の中を、汗みずくになりながら走る男が一人。

その手には薄汚れた大振りの剣が握られ、もう一方の手には何があろうとも放すまいと
固く握り締められ泥に汚れたズタ袋。

ゼイゼイと喉から搾り出すような呼気は、聴く者がいたら何と苦しそうかと眉を顰めるだろう。

過度の運動から酸素不足に陥っている身体がガクガクとよろめいても、
背後から今だ響き続ける地響きと共に
自分を追いかけて来るかもしれない災厄から少しでも離れたくて足を止められずにいる。






「ゼッ・・・ゼェッ・・・ぅくっ・・・はあっ・・・畜生っ、何だって・・・こんな所に・・・」

後ろを一度も振り返る事もなく、只ひたすら走り続け逃げ続け、ようやく辿り着いた
己だけの隠れ家に男は身を滑り込ませ。

切れ切れに、苦しい息の合間に口から飛び出すのは
呪詛にも似た嘆きの言葉。

ただ酒をかっ喰らい、肉を齧りながら仲間と馬鹿笑いを繰り返していた
昼間には想像もしていなかった。

いや、もしもこの事態を前もって知る事ができていたのならば。



「くそっ、こんな事ならさっさと手を引いとくんだったぜ・・・」

結果として自ら招いてしまった不幸な。いや、只の不幸とは呼べぬ程の巨大な災い、禍々しき者。
噂に聞いてはいたが、まさかこれほどとは・・・。

もし、時が戻せるのならば、奴に手出ししようとする自分自身を殴ってでも止めていただろうが
あいにく男はそんな都合の良い魔法を持ち合わせてはいなかった。

それでも。

恐ろしいほどの轟音も爆音も、最早聴こえては来ず
切れていた息も時間の経過と共に整いつつある。

「ここまで来れば・・・」もう、大丈夫。

男の独り言は最後まで発音される事はなかった。







「見つけたわよ、大人しく覚悟なさいね♪」

ジャリ、という土と小石を踏みつける音と重なって、この場に不釣合いな少女の声が響き。







背後から掛けられた声に、男は恐怖のあまり動く事を忘れた。







爆炎を背に風に髪を躍らせ、周囲の惨状には不似合いな微笑を浮かべながら
何気ない様に突き出された手と、謡うように口から零れ落ちる呪。

瞬きをする間に目前で炸裂した爆風に軽々と身体を持っていかれ、無様にゴロリと地面に這い蹲る男。

「おーお、今日はヤケに張り切ってるなぁ」
巻き込まれないようにとやや離れた場所から戦場を眺めているのは、自身も戦いの中に身を置く者であり
視線の先で嬉々として攻撃呪文のフルコースを満喫している少女の相棒。

「・・・あいつも、星が悪かったかな〜」

呪文を唱えるのに飽きた少女の飛び蹴りが、最後の抵抗を試みた憐れな男の顔に
抉りこむ様に決まった。
しかも、つま先から綺麗に全体重を乗せたヤツが。

「おーい、そろそろ帰らないか〜?」
ようやっと気が済んだのか、泥塗れになって伸びている男の手からズタ袋を
奪い返して笑う少女に、彼は近づきながら声を掛ける。

「ん〜、こいつらのアジト漁ってから帰る〜。
だって、ここまで手間掛けさせられたんだから、それなりの実入りがなきゃ
納得行かないし」

地面に降ろされた袋の口を開け、中を改める少女の顔に満足げな笑みが浮かび。
「よっし♪ こっちの中身は減ってないっと♪」
きゅっ、と袋の口を紐で縛ると「ガウリイ、コレ持ってて」と、無造作に投げ渡す。

それを難なく片手でキャッチした男は「リナぁ、行くんならさっさと済ませて宿に帰ろう。
うまくするとモーニング一番乗り狙えるしれんぞ?」と軽い口調で
少女に声を掛ける。

「んじゃ、美味しいモーニングの為にも手早くパパッと仕分けしなきゃ〜ね♪
ガウリイ、あんたも手伝ってよね。
労働の後の食事は一段と美味しく感じるわよ?」

倒れたままの男には目もくれず、リナは満面の笑みを浮かべながら真っ直ぐガウリイの元に歩み寄り。

「じゃあ、さっきの場所まで空飛んでいくから手伝いよろしく♪」

ガウリイと手を繋いで呪文を唱え、ふわりと宙に飛び立ちながら。

「一番乗りだとドリンク飲み放題って本当かな?」

「飲み放題なのはいいが、水だけとかは嫌だぞ?」

「んふふ、ンなマネしようものなら宿ごと吹っ飛ばしちゃるわいっ!!」





にこやかに和やかに。

2人楽しげに、もと来た方に向かって去っていき。

憐れな男は一人、その場に取り残されて。






「もう・・・おれ、堅気になる。 ・・・ぜってー、ぜってー堅気になってやる〜っ!!」
半日が過ぎた頃、のろのろと目を覚ました件の男が最初に叫んだ言葉であった。