マグノリアと共に 9







 「なんで・・・」

 確かに扉は封印を施していたはず。

 それ以前に、最初からこの小屋の存在を知っていなければ
 あたしより先にここに辿り着く事なんて、絶対に不可能なのに!!

なのに、どうしてあんたがここにいるのよ!?







 「 リナ 」

 不意に名前を呼ばれて、あたしは目の前のガウリイを見た。

彼は机に腰掛けたまま、ゆっくりと引き出しに手をかけていて。

 「ガウリイっ、それに触らないで!!」

 彼の手に握られていたのは、あたしがここにいる間大切に書き溜めた
今まで関わった事件に関する報告書の紙束。

 「・・・これがそんなに大事なら、ここまで取りに来ればいい」

静かな口調とは裏腹な、荒い手つきでそれを取り出して
 わざと見せびらかすかのように、バサバサと目の前にちらつかされる。

 ・・・一か八か、呪文でなんとか・・・。

 そんなあたしの考えなんかあっさり見透かすように
 「リナ。 もし魔法を使おうとしたらその時点でこれ、
二度と復元できなくなるまで細切れに切り刻むからな?」
薄く微笑んだ表情のまま、さらりと宣告される。

 ・・・言い方自体は穏やかなのに、その言葉のうちに潜むものは。

 「久しぶりに会えたって言うのに、まるで幽霊でも見たような顔するなよ」

 間違いなく、あたしに裏切られた事による悲しみと怒り。

 「・・・あの後オレがどういう気持ちだったか。
お前さん、考えた事があるか?」

空いた手で。

普段良くやってたようにポリッと頭を掻きながら、
彼はあたしに問いかけるけど。



 ・・・考えなかったわけじゃなかった。

でも、あの時は。

自分の手で、自ら招いた過去の行いの所為で
これまで以上に深く、またガウリイを傷つけてしまう事を恐れるあまり
あたしは深く考える事を無意識に止めてしまっていたのだ。

だから。

ただ、逃げた。

後に残されたガウリイの気持ちを想像する事も無く。

まるで子供が怖いものから逃げる為に布団に潜り込むように。
安直に、楽観的な考えに逃げ込んだ。

あたしが彼から離れれば、ガウリイは矢面に立たされなくてすむって。
追求を受けるのはあたし一人でいいって。
そうすればあたしはもう目の前でまた、ガウリイがあたしの所為で
誰かに傷つけられる場面を見なくてすむって。



それにガウリイなら、大丈夫。

ガウリイはあたしがいなくなっても、すぐに立ち直ってくれる。

・・・そう思ってた。



 でも、あたしの行動一つでこれほどまでに彼が変わってしまうなんて。



 こんなに、怖い人じゃなかった。

 こんなに、悲しい目をする奴じゃなかった。

 こんな。

 こんなガウリイにしてしまったのは・・・あたしだ。

 「・・・ガウリ・・・」

 「そんな声、出すなよ」

 真っ直ぐあたしを見つめながら、静かに語る言葉は
あたしにとって凍えそうに冷たくて。

 「『あの日』な。オレが何を言おうとしてたのか。
 薄々判ってたんじゃないのか?
 知ってて、あんな事言ってさ。お前さん、楽しかったのか?」
苦しげに、無理やり浮かべた笑顔をあたしに向けて問う声は
穏やかな調子とは裏腹に、皮肉に満ちていて。

 ちがう。

 「隣町まで走って、何とか綺麗な薔薇を見つけてな。
散らさないようにって気を付けながら、
 リナの喜んでくれる顔を思い浮かべながら帰ってきたんだ」

 やめて。

 「なのに、オレを出迎えたのはもぬけの殻のお前の部屋と
部屋に無造作に放り出されてた皮袋一つきりでな」

当時を思い出したのか眉を寄せ、ギュッと歯を食いしばりながら
それでもガウリイは語り続ける。

「最初はな、悪い冗談だと思って部屋で待ってた。
でも、待てど暮らせどお前の気配は感じられないし、宿の人に
教えてもらった盗賊のアジトにもお前が来た形跡もなくてな。
 2日がただ無意味に過ぎて。
・・・やっとオレは、あれが手切れ金だって気が付いたんだ」

 静かに、あくまでも穏やかなトーンで訥々と語られる、あたしの知らない
『あの日』の様子。

 それを知る事が辛くて必死に両手で耳を塞いでも、ギュッと両目を閉じても
彼の怨嗟の声はあたしの中まで届いてしまう。

 「オレには、金なんかどうでも良かったけど」

 トン、と軽い音を立てて立ち上がる気配。

 「それよりも、リナにもう一度逢いたかった」

バサササ・・・。
大量の軽いものが、床に落ちばら撒かれる音。

 足音はそのまま、ゆっくりとこちらに向かって歩み寄り、
あたしの目の前で停止した。

そして前置きも無く『 ガッ!!』 と、耳を塞いでいたあたしの両腕を
 ガウリイの大きな手がいきなり掴んで引き剥がし、あっさりと片手で
 纏めて掴み上げ、そのままあたしの頭の上で拘束してしまった。

それでもガウリイを見る事を拒絶するあたしに、降り注ぐ、声。

 「逢って、その時。 もしリナが素直に自分の気持ちを言ってくれたら」

 ・・・言ってたら? 今更それがどうだって言うのよっ!!
どんな事したって、もう遅すぎるわよっ!!

 「そしたら、許そうって思ってた。 その返答が承諾でも、拒絶でも、な。
 だが、お前は一番卑怯な手を使った!!」

 空いた手でグイッ、と黒く染まった前髪を鷲掴みにされた。

 「こんなマネまでして、オレからそんなに逃げたかったのか!?」

 髪を引っ張られた所為で無理やり仰向かされたあたしの目の前に、
 ガウリイの氷のような、蒼い瞳が。

怒りと、嘆きに彩られた瞳が、真っ直ぐあたしを睨みつけていて。


ガウリイ・・・。


 「おいっ・・・リナ・・・リナ・・・リナ!」

ガウリイの慌てたような声と一緒に、ガクガクと身体を揺さぶられる感覚。

でも。

・・・・ザ
・・ザァッ・・・ザザァッ・・・

そんな事お構いなしに、砂が軋むような音で頭蓋の中が満たされていく。

ゆっくりと視界がインクで塗りつぶされるように閉じて
霞んで・・・。

 ・・・ダメ。

 足元がサラサラ音を立てながら崩れていくの。

 あたしはそのまま真っ暗な穴の中に飲み込まれて。

 そこには髪の毛一筋程さえ光が射さなくて。
  


 どんな顔でも、もう一度。

 あんたの顔を、真正面から見られて・・・良かっ・・・た。

 薄れゆく意識の中で、最後にボンヤリと見えたものは
 いつか見た事のある、すごく心配そうな自称保護者の顔だった。















 
・・・・から、てか・・・して・・・て・・・じゃ・・・

 
・・・ん・・・つい・・・・・・ち・・・て・・・・・・

 
じゃ・・・・・・との・・・と・・・てくる・・・

 遠くで、二人分の話し声が聞こえる・・・。



 
きぃぃ・・・ぱたん。



 どこかで扉の閉まる音。

 まるであたしとあいつを、あちらとこちらに隔ててるみたい。



 さむい・・・。

フルッと身体が熱を産もうと震えている。



 なのにまだ、全身の感覚が上手く戻らない。

 一応布団か何かに寝ているみたいだけど、ここはどこだろう。

 また、目覚めたら独りきりの山の中で。

 さっきの声も、ただの幻聴?
 
 ・・・ううん、ちがう。

 違う。
 
 意識を失う前に、確かにガウリイがいた。




 ・・・段々思い出して来た。

 町であいつに見つかって、それから追いかけられて、
あたしは逃げて・・・。




 ガウリイに、ちゃんと謝らないと。

 あの日黙って逃げた事も。

 今日また、あんな形で傷つけてしまった事も。

 全部素直に謝って、そんで・・・きちんと別れよう。
 
 

 コンコン。



 ノックの音にあたしは慌てて目を閉じ、寝たふりをした。

 きぃ・・・。

 パタパタと軽い足音。

 この足音の持ち主は・・・。

 「ねーちゃん? まだ起きないか・・・」

 やっぱり、イリーズ。

 「ねーちゃん・・・、早く起きてやってよ。 あの人、ずっと待ってるんだから」
 枕元で『パシャン』と水音がして、額に冷たい何かが乗せられる。

 「リナねーちゃん。 こんな事しちゃって、ごめんね・・・」

 イリーズはしばらくあたしを見つめていたようだが、そのうち来た時と同じ様に
 軽い足音を立てて、部屋から出て行く。

 『パタン』と扉が閉まって少ししてから、あたしはゆっくりと目を開いて
視線だけで辺りを見回した。

 ここは・・・あたしの寝室だ。

食堂の方に三人分の気配を感じる。

 一つはイリーズで、もう一つは・・・ガウリイ。

 あとの一人は・・・誰だろ。
 何だか懐かしい気もするんだけど・・・。

 今のガウリイの気配は、さっきみたいな怖い感じじゃないけれど
 もう一度、あたしと顔を合わせた時にはどうなってしまうのか。



 ・・・その時は、どんなにひどく罵られても詰られても、それを受けよう。

 あいつの気が済むまで、いくらでも。

 そしたら少しは前みたいなガウリイに戻ってくれるかもしれないし。

 その時、彼の眼差しの先にいるのはもう、あたしじゃないけれど。